七章、太陽は何処
第9話
三日ぶりに見た陛下は以前と変わらず元気そうになさっていて安心したけれど、俺の隣りにいない男を探してその表情がわずかに曇ったのに気付いて苦笑いしかできない。
「おはようございます、陛下。俺だけだからってそんなにがっかりしないでくださいよ」
とは言ったものの、無理ないよなあと思う。俺なんかが生まれてこの方ずっと一緒にいるアルアに敵うはずがない。当の陛下に自覚はなかったようで、俺の言葉に慌てふためいていた。
「そんな、サムちゃんにも会えて嬉しいです。私が臥せっている間ご迷惑をおかけしてすみません」
「それは気にしないでください。体調不良なんて仕方ないんですから。大したことはしていませんし、やっぱり陛下にしかできない仕事も溜まってはいます。でも、無理せず一緒に片付けていきましょうね」
陛下は安堵した様子を見せる。めきめきと成長し国王として様になっていかれるものの、たまにこういう顔をされるからまだ支えは必要だと思わされるんだ。
「お体はもう本当に平気なんですか?」
「はいっ、もう大丈夫です。ありがとうございます、全快しました!」
じっと彼女の顔を見る。言葉の通り体調に問題はないように俺にも見える。しかし、たとえ少し無理をしていたとしても俺には気付ける自信がなかった。アルア。『え? 陛下は顔に出るからめちゃくちゃ分かりやすいじゃん。見たら何を考えているか全部分かるよ』なんて言っていたけれど、それはお前だけだからな。周りに氷の女王なんて言われるくらいなんだ、陛下は普段そこまで顔には出さない。側近になって数ヶ月の俺じゃ分かんねえよ。
ほんと、馬鹿。お前は陛下の傍にいなきゃ駄目だろ。何やってんだこんな時に。心の中では不在の相方を罵りながら、俺は微笑んだ。
「それならよかったです」
「ご心配おかけしました」
「本当に。俺も心配しましたけど、それ以上にアルアなんて、陛下がお倒れになったときには警戒心マックスで周り中を威嚇してましたからね。あの時のあいつをお見せしたかった」
「え、そんなことを?」
ああ、これは分かりやすい。嬉しげな陛下の頬が薄っすらと桃色に染まる。
「それで、アルアはどこにいるんですか?」
陛下は不思議そうに尋ねてきた。言いづらくてのろのろとその本題を避けてきた俺は、いよいよ白状する羽目になる。深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。俺はあいつを止められなかった」
「え? あの、何のことか、」
「順を追って説明します」
驚かないで、聞いてください。そう前置きして、俺は事情を説明し始めた。そんな台詞に意味なんて何もなくて、驚かずにはいられないだろうけれど。それにもかかわらず言ってしまうのは、きっと俺だってまだ事態を飲み込みきれていないし動揺しているんだろう。
「まず、昨日の昼のことです。ガラルドに対して陛下のご命令で放っていた斥候が、ガラルドが大掛かりな戦の準備を始めていると情報を持ち帰りました。今にも我が城まで侵攻してきて攻め落とそうとするかのような様相だと」
「へ? え?」
アルアの話が始まるかと思っていた陛下は、衝撃のニュースに目を白黒させていらっしゃる。順を追って説明するとこうなるので許してほしい。
「陛下がお休みの間にこのような事態になり申し訳ありません。今日の会議は全てこの件について話し合う予定になっています。今我が国は、ガラルドとはいつ戦が始まってもおかしくない状態になったということです」
陛下ご不在の中、俺たちにもできることとして既に騎士団には命令を出し、準備を始めさせている。
「え……? もう戦争を避けることはできないってことですか?」
