十章、死が二人を分かつまで

第10話

はしゃぐカイルの後ろで廊下を歩いていたら、突然後ろから何人かに目と口を塞がれ手足を押さえられ、どこか館の奥の方の部屋に連れ込まれた。もちろん抵抗しようとしたけれど相手は相当な怪力で、私は為すすべなく攫われる。

 まただよ! お姫さまってポジションでもないのに! カイルも気付け馬鹿!

 カイルに頼るしかない非力な自分が本当に嫌だ。女じゃなかったらよかったのに。

 舌を噛んで自害させないようにするためか、口を塞がれていた手が退くやいなや猿轡を噛まされる。初めてされたけどこれすごく口が乾くね。男達は私をぐるぐる巻きに縛ると、ばたばたと部屋を出ていった。何なんだ。まあ好意的じゃないことは確かだ。

 つまりは誘いに乗ったふりをして私たちが向こうを殺すつもりだったけれど相手もこっちを殺る気で、私たちは罠に嵌められた。

 振り向いたカイルはどう思ったのかな。びっくりした? 心配した? バディーがまたしてもあっさり捕まるような奴で幻滅した? ……それとも。

『お嬢! 大丈夫?!』

 思考の途中でイヤホンにアダムからの通信が入る。

「んーーー!」

 元気だよー、でも喋れないよー、って状況を伝えたくて、猿轡を噛まされたまま精一杯唸った。アダムは一文字で理解したのか、『了解』なんて笑う。さすがいつもイヤホンからの情報だけで完璧にサポートしているだけのことはある。

『じきにみんなが助けに行くからね、ちょっと待っててね』

 アダムは私を安心させるように穏やかに言った。きっと色々とごたついていても、わざと不安を感じさせないようにそういう言い方をしてくれているんだろうなあ。

「んんんん?」

『ん? カイル?』

 イントネーションだけで私が「カイルは?」と言いたかったのを理解したらしい。すごいよアダム、猿轡語通訳者になれる。

『お嬢が攫われたのに気付いたら電気ポットの如く瞬間沸騰してブチ切れたから、今頃美術館みたいに綺麗だった廊下が血に染まってるよ。今、たぶん殺すのに夢中で何も聞こえてないから通話してこないけど』

 お嬢が隠された場所が分かんないから、一人ぐらい吐かせるのに生かしてほしいんだけどなあ、無理だろうなあ、とアダムは嘆いた。アダムには悪いけれど、そこまで必死こいてくれるんだ、と私は胸が熱くなる。

 私を置いて出ていった男達も、戦闘するために出ていったんだろうと気付いた。機密性の高い部屋だけど、よくよく耳を済ませれば大勢の怒号が聞こえる。カイルがそれだけ派手に暴れたなら、なし崩しに抗争が始まったんだろう。

 しばらくして、『はぁ……はっ……』と息切れと共に通信が入る。戦闘でカイルが息を切らすなんて初めてなんじゃないかと思った。いつもどれだけ動いても高笑いしているのに。今は笑い声なんて一切聞こえてこない。低い声にびりり、と鼓膜が震える。今、どんな怖い顔をしているの。

