六・五章、熱に浮かされる

第8話

お辞儀をして、パレードが終わった瞬間におひいは崩れ落ちた。俺も咄嗟に支えきれずに一緒に屈み込んだから、さっきまではふらふらではあってもちゃんと自分の力で立ってくれていたんだな、と思う。

「おひ……陛下! 陛下!」

腕に抱えたままの体は怖いくらい熱い。いつも通り呼びそうになって、周りに山程兵がいることに気付いて修正する。肩を叩いて呼んでも、彼女の瞳は固く閉じられ開いてはくれなかった。

「陛下! 大丈夫ですか!」

「アルア様、陛下はどうされたんですか!」

大騒ぎになって、近づいてこようとする連中をきっ、と睨んで黙らせる。八つ当たりだってのは分かっているけれど。来るな。お前らには触らせるものか。

ぐったりとした体を横抱きにして荷台から飛び降りた。

「俺が部屋までお連れする。心配はいらない。今日はお疲れさま、解散しろ」

「アルアこっち!」

人の間を縫ってこちらに駆けてくる長身が目に入った。

「サムちゃん」

彼は俺の腕の中のシャルを心配そうに見ながら、俺が大股で向かう先のドアを次々と開けては押さえていてくれる。

「びっくりしたよ。『陛下が熱出した』とだけメモを受け取ったけど、どうしたの」

医者は呼んでいるからもう少しで来ると思うし看病の用意も部屋にしてあるけど、とサムちゃんは兵に届けさせたメモ一枚で期待通りの動きをしてくれたらしい。

「ありがと。最初は熱だけだったんだと思うけど。無理して立ってて、頭痛と目眩。酔ったことないのに馬車に酔ってて気持ち悪いとかも言ってたかな。あと、途中で一回過呼吸になった」

「きついね」

聞くだけで辛そうに眉を下げたサムちゃんの言葉に、俺も眉間に皺が寄るのが分かる。どれだけ苦しかっただろう。最後は倒れるまで無理をして。

「アルア、よく途中でやめさせなかったね」

どれだけそうしたかったか。俺はじろ、とサムちゃんを睨み上げた。彼は苦笑しながら両手を上げる。

「俺にまで怒んないでよ」

ああ、八つ当たりだ。一番怒っているのは自分自身になんだから。

大勢にこんなところを見られるのはシャルが可哀想なのでなるべく人目を避けて廊下を選び、階段を上っていく。彼女一人を抱えるくらいは余裕とはいえ、流石に腕が痺れる。

「大丈夫? 替わる?」

「いい」

「そう」

サムちゃんは交代しようかと聞いてくれたけれど、断った。やだ。誰にも任せたくない。俺が聞くまで不調を言ってくれなかったんだ、シャルは俺なんて頼りないと思っているのかもしれないけどさ。

部屋にたどり着き、広いベッドにそっと彼女を寝かせる。熱い体を抱えて大急ぎで移動してきたせいで、俺はこの寒い冬に汗をかいていた。

「サムちゃん、あっち向いてて」

下ろしても全然目を開けないシャルのドレスに手を掛け、俺は手当たり次第にリボンを解いていく。

「はいはい、もう向いてるって」

サムちゃんの苦笑混じりの声を背後に聞きながら、俺は彼女を締め付けている服を緩めようと格闘した。なんつー脱がしにくい服。しかも何枚着てんだこれ。

何本リボンや紐を緩めたときか、するりとコルセットが外れ彼女がほっと安堵したような息を漏らす。

そりゃあこんなに縛っていたら元気なときでも息苦しいだろうし過呼吸にもなるわな。俺が着ている服とは訳が違う。ずるずる、と重たいドレスをひん剥いたら下着姿になってしまったので、辛いのにごめんね、と言いながらころころ向きを変えさせネグリジェに着せ替えておく。苦しげな表情が少しは落ち着いた気がした。