「いえ、まだ宣戦布告も受けていませんし確定ではありません。斥候のお陰で早期に発覚したため相手との交渉次第で避けられる可能性も十分に。それを含め今日は話し合いです」
分かりました、と陛下は青い顔で小さくうなずいた。そりゃあ顔色が悪くもなる。お若いのに難しい政局ばかり訪れて、気の毒としか言いようがない。また心労で倒れられるんじゃないかと思った。
「大丈夫です。陛下がお一人で考えて対処しなきゃいけないことじゃありません。将軍たちが力を貸してくれますし、俺も知恵を絞ります」
なんとか励ましたくていつもよりたくさん声を掛ける。それもこれも、今日は普段うるさいくらいに賑やかなあいつがいないからだ。
「ありがとうございます、サムちゃん。頼りにしてます」
陛下が淡く微笑んで、その無理矢理上げられたような口角に俺は無力さを味わった。そうですよね。こういうとき、傍にいてほしいのは俺じゃないはずだ。あはは、と笑ってどんなときも一瞬で陛下を元気付けられるのは俺じゃない。
「それで、アルアなんですが。その件で忙しくなって、夕方までは俺と一緒にばたばた働いていたんです。それが、寝る前になって急に、」
昨夜、ぱちぱちと燃える暖炉の前で和解交渉の材料、すなわち相手の弱みをかき集めようと資料を漁る俺の背後にアルアは立った。
『サムちゃん、ごめん』
『何ー? 眠くなった?』
寝てもいいよ、と言いかけた俺をアルアは遮った。
『ごめん。本当に。陛下のこと、頼むわ』
『は?』
アルアの声色が普段と違うことに気付いて振り向く。赤い炎を大きな目に映した彼の、出かける支度が整っていた。
『どこ行くの、こんな時間に』
『ごめん、言えない。でも、俺が行かなきゃいけないんだよ。だから陛下のこと、サムちゃんに頼んだからね』
『待って、このタイミングで離れて行かなきゃいけない場所ってどこなの。俺じゃ駄目だって。陛下の傍にいるのはアルアじゃなきゃ駄目でしょ』
何でそんなもう決めたような顔をしているんだ。引き留める言葉を掛けながら、俺じゃ止められないのを察してしまう。陛下を呼んでくる間もない。きっと、アルアも陛下と顔を合わせたら決心が鈍るから今行こうとしている。
『馬鹿じゃないの! 何しようとしてんのか知らないけど、アルアは絶対に間違ってる。今離れちゃ駄目だ』
慣れない大声を出した俺に背を向け、アルアはコツコツとブーツの足音を立て窓辺に向かっていった。
『国中に、世界中に、間違ってるって言われようが。陛下を守れるのなら、俺はその道を選ぶよ』
振り向いたあいつはにっこり微笑む。その顔を陛下に向けているのを、短期間で何度も見た。大事で大事で仕方ないって顔。
『だからサムちゃん、陛下のこと頼んだ』
突然窓が開けられて、強い風が吹き込んでくる。俺が腕で咄嗟に顔を覆ったら、アルアはふっ、と夜の闇に消えた。慌てて駆け寄れば、窓から木に飛び付いた彼はするすると枝を伝って地上へ。マントを翻しそのまま走り去っていく。そんな降り方されたら俺追いつけねえじゃん。廊下にいた兵にアルアを追うようすぐに指示を出したけれど、帰ってきた報告は『追いつけませんでした』だけだった。そうだよな。訓練兵時代の同期でも一位だったアルアの馬足は速いもんな。
情けなくも以上の事情を報告して、陛下は唖然としている。
「じゃあ……アルアはどこにいるか分からないし、いつ帰ってくるかも分からないってことですか」
傷付いた様子の表情に、俺の胸もずきりと痛む。俺だけが薄々察していたのだけど、戻ってこない気かもしれません、とは言えなかった。アルアに『頼んだ』と言われたことなんて彼女を目の前にして言えない。
