十一章、お嬢と狂犬

第11話

「た……ただいまってまた言える〜!」

 二度と帰ってこられないと思っていたアジトにて。私の発言に皆は温かく笑った。しかし、平穏な時間はすぐに壊される。

「カイル、お嬢! ……おめでとう。『世界中の人間がカイルの敵になったって、私は味方でいてあげる。だから殺しな』だって? お嬢はかーっこいいね〜! 俺たちも味方だって忘れてもらっちゃ困るけどなあ?」

 ジャックの、私を真似しているらしい台詞の再現によって。マイクの存在を忘れがちな私は、カイルとの会話が全部筒抜けだったことを聞かされてずっこけた。

 あのとき、私たちを置いて会場を出たみんなは、やはり迷いがあって警察を撒いた後でそこまで離れてはいない空き地で一度車を停めたんだそうだ。そして、手を縛られてマイクのスイッチを切れなかったーーいやそもそも忘れていたんだけれどーー私から聞こえる音から状況を把握していた。

 私が脱がされかけているところでは腹を立ててくれてイヤホンをかなぐり捨てたい気分になっていたとか、カイルが踏み込んできてぱしゃぱしゃと水音が鳴ったときは「どんだけ血を噴き出させてんだ」と呆れたとか。

 更には急に長い静寂、いや、時折僅かな水音を性能の良いマイクが拾っていて。

「カイルちゅーしてんなあ」

「……してんね」

「俺らがこんなに心配してるってのに」

「ずっとしたがってたもんなあ。カイル、お嬢と死ぬ気かなあ」

などと話されていたとか。ジャックにみんなの反応を余さず伝えられ、私は地下百メートルは深くまで潜りたくなった。

 さて、この話題は一生禁句にしてもらうとして。ネーヴェのみんなはカイルの裏切りについて、いざ聞くとやっぱりな、と思ったらしい。それなら私だけでも助けられないかと館の近くまで戻りタイミングを窺っていたところ、カイルが裏切りをやめたので二人とも助けるに至ったそうだ。

「感謝してるけどさあ……もっと説明してくれてもよくなかった?」

「警察が突入するタイミングしか外が手薄にならないからあれ以外なかったんだよ。そんでぎりぎりだったから、カイルにだけ指示を出してお嬢を抱えて飛ばせた」

「お嬢なら戸惑って咄嗟には飛べないかもだけど、俺はアダムの指示に従順だからー」

「その割にはカイルも意味深なこと言ってたじゃん」

 あいつら許してると思う? だのなんだの。

「いやあ二人して何もない地面に飛ばせるっていう新しい始末方法の可能性もなくはないなって」

「カイルだけ布なしでもよかったんだけどね」

「すみませんアダムさま、働かせていただきやす」

「よろしい」

 カイルはみんなに叱られたけど、当分のアジトの雑用係とタダ働きで許されていた。ね、やっぱりみんな甘いね?

 弟さんのことだけど、あの後カイルはしっかりと話し合ったそうだ。コウ君はやっぱりもう積極的な治療なんて望んでいなくて、カイルが私を紹介すると、ネーヴェを裏切るのを踏み止まらせたことを感謝されたぐらいだった。カイルはしばらくお仕事をストップしてコウ君と過ごす時間を大切にし、コウ君はその短い期間楽しそうにしてカイルそっくりの顔でずっと笑っていた。とても最新の治療なんて施す暇はなかっただろう、と思われるほど短い間だった。

 コウ君が亡くなってすぐはカイルもぼろぼろに泣き暮らしていたけれど、少しずつ少しずつまた元気を取り戻していった。みんなもカイルも「お嬢のお陰だね」なんて言うけれど、私はカイルが最後にコウ君の意志を尊重してあげられたから立ち直れたのだと思う。

 そんな私とカイルは今日も抗争に出向いていた。

「っしゃあ狩りの時間だ!」

 舌舐めずりをした黒い獣がすっ飛んでいく。暗闇で銀のナイフの軌跡がきらり、きらりと光ったかと思うと血を噴き出してばたばたと倒れていく人影が見えた。おお、おお、相変わらず血に飢えたけだものだこと。

「私もお仕事しますかね」

 遠距離からカイルを狙っていたスナイパーを見つけ出し、更に離れたところから狙い撃つ。スコープの先で、ぱしゅっと撃ち抜かれた敵が倒れた。

「おっしゃあ完璧!」

 ガッツポーズをしたとき、ばごん! と背後のドアが蹴り開かれて猛りきった巨漢の男が現れる。あ、まずい。胸元の拳銃に手を伸ばすよりも早く男の拳が伸びてくる。どう避けるか受け止めようか。目をかっ開いた。

 バァン!!!

 そのときまたしても爆音が響いたかと思うと、天井板が一枚落ちてきて豪快に開いた穴から小柄な人影が猫のように音もなく着地する。私に襲いかかっていた男は思わずそちらを振り向いたのが運の尽き、次の瞬間には反対側の壁まで吹き飛ばされた。目の良い私は高々と蹴り上げられた爪先が自分よりずっと背の高い男の頬に思いきりめり込み、物凄い勢いで首があらぬ方を向かされた一部始終を見てしまう。

 あーあー、あんたの筋力でそんな思いきり振り切ったら。あいつ今の一発で逝っただろうな。思わず憐れみの目で男の行方を見送った。

視線を戻せば綺麗に上がった足を戻して頬に血飛沫を浴びたままにっこり笑うカイル。

「ふぃー間に合ったあ。エリー、無事?」

「お陰さまで。もうちょっと手加減してもよかったと思うけど」

 またアジトの場所を聞き出す手がかりが失われてしまった。他の奴が誰か一人ぐらい生け捕りにしてくれているだろうか。……いや、みんな戦闘馬鹿ばっかりだからなあ。期待はできない。

「なーんだ、元気そうだねー。泣いて怖がるエリーが俺の胸に飛び込んでくるかと思ったのに」

 誰の話をしてるんだ誰の。今まで私がそんなかわいげのあることをしたことがあったか。

「泣きたいのはそんな小っちゃいあんたに首をねじ切られた敵の方だと思う。それより何で上から降ってくんのよ」

「えー、でかい奴が一人いなくなったから嫌な予感がして戻ったんだけど、エレベーターを降りてみたら一個下の階が賑やかで」

 階間違えちった、とカイルは舌を出した。こんな奴にやられたなんてやっぱり敵が可哀想だ。

「ねー、早くホテルに帰ろうよー」

 終わったんでしょ? と駄々をこねる。大して疲れもしてないくせに子どもぶってんじゃない。

「ご褒美ちょーだい。さっき俺に飛び付いてくんなかったから、早くベッドの上でエリーのかわいいとこ見たーい」

 ほら、そうやって野獣の顔で私を舐め回すように見る。パンッと拳銃を撃った。

「ちょっ!! 今本気で撃ったよね?! エリー、早撃ち得意なのに?! 照れ隠しでそれは酷くない?!」

 そうだよ、そう言いながらしれっと避けてんな。むくれる彼の手を取る。狂犬と呼ばれるバディーと二人、血溜まりに見向きもせず笑い合った。

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マフィアのお嬢と血みどろの狂犬 夏野まりん @NatsunoMarin

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