九章、失ったら取り返せ
第9話
カイルに一方的に好き好き言われてどこへ行くのにも付き纏われている関係に変化はなく、カイルの弟くんについても特に何の報せもないまま日々は過ぎていく。
「ほんまえらい目に遭うたわー! イアンに気をつけろとは言われてたけど、船から仰山警察出てきたときはどないしよかと」
ある日、賑やかに帰ってきたマーカスの話に驚いて顔を上げた。
「え、大丈夫だったの」
まあここでこれだけ口を動かしてるのが幽霊じゃない限り大丈夫だったんだろうけれど。
「たまたまカイルくんが近くにおってな! 逃げ隠れてすぐアダムに連絡したらちょうどその辺にいるはずや言うて彼を助太刀に向かわしてくれたんよ。あとはもう俺がおったら邪魔になるし見てないけど、おかげで無事帰ってこれたわ!」
「ジャジャーン! ピンチに参上するカイルさん登場!」
車を停めていたうるさい奴がもう一人リビングに入ってくる。そっか、マーカスの話だと取引場所って病院の近くだもんね。またお見舞いに行っていたんだろうな。
「ヒーロー君。珍しい、殴られてんじゃん」
にこにこ顔のカイルは口の端が切れていて、近寄ってそっと指先でなぞる。カイルはボッ、と耳と首を赤く染めた。
「ん……お嬢がチューしてくれたらすぐ治るよ」
「ばーか。シャワー浴びてきな」
でこぴんしてリビングから追い出す。マーカスがため息をつく音がした。
「甘いなあ……。ほんまにそれで付き合うてへんの?」
「バディーだよ。ただ……私もどうすればいいのか分かんなくて。バディーなら知らなくても平気でいられるカイルのことを、恋人になったら知りたくなっちゃうんじゃないかって。鬱陶しがられたくないな、って思ってたら踏み込めなくなっちゃった」
マーカスの人懐こい雰囲気につられ、ぽろりと本音が溢れる。商人たちがマーカスに秘密を漏らす理由が分かった気がした。ぽんぽん、と頭を撫でられる。いつもの甘えん坊はどこかへ消えて、頼もしいお兄ちゃんがそこにいた。
「知りたいと思うのは当たり前のことやからお嬢は悪くないと思うけどなあ。こんなかわいい子に自分だけ告白しといて罪な男やでほんま!」
なんだか憤慨してくれていて、くすくす笑ってしまう。
「まあ、そんな焦らんでええんとちゃう? カイルくん、お嬢のこと引くほど好きやしな」
「え……でも最近あんまり好きって言ってこないよ。さっきみたいにふざけてはくるけど。だから遊ばれてるのかなって」
「いやいや。カイルくんの独占欲いうたら恐ろしいで。俺が初対面でお嬢の名前呼んだときわざわざ『お嬢』って訂正してきたん覚えてる? あれは絶対自分だけが呼ぶようになったときに他の奴に名前呼ばせたくないんやで。あの後で他のみんなとも絶対そうや言うて話したもん」
あの馬鹿。顔が熱い。
「でも、カイルが今死んだら好きだって言わなかったことを私はすごく後悔するんじゃないかって毎日悩んじゃうの」
「なるほどな、難しいところやなあ。俺から見てたら別に言わんくてもカイルくんはお嬢の気持ち分かってそうやし、二人は十分楽しそうやからええと思うけど」
「そうかなあ」
「二人は似た者同士やね。カイルくんも、抗争の最前線に立つから明日が来るとは限らへんって感覚が強いんやろうなあ。お嬢への告白のタイミングもめちゃくちゃ唐突やったもん。思い立ったらすぐなんやろな」
確かに雰囲気も何もなくめちゃくちゃなタイミングだった。思い出したらおかしくてくすくす笑う。
「お、そうやって笑ってくれるのが一番嬉しいわ。お嬢の好きなようにやったらええよ」
「うん、ありがとうマーカス」
マーカスがそう言ってくれても、やはり自分も周りもいつ会えなくなるか分からない、という思いは薄れなかった。
マフィア同士の抗争がなく、私としては平和な日々を過ごしている中で、マーカスが大きな入手ルートを失ったのを皮切りに警察関連の嫌な出来事が続く。
「あり得ねえ。こんなの初めてなんだけど。今月に入って店が三つガサ入れに遭って潰れた」
ある夜、ショウが不機嫌に嘆いた。
「潰れたって……違法に営業していた娼館ばっかりってこと? ずっと合法な店に紛れて隠れられてたんでしょう?」