「お疲れさま。よく頑張ったね。ゆっくり休んでいいから」

最後に汗で髪が張り付いた額をそっと撫でる。あっつい体。無茶苦茶に苦しいね。俺が代わってやれたらどんなにいいか。

ノックの音がして、外で心配する警備の兵やメイドの対応をしてくれていたサムちゃんが戻ってくる。見られないよう、触れていた手を離した。

「アルア、お医者さん来た」

「おっけ、入ってもらっていいよ」

老齢の宮廷医が聴診と触診をして、症状などの質問には俺が代わりに答える。

「咳も鼻水もないなら風邪や病ではないのかもしれませんな。疲れか何かが原因かと。まあ心配せずとも普段はお元気な方だから、ゆっくり休めばすぐ治るでしょう」

そう言って、特に薬を出したりすることもなく医者は帰っていった。ほ、と息を吐いて、俺はシャルの額や首筋を冷やす。

「そんな死にそうな顔で見ないの。俺からしたら陛下よりアルアの方がどうにかなりそうだわ」

サムちゃんが一緒に冷たい水でタオルを絞ってくれながら言った。

「辛いのは俺じゃないよ」

「うん、でもアルアも辛いって顔してる」

「だって」

ぎりり、と拳を握りしめた。そのまま壁に叩きつけたくなるのを、彼女を起こしたくないから堪える。

「調子崩してるのになかなか気づいてやれなかった。そもそも原因が疲れだっていうなら、またスケジュール組んだ俺の責任だ。はらわた煮えくり返るほど、自分に腹が立つ」

「疲れねえ。陛下元気そうだったけどな」

「俺だってそう思ってたよ! でも実際、熱出して倒れてる!」

「たぶん疲労じゃないよ。休日もしっかり挟んでたじゃん。俺はね、陛下は知恵熱じゃないかなって思ってるんだけど」

「知恵熱?」

サムちゃんの顔を見つめ返した。

「何で? 最近公務にも慣れてきて上手くやれてんな、と思って見てたんだけど。会議の議題に悩むようなのがあったっけ?」

「違う。最初の舞踏会からだよ。俺が見る限り、陛下はそれからずっと考えてた。アルアが陛下に想いを伝えてから」

頭を殴られたような気がした。

「俺のせい?」

「ちょ、違うよ? アルア聞いて? そういうこと言いたいんじゃなくて」

サムちゃんが何か言っているけれど、半分も頭に入ってこない。そっか、俺のせいで熱を出すほど悩ませたんだ。彼女の傍で立ち尽くして動きを止めた俺に、サムちゃんはため息を吐く。

「アルア。俺、先に出ておくから。メイドにはちょっと時間を置いて来るように伝えておくし、アルアも誰かが来たら部屋を出なね」

「サムちゃん……?」

ちょうどそのタイミングで目を覚ましたシャルが、聞こえた声に反応してサムちゃんの名前を呼ぶ。俺は彼女の頬に手を添え、その視界に入るようにベッドサイドに屈み込んだ。さっきまで冷水を触っていた俺の手の冷たさに一瞬目を細めたシャルは、俺の顔を見るとふにゃん、と安心したように笑う。

「……アルア」

「うん、俺だよ」

陛下、俺は失礼しまーすとサムちゃんが適当に声を掛け、さっさと出て行った音がした。シャルの目は体温の高さでとろんと潤んでいる。視線がぼんやりと部屋のあちこちを彷徨って、自分の状況を確認したようだった。