『お嬢。聞こえる? 今どこにいる』

 アダムの予想通り、彼と私の先ほどの会話は一切聞こえていなかったらしい。

「んんー!」

『カイル。お嬢、喋れないんだって。あとそんな怖い声出さないの。お嬢がびびっちゃうでしょ』

『……ごめん』

「ううんうんんん!」

『はは、さすがにそれは分かんないわ』

 「びびんないけど!」と言いたかったけれど、アダムに笑われながらお手上げされてしまった。

『カイル、お嬢の居場所は聞き出せた?』

『……。どうせ吐かないって』

 これは手当たり次第にやったな。

『館の中探し回れば見つかるでしょ。お嬢、待ってて』

 ブツッ。

 通話が切れる。

『せっかちだなあ』

 アダムは笑った。のんきだなあ、と私はあなたに言いたいよ。なんとかなるって思っているからだろうけど。

 機械音が鳴って、今度はジャックの焦った声が響く。背後で微かにサイレンの音がしていた。

『おいやべえよ! この音、中まで聞こえてっか! 警察が来てる!』

『ジャック! お前一人でなんとかできねえの。こっちはお嬢が捕まってそれどころじゃねんだ』

 イアンが応じた。あんなふざけた男だけど、イアンもバディーを信頼してるんだなあなんて思う。一方、信頼された男は情けない声を出した。

『無理無理無理! 一人は無理よこれ!』

 首をぶんぶん横に振っている姿が脳裏に浮かんで脱力する。ジャック……。

『何台いるのか数えらんねえもん! どんどん館の方に向かっていってる! 囲まれたら終わりだぞ! そうなったら俺、お前らのこと逃がせねえよ。全員捕まる!』

 そりゃあ一人じゃ無理だわ。残念な男だなんて思ってごめん、ジャック。

『まじか……アダム!』

『ジャックの言う通りだわ。防犯カメラ見たけど、パトカーが何十台も間違いなく館の方に向かってる。周りに通報するような民家もないのに何でこんなに早く点…。ヴァイパーにも潜入捜査官がいたのかも』

 アダムはぶつぶつ話して高速で思考を整理していく。

『お嬢には悪いけど、縛られた状態の女の人なら人質って思ってもらえて捕まらない可能性が高い。それにもしかしたら隠し部屋のおかげで警察にも見つからないかも。ここは一旦引いて改めて出直すしか』

「ん」

 その瞬間、怒号が響いた。当の私は「いいよ」って意味でうなずいたのに。仕方のないことだって思うから。私のせいでみんなが捕まる方が嫌だ。それなのに、カイルがアダムにキレていた。

『アダム、それ本気で言ってんのか』

『俺だってやだよ。お嬢を置いていけなんて言うの。でもみんな捕まったら元も子もないだろ!』

『カイル。撤退。ジャック、警察避けて裏に車回して』

『わかった』

 イアンが静かに指示を出す。そう、イアンが正しい。大丈夫、みんながどうしようもなくてそうするのは分かっている。

『お前ら本気かよ! あいつが捕まるか死んでもいいのか! アダムが言うみたいに、次に助けにくるまでお嬢が無事でいる可能性なんてどんだけあんだ!!』

「……っ」

 聞いているだけで胸が張り裂けそうな声でカイルが叫んだ。通信の背後で銃声が響く。みんな、戦いながら迷って、決断を下している。だから泣いているはずないのに、どうしてかカイルが泣いているんじゃないかと思った。大好きな構成員と私の間で板挟みになって、心の中で泣いている。

『カァイル! お前が駄々こねるせいでネーヴェ全員が捕まる。そしたら本当に終わりだ!』

 ショウが叱咤する。

『やだ!!!』

 カイルは聞く耳を持たない。「んん!」と、「やめてよ」のつもりで発した音は怒鳴り合う声に埋もれていった。

『分かった、お前らだけ先に帰れ。俺はお嬢を助けて二人で逃げる。俺らだけなら何とかなる』

 カイルが急に静かな声で結論を出す。そんなの駄目だ。カイルまで捕まることない。

「んんー!」

 抗議の意を示しても届かない。

『分かった』

 イアンはカイルの決断を認めた。そこは力ずくで引きずってでも連れて帰ってよ。やっぱりカイルに甘いんだから。

『じゃあ、先に帰ってるから』

 通信が切れる。たった一言、それだけ。誰もお別れの挨拶なんて言わない。カイルが私を連れて生きて帰るつもりでいるから。まるで喧嘩別れだった。

 しん……と静かになった空間で、呆然と宙を見つめる。さっきまで、みんなが助けにきてくれて私も抗争に参加するんだと信じて疑わなかったのに。少し経って、カイルが来るよりも先に警察の呼びかけが聞こえた。

「この中で反社会的勢力が集会を開いているという情報が入った。大人しく投降しなければ三十分後には突入する」

 静かに目を閉じる。馬鹿だなあ、カイル。どうして残ったりしたの。本人に聞いたら、「バディーだから!」なんて答えが返ってきそうだ。

 だから、何で私をバディーにしようと思ったのってば。

 バン!!

