八章、デートじゃないってば
第8話
「お嬢ー! 起きてー! お出かけしよー!」
能天気な誘いに、自分は今何歳児と住んでいたかと錯覚した。自分が遊びたくて寝ている人間を起こす二十八歳児とは何事だ。
「とんとんとーん、もうお昼ですよー」
口でとんとん言いながらノックされているドアに足音荒く向かう。寝癖とか寝起きの顔とか今更だ。好き好き言うけどちょっとは幻滅すればいい。
バン!
「ぎゃんっ」
勢いよく開いたドアに顔をぶつけたらしく、間抜けな叫び声が聞こえた。開くの分かってただろ。何やってんだ。
「おはよう。うるっさいよ」
不機嫌も露わにド低音で唸る。カイルは高い鼻をさすりながらも目論見通り私が出てきたのでご機嫌で笑った。
「おはよー! お嬢、今日もかわいいね!」
「目ェ付いてんのか」
「あっはっは、お嬢絶好調じゃーん!」
聞いて、あの、私の話を聞いて? 私のことが好きだと言い出してからのカイルは隙あらば甘い言葉を囁いてくるわ、私が罵倒しようが何しようが嬉しそうだわで今まで以上に話が通じない。
「ほんと元気だな……。昨日のパーティー、真夜中でお開きになったじゃん。仕事もないんだし、寝てたってよくない?」
「もう充分寝たでしょ。昨日デート行こって言ったじゃん。俺もう待てない!」
「この駄犬! 待て!」
「わんっ! 無理無理!」
駄犬と呼ばれて間髪入れず鳴いたお馬鹿の頭をはたく。「えっへっへ、ごめーん」と気のない謝り方をする無邪気な様子はめちゃくちゃに可愛くて、こんなの起こされても許しちゃうよ。悔しいから怒ってるふりは継続。
「朝昼兼用で食べに行こ! 着替えて着替えてー」
と部屋に押し戻された。ぐうう、とお腹が鳴る。クローゼットを開けてしばし手持ちの服を眺めた後、一着を選び取った。傷も隠れるし、これならいい気がする。うーん、今度久しぶりに服買うか。またカイルが付いてきちゃうかなあ。
顔を洗ってメイクをして、リビングに向かうとカイルがぴょんっとソファから立ち上がる。
「かわいいー! え、今日パンツルックじゃないじゃん! スカート超嬉しい! ねえ、俺とデートだから? かわいいー! 何回言っても足んないわ、かわいいー!」
「違うっ。あんたのためじゃない! デートじゃないし!」
そう言うカイルも今日はアニメの女の子が描かれたTシャツとスウェットじゃない。襟付きシャツが爽やかで、小顔が際立っている。こいつ……格好付ける気だな。何もしなくても顔とスタイルがいいんだからそれ以上武装するのやめて。内心悲鳴を上げた。
「そうだ。はい、手。繋ごっ」
リビングを出かけたカイルが思い出したように振り返って、ピンク色に染まった掌を差し出してくる。
「つ?! 繋がないよ!」
「えぇ……俺と手繋ぐの嫌? 俺は繋ぎたいんだけど……」
しょぼーんと落ち込むのやめて。それに絆されてすぐ心が揺れる私もちょろ過ぎか! というか、カイルこの状況見えてる? ここ! リビングなんですけど! さっきからみんないるんですけど!
「んぐんんんんん!」
「いってら~」
ジャックは目を思いきりにやにやさせながらイアンにがっちり口を塞がれてもがいているし、ウィリアムは仲良きことは美しきかな、と言わんばかりに優雅に手を振っている。イアンありがとう、本当にありがとう。味方はあなただけだよ。
「今日だけ! だからね!」
所在なげに宙に浮かんでいた掌を取った。温かくて自分より大きな手に包み込まれる感覚。手に心臓があるみたいにどくん、と鼓動が跳ねる。
「ほあああああ! ぃやったー! 聞こえなーい!」
「都合の良い耳してんな! もう! 行ってきます!」
「「行ってらっしゃい」」
生温かい目で見送られ、羞恥で居た堪れなくなりながら二人で昼前の街へ繰り出した。
「やっばい、もう、嬉しー! 俺、地面に足着いてんのが不思議なくらい! 飛んでっちゃいそう!」
「見れば分かるよ」
カイルの足取りはうっきうきで、手を繋いでなかったら一歩一歩跳ねんばかりだ。散歩に連れていってもらった犬か!
