二章、ようこそ、はみ出し者の集まりへ

第2話

「ねえカイル。私、今からお父さんと電話したい」

「えー、俺今アニメ観たいんだけど……」

「仕方ないでしょ、連絡は監視付きでって約束なんだから。観ながら耳だけ聞いてりゃいいじゃない」

 アニメを観るときはアニメに全集中って決まってるのに! と喚くカイルを黙殺し、連絡先から父の番号を呼び出した。

『エリ~! 元気にやってるか! 怪我してないか!』

「まあね。私には銃があるから」

『そうは言ったってなあ、お前に銃なんて教えなけりゃなあ……今頃そんな危険な仕事させずに幸せに暮らさせてやれてたかもしれないのに』

「銃も格闘術も、教えてもらってなかったら私はもうとっくに死んでただけだよ。お父さんこそ元気? 体壊すほど働かされたりしてない?」

『お父さんは平気だ。上にボスが付いただけで前のファミリーとやることは変わらないしな。とにかく一人娘のお前が心配で心配で……』

「お父さんってば。そんなに心配しなきゃいけないような娘じゃないのは知ってるでしょ」

 この前までそこそこの規模のファミリーのボスだった人が、私のこととなるとただの子煩悩な父になるのがおかしくて笑う。母は私を産んですぐ行方知れずになった娼婦で、父の本妻は別にいて病死した。私は妾の子だけれど、他に子どももいない父は私をひどく可愛がって大切に育ててくれた。マフィアのボスにとって、娘なんて弱点になりかねない。それを防ぐため幼い頃から私は格闘術を叩き込まれ、しょっちゅう護衛を付けられたりもしたけれど、多少窮屈な思いはするものの何不自由なく暮らしていた。

 銃の扱い方を学んだのはたまたまだった。父は私に触らせないようにしていたけれど、たまたま遊びで触ったときにどうやら私は目の良さと銃の扱いの才能があったらしく、父の構成員たちに面白がられ熱心に仕込まれたのだ。

 子どもが育つ環境としては良くないに決まっているけれど、おかげで私は自分の身は自分で守れるようになり、そうしているうちにいつの間にか早撃ちの名手として裏社会では少し名が知られるようになっていた。

『ごめんなあ、お父さんが不甲斐ないせいでお前に辛い思いをさせて』

「相手が相手だったんだもん。負けたのは仕方ないよ。みんなを生かして傘下に入らせてくれたんだし、私は今の境遇で全然平気」

『辛いことがあったらいつでも、』

 あ、途中で電話が切れた。

 私の監視はカイルだからゆるゆるだけれど、父の監視は厳しいからこんなのがしょっちゅうだ。反乱の意思なんてないからお別れの挨拶ぐらいさせてくれりゃいいのに。

 裏社会でありながら好き勝手のんきに過ごさせてもらっていた私の平穏は突然壊された。勢いのある、より巨大なファミリーNessun dorma(ネッスン・ドルマ)が仕掛けてきた抗争に敗れ、父のファミリーはそっくりそのまま傘下に下ることになったからだ。

 ネッスン・ドルマ、イタリア語で「誰も寝てはならぬ」なんてふざけたファミリー名。誰も彼も殺して永遠の眠りにつかせる恐怖のファミリーのくせに、と入るやいなや喧嘩を売った私にイアンは苦笑した。

「オペラ『トゥーランドット』のアリアから取ってるんだよ。曲はフィギュアスケートとかで聞いたことあるでしょ。夜明けまでに私の名前を当てなければ結婚してもらう、と求婚者に言われ、姫が国民全員にお触れを出す。名を解き明かすまで寝ることを禁じ、解き明かせなければ皆殺しってね。誰も私の名前を知らない、私の勝ちだ!って最後は求婚者が勝利宣言する歌」

 なんだ、秘密主義の残忍集団にぴったりじゃない。

 敗北した父は構成員を抱えたままファミリー傘下の二次組織の幹部となり、私だけが別の二次組織の構成員に回された。徹底した秘密組織であるマフィアは、同じファミリー内であっても異なる二次組織同士はお互いの内情をほとんど把握できない。私と父は、ファミリーを裏切ることのないようお互いを人質にされた形だった。お互いがどんな状況か掴めないから下手に反乱を起こしたりもできないという訳だ。