 静かだった部屋のドアが、勢いよく開いた。

 カイル?

 顔を上げてがっかりする。入ってきたのは私を攫った連中だった。猿轡が外される。

「さて、喋ってもらおうか」

 ぺっ、ぺっ。その前に口がからからなのでお水をもらえませんかね。跪いたまま屈強な男達を見上げる。

「私なんか吊し上げてる場合じゃないでしょ。外は警察に囲まれてるんだよ? あんた達も早く逃げないと捕まるよ」

 それを聞いた彼らはげらげらと笑った。

「おいおい、このお嬢ちゃん、俺達を心配してくれるらしい」

「お前女だけどマフィアなんだろ? 随分やっさしいねえ。そんなんでやっていけてんの」

 余計なお世話だ。手さえ使えれば今すぐホルダーから拳銃を引き抜いて、ちゃんとマフィアやれてるってところを見せてやるのに。

「俺らねえ、こういうもんなの。だからお嬢ちゃんは早くアジトとか仲間の位置とか喋っちゃった方がいいよ? そしたら罪状が軽くなるよう口を利いてあげてもいい」

 目の前に見せられたのは、警察手帳。息を飲んだ。潜入捜査官なのか。この柄の悪い彼らが。やることマフィアとそう変わらないじゃないか。

「だから俺らが捕まるなんてことないわけ。突入してくるまで時間あるし、ここで吐いちゃってくれると効率良くて助かるなあ」

 太い指が私の顎を摘み上げる。気分が悪い。触んな。

 ガチン! と噛みつこうとした寸前で、手が引っ込められた。固い拳でゴッ! と頭を殴られる。

「いっ」

「悪戯はいけねえなあ」

 衝撃で視界がふらつく。この前から頭を殴られることが多い。脳細胞が死んでこれ以上馬鹿になったらどうしてくれんだ。「今でも十分馬鹿だからもうあんまり変わんないよ」なんて脳内のアダムが毒を吐く。ぎゅっと口角を吊り上げた。怖いときこそ、手足の震えを殺して笑え。

「私は喋らない。どうぞ好きにしなよ」

「そうかい」

 男達の手が私の服にかかる。彼らはわざとゆっくりと手を動かした。いいの、警察がそんなゲスい拷問して。これ何もかも非合法捜査だよね。ドレスのリボンが解かれ、汚い床に落ちる。チャックに手がかかり身の毛がよだつ。声を上げるものかと唇を噛んだとき、閉ざされていたドアがバゴォン! と音を立てて吹き飛んできた。

「却下ぁ!!」

 逆光を背負う小柄な男が蹴り上げた足を下ろす。それが地面に着いたかと思えば、次の瞬間には私を囲んでいる男達は全員血を吹き上げていた。そのままナイフで私の縄を切り立ち上がらせた男は私をかき抱いて唇を奪う。

 カイルとの初めてのキスはむせ返るような血の味がした。

 血溜まりの上で、頭から血を引っ被ったような姿のカイルが、同じく今血を浴びたばかりの私に柔らかに口付ける。

 これが最初で最後のキス。こんな血生臭いシチュエーションが私達にはお似合いかもね。

 咄嗟に閉じた目を薄ら開けると、きつく目を閉じた彼が綺麗な顔を傾けていた。後頭部に回された手がぐいと動いて、これ以上はくっつけないのにまだ更に押し付けられる。強引に口を開かされ、私はまた目を閉じた。濃厚な鉄錆の中に、混じる唾液が甘い。