いつもより更に高いかわいい声を聞いた、すれ違うお姉さん方がくすくすと笑う。そうですよね、この人おかしいですよね。
でも私と出かけるだけでそんなに喜んでくれる人なんて初めてで、見ているだけでつられて楽しくなってきて私も笑った。
「お嬢、何食べたい?」
「おお……なんかお腹空きすぎて決めきらないや。目移りしちゃう。カイルは?」
「俺ぇ? 久しぶりに朝マック食べたい」
「あは、いいじゃん」
朝にしか売っていないマフィンとかハッシュドポテト、たまに食べたくなるよね。カイルの気取らない感じは一緒にいて気楽で好きだ。
「お嬢の庶民的なとこ好き~」
私の考えを言い当てるかのようにカイルが言う。
「でしょ? だって庶民だもん」
ぽんぽん下らない会話をしながら注文して、今日はイートイン。この後イアンに聞いたおいしいケーキを食べに行くよ、と聞かされたので軽めにお腹に入れた。
店を出ると当然のように再びするりと手を取られ、ショッピングモールへと向かう。
「今食べたばっかだからケーキはもうちょっと後でにするでしょ? お嬢、どっか行きたい店ある?」
二人で入り口を入ってすぐの店内マップを眺める。目の前の吹き抜けに備え付けられた大型スクリーンから急に壮大な音楽が流れて、二人して顔を上げた。ゾンビ映画の予告の緊迫感のある映像が面白くて、つい無言になって最後まで見てしまう。
「映画見に行こっか。……あ、ほらほら次の回もうすぐだって!」
店内マップのタッチパネルをささっと操作したカイルが私の手を引いた。
「映画見るの?!」
「行こ行こ! 気になるっしょ?」
「ええ? ケーキは? 映画とか……そんなのデートじゃん!」
「だっからデートなんだって!」
さくっと二人分のチケットを買ってしまったカイルが手を離してくれず、気づけば予告が流れる映画館の中へ。こうなったら他のお客さんの迷惑にもなるし文句を言う訳にもいかない。なんかポップコーンまで買ってるし。あんたよく食べるね。
始まったゾンビ物のパニック映画は、期待を裏切らないハラハラ展開。主人公の銃の腕前に、そこは外すなよ! と内心突っ込みながらも手に汗握ってしまう。それなりにスプラッタとかもあるけれど、こんなの実際に比べたらぬるいもんだ。
カイルにとってはつまんないんじゃないの、と隣りを見れば、唇をはわわ……と半開きにして主人公のピンチを見守っていた。
そうだ、この人画面の中の出来事にものすごくのめり込んで感情を動かせる人なんだった。アジトで大好きなアニメを観ていても、何度カイルが号泣しているのにびっくりして覗き込んで、つられて泣く羽目になったか分からない。
待てよ。今日はちゃんとメイクしたから泣きたくないんですが。
そう思っていたのに、主人公とヒロインが決死の覚悟で分断されるシーンで隣りから「はぁっ…ずずっ」とかすすり泣く声が聞こえてきて、やっぱり私も感動しきって泣いてしまう。
場内が明るくなって、お互い泣いたのが丸分かりの顔を見合わせた。
「はああ……! めっちゃ良かったね! 最後再会するところとか最高だった!」
「ほんとに! これ観ておいて良かったー!」
間違いなく場内で私達二人が一番泣いている。
「カイル、メイク直したいです」
「はーい、いってらっしゃーい!」
あまりに無計画な一日もカイルは一緒にいるだけで楽しくしてくれて、鏡の中の私の口角は上がりっぱなしだった。それはまるで、これは楽しいデートだと認めろと言われているかのようだ。いやいや。認めない認めない。
「ほらお嬢ー。たーんと好きなのをお選び!」
「うわあああ……!」
かわいいお店に入ると、目の前にはずらりとケーキの並んだショーケース。カイルに促されて、その前に進み出る。どれもこれも綺麗で艶々。果物が溢れそうなほど乗ったタルトだったり、濃厚なチョコレートケーキだったり。全部全部おいしそう。
「いいの?」
ひとしきり眺めて、ちらっと振り返った。