 でもそんなことをしなくても反乱を起こす気なんてないんだけどな。父は元々私に跡を継がせる気なんてなかったから、抗争の前から父のファミリーは緩やかに規模を縮小していて、ファミリーがなくなるのは遅かれ早かれ時間の問題だった。つまり、巨大組織に楯突いて再興しようなんて気概は父にも私にもない。まあ、潰した側がそれを信じないのも分かる。

 さて、マフィアはそれぞれに家族は持つけれど、基本は男社会だ。女で、しかも敵だったボスの娘なんて向こうからすればいつ裏切るか分からないような面倒極まりない存在を引き受けたのはどんなグループだろ、と思いながら私はその日アジトに連れられる。

「やっほー! ネッスン・ドルマのNeve(ネーヴェ)にようこそ!」

 ドアを開けて迎え入れてくれたのは、犯罪組織の構成員とは思えないほどかわいい顔立ちをした男の子だった。あれ、入るところ間違えましたかね。

 バタン。

 ドアをそっと閉じて引き返そうとする。

「待って待って待って! 合ってるって! 今日からうちに加わるお嬢でしょ!」

 爆笑している子犬がドアを開けて追いかけてきた。そっか、確かにネッスン・ドルマって言ってたし。こんなキラキラスマイルを振りまく奴が構成員? 私の知ってる強面おじさん揃いの構成員と随分違うな。父のファミリーはもっとみんな無骨で目つきの鋭い輩ばかりだったけれど。あ、色仕掛け担当?

「初めまして。今日から加わることになったエリーです。よろしくお願いします」

 本意不本意にかかわらず、お世話になることになったグループだ。ぺこりと頭を下げて挨拶をしておく。

「うん、この前うちに下ったファミリーのボスのお嬢さんなんだよね! イメージ通り、マフィアのお嬢~って感じ!」

 なんという頭の悪い会話。私も学はないから人のことは言えないけれど。名乗ったのに「お嬢」という呼び方を変える気はないらしい。まあ顔見知りの構成員たちも幼い頃からみんなその呼び方だったから、今更嫌でも何でもないけれど。

「このグループはね、ネーヴェっていう名前なんだよ」

「ネーヴェ? どういう意味?」

「イタリア語で雪」

「あら意外と綺麗な名前」

「雪に埋めるみたいに敵をしんと静まりかえらせるグループになりますようにって」

 ああ……結局物騒だった。この好戦的すぎるファミリーに馴染める気がしない。

「で、俺はネーヴェの戦闘員で今日からお嬢と組むカイルです!」

 よろしくぅ! と指で作った銃で「バーン」とこちらを撃ちながらウィンクした顔をあんぐりと見つめる。戦闘員? このアイドル顔が? マイクより重い物持ったことないみたいな顔してますけど。しかも私と組むって言った?

「え……じゃあ私のバディーになるのって」

「俺だよ!」

 私のマフィア生活終わった。生かしてもらったまま迎え入れられたけれど、こんなのと組めとか抗争で即行野垂れ死ねって言われているのと同義ではないだろうか。

 ファミリーにもよるけれど、ネッスン・ドルマでは皆バディーを組まされ活動している。バディーとは、お互い連携し助け合う仕事仲間のようなものだ。そしてもう一つ別の役割も持つ。

 マフィアの血の掟。いかなることがあっても秘密は守れ。裏切り者には死を。

 バディーはお互いが裏切らないよう監視する。もしも相方が裏切れば制裁を下すのは自分だ。それができないなら連帯責任として二人ともファミリーから抹殺される。

 そんな役目のあるバディーだから、てっきり不穏分子の私には筋骨隆々、ごりごりの大男とかが付けられると思っていた。え、こんな子でいいの? 裏切る気はないけれど、この子私が本気を出したらあっさり死んじゃいそうだよ? もし私が逃げる気なら引き止めたりできなさそうなんですけど。