そんなことを聞かされたばかりでも、陛下はしっかりと前を向いて会議室へ向かう。横顔からじゃ俺には内心は分からないけれど、責任感の強いお方だ。決して仕事は投げ出さない。
***
会議室に着くと、閣僚たちは既に着席して現状についてざわざわと囁き合っていた。しかし私とサムちゃんが到着し所定の位置に着いてもなかなか会議が始まろうとしないので、きょとん、と今日の司会進行役を見る。向こうも同じ顔をして私を見ていた。
「あの……アルア様のご到着はまだでしょうか?」
おずおずと尋ねられる。あんまりいつも一緒にいるものだから、彼らは当然のように彼の到着を待ってくれていたことを知った。サムちゃんが口を開きかけるのを制して言う。
「お伝えしていなくてすみません。彼は今、私の使いに行っています。会議を始めましょう」
どこにいるか知らないし、いつ帰ってくるのかも分からないけれど、アルアがこんな時に不在にしていても立場が悪くならないようにしたいと思った。女王の使いなら誰も何も言わないだろう。
予想通り、皆が納得したように会議を始めてくれて戦争をなんとか回避する手立てがないかと意見を交わしていく。その内容は交渉の材料は何にするか、そして一番重要なのが誰がガラルドに行ってその交渉をしてくるかだった。末端の兵士じゃ相手にされないだろうし、向こうから提示された話に対してその場で判断ができない。ある程度上の立場の人間が行く必要があるけれど、戦の準備を着々と進めている国になんてのこのこ行ったらその時点で殺される可能性もある。会議はその人選についていつまでも平行線を辿っていた。
人に任せるくらいならいっそ私が行きたいくらいなのだけど、そんなことは許されないのは分かっている。後継ぎもいないのに女王に何かあったら待ったなしで国は終わる。
その場その場で臨機応変に判断することができて、ある程度の立場と自ら他国に赴く度胸もあって、何より人付き合いや交渉が得意な者。その条件に当てはまる人は一人ずっと頭には浮かんでいたのだけれど、何せこの場にいない。結局そのまま夜になり、会議はお開きになった。
「陛下、お疲れさまでした。病み上がりに朝から晩まで会議でしたけど、大丈夫ですか?」
「はい、もうすっかり元気なので心配いりませんよ。サムちゃんこそお疲れさまでした! ゆっくり休んでくださいね」
私室まで送ってくれたサムちゃんと部屋の前で別れ、ぱたんとドアを閉じる。
『お疲れー! 今日はすーんごく気の張る内容の会議だったね! 疲れたっしょ? ほら、おいで! ……何って、お疲れさまのハグ!』
思いきり私を甘やかす声が聞こえた気がして、部屋の中を見渡した。いつもいつも、私がくたびれてこの部屋まで帰ってきたら全力で癒やしてくれた。ぱちぱちと瞬きをする。腕を目一杯広げ、えへへ、と笑う姿はそこにない。部屋で待っていてくれたりしないだろうか、なんて私の願望が聞かせた幻聴だった。
一つ息を吐いて、しっかり前を向く。ヒールはさっさと脱いで、ドレスはクローゼットにしまって。湯あみをしたらお茶を淹れて、ちゃんと髪を乾かしてから飲んだ。んー、あんまりおいしくない。お茶に関してはまだまだ修行が必要だな。メイドが差し入れてくれていたマドレーヌを摘んだら、少し資料を頭に入れ直してベッドに入る。さっさと寝て明日も元気に会議に出るんだ。今は倒れたりしている場合じゃない。体調だけは万全に整えておくのが大切。
なんだ、アルアがいなくても意外と自分でできるじゃない。意外と凹まないもんだな、なんて。生まれてこの方アルアが傍にいなかったことなんてない私は気付かなかった。凹まないんじゃなくて、自分が部屋に帰って一人になってもぴんぴんに気を張り続けているだけだということに。
『シャル!』