「んはっ。散々要求しておいて、ここまで来たら遠慮するんだ? お嬢はそういうとこかわいいよね」
カイルに吹き出すようにして笑われる。
「またそういうこと言う!」
「だってかわいいんだもん。ほら、三つ選ぶんでしょ。他のお客さんが来ちゃうから、遠慮せず早く選んじゃいな」
数までちゃんと覚えていたのか。あのときの記憶は結構しっかりあるんだな、と知ってしまい、恥ずかしい発言の数々が脳裏に蘇りそうになる。思い出すな思い出すな。今はケーキだ。
カイルにも気にしなくていいって伝えたところで、なんだかんだ私に怪我をさせたことは気にするだろうし。これでちゃらにするという、二人の了解のようなものだから。遠慮なく選ばせてもらおう。
「よし、高いの三つ選んでやるからな」
「うおい!」
それは冗談として、楽しそうに見守られながらおいしそうなのを真剣に選んだ精鋭たちが箱に詰められる。一つは今から食べる分としてお皿の上へ。
「あ、俺これください」
カイルは自分が今食べる分として私が最後まで悩んで諦めたタルトを頼んでいた。
「いただきまーす!」
「ふふ、どーぞ」
席に着くやいなや待ちきれずに手を合わせ、フォークを持つ。選ばれたのはベリーのソースがかかったベイクドチーズケーキ。口のなかでこってりと広がる濃厚な甘さと爽やかさが最高においしい。
「んんーっ」
顔もとろけてしまってから我に返ると、正面に座ったカイルににこにこ眺められていた。
「カイル、食べないの」
「ん? お嬢が幸せそうな顔すんのがすっげえかわいくて。もうずーっと眺めてたいなって」
「馬鹿。タルトぬるくなっちゃうよ」
頬杖をついたカイルがどろどろに恋情を溶かした瞳で私を見つめ、緩く口角を上げる。いつもみたいな嬉しさを爆発させた笑顔じゃなくて、どうやって欲しい物を手に入れようか考えている悪い顔。いや、これはむしろ手に入るのが分かりきっていて落ちてくるのを今か今かと待っている。
目を合わせていられなくなって、私はケーキに視線を落とした。
ひいい、子犬のカイル帰ってきて。
そんな私をくすりと笑ったカイルは、ようやく自分のフォークを持った。常々思っていたけれど、カイルの食べ方は綺麗だ。切り取った一口あたりのサイズは私の思うよりだいぶ大きくてびっくりするけれど、粉が溢れ落ちないようフォークに手を添えるところとか、口の中でくるっとフォークを回して舐めとるところとか。あと、ほっぺが膨らむのも小動物みたいでかわいい。おいしさに思わずほろっと口元が緩んじゃうところもずっと見ていられる。
すごくおいしそうに食べるなあ。私もやっぱりあのタルトにしておけばよかったかなあ。
くくっ、と笑われる声がしてはっとする。人の食べているところをこんなに眺めて、これじゃ私もカイルとやっていることは同じじゃないか。
カイルは悪戯っぽく目だけを動かして私を見ていた。
「これ、欲しいんでしょ。食べる?」
「……」
ほしい。
目の前には艶々のチョコタルトがフォークに突き刺さって、「どーぞ」と差し出されている。すっかり目を奪われてしまってから、遅れてカイルの顔を見上げた。カイルは無言でほらほらって顔をして片眉を上げる。
こいつ……最初からくれるつもりで自分のを選んだな。ようやく彼の意図を理解して、あぐ、と食いついた。フォークを引き抜く速さはカイルの手にかかっていて、私の舌を滑っていくそれに思っていた以上にどきどきする。
おいしいよ? おいしいはずだ。なんだか顔が火照ってきて、途中から味がよく分からないけれど。
「おいし?」
カイルがチョコタルトより甘い声を出した。ごくんと飲み込みうなずく。
「おいしい」
「あっはっは! ケーキの前だとお嬢はいつもより素直だねえ。どっちがおいしい? 交換する? 両方食べてくれてもいいけど」
騙されるな私! こんな風に大人ぶっているけれど、自分の都合で人を叩き起こすようなお子ちゃまだぞ!