 遠くでサイレンが鳴り続けている。

「あと十分で突入だぞ!」

 警察の拡声器が喚いていた。死を迎えるまで、カイルといられるなら本望だ。

 時々小さく息継ぎを挟み、長い長いキスが続く。ずっとキスしたいって言ってたもんね。そう考えると今必死に私の唇を求めるカイルが可愛くて少し笑えた。

 大丈夫、本当は私もずっとしたかったよ。

 いつもねだったり脅したりして結局しなかったくせに、本気でしたくなったら強引に奪っていくんだもんな。

 私もぎゅうう、とカイルを抱きしめた。私以外見ないで。そのまま何にも考えないで。

「はぁ……っ」

 カイルがようやく唇を離す。つう、と名残惜しむように唾液が二人の間を伝って、ぷつりと落ちた。長い長い口付けで二人とも息が上がっている。

「……お嬢。これは何の真似」

 カイルは私の後頭部と腰に手を添え、緩やかに口角を上げたまま尋ねた。その目が笑っていない。

「何の真似って、私がカイルのバディーだからだよ」

 私も左手をカイルの肩に乗せたまま唇を歪めて笑ってみせる。

 ごり、と右手で押し当てた拳銃の銃口が、カイルのこめかみを抉った。

「俺らを裏切んの」

 まだしらを切る彼に今度こそ笑う。

「裏切り者はカイルでしょう?」

 拳銃を押し当てる力を強めた。カイルが私に銃を突きつけられたまま、あちゃー、と残念そうに笑う。

「ばれてた?」

 そして、自分が裏切り者だと認めた。情けなくも銃を持った右手が震える。確信していたのに、いざ直接聞くとこうも動揺するものなんだ、と思いながら私は必死で表情を取り繕った。

 あんたが裏切り者だなんて、聞きたくなかった。聞きたくなかったよ。

 カイルが私の体から手を離す。温かな手が離れていく。カイルに好きに動かせたら、私なんて一瞬で切り刻まれる。下手な動きはするな、と銃口を改めて押しつけると、「大丈夫動かないよ」と肩を竦めて両手を肩の高さに上げた。カイルはずっとへらへら笑っていて、銃を向けられている彼の方が向けている私よりもなぜかずっと余裕があった。

 むかつく。最後までむかつく。

「むしろばれないとでも思ったの」

「えー? じゃあ他のみんなにもばればれだったかなあ」

「いや……気付いてるのは私だけだと思う」

 バディーだから。ずっと一緒にいて見ていたから気付いた。形式的なものだと思っていたのに、まさか本当にその役割を果たすとはね。あとは、他の構成員の方がカイルとの付き合いが長かったのもある。彼らは疑いようもなくカイルを信じきっているから。後から入った私だけが、新鮮な目で彼を見ていた。

「そうじゃなかったら盗聴器探しも引っ越しも、何の意味もないのにあんな面倒くさいことできるわけないでしょ」

「確かに」

 確かに、じゃないよ。そのほっぺを「みーー」と伸ばしてやりたくなる。こいつは私たちが必死に情報漏れ対策をしているときに、自分でリークしておきながら一緒になって何食わぬ顔で働いてたんだ。今でも信じられない。

「警察にマーカスの取り引き場所を教えたのもショウの店のことをばらしたのも、……薬を求める演技をしてる私がネーヴェの構成員だって伝えたのも、カイルなんでしょう」

 そうだ。話しているうちに自分でも頭の整理がついてくる。

 どうしてスコーピオンは私がネーヴェの一員だって分かったんだろうって、それがみんなの中でも最初の疑問だったじゃないか。あんな時から、カイルは裏切っていたんだ。

「そうだよ。全部俺」

 カイルは諦めたのか、何一つ抵抗せずあっさり認めて微笑む。

 否定してよ。信じてあげるから。ねえ。

 あの時瞬く間にスコーピオンに攫われたけど、情報を売って私を危険な目に遭わせた張本人はカイルだった。それなのに身を挺して私を庇いに乗り込んできたりして、それもあってみんな疑わなかったんだ。一体何を考えてるの。

