一章、いきなり勃発カーチェイス

第1話

アメリカ、ニューヨーク州。そのどこにでもあるような埃と煙草の臭いが染みた古いビル。その床に這いつくばる私に、深夜に似合わない怒号と悲鳴、大勢の足音が聞こえてくる。おいおい、作戦にはそんな予定はないぞ。

 秘密裏に偉ーい人の悪ーい密約書を盗み出すはずだったが、どうやら私の相方は見つかってくれやがったらしい。こうなったらあいつは見捨てるしかない。さよなら、いつか地獄でまた会おうね。

 薄情なようだけどプランBに変更だ。か弱い乙女はさっさと退散しますよっと。

 ライフルを背負い隠れていた部屋から廊下へ出ると、なぜか騒音が猛烈な勢いで近づいた。

「あ、お嬢ー! ごめーん見つかっちったー。助けて?」

「ちょっと! 何でこっちに逃げてくんの!」

 般若の形相で銃やナイフを構えた奴らに追われているとは思えないのんきな顔で、相方である小柄な男、カイルがどたばたと走ってくる。染み付いた反応で咄嗟に胸ポケットから拳銃を抜き、パンパン! とカイルの顔すれすれで両脇を撃ち抜いた。真後ろまで迫っていた男二人が倒れ、その後ろの奴らも突然倒れ込んだ味方に躓き足止めを食らう。

「ヒュー! さぁっすがお嬢!」

「なーにが『さぁっすが』よ! 何で私のところに連れてくるかな!」

 自分に当たるとは微塵も思わないらしいカイルは、何事もなかったかのように私まっしぐらに駆けてきながら白い歯を見せて少年のように無邪気にけらけら笑った。誤射するような腕じゃない自信はあるけれど、腹が立つから今からでもこいつの眉間に鉛玉をゼロ距離で食らわせてやりたい。直近まで迫っていた者は殺したものの、まだまだ敵を引き連れているカイルがこっちへ逃げてくるので私も背を向けて走り出す羽目になる。

「だってこいつらうじゃうじゃ湧いてきて俺一人じゃ相手しきれないんだもん」

 「だもん」じゃない、「だもん」じゃ。曲がり角から出てきた敵を肘鉄一発で壁に叩きつけながら言う台詞じゃないんだって。すんごく重い音がしたけど、細身のどこから出ているんだその馬鹿力。性格はともかく顔だけはアイドルのように可憐だというのに、戦闘力が化け物じみている。

 キン、カン、と金属音が絶え間なく鳴って、視界のあちこちで火花が飛ぶ。弾丸の雨の中、非常階段を駆け下りていった。当たらないのが奇跡なくらいだけれど、たぶん奇跡じゃない。ぴたりと後ろを走るカイルに時折服を引っ張られ階段の右や左に寄せられるから、こいつは上から撃たれて銃弾が当たらない角度を知っている。この切羽詰まった状況下で異様な判断力。頭は悪いのにこういう戦闘におけるセンスはほんとピカイチだ。

 裏口から転がり出れば、私たちを轢き殺すスレスレで急ブレーキをかけるワゴン車。

「乗れ!」

「イアン!」

 最高のタイミングで乗りつけてくれた彼が神のように見えて、思わず感動して声が漏れた。筋肉隆々なだけじゃなくてこういう機転も利くんだから、頼りになる男!

 カイルと二人でありがたく乗り込むやいなや車は急発進する。キュルキュルキュル、とタイヤの音を鳴らして角を次々曲がると裏道から大通りへ。シートベルトを付けていなかった私とカイルは後部座席でゴロンゴロンと転がった。

「お嬢、イアンとの再会はめっちゃ喜ぶじゃーん。俺なんて罵倒されたのに」

 絶対に今はそんな場合じゃないのに、カイルが妙なところで突っかかってきて膨れっ面をする。

「は? 女の子のところに大量に敵を引き連れて帰ってくるような奴にどう感動しろと。女の子が喜ぶお土産って知ってる?」

「あ、ごめん、イアンそこ右」

「遅ぇよ!」

「「ぎゃああ」」

 イアンがまた急にハンドルを切って、私とカイルは窓に押し付けられた。痛い。絶対に頭にたんこぶができた。のしかかってきていたカイルを蹴り飛ばす。

「乗り心地悪くてごめんな、後ろ二人ー」

 イアンがバックミラーで私達をちらっと見て気遣った。

「イアンは悪くないよ。いつも快適運転ありがとうございます。それよりジャックだよ。あなたは今日ナビしか仕事してないんだからしっかりして」

 助手席にのほほんと座る、急カーブの原因となった目の細い男を叱責する。

「オォイ! 戦闘できねえのにイアンのバディーだからって付いてこなきゃいけねえんだからしょうがねえだろ!」

「ジャック、ちゃんとナビして。次どこ曲がんの」

「はい、すみません。あそこ左ー」

「わはは。ジャックよろしくぅ!」

 カイルはこんな状況でも楽しそうに落ち着き払っている。ジャックの、私には元気よく言い返してイアンには冷静に諭されているいつものお調子者ぶりを白い目で見た。ほんと頼むよ? カーチェイスには機械のカーナビじゃ間に合わない。後ろの奴らをさっさと振り切れるかどうかはジャックの道案内にかかっているんだから。