ぶんぶんと首を横に振った。
「いい。チーズケーキ食べる」
チョコタルトは甘すぎる。爽やかな酸味で、ちょっと冷静さを取り戻したかった。
「他のも全部おいしそうだったよねえ。また一緒に来たいね?」
「うん」
別にケーキを食べるだけならカイルと来る必要なんてないことに気が付いたのは、カイルが「やったー! デートもう一回確保!」と叫んでからだ。ぜんっぜん冷静になれてなかったわ。
いっそ血塗れのカイルを思い出して頭を冷やしてみようかと思ったけれど、狂気じみて笑う姿もかっこいいとしか思えず全くの逆効果だった。
カイルの携帯電話が鳴ったのは、アジトに戻って冷蔵庫にケーキの箱をどうにかこうにか詰めようとしているときだ。結局他の構成員の分も二人でお金を出し合って買ったので、なんとも箱がかさばる。私たちの他は出払っているようだった。
アニソンの着メロが鳴って、カイルがポケットを探る。
「はい、もしもし」
画面を見るやいなやカイルは真剣な顔をして、私に片手を上げて謝り離れていった。私は一人でがさごそと食料品を冷蔵庫の隅へ動かし、やっと箱を収めきることに成功する。カイルが構成員たちの好みをよく知っているので、それぞれに合わせて選んだのをみんなが喜んでくれるといいなあなんて思って微笑んだ。
リビングに向かうと、カイルは既に通話を終えていた。片手に携帯を握りしめたまま、棒立ちしている背中が見える。
「カイル? どうしたの」
回り込むと、さっきまであれほど溌剌としていたのに顔色を失くしていた。遠くを見て固まっていた目は、視界に入ったことでようやく私を映す。
「……弟が、……電話、病院からで、危ないかもって」
震える声で、言葉の順序さえままならない。一つ息を飲んで、パン! と頼りない背中を叩いた。引き出しを開け、車のキーを引っ掴む。
「何やってんの! 行くよ!」
まだ呆然としているカイルの手を掴んだ。さっきまではずっとカイルが私の手を引いていたのにな。カイルはたたらを踏みながら付いてくる。こっちの方がよほど死にそうだと思ってしまいそうな顔色をした人をオラ、と乱暴に助手席に押し込んで、私は運転席でエンジンをかけた。
「病院どこ!」
「……セントマリア」
ああ、うちのファミリーの人間も裏で診てくれていると聞いたところだ。警察に捕まらない程度に飛ばしながら、信号の合間にちらちらと隣りを確認する。目はぼーっと前を見たまま、震える手が痛そうなほどきつく握られていた。
大丈夫だよ、なんて気休めでも言えない。弟が入院していることすら初めて知ったのに。私にできるのは、動揺して一人じゃ事故に遭いそうな彼を無事送り届けてあげることだけだ。
病棟に着くとカイルの顔を見ただけで看護師さんが案内してくれて、彼がよく見舞いに来ていることがうかがえる。私には常に付き纏っているけれど、自分はしょっちゅう一人でふらっと出かけていたもんね。ここに来ていたのかもしれない。
急変した容態は一旦なんとか落ち着いて、これから集中治療室に移動するところだと聞かされほっとする。沢山の医師と看護師に囲まれ、ベッドが廊下に出てきた。目を閉じて荒い呼吸をしている男には、酸素マスクと点滴が繋がれている。カイルがふらっと近づいた。布団の中に手を差し入れ、弟の手を握る。
「コウ」
カイルが名前を呼ぶと、彼はゆっくりと目を開けた。ああ、やつれているけれど、可愛い顔立ちがカイルにそっくりだ。
「ごめんな、もうちょっとだから」
「……」
謝るカイルに、私には聞こえないけれど彼は何か口を動かしたようだった。カイルには口の動きだけで何を言ったか分かったらしい。ぶんぶんと首が横に振られた。
「駄目」
即座に却下され、弟さんが仕方ないな、とカイルと同じ優しい表情で微笑むのが見える。そして彼は、足早にベッドを押す看護師さんたちに運ばれていった。
