第11話 初めての食事

 冷蔵庫を開けて中を確認しながら、ふと気づいた。


「あ、米……炊いてねぇな」


 一人暮らしだから、普段は炊いた分を冷凍しておいて、チンすれば済むようにしている。

 でも、今日はタイミングが悪かったらしく、冷凍庫にも米がない。


「これから米炊くのか……結構時間かかるな」


 そう呟いて、ルナの方をちらりと見やる。

 ベッドに横になった彼女は動かない。


 こっちはせっせと献立を考えているのに、一言も反応がないなんて……いや、もしかしてガチで疲れているのか?


「……大丈夫か?」


 思わず声をかけたが、返事はない。

 よく見ると、彼女は完全に目を閉じている。

 呼吸も穏やかで、ぐっすり寝ているのが分かる。


「おいおい、マジかよ」


 苦笑いしながら頭を掻く。

 どれだけ疲れていたんだか。


 まあ、確かに、あの状態でここまで来るのはきつかったんだろうな。

 けれど、俺のベッドで寝るなんて、よほど限界だったに違いない。


(……もしかして、俺のせいじゃないよな?)


 そんな不安が頭をよぎる。

 今日の出来事を振り返れば、彼女がここまで疲れるのも分かる気がする。

 婚姻届を提出したり、痴話喧嘩のような口論をしたり……思い返せば、ずいぶん気持ち的な無理をさせた気がする。


(いやいや、まさか俺のせいでこんなに疲れてるわけじゃないよな)


 頭を振ってその考えを振り払う。

 けど、もし俺が原因だったら、起こすのも悪い気がしてきた。


「まぁ、寝かせておくか」


 そう決めて、再び冷蔵庫に目を戻す。

 炊飯器をセットしながら、ふと考える。


(時間がかかる分、ゆっくり丁寧に作れるな。せっかくだし、疲れた体に優しいものを作ってやるか)


 普段なら面倒くさがって簡単なものしか作らないけど、今日は特別だ。

 時間もあるし、少し張り切ってみてもいいだろう。


 ベッドの方に目をやると、ルナは小さく寝返りを打っていた。

 顔の疲れが消えて、少し安心したような表情をしている。その姿を見て、なんだか胸が少しだけ暖かくなる。


「……こんなに無防備に寝るなんて、まったく。」


 ぼそりと呟いてから、炊飯器のスイッチを入れる。

 その音だけが小さく響く中、俺は冷蔵庫から材料を取り出して、静かに準備を始めた。


(しっかり作って、元気にしてやらないとな。)


 そんなことを考えながら、キッチンで黙々と作業を進めた。



————————―――――――――――――――――――――――――――――




 炊飯器から湯気が立ち上る頃、俺はキッチンで簡単な味噌汁とおかずを用意していた。

 特別凝ったものではないが、家庭的な料理を目指してみた。

 こういう時は、温かいものが一番だと思ったからだ。


 ふと、背後で物音がした。


「……いい匂い」


 振り返ると、ベッドからルナがゆっくりと起き上がっていた。

 寝起きのぼんやりとした顔が少し新鮮に見えて、普段の彼女とはまるで別人みたいだった。


「起きたのか、調子はどうだ?」

「……うん、だいぶ良くなったみたい」


 ルナは寝ぼけたように返事をしながら、キッチンの方に歩いてくる。

 その動きがどこかふらふらしていて、俺は思わず声をかけた。


「無理して歩くなよ。まだ休んでてもいいぞ」

「いいの。お腹が空いたから、食べる」


 その一言に思わず苦笑いが漏れた。

 やっぱりコイツ、素直じゃないんだよな。


「はいはい、じゃあ座ってろ。もうすぐできるから。」


 俺がテーブルを指差すと、ルナは素直に椅子に座った。さっきまでの疲れた顔は少しだけ和らいでいるように見える。


「……こんなに良い匂いがするなんて、意外ね」

「何が意外なんだよ」

「あなたが、こんなにちゃんと料理できる人だなんて思わなかっただけ」

「お前、俺をなんだと思ってたんだよ」


 呆れた声で返しながらも、俺は盛り付けを終えた料理をテーブルに並べる。

 炊きたての白米、味噌汁、簡単な野菜炒めと卵焼き。俺なりに頑張った結果だ。


「ほら、できたぞ。食べろ」

「……ありがとう」


 ルナが一言だけぽつりと呟く。

 驚くほど小さな声だったが、確かに聞こえた。その言葉に、少しだけ胸が暖かくなる。


「どういたしまして、さっさと食いな」


 彼女の前にお箸を置き、自分も席に着く。

 こうして誰かと食卓を囲むのは久しぶりだなと思いながら、俺は一口白米を頬張った。


「……美味しい」


 最初に口を開いたのはルナだった。

 その一言に、俺は思わず顔を上げる。


「お前にしては珍しいな。素直に褒めるなんて」

「別に褒めてるわけじゃないわよ、ただ事実に基づく感想を述べただけ。私は嘘をついてまで物事を褒めるなんて好きじゃないの」

「なるほど、美味しいという事実を教えてくれたわけだな」

「何都合の良い解釈をしてるのよ、言っておくけど私は舌にうるさいほうなんだから」


 そう言いながらも、ルナはもう一口白米を頬張る。

 その様子がなんだか嬉しくて、俺は自然と笑ってしまった。


「そりゃよかった。頑張って作った甲斐があったってもんだ」


 すると、ルナが俺の顔を覗き込む。


「……頑張ったんだ」

「当たり前だろ。炊飯器で米炊くところから始めたんだぞ」

「へぇ、そうなんだ」


 ルナは箸を止め、少し考え込むような表情を浮かべた。


「……久しぶりに人の手料理を食べた気がする」


 その言葉に、俺は不思議に思って箸を置いた。


「お前、普段はどうしてんだよ。外食か?」

「そうね。ほとんどコンビニとか、カップ麺とか。たまに外食するくらい」

「お嬢様みたいな恰好してギャップ凄すぎだろ!?」

「レトルトが似合わないほど清楚で可愛いって? ふふ、アンタいい奴ね」

「いやそんなこと“一切”言ってないからな?」


 俺は釘を刺しつつ、続けてルナを心配する。


「それじゃあ栄養が偏るだろ……自炊くらいすればいいのに」

「だって、自炊なんて面倒くさいじゃない」


 あっけらかんとした声でそう言うルナに、俺は思わず頭を抱えた。


「お前なぁ……それでよく今まで倒れなかったな。」

「倒れる時は倒れるわよ。そんなものでしょ?」

「いやいや、普通はちゃんと飯食うもんだろ。」


 俺がそう言うと、ルナは少しだけ拗ねたように目を逸らした。


「だって……一人で作るのって寂しいじゃない」

「……!」


 その一言に、俺は思わず言葉を失った。

 彼女の声が少しだけ弱々しく聞こえたからだ。


「……だったら、たまには誰かと一緒に食えばいいだろ」

「誰かって?」


 俺の方へと視線を向ける。

 何か期待を込めた眼差しだったに違いないが


「と、友達とか、家族とか……。」


 今、ルナに「俺が一緒に食ってやるよ」という自信はなかった。

 だって、結婚したから調子に乗っている自分がいるようで、またルナにふさわしい人間ではないような気がしたから。


 俺がそう言うと、ルナは微妙な顔をして視線を落とした。


「……まあ、いないこともないけど、気軽に誘える相手なんていないわ」

「そっか」


 俺はそれ以上何も言えなかった。

 だが、その言葉の裏に隠れた何かを感じ取るには十分だった。


「とにかく、これを機にちゃんと飯くらい作れよ」

「……考えとく」

「考えたらすぐ実行、これは人生で生きていくのに大事な考え方だ」

「はぁ、じゃあ絶対にご飯なんか作ってやるもんですか」

「いやいや作れよ」


 意地を張った返事をするルナに、俺は少しだけ苦笑した。


「お前、本当に頑固だな」

「うるさいわね、私だって頑張ってるのよ」


 そう言い返す彼女の頬が少し赤くなっているのが分かる。

 その表情が妙に可愛くて、俺は何も言わずに再び箸を手に取った。


 こうして二人で食卓を囲むのは、なんだか悪くない気がする。

 彼女の素直になれないところにイラッとする時もあるけど、それでも今のこの時間は、少しだけ特別なものに思えた。

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