第3話 プロポーズ
ルナの明るい声が仮想空間に響き渡るたび、彼女を取り囲む熱気はますます高まっていく。怜は冷めた目でその様子を見つめながら、心の中で呟いた。
「あの人、また調子に乗ってるけど……こんな無茶苦茶な課題、誰がまともにクリアできるって言うの?」
その時、ふと画面の端に映る一人の参加者に目が留まる。
彼女が指差す先で動いているのは、どこか苛立たしそうな雰囲気を漂わせたアバター。
「あの人、さっきからやけに真剣ねー?」
「……そりゃあ、結婚したいからでは?」
怜はルナに気づかれないよう、小声で呟いた。
先ほどルナの課題にしぶしぶ参加した男性——
その姿は、他の参加者とは明らかに違って見えた。
笑いながら楽しむでもなく、諦めて脱落するでもない。ただ、その場の空気を拒絶するように、どこか独特の執念が感じられる。
「……ああいうタイプが、一番面倒なのよ」
怜がぽつりと呟くと同時に、ルナが振り返り、楽しそうに声を上げる。
「怜ちゃん、また何か言ったでしょ~? そんなの気にしなくていいの! この企画、絶対に盛り上がるから!」
「……ええ、盛り上がるかどうかは知らないけど、多分ルナちゃん期待通りにはいかないと思うよ」
怜の言葉は軽い皮肉のようにも聞こえたが、ルナはそれをまったく気にする様子もなく、笑顔で手を振ってみせた。
その瞬間、燿が突然、課題の途中で立ち止まる。
ルナは気づかず視聴者に声をかけ続けているが、怜の視線はその異変を見逃さなかった。
「……あれ、何か企んでるのかしら」
ルナの自信満々な企画と、それを支える怜。
だが、彼女たちの思惑とは裏腹に、静かに一つの歯車が狂い始めていることに、まだ誰も気づいていない。
それが何を引き起こすのか、この時のルナには、まったく予想すらできなかった——。
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「う、うそでしょ……?」
月夜ルナの声が震えていた。
いつも自信たっぷりで高みから全てを見下ろしているような彼女のその反応に、俺は思わず口元を緩めた。
「嘘じゃないけど? ほら、ちゃんとクリアしてるだろ」
俺は画面の中央に表示された「課題クリア」の文字を指差し、さも当然のように肩をすくめてみせた。周囲はざわめき、ルナの視聴者たちも半信半疑の様子で状況を見守っている。
……彼女が設けた課題は確かに難しかった。
トラップだらけのコースを、制限時間内に攻略しろなんて、普通なら到底クリアできない。
まるで、かぐや姫の物語に出てくる無理難題みたいなものだった。
普通なら「これ無理だろ」と投げ出すような内容だ。
けれど俺は、苛立ちに突き動かされてただがむしゃらに進んだ。その結果が今ここにある。
「な、なんで……そんな……」
ルナは目を泳がせながら言葉を探しているようだった。
その表情を見た瞬間、俺は内心でガッツポーズを決めていた。
「どうして、って? あんたが無理難題だとか言って勝手に決めたやつを、俺が本気でやったからだよ」
俺は軽く鼻で笑いながらそう言った。
「それとも何だ、これって本当はクリアさせるつもりがなかったのか? もしそうなら、ちょっと人気VTuberとしてどうかと思うけどな」
「んなっ……!?」
わざと挑発的に言葉を投げかける。
彼女の顔がみるみる赤く染まるのが分かり、これ以上ないほど気持ちが良かった。
視聴者からもコメントが飛び交い続ける。
『すげえ! あの課題クリアしたの初めてじゃないか?』
『マジで伝説級のガチ勢w』
『これ、ルナちゃんが折れるパターンじゃない?』
その言葉の数々が、俺の勝利をさらに強調してくれる。
月夜ルナが自分の出した課題で敗北を味わうなんて、彼女をよく知るファンにとっても予想外だったのだろう。
目の前で、ルナのいつもの自信満々な態度が崩れかけているのが見て取れる。
その青い瞳は不安げに揺れていて、いつものように取り繕う余裕すらないらしい。俺はそんな彼女を見下ろしながら、腕を組んで勝ち誇ったように口を開いた。
「さ、どうする? あんた、クリアしたらなんでも言うこと聞くって言ってたよな」
ルナの顔がわずかに引きつり、言葉を探すように口を開きかけたが、すぐに閉じてしまう。
慌てた様子が手に取るように分かり、俺の中でさらなる優越感がこみ上げる。
「え、えっと、それは、その……くっ」
ルナが何か言おうとしたのを遮り、俺は決定打を放つべく言葉を続けた。
「だったらまず、このバカみたいな婚活企画、今すぐやめることだな」
その言葉に、ルナは一瞬だけ口を開きかけたが、またも何も言えずに視線を落とした。隣にいる彼女のパートナー、怜がため息をつきながら苦笑を浮かべる。
「……だから言ったのに。ルナさん、調子に乗りすぎですよ」
怜の言葉を聞き流しながら、俺は勝利の余韻に浸っていた。
この瞬間だけは完全に俺の支配下だと確信する。
そして、この企画を潰してやれる。
「さ、どうなんだ? お前の負けだろ。潔く認めて——」
俺たちの憩いの場を潰したことを謝罪しろ。
そう言いかけた瞬間、口から出た言葉が自分でも驚くものだった。
「——俺と結婚しろ」
……え?