しばらく待合室で座っていると、カイルが主治医に呼ばれて説明を聞きにいく。私は一人でコーヒーを飲みながら待っていた。カイルは「先に帰ってて」なんてまだ固い声で言っていたけれど、置いていったらあいつは帰りですら事故りかねん。タクシーに乗ったって乗り降りでぼーっとして車に撥ねられそう。
いつもはどこからでも生きて帰ってきそうなタフさがあるくせに、それくらい今のカイルは心許なかった。
ついさっきまでケーキを食べて笑っていたのになあ、と考えながら、ちびちびと苦いコーヒーを啜る。何があるか分からないものだ。あ、お砂糖とミルク入れ忘れた。他人の私でも流石に動揺していたかな、と思いつつ立ち上がって取りにいくのは面倒で、そのまま顔をしかめながら飲んだ。
たった一人の家族だったりするのだろうか。
ウィリアムやショウは現在交流があるかどうかは知らないけれど自分の親は知っているようだった。でも、スラム上がり組は親や家族の話を聞いたことがない。子どもだけで生きていてマフィアに拾われているところからして、勝手に親は存在すら知らずに生きてきたんだろうと思っていたけれど。
私はカイルにだけバディーがいなかった理由が分かった気がしていた。身寄りのないカイルの弟をファミリーの力を使い病院で診てもらっている限り、カイルはファミリーを決して裏切らない。入院費だって払わなくちゃいけないだろうし、カイルは働き続けるだろう。だからカイルには見張り役のバディーが不要だったんじゃないか。ファミリーは親切心で面倒を見てくれているのかもしれなくても、悪く言えば人質を取られているようなものだ。
じゃあなんで、その足枷を増やそうなんて思ったの。
コーヒーを飲み干してカップをゴミ箱に投げ込む。ナイスイン。
「お嬢。お待たせ」
ちょうどカイルが戻ってきた。
「いいよ。勝手に待ってるだけだし。あ、ちょっと待ってて」
自販機にコインを入れる。コーヒーが苦手って……こいつあったかいのは何を飲むんだ。悩んでホットレモネードをがこんと落とす。
「はい。それ飲みながら帰ろ」
「……ありがと」
きょとんとして受け取ったカイルは、キャップを開けちびちびと口を付けた。笑わない。車に乗ってもカイルは静かだ。時々口を開きかけてはまた閉じているのを、前だけ見ているようでフロントガラスに反射して映っているから知っている。
「イアンたち、もう帰ってるかなー。俺が選んだケーキ、ちゃんとどれが自分用のかって分かるか気になるよね!」
ようやく話したと思えば空元気。こんな状況なら当たり前だ。自分のことだけ気にして黙っていてもいいのに。
「カイル」
「ん、何ー?」
「私さあ、みんないろいろあるの分かってるから、質問はしないようにしてるけど」
「……うん。知ってる。お嬢のそういうところ、好きだよ」
カイルは作っていた笑みを引っ込めると、手元のペットボトルに視線を落として呟いた。そういう言葉はもっとにこにこ笑えるときに言ってほしいなあ。
「カイルが話したいことがあるなら、聞かない訳じゃないよ。話したくないことにまでは首突っ込まないけど、話せば楽になることっていうのはあるでしょ」
眉が下がって、綺麗な形の唇が尖る。
「……何やってんのか、自分でも分かんなくなっちゃったんだよねえ」
また乾いた笑みが漏れた。ずっと笑っていようとしちゃうの、それ癖なんだね。
「誰のためにやってんのかも分かんね」
「……カイルはいつも、自分以外の人のためだよ」
「違う、俺のためだよ。弟一人を生かすために何百人と殺してる。あいつはずっと『もういいのに』って言ってるのに」
さっきもそう言ったのかな。それにカイルは「駄目」って返したのかもしれない。