「スコーピオンもヴァイパーも。同じような厨二病臭い毒のある生き物の名前、って私笑ってたけど、どっちも構成員のほとんどが潜入捜査官のファミリーだったんだね」

「そうだねえ。いひひ、警察ってほんとネーミングセンスないんだもんなあ」

 私がカイルの裏切りに気がついた極め付けは、彼がヴァイパーからの招待状を持ってきたことだった。それまでも私は薄々密告者の存在を疑ってはいた。イアンは構成員思いだし怖い顔してすこぶる優しい人だから身内を一切疑わなかったけれど、普通情報が次々漏れたらそこを疑う。

 そんな中、警察との揉め事の近くには大抵都合良くカイルがいた。もちろん偶然だって思うようにしていたけれど、あまりにもそれが続く。そしてみんなが落ち込んだところへ、発破をかけるために持ち込まれたパーティーの招待状。

 みんなのことを元気づけてくれるのは彼らしいし、みんな何だかんだ参っていたから目の前の大きな仕事に浮き足立って違和感に気が付かないようだったけれど、私はすごく不思議だった。

 どうしてカイルがその招待状をもらってくるの?

 マーカスやショウ、ジャックなら分かる。仕事上付き合いのある人間からもらうこともあるだろう。アダムやウィリアムも、まあなくはない。ボスに近いところで仕事をすることが多いから、ボスに届いた招待状を譲り受けることもありそう。そしてイアンはなんといってネーヴェのリーダーだから、ネーヴェを招待したいなら招待状を渡すのは自然だ。

 でもカイルは違う。戦闘員の中でも暗殺や抗争担当で、仕事は裏で動くものばかり。狂犬、だなんて闇の世界で名前は売れているけれど、対外関係にはほとんど出向かない。そのカイルがみんなも知らない間に招待状をもらってくるのはひどく不自然だった。

「そんなタイミングでもう分かってたんだ。で、何でお嬢は怪しいなって分かってて作戦に乗ったの」

 何でって? 何で、って山ほど聞きたいのはこっちだよ、カイル。

「……そんなの、あんたが裏切り者なんかじゃないって、最後まで信じたかったからでしょうが!」

 この作戦に乗って、ファミリー壊滅に成功すればカイルを信じられると思った。裏切り者じゃないことを確かめたかった。情けない。こんなことを裏切った奴の前で言うなんてほんとに情けない! 私は賭けに負けたんだ。

「ごめんね」

 カイルが眉を下げて穏やかに笑う。豆のある掌がそっと愛おしげに私の頬を撫でた。勝手に動かれているのに私は制することもできない。私に触れる手つきはいつも通り優しい。彼を疑いきれなかった理由はそこにもある。

 裏切るつもりならどうしてみんなを、私を何度も何度も助けに入るの。どうして私を好きだなんて言うの。あんたが私を好きだなんて言わなければ、私もあんたを好きになんてならなかったかもしれないのに。今こんなに苦しい思いをせずに、さっさと撃ってうるさい口を黙らせられたはずなのに。カイルの行動は、ずっと矛盾塗れだ。

 愚かな私はまだ引き金が引けない。誰か何とかしてよ。誰も代わりになんてやってくれないのに、今となっては何の意味もない質問で、その時を先延ばしにする。

「いつからファミリーを裏切ってたの」

「お嬢がうちに入る、少し前」

「じゃあ……最初から」

 私は目を見開いた。そんなに前だとは思っていなかった。

「理由は、弟さん?」

「そこまで分かってんの。どうりでお嬢にだけばれる訳だなあ。みんな俺の弟が入院してんのは知ってっけど、あんなとこ見られたのはお嬢にだけだもんね」

 カイルは苦笑する。

「警察が俺に持ちかけてきたんだ。協力するなら弟に国の最新の治療を試してやるって。そんなのマフィアの力じゃ絶対受けさせてやれない。コウ自身はもう手遅れだから何もしなくていい、なんて言ったけど、俺は話に乗らずにはいられなかった」