そう呼ばれないから、「陛下」でい続けなければいけない。
『約束する。二人でいるときは、陛下って呼ばないし敬語も使わない。いーっぱい、気を抜いていいよ。俺の前だけね。俺が、シャルが唯一安心できる場所になるから』
そう言ったあなたがいないから、弱音を吐きたくてもその相手がいないの。
翌朝、「おはようございます!」と笑顔でドアを開けた私をサムちゃんは切なげに迎える。今日も彼一人しかいなかったことに、私はがっかりした顔を見せたりしただろうか。
会議はこの日も堂々巡り。最悪の場合に備え密かに戦の準備は進めさせているものの、交渉人は決まらない。サムちゃんは立場としても能力としても適任だけど、アルアがいない今は唯一の側近だから私の傍を離れる訳にもいかないし。
そんな中、夕刻の会議室に緊急の用だと兵が駆け込んできた。
「失礼します、陛下! ガラルドより手紙が!」
全員が息を飲む。このタイミングで来る手紙は宣戦布告の可能性が高い。ガラルドの国章が捺された封蝋を開け、手紙を取り出す手が震えた。
「陛下、俺が」
サムちゃんの手に手紙を託す。優しい声が残酷な文面を感情少なく読み上げた。
「『明後日、王城を攻め落とす。我が国と貴国は戦力が違いすぎる。降伏の意志あらば攻め入るまでに示せ。……ガラルド国王相談役、アルアより』」
***
一人城を出た俺は、夜中に馬を駆って北へ北へ。サムちゃんが差し向けた追手はすぐに闇に紛れて見えなくなった。こんな寒い夜中に仕事させてごめんな。
次の日の昼まで馬を数刻休ませる以外は眠らず走り続けて、深々と雪の降り積もるガラルドの領地に入る。
「国境通行手形を見せろ」
ローザとは似て非なる言語で国境を守る兵に問われた。ガラルドの言葉だ。
「通行手形はない。俺の名はアルア、第十六代ローザ国王の側近だ。ガラルドの王に会いにきた」
剣をベルトから引き抜き、柄に彫られた国章を見せる。兵がばたばたと上官に相談に行った後、俺は無事王城に案内された。
でっかい城。でも立地は良くないな。塀は高いけれど四方どこからでも攻め入れる。それに、寒さが厳しいからだろうけど無骨な感じも好きじゃない。うちの城の方が白いし綺麗だし。
ついつい他所の城の粗探しばかりしながら部屋の中に通される。
「何の用だ、ローザの側近殿」
「アルアです」
ついいつもの調子で食い気味に名乗ってから、おっと、と誤魔化し笑いを浮かべた。玉座に座った厳格そうな老人はそれでも俺に名乗り返してくれる。
「ガラルド国王のセザールだ」
どうやらいきなり国王に謁見させてもらえたらしい。話が早くて助かる。
「あなたが我が国に攻め入ろうとしているとの情報を得て、調停を結びに来ました。要求さえ通れば、あなたとて無駄に民の命を落としたくはないはずです」
「そなた器用にガラルドの言葉を使いこなすな」
国王は鋭い目を少し見張った。
「ありがとうございます、まだまだ勉強中の身です。それで、何がお望みですか」
ガラルドの国土は広いが土地が貧しい。狭くても鉱山資源が豊富で作物の実りやすい気候にも恵まれたローザとは真逆をいく。炭鉱を狙っていたくらいだ、大方その辺りだろうと要求には目星を付けていた。
国王はふん、と鼻で俺を笑う。そして長々と要求するものを述べた。石炭の破格での継続的な輸出に、大量の作物・工芸品の献上、そして王家に姫が生まれた場合ガラルドに嫁がせること。
「……で、そちらからの見返りは」
「そんなものはない。ローザとガラルドは力の上で対等じゃないんだ、当然だろう」
見えないように拳を握りしめた。それじゃ戦争に負けて植民地にされるのと変わらない。