「イアン、窓開けて戦闘するね」

「おう、見えてる」

 窓を下ろすやいなや銃を構え、追ってくる車のグラサン運転手をショット。ちっ、防弾ガラスかあ。

「お嬢のくせに舌打ちすんな!」

 ジャックはうるさい。

 目標をタイヤに切り替えて片側をパンクさせ、ドリフトさせる。顔を引っ込めるとチュン、チュン、と目の前を弾丸が通り過ぎていった。弾を食らわないようイアンが車体を左右に振る。その分こっちの狙いもつけづらくなるけれど、そこはこの美人スナイパーに任せてもらおう。乾いた唇を湿らせながら銃をリロードする。

 後続車がパンクした車の脇をすり抜け、まだまだ敵は追ってきた。左側に迫ってきた車の窓を右手の銃で二発、割れたそこから運転手の頭を左手の銃で一発。さっきは阻まれたけれど、右手の銃はそれよりちょっと威力を上げてあるからちゃちな防弾ガラスならこんなものだ。

 私に銃を構えかけていた助手席の男は反撃が間に合わずぽかーんとしたまま運転手を失った車に乗って後ろに残されていく。

「ヒュ~! 相変わらずすっげえ早撃ち!」

「笑ってないであんたも何とかしてよ」

 近接戦闘主体のカイルには無理と分かっていても文句の一つも言いたくなる。これだけの人数相手に戦っているのが私一人だけってどうなのよ。

 それなのにカイルは「ほいほーい。じゃあ行ってくるとしますかねー」と軽く返事をしたかと思うと窓を開けた。右側から窓を開けてこちらを狙う車が目に入る。

「ちょっ……」

 何する気、と止める間もなくカイルは走る車の窓からひょーいと全身で飛び出した。

「ぎゃああ死ぬって!」

 空恐ろしい光景に全力で叫ぶ。え、何なの。馬鹿なの。

 そんな私をよそにカイルは一メートルは離れていた隣りの車に飛び付いた。驚いた相手が銃を撃つ前にナイフを閃かせ窓から乗り込む。助手席の男も振り向いて銃口を向けるけれど、そのときには既に手首から先がなくなっていた。

 見つめる先で窓ガラスに次々と血飛沫が飛ぶ。運転手をドアから放り出し、一瞬で車内を制圧したカイルはアクセルをベタ踏みするとハンドルを切った。あ、今、にやっとした。

 ガシャアン!

 耳をつんざくような衝突音が響いて、カイルの幅寄せによりもう一台の車が中央分離帯との間で大破する。当然ぼろぼろになったが辛うじてまだ走れる状態らしい乗っ取った車でカイルは私たちに追いつき、ご機嫌に叫んだ。

「お嬢ー!」

 返り血に塗れた男がにっこり私を見つめている。まさかとは思うけれど、こういうことですか。走行中の車の引き戸を開けるとゴッと風が吹き込んでくる。その風と一緒に運転席を乗り捨てたカイルが飛び込んできた。おかしい。本当におかしい。人間じゃない。こいつには重力が働いてないのかな。

「ありがとー! お嬢ってば以心伝心!」

 私に人間なのかどうか疑われているとも知らずに、カイルは私が思い通りの行動を取ってにこにこ顔だ。こっちはあんたのぶっ飛んだ考えなんて理解したくないんですけど。

 カイルの奇想天外な行動に慣れつつあって、察してしまう自分にげんなりする。

 開けたドアを閉めるのに苦戦していたら交差点で振り落とされそうになって、がっしりと首根っこを掴まれた。

「お嬢危なーい」

 誰のせいよ。私を奥へ追いやってドアを閉めてくれたカイルは、ふとトランクを覗く。

「おっ! 良いものあんじゃーん」

 これなら俺でも当たるわー、ってずるずると重たげに取り出した。

「ちょ、それロケ……っ」

 ドガアアアアン!

 カイルの撃ったロケットランチャーにより後ろで巨大な爆発が起こる。振動がこっちにまで伝わり、大破した車から道を塞ぐようにして炎が燃え上がった。警察まで撒く羽目になりながらも、アジトに逃げ帰る。

「全っ然作戦と違うじゃん!」

「え、密約書は手に入れたし無事帰れたんだから大成功っしょ」

 けろりと言い放つカイルをぶん殴りたくなった。何で私このイカレた男とバディーなの。

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