「そうだよ。今まで節穴だったのに、急に警察に目利きの奴でも入ったかな」
ダン、と飲んでいたグラスがテーブルに叩きつけられる。「ショウ、物に当たらない」とウィリアムが嗜めた。どうりで最近ショウが夜もよくアジトにいるようになったと思った。仕事が減っちゃっていたんだな。仕方ないこととはいえ悔しいだろう。お酒に付き合って私もちびりとグラスに口を付ける。
次の週に喚いていたのはジャックだった。
「あー! ストレス溜まる! 何だあれ!」
「ジャック落ち着けって」
イアンと一緒に借金の回収に行っていたはずだけれど、帰ってくるなり随分荒れている。
「そうだよジャック、落ち着いて。そんな変顔ばっかりしてたら皺が増えちゃうよ」
「変顔してねえよ! これが普通の顔だわ!」
「ほんとどうしたの」
「どうしたもこうしたもねえの。行くとこ行くとこみーんな私服警官がうろうろ。イアンが目敏く見つけるからヘマはしてねえけど、やりづらくてしょうがねえ」
「ま、ジャックの言う通りなんだわ。今月は多少収入が落ちるくらいで済むけど、これがずっと続くときついな」
嫌だな。アジトの雰囲気が暗い。弟くんのお見舞いに通っているのか、元気印のカイルもあまりアジトにいないし。
ソファーにどかりと腰掛けた二人のところにチョコを持っていく。イアンは「ありがとな」と目を細めた。
「ジャック、今日の晩ごはんはジャックの好きなラーメンでもいいよ」
「マジ? 決まり決まり! めっちゃテンション上がってきた!」
「ジャックのおごりね」
「オイ! 資金繰り厳しいって話してるときによォ!」
「ぶふふ」
ジャックにむんずと片手でほっぺたを寄せられる。それでも怒り口調のジャックは今度は笑っていて、私も変な顔にされたまま笑った。ラーメン屋さんに行くためにまた車のキーを取り出してくれながら、イアンも私の頭をがしがしと撫でる。
「良い子だな、お嬢」
「……何が?」
「なんでも。うちに来てくれてよかったなって話」
「あは、そうでしょう? なんせマフィアには珍しい美人スナイパーだもん。お給料弾んでくれてもいいよ!」
「はっ、だーから収入厳しいって言ってんだろうが。良い性格してるわ!」
みんな変な奴らだけど、馬鹿なことばっかり言って笑っていられるネーヴェが好きだ。誰も警察になんか捕まってほしくない。この生活がずっとずっと続けばいいのにって思う。
最初は何だこいつら、って呆れてばかりだったはずなのに、私はすっかりこの居場所に馴染んでいた。
戦って解決できるなら戦闘員の私も力になれるのに。みんなの悩みを解決できないのが不甲斐ない。
最近の異常事態に、ネーヴェの構成員はまた一斉にアジトに集められた。
「まあ見事に怪我人が増えてきたな、とは思ってたよね」
「いてっ」
ディランがカイルの腕の傷を縫いながら口火を切る。その程度で済んで良かったけれど、ぱっくり開いた傷は痛そうだ。
「カイルくんをはじめとして戦闘員組も飛び回ってみんなが逃げるのを助けてくれてるけど、最近の警察との遭遇率はひどいもんなあ」
そうなのだ。今日も連絡があったときにたまたまそれぞれ近いところにいたので、カイルはマーカスを、私はイアンとジャックを逃すために援護していた。私は頼まれて影から煙幕弾を撃ち込んだだけだったから無傷だけど、カイルは近接戦闘しかできないのもあって生傷が絶えない。
「アダム、どこのファミリーもこうなの?」
イアンがうちの参謀に尋ねた。
「まあ今まで目を瞑っていたところを取り締まりだした、っていうのに関してはどこのファミリーも同じように被害は受けてるみたい。ショウの娼館みたいにね。ただ、うちの収入源への打撃は特に目立つかな」
「うちっていうのは? ネッスン・ドルマ?」
「いや、ネーヴェ」
「ネーヴェ? 偶然じゃなくて? うちってファミリーの二次組織でたったの十人の集団でしょ?」
信じられなくて聞き返す。
「もちろん偶然かもしれない。でも、何事も偶然って考えちゃうと思考が止まっちゃうから。ピンポイントでうちが狙われてるって可能性は考えておくべきだと思う」
アダムは思考を止めることなんてないんだろうな。彼が味方でよかった。