「こう見えて俺強いから戦闘のときは安心していいよー!」

 どう安心しろと。そう思ったとき、さっきからナイフをくるくると弄んでいた指がぴたりと止まってカイルがそれで自分の首をゆっくりとかき切る仕草をした。

「それと、ネーヴェを裏切るなら俺が殺すから」

 瞳孔の開いた目が私をその場に縫い止めるように見下ろす。低くなった声に一瞬だけ殺気がこもり、ぞくりと鳥肌が立つ。

「あ、そ。逆にカイルが裏切ったら私が殺してあげるよ」

 震える声を押し殺して強がった私に、途端にカイルは殺気を打ち消してあは、と元通りに笑った。

「俺は裏切んないよー! 俺、ファミリーの犬だから!」

 犬? 忠誠心が高いって言いたいのか。

 何はともあれ、カイルが私と組まされた理由を肌で理解する。戦闘でこいつには勝てない。戦う前にそんなことを感じさせられたのは初めてで、粟立った二の腕を摩った。

「イアーン! お嬢が来たぞ!」

 ノックもなしに「バーン」と口で効果音を発しながらドアを開けたカイルが叫ぶ。

「はいはい、分かってるって」

 呼ばれた相手はカイルの無邪気な言動に慣れた様子で苦笑を漏らしていた。革張りのキャスター付き椅子で膝を組むその人は、いかにも偉い立場って感じで風格がある。それでもグループのトップとしては随分若かった。見た感じの歳は私やカイルと同じくらい?

「ネーヴェにようこそ。リーダーのイアンです」

「エリーです。今日からよろしくお願いします」

 私も名乗り返して頭を下げる。

「そんな畏まらなくていいって。グループの中で形としてリーダーに選ばれてるだけで、上司じゃないしこいつらも誰も敬語とか使わないから。まあいろいろあって警戒してると思うけど、俺らみんなお嬢を歓迎してるからさ。ゆっくり慣れていきなよ」

「え、歓迎されてるんですか。いきなり『裏切るなら殺すから』って脅されたんですけど」

 リーダーは良い人っぽいけれどバディーは最悪だ。できたら変えてくんないかな、という魂胆で私が告げ口すると、天を仰いだ彼はうろうろしていたカイルを呆れた様子で呼び付けた。

「カーイル。何やってんの? ずっとバディーなしだったのにお嬢と組みたいって言ったのカイルでしょ?」

 そうなのか。なぜにこんな面倒事を自らお引き受けに。できたらそんな気まぐれ永遠に起こさないでほしかった。言われたことは本当だったらしくカイルはうん、と素直にうなずく。

「まあそういう訳だから。座ってチョコでも食べな」

 え、チョコ? 客に出すのにコーヒーとかお酒じゃなくて?

 指された高そうな細かいカットの入ったガラスの器にはキラキラの個包装に包まれたブランド物のチョコが大量に盛られていた。私に勧めておいて自分が先にそれを摘むイアン。長い指でちまちまと包み紙を開けた大男は「うまっ」と目がなくなるほど細める。ええ……これがギャップという奴ですか? 真顔と全然顔が違うんですけど。美味しそう。勧められてるんだから遠慮なく。

「んー! これ、このチョコめっちゃおいしいイアン!」

「でしょ? よかった」

 チョコを食べている顔がかわいいからイアンにはすぐに懐いた。男所帯で育ったからね。甘えても許される人を見極める目はあると思ってる。

「めっちゃ遠慮なく食べんね」

 ほら、そう言いながらも笑ってお皿ごと私の方へ押しやってくれた。

「んぐ、だって美味しいんだもん。高級なお味がする、もぐ」

 うまいっしょ、とチョコに関して気が合うのが嬉しいのかイアンは私の無礼もにこにこ笑って許してしまう。うん、このリーダーは気に入ったぞ。チョコおいしいし。チョコの……いやイアンのためならグループに貢献してあげてもいいな。

「えー、お嬢はお嬢なんだからもっとお高いおやつ食べてたんじゃないの」

 カイルが身を乗り出してきて自分もチョコを取っていく。

「いやうちのファミリー貧乏だったし。こんなチョコ買ったことないけど」

 落ちぶれていくファミリーだったものでね。庶民の暮らしですよ。

「貧乏っつーなら、まあうちも裕福な資金繰りではないけど。なぁジャック?」

「オォイ! ようやく話振ったと思ったらそれか! ネーヴェの収入源はほぼ俺ですけど?」

 イアンが側近のごとく最初からずっと横に立っていた猫背の男に話しかけた。途端に珍妙な動きでツッコミが入る。ああ……無口な人なのかと思ってたら振られ待ちだったのね。まーた癖の強そうな人が出てきてしまった。