「戦争をすればこちらが勝って全て手に入るんだ。それ以下の条件を飲むと思うか? そちらが折れてくれるならもちろん助かるんだがな」
どうする。どうするどうするどうする。
なんとか戦争が始まらないよう交渉できないかと思って、一人ここに来ることを選んだ。
時間はなかったし反対されても俺以外に適任もいないと思ったから、誰に相談することもなく。俺なら自分の裁量で動いても陛下の意に沿わないようなことにはならない自信があったから。でも、戦をしなくとも全て奪われるような条件、飲むかどうかなんて俺に決定権はない。
「私も忙しい身だからな。早く決めろ。わずかな可能性に民の命を懸けて戦ってみるのか、今ここで折れて我が国の支配下に下るのか。犠牲の数以外、結果は同じだがな。戦うならお前も敵だ、さっさと首を取りそれを送りつけて宣戦布告としよう」
国王がコツコツと肘掛けを叩く。高速で頭の中を思考が駆け巡った。何が悪かったんだろうな。どこで間違えたんだろう。前陛下が突然亡くなったときから、こうなることは決まっていたのかな。
自分がどうすべきなのか必死で考えているはずなのに、次々と蘇ってくるのはたくさんの思い出だった。それはまるで走馬灯のように。
『あるあー!』
『アルアのお馬に乗るのすき』
『だからアルアと踊るのは楽しいんだね』
『アルアも一緒に寝るの……!』
『私もアルアが誇れる君主になる』
『一緒にいて……アルアが大好きだもん……』
天を仰いで目を閉じた。その目蓋の裏に現れる顔を振りきって、俺は地獄に身を堕とす。次に目を開けると、高い位置にいる国王の顔を睨め付けた。
「どうした。決めたか」
「ああ。俺にその条件を飲む権限はない。どうぞ、国が欲しけりゃ攻撃しろ」
「はっは! さっきまでの丁寧な口調はどうした。本性はそっちか。で? お前はどうするんだ。大人しく首を渡すのか?」
「物言わぬ首だけでいいの? 俺ごとくれてやる。負けるのが分かっている国よりも、勝てる方に付く方が得策だ。より犠牲を少なく攻め落とすにはどうするのがいいか、情報は喉から手が出るほど欲しいんじゃない?」
「なるほどな、裏切るのか。信用できる要素は示せるのか?」
「俺と外部との連絡手段を断てばいい。あとは俺一人くらいならいつでも煮るなり焼くなりできるだろ」
使える物は使うのが賢いと思うけど、と眉を上げて煽ってみせる。国王は余裕たっぷりに笑った。
「いいだろう、お前を引き入れよう。見ての通り、うちには優秀な側近なんていないからな。いきなりその地位を与えるのは反感も買うだろうから、相談役として置いてやる」
「ありがとうございます、――」
膝を折って忠誠を誓って、俺は呼び掛ける言葉に唇を一瞬彷徨わせた。
「――陛下」
俺の主となった玉座の男が面白そうに笑む。そうか。俺はこれから、この人を陛下として仕えていくんだ。シャルじゃない、他の人を。
口にした瞬間、胸の一部がごしゃりと擦り潰されたのを無視して立ち上がる。
「一つ、教えてほしいんだが」
「何でしょう」
手招かれ、傍に寄った。
「この歳にもなれば、こうやって話しているだけで相手がどんな人間かなんて易々と分かるもんだ。お前はすこぶる優秀だし、忠誠心も厚い。お前ほどの男が、どうして自分の保身のためだけに裏切れようか。そこが納得いかない。本当の理由は何だ」
「本当も何も! 俺は勝てないと分かったから裏切るだけですよ」
両手を広げ、大きく笑みを浮かべる。陛下はふっ、と笑った。お見通しだとばかりに。
「ローザの王は女だったな。従者が叶わない恋でもしたか」
「答える必要性を感じません」
俺は微笑む。
「ああ構わない。利己的な理由よりも、そっちの方がよっぽど信頼できるってもんだ。国を落とした暁には、お前の手で女王を処刑させてやろう」