「確かにネーヴェは小さいけど、ネッスン・ドルマの戦闘力の中では大きな割合を占めてる。いずれ巨大なネッスン・ドルマを取り締まるために、まずはうちを叩こうっていうのは合理的な考えなんじゃない?」
ウィリアムが考えを述べる。
「そこまで向こうが分かってるなら理屈としては通ると思う。ただ、もしそうなら今度はどうやって警察がうちの内部事情をそこまで把握したのかって疑問が出てくるけど」
アダムの言葉にみんなは唸った。
「レオは? 何か情報ある?」
ジャックが話を振る。そうだ、政界の情報収集担当だもんね。
「それがマフィアを盛大に取り締まろうなんて話、ちっとも出てないんだよね。警察の中でもかなり内密に動いてるっぽい。まあこの前の潜入捜査とかも、当然表向きは禁止されてるしね。上部の人事異動か何かがあって、強引な捜査をするようになってるのかも」
レオは情報がないなりにきっちり見解を述べてくれた。この子も若いのに議員なんかやってるだけあって優秀だ。
「了解。とりあえずはアジトの引っ越しだな」
イアンが結論を出す。
「引っ越し?!」
「そう。この前探しても盗聴器の類は見つからなかったけど、これだけ取引先とかの情報が漏れるとしたらアジトに穴があるぐらいしか考えられない。ボスとは話し合って場所はもう決めてある。今ここで場所言ったら元も子もないから、みんなあとでイヤホン着けて。アダムがボスの所に行ってから通信で教えてくれることになってるから」
「了解ぃ! 新しいアジト楽しみ~」
カイルがのんきに笑った。不便だとか面倒だなんて気持ちが大きかったのに、それにつられてまあ気分が変わって楽しいか、なんて思えてしまう。
そうと決まれば早ければ早い方が良いに決まっているので、私達は一日で荷造りをして次の夜中に自分達で運び出し、引っ越しを完了させた。
くたくたになって新しい応接室でみんなと休憩していると、一人元気なカイルが発案する。
「俺ら収入が減って困ってんだよね? なら、こういう時は別の収入源作るしかないっしょ!」
「別の収入源っていうと」
「もち! 敵対ファミリー一個潰して、そこの資金源全部いただき!」
聞き返されたカイルはかわいい顔ににやりと悪い笑みを浮かべ、かざした片手でぐっと空を握った。無茶なアジトの総移動で全員屍同然だったのに、その提案にそわ……と浮き足立つ。間違いなくカイルはネーヴェのエネルギーの源だ。
「ジャックとショウとマーカスの商売の腕もすごいけど、ネーヴェといえば戦闘力だかんね!それ活かして稼がない手はねえよ」
立ち上がり、両手を広げて意気揚々とプランを語る。
「お前ら待たせたな! お嬢、俺たちの出番だ!」
芝居がかって周囲を鼓舞する姿に、きっとその場の誰もが惹かれた。
「しょうがないなぁ……久々にドンパチ反撃と参りますか?」
私が応じると、だらだら寝そべっていた構成員たちが一斉に姿勢を伸ばしてガタガタと椅子に腰掛ける。みんなが表情を仕事モードに切り替える瞬間のこの空気感が大好きだ。大きなテーブルを囲んで作戦会議を始める面々を見ながら、わくわくと胸が高鳴った。
「で、カイル。うちにぴったりの良い提案だとは思うけど、相手の候補にアテはあるの?」
アダムがパソコンを叩きながら尋ねる。
「カイルさん、見つけてきてあるんだなあ、これが! Viper(ヴァイパー)なんてどうよ?」
カイルは得意げに笑った。私は別のところでツボに入って、それを褒めている場合じゃない。
「ぶっ、ダッサ……!」
「アダムせんせー、お嬢がまたファミリー名でツボに入ってまーす」
「マーカスくん、あほの子は放っておいてくださーい」
「ふふ、だって……! ヴァイパーって毒蛇じゃん! 俺たち強いんだぞ、って名前で言ってるみたいで、か、かっこ悪……! 全員蛇のタトゥーとか入れてそうなんだもん」
うちのファミリー名がそんなのじゃなくてほんとよかった。なんかスコーピオンのときも全く同じこと思ったな。
「笑ってるお嬢は置いておいて、ヴァイパーがどんなファミリーかっていう説明はアダムにお願いしまァす!」