「イアン、コーヒー飲むー? お嬢は?」

 カイルがぱたぱたと小走りに部屋の隅のポットでコーヒーを淹れにいってくれる。

「おうありがと」

「私も一緒ので」

「俺にも聞けよ!」

 彼らの中でお決まりの流れなのかまたもやぞんざいな扱いを受けたその人は、急に私に恭しくお辞儀をした。

「初めましてお嬢さん。どうも、ジャックです。歓迎の記念に、よかったら今夜……俺と飲みにいかない?」

 なるほど、軽薄な女好きか。うまくやっていくためなら女の武器も使うに限る。

「えー、じゃあ……楽しい夜にしてね、ジャック」

「お嬢、飲みに行くのー? じゃあ俺も行くー!」

 途端にカイルのよく通る声で邪魔が入った。あんたはコーヒーでも淹れてなさいって。

「いいよ、二人で行くから!」

「何で! バディーじゃん、お嬢が行くなら一緒に行く!」

「そっちこそ何でよ。バディーにもプライベートはあるでしょうが」

 こいつまさか仕事以外でも私に付き纏う気か。

「まあジャックはやめとけ、お嬢。内臓なくなるまで金毟り取られんぞ」

 イアンから恐ろしい忠告が入る。

「人聞き悪ぃな! 仲間内からは取らねえよ!」

 はいお待たせー、とカイルがお盆を持ってきた。希望を聞くときに無視されていたジャックの分もちゃんと含めた三人分のアメリカンと、自分にはオレンジジュースを並べている。

「ジャックはねー、詐欺師なんだよー」

 カイルがちゅーちゅーとストローでオレンジジュースを飲みながら話す。コーヒーが飲めないのだろうか。そうしていると一人場違いなくらい幼く見える。え、この子本当に戦えます?

「違ぇよ! 金貸しと不動産業だわ! カイルお前今度の給料カットするぞ」

「え、現物支給? 全部コミックスでくれんならいいよ」

 どういう会話の流れ? けろっとしているけれどカイルの思考回路は理解不能だ。マンガが好きなの?

 いやそれより、給料を決めているのがジャックならやっぱりゴマをすっとかないと。

「一応言っとくけどジャックにそんな権限ないから」

 私の心を読んだようにイアンが訂正する。

「まあ詐欺師は言い過ぎにしても、ジャックはそのぐらい巧妙な話術で値段交渉したり資金源探してきたりすんだよね」

「おうよ、こう見えてやんだ俺はァ」

 イアンにフォローされジャックは得意げに胸を張った。仲良いですね、お二人。言われるまでもなくここ二人がバディーなんだろう。

「イアンは何のお仕事をしてるの?」

「俺も戦闘員。カイルは暗殺とか抗争でドンパチやるけど、俺はジャックに付いていって穏便に資金を回収する係」

「イアン、ムキムキだもんねー」

 なるほど、穏便にボコボコにして借金を返済してもらう訳ですね。穏便に、って言葉を付けておけば何とかなるから便利だ。隙のない身のこなしだと思っていたけれどこの人も戦闘員なのか。今見ているとリーダーとその右腕のように見えるのに、対外的には金貸しと用心棒で立場が逆転すると思うと不思議な組み合わせだ。

「今日、他の人は? 構成員はまだいるんでしょ?」

 早めに挨拶して顔も覚えないと。ネッスン・ドルマ規模のファミリーの一グループの人数がこれだけな訳がない。ここで生きていくんだと腹を括ったんだから、どうせなら早めに馴染んでおきたかった。

「みんな外に出てるー。心配しなくてもあと六人しかいないからすぐ覚えられるよ」

「六人! 私を入れて十人しかいないの?」

 カイルの言葉に耳を疑った。どうしてそんなに少ないんだ。言葉の足りないカイルの代わりにイアンが補足してくれる。

「俺らは正式に組織されてなくて階級とかもない、ファミリーの中でもはみ出し者が集められた寄せ集めのグループだから」

 他のグループでは扱いきれない奴らが集まってんだよね、とイアンが苦笑する。カイルやジャック以外も癖の強い奴ばっかりってこと?

「でもみんな良い奴だから。ようこそ、ネーヴェへ」

 イアンが言おうと嫌だ、今すぐ脱退させてください。

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