「……一体どっちが悪よ」

 家族を守りたいという気持ちを利用するなんて。予想はついていたものの、正義とは思えないやり口にぼそりと呟く。

「話を受けたものの、しばらくは俺も迷ってたよ。大した情報も流さなかった。でもコウが危なくなったのを見たのと、あとはお嬢にあの日背中を押されて決心がついた」

 俺に最後に裏切りを決断させたのはお嬢だよ。カイルが私の目を真っ直ぐに見て言った。

そんなに残酷なことがあるか。私はただカイルの力になりたかっただけなのに。

 あの日の会話を思い出す。

「諦めなくていいと思う」

 死期の近い弟を諦めきれない、と言ったカイルに私はそう言ったんだ。カイルが大好きだったはずのネーヴェを裏切るのは、私のせいなの?

 カシャン。

 銃をカイルから離すとくるりと回し、銃口を持って持ち手をカイルに差し出す。

「……何? 掟でしょ。早く俺を殺せば」

 カイルは不思議そうにした。馬鹿。死にたがり。私があんたを殺せるか、今思えば会った時から確認ばかりしてきたよね。残念でした。私はあんたを殺してあげないよ。

「警察には私の死体を持っていけばいい」

「へ?」

 カイルは初めて動揺を見せた。へ? じゃないよ。裏切る気なら銃が離れた瞬間さっさと殺すぐらいやらんかい。カイルは裏切るのとか向いてないんだって。

 でも私も人のこと言えないくらい甘いよなあ。ここまで分かっててもまだカイルのことが好きなんだから。

 空中で固まっている手に拳銃を握らせた。そのまま誘導して私の額に銃口を当てさせる。飄々としているようでいて、よく見ればぐらぐら瞳を揺らしているカイルはされるがままだ。

「弟さんのためなんでしょう。ネーヴェは裏切ってもなかなか潰せないだろうから私を殺して報告しなよ。父のファミリーでは一応次期幹部候補だったし、私も今まで相当暴れてきてる。ファミリー壊滅ほどじゃないけど、そこそこの手柄にはなるはずだから。それで弟さんの件、警察には手を打ってもらいな」

「なんで……?」

「ほら、早くしないと警察が突入してきちゃうよ。いくらノーコンでもゼロ距離なら外さないでしょ。早く撃ちな。それか、いつも通りナイフでもいいから。痛いのやだけどカイルなら一瞬で終わらせてくれそうだし」

「何でそんなこと言うの。お嬢に何のメリットがあんの」

 拳銃を持つカイルの手が震えていた。逆に私はひどく落ち着いていて、静かな気持ちでその時を待っていた。そんなところも私達は似た者同士だ。自分はどうなってもいいのにお互いに銃口を向けるのが何より怖い。

 ねえカイル、私は本当に賭けに負けたのかな。

「メリットなんてないよ。決まってるでしょ。私が命を差し出すのは、カイルが好きだからだよ」

 カイルは今度こそ明らかに目を見開いた.。まったく。気付いていてキスしたんじゃないの。私の愛の深さに驚け、馬鹿たれ。

「ね、カイル。カイルが大好きだよ。何だってしてあげられるくらい。カイルのため、そのカイルが助けてあげたい弟さんのためなら死んだっていい。私の命なんてあげる」

 だから遠慮なく殺しな。にっこり微笑んで、血に濡れそぼった彼の髪を何度も撫でる。ああ引き結んだ唇の端が震えて、今にも泣きそうだね。馬鹿で、不器用で、世界一愛おしい人。泣くことなんてないんだよ。

「大丈夫。恨んだりしない。好きな人のために死ねるなら本望なんだから。カイルのすること全部私が許してあげる」

 狂愛だって自分でも分かってる。お父さんは悲しむだろうな。それでも、あのとき苦しむカイルに全部許すと告げたことは嘘でもハッタリでもなかった。

「世界中の人間がカイルの敵になったって、私は味方でいてあげる。だから殺しな」

 微笑んで目を閉じる。

 カイル、大好きだよ。こんなに何でもしてあげたいのなんてカイルが初めてだ。このお返しは地獄でケーキ百個分……とか言いたいところだけど、ほんとはもう充分もらったから。タダにしといてあげる。