「はいはい、カイルじゃなくて俺がすんのね。スコーピオンと同じように割と最近できた新しいファミリーだよ。小さめだけどスコーピオンよりは構成員の数も多いかな。ざっと二百人くらいだったはず。資金源を奪えればうちの懐は間違いなく潤うね」
「だって今二百人を養えてるってことでしょ? うちは十人なんだから余裕じゃん。山ほどお釣りが出るね!」
「そういうこと。作戦はどうする?」
カイルがぴっ! と指で挟んだパーティーの招待状をかざした。
「何でまたカイルと踊ってんだろ……」
所変わって煌びやかなシャンデリアのぶら下がるダンスホール。オーケストラの演奏でくるみ割り人形の花のワルツが流れる。淀みなく導かれ、何も考えずとも足がステップを踏む。
「お嬢の初任務以来だねー!」
「忘れもしないわ。一刻も早くバディーを解消したいと思ったもん」
触り方はえろいわ、攻撃の合図もまともに揃わないわ、必要以上に血塗れになってるわで最悪だと思った。
「えー! 俺はあのときにお嬢をバディーに選んでよかったーって思ったのに! お嬢の早撃ちしてるとこ、クールで超好き!」
「はいはい」
私だって、カイルが敵のど真ん中に突っ込んでいって血飛沫を上げる様子は鮮やかで見惚れるほど好きだ。でもカイルみたいに素直には言えない。代わりに腕を持ち上げて、太い首をぐっと引き寄せた。目を見開いた顔が近づいて、額のくっつきそうな距離で話す。
「弟さんは? 元気?」
カイルはにこっと笑った。
「うん、落ち着いてるー」
「よかった、よくお見舞いに行ってるから心配だった」
「よく? ……ああ、そうだね。お嬢が言ってくれて、諦めないことにしたから」
「そっか」
ぐるん、ぐるん。
曲調が盛り上がって、速いテンポで回される。考えてる余裕がなくなって、うまく思考が働かない。このところばらばらに動く仕事も多くてすれ違い生活だったから久しぶりにしっかり顔を合わせたせいか、いつも以上に鼓動が高鳴る。またしても私は何も踏み込めない。
ねえみんな、マーカスの言う通り、私本当に何も聞かなくていいのかな。
会場内に散らばる他の構成員に目を移した。ウェイターに扮したウィリアム、ガードマンに扮したイアンが見える。
「こら。踊ってる時は俺だけ見てなよ。俺のパートナーでしょ」
カイルにぐっと覆い被さられ上体を反らされた。背中を手で支えられてはいるけれど、それさえなければ倒れ込みそうな緊張感があって必死にしがみつく。独占欲? 随分意地悪なリードだ。
「誰がパートナーよ。ただのバディーだわ」
いー、と仕返しに歯を剥き出した。
「ふふっ、かーわいい。あんまりかわいいとちゅーしちゃうよ」
お嬢、今は両手が空いてなくて今度こそ抵抗できないもんね、と悪魔のような微笑みを浮かべる。甘いな。
「そんなことしたらあんたの舌を噛み切ってやる」
「うお?! とんだお転婆姫だな……! あーでも、スプラッタなキスで死ねるなんて最っ高の死に方かも……」
「救いようのない馬鹿じゃん」
『おーい、お二人さーん。仕事忘れてなーい?』
イヤホンからお馴染みアダムの声がした。
「お、覚えてる……!」
急速に顔に熱が集まっていく。
『いや、その反応絶対忘れてたじゃん』
アダムが楽しそうに笑った。
『いーい? すぐマイクの存在忘れちゃうお嬢と、四六時中サカってるカイルのためにもう一回確認しておくけど』
「アダム、言い方に棘がある棘が」
『カイル達がヴァイパーのボスに挨拶するタイミングで、逃げられる前にボスを一番に殺して、その後下っ端を一掃して帰るまでが作戦だからね』
「前の私の初任務のパーティーのときと丁度攻守が逆で、こっちが刺客側なんだよね? それにしたって今回の作戦はなんか雑じゃない?」
作戦会議で、あのときカイルが取り出したのはヴァイパーからネーヴェへのパーティーの招待状だった。
普段のマフィアのファミリーはライバル同士だけれど、時には協定を結んだり会合を開いたりする。その一環で、お近づきになりたいといった旨が書いてあった。
そんなパーティーに便乗してファミリーごと潰す気満々なのは心が痛まない訳ではないけれど、マフィアの世界じゃ命がけとはいえ裏切りはつきものだ。この世は弱肉強食なのである。