「じゃあ弟さんもカイルとやっぱり似てるんだね。カイルのために言ってるんだ」
自分のために頑張りすぎなくていいよって。きっと、二人とも自分以外の方が大事なんだね。そう言うと、カイルはくしゃりと顔を歪めた。
「お嬢は俺に甘いね」
「嘘。ネーヴェの中では一番厳しいと思う」
「ふはっ」
ようやく自然な笑みが溢れ出す。そして真剣な目に決意を湛えた。
「コウね、肺がんなんだけど、もう末期なんだって。でも、俺諦めきれねえわ」
がんばれ。
震える手を見て、無性にそう思う。意味なんてないのかもしれなくても、応援せずにはいられなかった。
「諦めなくていいと思う」
「……泣くの、これで最後だから」
カイルは一筋だけ涙を流した。
泣いたのは本当にその一瞬だけ。アジトに着いたカイルは、よーし、みんなが帰ってくるまでにテンション戻さないとー! なんて妙なことに対して気合を入れている。人間なんだし、いつも同じテンションでいなくとも落ち込んでいる日もあったっていいと思うけれど。彼なりのこだわりがあるのだろうか。
「そんなのアニメ観たら一発なんじゃないの」
「お嬢、俺のこと何だと思ってんの」
「アニメオタク。よく分かってるでしょ?」
「わはは、当たってるー! でもねえ、お嬢がチューとかしてくれてもすぐに元気になるよ」
悪い顔になったカイルが私をソファーに追い詰めてくる。ため息をつき、すぐそこにあった彼の漫画雑誌でバン! とその顔を受け止めた。
「ふぎゃ!」
「表紙の女の子とちゅーでもしてろ!」
痛ーいと言いながらカイルは顔を覆っている。そろそろ私のせいでカイルの鼻が低くなるかもしれない。いや、ほぼ自業自得だけれど。
「お嬢はかっこいいね」
「は? 可愛いんじゃなかったの」
自分で言うと恥ずかしいな。
「車出してくれたの、めちゃくちゃかっこよかったもん。……ねえ、俺以外の男にベッドに連れ込まれても、ケーキで許しちゃったら駄目だからね」
床にごろごろ転がっていて思い出したのか、カイルは唐突だ。
「何言ってんの。他の男どころか、カイルも普段は駄目に決まってんでしょ」
「よかったー! 俺、今日の様子を見てたらお嬢はまじでケーキに釣られちゃうんじゃないかと思って心配で!」
「馬鹿にしてんのか」
追いかけ回すと「してないしてない!」とカイルはビルの中を逃げ回る。ちょ、こいつと鬼ごっこは無理。
「お嬢ー。ありがとー!」
廊下の端でこっちを振り返ると、カイルは笑った。
「前言てっかーい。俺ねー、チューとかしなくてもお嬢と話してるだけで元気になる!」
「そりゃあ……よかったですよ」
「うん!」
相変わらず恥ずかしいことをさらっと言う。
そこへイアン、ジャック、アダムが揃って豪勢なオードブルを持って帰宅すれば、カイルのテンションは完全に元通りだった。
「すげー! どうしたの、今日豪華じゃん!」
「ちょっとな、ボーナスが出たんだよ」
ジャックが人差し指と親指の輪っかでお金のポーズをしながらうなずく。その仕草めちゃくちゃ似合うな。
「ボーナス? マフィアに?」
「まあまあその話は座ってから」
「俺らもケーキのお土産あるよー! こんなん二夜連続でパーティーじゃん!」
ひとまずチキン達が冷める前にみんなで着席。
「乾杯しよ乾杯!」
「今日はいいって! 席着けって言ってんでしょ!」
カイルはほんと乾杯が好きだな。
「それで、ボーナスって? ジャックがどっかの金持ちの身包み剥ぐのに成功した?」
「違ぇよ! 善良な金貸しだ俺ァ!」
「善良な金貸しはムキムキの用心棒連れて歩く必要ないでしょうが」
「お嬢、今日全方位に喧嘩売ってね? 何、機嫌悪ぃの」
イアンが苦笑いする。すみません、なんかいつも通りのテンションにしようと思ったら毒舌に。
「え、生理?」
ガターン!