 銃声はいつまで待っても響かなかった。代わりに息苦しいくらい、強く強く抱きしめられる。子どもがお母さんに縋り付くように必死に。

「馬鹿……! お嬢を殺せる訳ないでしょう!」

 カイルは耳元で血を吐くように叫んだ。聞いているだけで辛い心情が伝わってくるようで、ぐっと唇を噛む。辛いよね、死ぬほど悩んだよね。本当は選ぶ必要なんかないはずなんだけど、彼にしてみれば私を殺すか弟を殺すかと言われているようなものだもの。

 でも、最後の最後で賭けは私の勝ちだ。

「ねえ待って。馬鹿って言いたいのは私です」

笑いながら私にしがみついてくる背中を叩く。

「お嬢は酷いよ、裏切った俺を殺してくれればいいじゃん! 俺はお嬢を殺せないんだから!自分でも何回も訳分かんねえって思ったよ。自分で情報漏らしといて、お嬢が危ないって思ったら体が勝手に動くんだもん。さっきだって、お嬢に手を出されるって思ったら頭に血上って全員殺しちゃってた」

「そうだろうね、カイルはずっと辻褄の合わないことしてたもん。私を好きだっていうのは、嘘じゃなかったんでしょう?」

「嘘じゃない……! お嬢が好き、好き、大好き、どうしようもないほど好きだよ。好きなの。大好き。いつ死ぬか分かんねえからって、癖でついこの気持ちに気付いた途端に告白しちゃって、どうしようって思ったけどもう止めらんなかった」

 泣きそうな声で、溢れんばかりの好きをぶつけられる。この前のが「泣くのこれで最後」なんじゃなかったの。泣き虫。

 裏切ってると気付いてからもカイルの行動は訳が分からなかったけれど、当たり前だ。カイル自身も分かってなかったんだから。

「カイルは裏切るの向いてないよ。ネーヴェのことが大好きなんだもん。でも弟さんのことも大好きだもんね。辛かったね」

 震える体をよしよしと撫でた。

「最初は、裏切った俺を殺してくれる奴が欲しいって思ってバディーを欲しがったんだ。あいつら絶対苦しむから、俺を殺させたりしたくなかった。そんで、たまたま女だったから、それならいざとなったら簡単に殺して逃げられるな、って思ったりもした」

 私の肩に顔を埋めたまま、カイルが初めて私をバディーに選んだときのことを告白する。

「うちに負けて吸収されるファミリーのボスの娘だって聞いて、嬉しかった。絶対うちに恨みを持ってるだろうし、俺を始末する役に最も適してる人間だと思った。みんなから今更バディーを選ぶのにそんな面倒くさそうな奴やめとけって言われたけど、俺は喜んで絶対お嬢が良いって言ったよ」

 本当に出会う前から裏切る前提だったことを、本人の口から聞かされ改めて実感した。そういえば会うやいなや、裏切ったら殺すと脅されたりしたなと思い出す。あれは「俺が裏切ったら殺せ」の裏返しだったんだ。

「それなのにさあ!」

 カイルが唐突にやけくそで叫ぶ。

「お嬢が俺の計画の中で一番の番狂わせだった。まずネッスン・ドルマを恨んでるか、って聞いてもちっとも恨んでないしさあ」

 そういえばそんなことを聞かれて答えたとき、なんか残念そうにしてたっけ。

「戦闘では余裕で勝てるだろ、って思ってたのにめちゃくちゃ早撃ちで強いしさあ」

 お褒めいただき光栄です?