今、俺、なんて言った?
「あっ、ちょっとタンマ——」
言葉を訂正しようとした瞬間、視聴者のコメント欄が爆発的に盛り上がり始めた。
『えっ!? 今なんて言った!?』
『プロポーズwwww』
『ガチ勢の行き着く先が愛とか神展開すぎw』
頭が真っ白になる。
状況を整理しようとするが、心臓がドクドクと脈打つ音ばかりが耳に響いて、冷静になれない。
……なんでだ? なんで俺がこんなことを口走った?
ハッと気づいた。
俺は「婚活」というワードを何度も聞いていたからだ……。
視聴者の「結婚」だの「ルナとお近づき」だの、そんな言葉が耳に染みついていて、口が勝手に繋げてしまったのだ。
「え、えっ……!?」
視線の先では、月夜ルナが完全に固まっていた。
驚き、困惑、そして何か言いたげな気配をまといながら、茫然と立ち尽くしている。
「え……ほ、本気、なの……!?」
その一言に、俺は全身がカッと熱くなるのを感じた。
いや、本気なわけないだろ! 違うんだって!
「あ、いや、違う! 今のはその……!」
慌てて訂正しようとするが、俺の声がコメントの嵐にかき消される。
『待って待って、これまさかのリアルゴールイン!?』
『ルナちゃんどう答えるの!?』
『これは神回確定w』
それを見たルナは
「……嘘でしょ」
と、小さく呟く。
その顔は普段の余裕たっぷりな彼女とは、似ても似つかないほど赤く染まっていた。
「いやぁ~ルナちゃん、自業自得だね」
隣にいる怜は呆れたように肩をすくめ、口元を手で覆いながら苦笑している。
「ち、違う! 本当に違うんだ! これは誤解で……!」
俺は必死に手を振りながら否定するが、誰も聞いてくれない。
ルナが震える声でようやく口を開く。
「……こんなプロポーズ、初めてよ……」
その言葉に再びコメント欄が爆発する。
俺の耳にはもはや視聴者の笑い声が直接届いているように感じられた。
「いや、待て! 俺が言いたかったのは——!」
俺が声を上げようとした瞬間、ルナが突然視線を逸らし、ポツリと呟いた。
「……クリアされるなんて思ってなかったんだから……」
茫然と立ち尽くす彼女の小さな声は、視聴者たちに届かなかったのかもしれない。
でも、俺にははっきりと聞こえた。
月夜ルナが、この課題をクリアされることを全く予想していなかったこと。
そして、俺がその予想外の存在になってしまったことを。
「うーん、さすがにこれ、認めるしかないかもね~頑張りなよ」
怜が静かに口を開き、俺の肩を叩く。
「認めるも何も! 俺は謝罪を——!」
『けーっこん!』『けーっこん!』『けーっこん!』
『けーっこん!』『けーっこん!』『けーっこん!』
『けーっこん!』『けーっこん!』『けーっこん!』
叫びたかったが、引くに引けないこの状況で、そんな言葉を口にしても無駄だと理解していた。
こうして、俺の目的は完全にズレてしまい、まさかのプロポーズという形で新たな方向に転がり始めた。
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読んで頂きありがとうございます。いかがでしたでしょうか。
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