『守る側より攻める側の方が有利だからね。向こうがどう対応するかなんて分からないし、こっちはとにかく相手を倒して自分が生き残れば勝ちだから作戦なんて考えてもしょうがない』
「アダムは俺たちの実力を信頼してくれてんだよねー!」
『はは、まあそういうこと。こっちも総力かけてるしね』
イアン、ウィリアムも潜入しているのはさっき見た通り。ジャックは外でいかなる場合も逃走経路を確保するため待機している。ディラン、アダムはアジトで待機だしレオは議員の仕事だけれど、マーカスとショウは私たちと同じく招待客として潜入していた。
マーカスは適当な構成員を捕まえて喋りまくり、ショウは私たちから少し離れて連れてきた従業員の女の子をパートナーに踊っている。
ショウは招待してくれたヴァイパーへのお礼、と称していつも侍らせている女の子達を大量に連れてきており、その子達はうまくヴァイパーや他の招待されたファミリーの構成員にお酒を飲ませていた。
『ショウが連れてきた女の子たちが睡眠薬とか盛る作戦だから、食事も飲み物も一切手を出さないように』
「はーい」
ショウの指示で彼女達はさりげなく薬を盛り、それを飲んだ構成員たちは抗争が始まる頃には眠るか動きが鈍くなるのを期待するという作戦だ。せっかくの豪勢な食事を味わえないのは辛いけれど、彼女達の手際に感服する。ちなみにショウは抗争が始まるやいなや彼女達を連れて逃げる予定である。
一曲踊り終えて一息ついていると、初老の男が近づいてきた。
「ご招待したネーヴェの方々ですね。ようこそいらっしゃいました」
「こちらこそ。素敵なパーティーにお招きいただきありがとうございます」
カイルが優雅に一礼する。だから誰よ、その作った良い声。いつもアニメTシャツを着て騒いでいるなんてこれを聞いた人は想像もしないだろうな。
「ボスがぜひ挨拶したいとのことなので、よければ別室まで私に付いてきていただけますか」
「え? ボスってあそこに座ってる方なんじゃ……」
来てすぐに確認したけれど、招待客はみんな同じおじさんに挨拶をしにいっているよ?
「大変失礼ながら、あれは影武者でございます。本来ならきちんと顔を出す予定でしたが、今朝方ぎっくり腰になりやむを得ず」
まじか。手の込んだことを。
もうちょっとで影武者と手下ばっかり全員殺してボスだけを逃がすところだった。
「それはお気の毒でした。もちろんぜひ伺わせてください」
カイルが人好きのする微笑を浮かべる。そうしていると大人っぽくて年齢相応の見た目だ。ほんとに付いていっていいのかな、とちらりと見上げて目で尋ねると、カイルはにっと笑ったので私はほっとして後ろを歩いた。
豪奢な廊下を進んでいく。イヤホンの向こうではアダムが他の構成員に影武者の件を共有しているはずだ。やることは予定と同じ。挨拶をしようと近付いた瞬間にボスを殺す。それを皮切りに戦闘開始だ。
いつもは急に巻き込まれるから、自分達で仕掛けるとなるとどきどきしてきた。大丈夫、カイルもいるし。
姿勢の良い、タキシードの上からでも綺麗に背筋の付いているのが分かる背中を眺める。カイルは緊張感もなく、きょろきょろと天井や壁の絵画、高そうな壺などを眺めていた。
「すっげー豪華ですね! かっけー! ただのビルの俺たちのアジトとえらい違い!」
あーあ、格好つけていた紳士の仮面はもう剥がれちゃった。
イアンが、きちんとした場はウィリアムでないと粗相しそうって言っていたの分かるなあ。まあこっちの方が愛嬌があるしさっきの紳士面よりもっと人には好かれそうだけどね。ほら、先導する男も嬉しそう。
「いえいえそんな大したものではありませんが。この館はボスが趣味で建てたものですから。美術品の収集も趣味で、結構管理には困ってるんですよ」
と謙遜する。まあ確かに百人単位を招くパーティーを開ける規模の館が自分の家ってすごいよなあ。
「すげえなー。ね、お嬢もそう思うっしょ? ……お嬢?」
カイルが振り向いた先、私はいなかった。
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