「強がってるくせに怖がりでかわいいとこあって、俺が弱ったらめちゃくちゃ優しくて、もう戻れないほど好きになっちゃうしさあ! ほんとお前何なんだよ!!」

 カイルが裏切るために私は選ばれたのに、知らない間にカイルが踏み止まる要因になれていたんだ。

「カイルが私をバディーに選んでくれてよかった」

 カイルが顔を上げる。ああ、ギリギリ泣いてなかったね。

 目が合って、自然ともう一度唇を合わせた。やっと嘘も疑心もなくなった口付けは、ひどく甘い。さっきが最初で最後だと思っていたのにね。

 遠くで警察が突入してくる音がする。無粋だなあ。ようやく結ばれたカップルがここにいるんですけど。お互い名残惜しげに唇を離した。

「で、どうするの。二人一緒に警察に捕まる? お互いに殺し合う?」

 カウントダウンはもう一分も残っていないだろう。

「うんにゃ。お嬢と付き合って一分で終了とかぜってーやだ。それ以外で」

「やだって言ったって」

 そりゃ私も嫌だけど。もうすっかりそういう運命なんだと受け入れたんだけど。

「あいつら俺のこと許してると思う?」

「ネーヴェのこと? みんなカイルに甘いからなあ。許してくれるんじゃない? それにカイルが怒られるなら、私もバディーなのに見逃すってことは裏切ったのと一緒だから同じように怒られないと。みんなも地獄に来たときにね」

「そっか。んじゃいっちょ確かめてみますか!」

「は?」

 カイルが私の足をすくい上げて横抱きにする。

 バン! と背後でドアが開いた。部屋に警察が突入してくる。カイルが私を抱えたまま部屋の奥に走っていく。警察が一斉に銃を向けるけれど、走るカイルには当たらない。カイルがそのままダン! と強く床を蹴る。二人分の体重があるのにふわりと浮いた。え? 窓に向かっているの? ヒュンヒュンと弾丸が顔の横をすり抜けていく。大きな出窓を飛び越える寸前、

「あっはははは!!! じゃあな!!」

 カイルは警官隊を振り返って高笑いした。スローモーションのようにはるか下方に真っ暗闇の地面が広がる。

「ちょ……ぁあああああああああ!!!!!!!!」

 何階かは知らないが確実に死んだ。恋人の腕の中で死ねるなら幸せなのか? もっとロマンチックにキスしながら刺し殺したりしてくれてもよくないか。こんな、余韻も何もない方法で、しかも地面とぶつかるのってめちゃくちゃ痛そう、馬鹿馬鹿馬鹿やっぱりこんな奴好きになるんじゃなかっ

 ぼふっ。

 訪れたのは命もぶっ飛ぶ衝撃じゃなく柔らかな布の感触。

「あはは、みんなありがとねー!」

 目を白黒させる私とは別に、カイルは何もかも分かっていたように笑った。

「ありがとじゃねえよ馬鹿!! 後で説教と強制労働だわ」

「後でな、後で! お前ら早く乗れ!!」

 引き摺られて押し込まれるようにして乗せられた車が発進する。へ? 何で? 自分の目と耳を疑った。運転席にイアン。助手席で喚いてるジャック。巨大な布で拾ってくれたのがアダム、マーカス、ウィリアム、ショウ。

「み……! みんなあ!」

「お嬢、感動してる暇ねえよ。パトカーが山ほど追ってくんだ。お前も一回裏切ってんだから仕事しろ仕事」

「いつも言ってるけど無事帰るまでが作戦だからね」

 もしもし? ショウ? アダム? 非戦力組、血も涙もなさすぎないか。

「ほらほら、行ってこいうちの戦闘馬鹿二人組」

 イアンまでがぎゅるぎゅるハンドルを捌きながら私達をけしかける。でもね、イアン。一番嬉しそうな顔してるの隠せてないよ。ほんと愛しいリーダーだ。仕方ない、不本意極まりない呼び名だけどやるとしますか。

「「っしゃああ!!」」

 気合いを入れたカイルと声が重なった。銃が火を吹き、真紅の獣が車から車へ次々飛び移る。

「カイルは戦闘狂だけど、それに引いてるふりしてお嬢も戦闘になるとめちゃくちゃ良い顔すんだよな」

「すごく楽しそうに笑ってるよね。ほんとお似合いな、うち自慢の最強バディーだよ」

 車内でそんな会話をされていたのは、銃声に紛れて聞こえなかった。

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