「仰せのままに」
そして俺はその場で宣戦布告の手紙を書いた。
***
会議室は阿鼻叫喚の叫びに埋め尽くされた。私は咄嗟に言葉も出ず、サムちゃんを見つめる。彼も声を出さないまま、手紙を持った手を震わせていた。
アルアがガラルドへ? 一体何が起きているの。手紙を覗き込んで、筆跡を確認する。
ああ……間違いなく彼の字だ。お世辞にも綺麗とは言えない、元気いっぱいの字。
どうして、なんて理由を考えている暇はない。今は一刻も早く動き始めなければ、明後日には軍勢が来てしまう。
「陛下! どういうことですか。アルア殿は、陛下の使いに出られているはずでは」
大臣に詰め寄られる。まずはそこからだ。
「ええ、使いに出しています。アルアには密偵としてガラルドへ潜り込んでもらいました」
唯一事情を知るサムちゃんが息を飲んでこちらを振り返ってくるのを黙殺する。
「何だ、そういうことでしたか。てっきり内部事情を全て知る彼が裏切ったものと」
閣僚の面々は一つ大きな心配事が減ったとばかりに安堵のため息を漏らした。
本当にそうだったらどれほど良かっただろう。私だって何も分からないまま必死に話している。密偵なんて大嘘だ。アルアからの連絡は何一つない。でも、今はとにかく混乱を避けたかった。これ、嘘だってばれたら私も終わりかなあ。アルアのことだからついまた守っちゃったけれど、国賊を庇ったって思われても仕方ないよね。
「陛下?」
声を掛けられてはっとする。駄目駄目。まず一つ考え事を先送りにしたら、次だ。問題は束になって猛スピードで迫ってきている。間髪入れずに正確に対処しないと。とてもじゃないが悲しんだり傷付いたりしている余裕はない。
「宣戦布告は受けられますか。それとも、降伏を?」
「降伏は、……しません。戦いが避けられない以上は、戦わずして負けるのは間違っていると思うのですが、どうでしょう?」
後戻りのできない選択だ。会議室の面々を見渡して、反応を求めた。
「やりましょう。我々はあなたに付いていきますよ」
「なんとか活路を見出してやりましょう!」
決意を固めた顔で頷いてくれる者ばかり。真っ先に肯定してくれたのは、グランツ公とノートン侯だった。私が即位したばかりの会議で、私に真っ向から反対してきたお二方。こんなに頼もしいことがあろうか。この状況下で、嬉しいこともあるものだと自然に微笑みが浮かぶ。
「では、ローザはガラルドに立ち向かいます。予告されている戦場は王城。ガラルドから城下町まで来るのに通る経路にある全ての村に、避難命令を。一刻も早く南へ逃がしてください。詳しい方が指揮を。さあ行って」
戦争すると決めたなら、次は住民の避難と戦支度だ。住民の避難誘導を任せる人間を決め、会議の途中でももう出て行ってもらう。それでも明後日までには間に合わないかもしれないくらいだ。なるべく被害は減らしたい。
「あとは王城に戦力を集めるのがいいかと思いますが……二つの騎士団の団員全てを招集するので良いのでしょうか?」
戦支度の経験なんて全くない。グランツ公に助言を求める。
「ええ。ガラルドが総力を上げて侵攻してきたりしたら、今国境に派遣している兵力じゃ蹴散らされるだけだ。それらも全部引き上げて、城の守りを固めるのが得策でしょうな」
「ではそのように報せを。国民にも報せを出し、武器や物資も集めましょう」
各々がばたばたと会議室を出入りし始める。サムちゃんがそっと私の傍に立った。
「私、間違ってないですよね」
「それは……誰にも分かりません。もう進みはじめてしまった」
その通りだと思った。
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