「ギャアア」
「今のはカイルが悪い」
私に椅子ごと蹴り倒されたカイルが床にひっくり返る。だよね、アダム。そもそも調子狂ってるのはお前のせいだ、お前の。
「一昨日潰したスコーピオンの話なんだけどね。潰したとはいっても全員殺したって訳じゃないのに、警察に捕まったって記録が随分少ないんだよね」
「アダムって警察の情報まで覗けんの」
「うん。でさ、普段は抗争に負けた側のファミリーって戦闘不能になってかつその場に置いていかれたら、後から来た警察に捕まるじゃん? それなのに逮捕者がやけに少ない」
「それは俺らが殺しまくったからじゃなくてー?」
カイルが椅子に戻ってきた。
「まあみんなカッとなってたからね。俺もそれは考えたけど、どうやら違うみたいで。スコーピオンって、潜入してる警察官がかなりいるファミリーだったみたい」
潜入捜査。都市伝説のようなものだと思っていた。
「え、じゃあ私たち警察官をやっちゃったってこと」
「だねえ。でもしょうがないよ。向こうもそれは覚悟の上でやってるし、こっちには見分け付く訳ないし、こっちはお嬢もカイルも殺されかけてるしね」
アダムがたくさんフォローを入れてくれる。
「それで、スコーピオンを傘下に入れたばかりだったライバルのオシリスに恩を売っておこうと、このことを伝えた訳ですよ。お宅にこんなネズミが入ってましたよーって。そしたらボスを通してお礼が入ったから、この豪勢なチキンはそういうこと」
優しいアダムは結構大胆にチキンにかぶりついた。終始温和なことが多いのに時々仕草が男らしい。
「じゃあジャックじゃなくてアダムのお陰かあ」
「ねー」
「おいそこのバディー、後で血を見んぞ」
「ジャックに俺らは無理だよねー」
「ねー」
「こいつらタチ悪ぃ! 誰だこの二人にバディー組ませたの!」
「まあジャック落ち着けって。お嬢とカイルの言う通りだから」
「オォイ! イアン?!」
あ、ジャック、自分のバディーにも見捨てられた。
「まあそれだけなら問題ないんだけど。俺らも気をつけとかないとな、ってことで俺は今この話をしてんの」
リーダーがぴりりと空気を引き締める。
「警察が結構大規模に動いてるってことは、俺らも一斉検挙とかされねえように気をつけるにこしたことはないってこと」
「そうだね。それに、俺は一昨日の作戦でお嬢が最初からうちのファミリーだってバレてたのも気になってる」
「忘れてた。確かに」
ネーヴェは部外者が紛れ込めるような集団じゃない。あまりに少数精鋭で関係が密なファミリーの二次組織だ。その構成員しかいない作戦会議で決まった私のおとりを、どうして敵は知っていたんだろう。
「盗み聞き……盗聴器とか?」
「そうだな、探してみるか」
みんなでしっかりオードブルを完食してから、アジトの一斉捜索を開始。探知機なんて物もあって、隈なく探したと思うけれど結局何も見つからなかった。
「うーん……お嬢の演技を見抜かれたか、別の日にお嬢がネーヴェの構成員といるのをたまたま見られてたか、ってことなのかな」
「む……じゃあもっと演技力磨かないと」
「お、それなら俺と特訓しよー!」
「やだ。特訓にかこつけてチューとかさせる気でしょ」
「な、何でばれてんだ?!」
あんたの考えはもう分かりきってるわ。それに、ついつられて演技力を磨かないと、とか言ったけれど私はマフィアなんだった。銃の腕ならともかく、何でそんな特殊な仕事前提で努力しなきゃなんないんだ。
「じゃあ全員、アジトに帰ってくるときは尾けられてないか気をつけるように。以上!」
イアンが締めて解散になる。また家探しとかしてたら夜遅くになっちゃったよ。このファミリー、人使い荒い。
シャワーから上がり水を飲みにきて、リビングにいるカイルとすれ違う。カイルは今からアニメ鑑賞をしようとしているようだった。ソファーで膝を抱えてテレビにリモコンを向けている。
「……今日はありがとう。楽しかったよ」
背後から話しかけた。カイルがそのまま上体を反らして逆さに私を見上げる。
「俺の方こそ。急にどうしたの」
「何が起こるか分かんないから、思ったことは後悔しないよう言っておこうと思って。おやすみ、良い夢見なね!」
恥ずかしくなってきたので言い逃げしようとした。ぱしっ、と熱い手に手首を掴まれる。鬼か。逃がしてくれ。
「怖い夢見そうだから、一緒にいてよ」
「え」
揺れる瞳に、どうしようと固まる。カイルはぱっと手を離した。
「なんてね! お嬢、ケーキもう三個追加したらもう一回ベッドに連れ込んでも許してくれんの?」
「……」
クッションを顔面に叩き落として私はリビングを出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます