第7話 強がり
市役所を出てから、俺たちは無言のまま歩いていた。
駅へ向かう道すがら、言葉を交わす気配は一切ない。
……重たい空気が二人の間を漂い続けている。
(おいおい、どうすんだよこの雰囲気……)
自分の中で何か話そうとする気持ちはある。
けれど、何を言えばいいのか分からない。
相手のことをほとんど知らないという現実が、ここにきて重くのしかかってきた。
「……」
ルナだって、別に俺に話しかける気はないようだ。
俺たちは結婚したというのに、こうして一言も交わさないまま歩き続けている。
(……男の俺が何か話せばよかったんじゃないのか?)
自問自答が頭をよぎる。
少なくとも、ここで沈黙を続けるよりは、適当にでもリードしてみるべきだったのかもしれない。
でも、下手に話題を振って嫌がられたり、「今さら何?」なんて言われるのが怖い気もして、結局何も言えずにいた。
こんな時に言葉を出せない自分が、なんだか情けなく思えてくる。
(……本当に、俺たち夫婦なんて呼べるのか?)
そんなことを考えている間に、ルナがふと立ち止まった。そして、ため息混じりに言った。
「……今日はこれで、もういいでしょ。すぐにお別れしましょう」
その一言に、俺は戸惑いを隠せなかった。
「お別れって……なんだよその言い方? 結婚しておいて、すぐ終わりって意味が分からないだろ」
俺がそう返すと、ルナはむっとした表情でこちらを睨む。
「だって、もう目的は果たしたじゃない。婚姻届も出したし、事務所との契約も更新される。もう、これ以上あなたに付き合う理由なんてないでしょ?」
「いやいや、人を下心ある男みたいに言うなよ。別に俺は何か特別なことを望んでるわけじゃない。ただ……」
俺は少し間を置いて続けた。
「お前が無理やり俺を巻き込んだんだから、何かしらお礼があってもいいんじゃないのか?」
冷静にそう尋ねる俺に、ルナはわざとらしく肩をすくめて言い放った。
「私と結婚できたんだから、それで十分でしょ。ありがたく思いなさいよ」
その一言に、俺は呆れるしかなかった。
「はぁ? お前、もしかして俺が結婚したくて結婚したと思ってるのか?」
「当たり前でしょ、あなたが婚活企画に参加して必死こいて私にプロポーズしたから、私が承諾してあげたんじゃないの」
「承諾? 脅迫の間違いだろうが」
俺が呆れながら言うと、ルナは軽く舌打ちをした。
「そんなに嫌だったなら断ればよかったじゃない」
「断れる状況じゃなかっただろ。あの時はお前に完全に包囲されてたし、視聴者からの圧力だって半端なかったんだぞ!」
「それくらいの圧力で折れるなんて、情けないわね」
「お前が言うなよ」
ため息をついた俺に、ルナも引き下がらずさらに続ける。
「第一、私は何も無理やりなんてしてない。自分で決断してここまで来たんでしょ? そんな文句ばっかり言うなら最初から——」
「最初からなんだよ!」
「——関わらなければよかったじゃない!」
一瞬、言葉が途切れる。
互いに言い合っていた口も止まり、静寂が訪れた。
怒りの勢いで言葉をぶつけ合っていたが、どこかで分かっている。この状況自体がおかしいことも、互いに苛立っている理由も。
「……いや、だからさ。」
俺は少し落ち着きを取り戻し、息をついた。
「こんなことになるなんて、普通は予想できねぇんだよ。だけど、俺がやっちまった責任くらいはちゃんと取るのが筋だろ?」
「責任って……私はあなたに何も求めてないわ」
「だからって、このまま放置は無責任すぎるだろ」
「……じゃあ、何をしてくれるの?」
ルナがじっとこちらを見つめてくる。
鋭い視線だったが、どこか不安げでもある。
その問いに、俺は何も答えられない。
「何もできないんじゃない、だったら今日はこのまま帰りましょう」
「そうだな……悪かったよ、じゃあな」
そう言って俺は手を振り、彼女に背を向けた。
これで本当に終わりだと思いながら、駅へと向かおうとする。
だが、その時だった。
「……っ」
かすかな声が聞こえて振り返ると、ルナがその場でしゃがみ込んでいた。
「おい、大丈夫か!?」
急いで駆け寄ると、ルナは肩を小さく震わせていた。
近くで見ると、顔色が悪い。
疲れがたまっているのか、彼女の表情には張り詰めていたものが一気に崩れたような気配があった。
「……別に、何でもないわよ」
無理に強がる声に、俺は思わずため息をついた。
「何でもなくないだろ。その顔で何でもないなんて言えるのかよ。」
そう言いながら、俺は彼女がしゃがみ込んでいる横に座り込む。
「ったく……そんな無理してまで何がしたかったんだよ。もう少し自分の体くらい気にしろよな」
ルナは黙ったまま、俯いていた。
さっきまでの自信満々な態度が嘘のように、ただ静かに息を整えようとしている。
「……別に、あんたには関係ないでしょ」
「関係ないかどうかはこっちが決める。お前が俺を巻き込んだんだ。だから、最後まで面倒見させろ」
そう言うと、ルナは驚いたようにこちらを見た。
その目は少し赤くなっていて、普段の強気な表情とは違う、不安げなものだった。
「……強がりすぎだろ、お前は」
俺がそう呟くと、ルナは何も言わずに俯き直した。
しばらくその場に座って、ただ風の音だけが耳に残る。
こうしている間も、彼女の疲れが少しでも和らげばいいと、そう思いながら俺は静かに隣に座り続けた。
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