「私の、部屋?」

「うん、そうだよ。帰ってきた」

「私、パレードの途中で駄目だったの……?」

終盤の記憶が混濁しているんだろう。民の前で倒れたのかと勘違いした彼女の目がみるみる潤む。

「違う、ちゃんと最後までやりきったよ。立派だった。倒れたのは城に入ってから。よく頑張ったね」

苦しい中、本当に頑張った。昔のようにぎゅうぎゅう抱きしめて褒めてあげたいくらいだ。ぐっと堪えて、頭を撫でてやるだけに留める。

「よかった!」

彼女はそう言ったのに、結局瞳からぼろぼろと涙をこぼした。滴が横を向いた鼻や頬を伝って、次々と枕に染み込んでいく。

「でも、悔しいなぁっ。私、ちっとも立派なんかじゃない。アルアがいなかったら全然駄目だった!」

悔しい、悔しいと彼女は号泣した。仕事が思うようにできなくて悔し泣きしたことは俺も何度もあるから、気持ちは痛いほど分かる。今日だってシャルにパレード当日最高のパフォーマンスをさせてあげられなかったことは死ぬほど悔しい。でも、まだ初めてのことばかりで一人でできなくて当たり前なんだから、俺のことは頼ってくれてもいいのにな。そう思った矢先に続いた彼女の言葉に目を剥いた。

「駄目だ、こんなんじゃ。私、早くアルアがいなくても大丈夫になろうって思ったのに」

声がさっきよりふわふわしてきていて、顔も真っ赤だ。熱のせいでうわごとのように本音が漏れているのだと分かった。

「何で?」

いなくても大丈夫って何。驚いた俺は朧げな意識につけ込んで彼女の想いを聞き出そうとする。

「だって、アルアとは結婚しちゃ駄目なんでしょ?」

「……うん」

頷くのにこんなに力がいるなんて知らなかった。

「だったら、好きじゃない人と結婚して……それでもアルアとはお仕事で傍にいようと最初は思ったの」

彼女はうとうとしながらいつもより間延びした口調で話し続けている。

「うん。俺もそうしようと思ってるよ」

「でもそしたら、アルアを一生縛り付けることになると思った。アルアは私と違っていくらでも相手を選べる状況にいるのに、きっとそうしない」

それの何が駄目なの。俺はどんな立場でもいいから一生シャルの傍にいたいと思っているのに。縛られているなんて、思っていない。

他人が聞いたら馬鹿みたいに思うかもしれないことが俺の中では平然と常識で、それを覆そうとしている彼女に動揺して言葉が出てこなくなる。

「だからね、解放しようと思ったの。アルアは責任感が強いから、私が頼りない王様だったらきっと放っておけない。だから、アルアに頼らなくても一人でできるようになって、アルアを私から解放したいって思った」

でも全然駄目だったな、と言いながら閉じた目蓋から涙が一筋流れて、すうすうと寝息が上がりはじめる。俺は呆然と手を動かして柔らかな髪を撫で続けた。

だから、今日は朝から体調が悪かったのに最初から俺に言ったりしなかったの? 王に頼られるためにある側近の役職なのに、俺が就いているせいで彼女が頼れなくて調子を崩すなら本末転倒だ。俺がいない方がシャルは楽になるってことになる。自分の考えに、ざっくざっくと胸が切り刻まれていく。

ねえシャル、死ぬほど痛ぇよ。まあシャルの傍にいられないなら俺はもう生きたって死んだってどうでもいいんだけど。でもこんなに熱を出して、息もまともにできなくなって。俺のせいでシャルの方がずっと辛い思いをしたね。彼女から手を離して立ち上がる。

もう行こう。女王の寝室に男が長居してるのを見られても良いことなんてない。ドアの方へ歩き出そうとしたら、上衣の裾がつん、と何かに引っかかったので振り向いた。

「……っ」

「アルア……?」

目を覚ました彼女が、怠いだろうに腕を伸ばして俺の裾を掴んでいた。

「どこ行くの?」

せっかく寝られたのに、俺が離れる気配で起きたの? 潤んだ瞳が、今度はしっかりと俺に焦点を合わせて見上げてくるから寝言じゃないと分かる。そして、彼女はまたしてもぽろぽろ泣いた。

「えええん! 私、駄目だぁ。やっぱり、アルアに離れてほしいなんて言ってあげられない! 行っちゃやだあ!」

さっきとは真逆のことを言いながら、彼女がひんひん悲しげにしゃくり上げる。また泣くぅ。目ぇ溶けちゃうよ。

俺はまたふらりとベッドサイドに戻った。流れる滴を指ですくう。昔はおひいを泣き止ませるのは俺が王国一うまかったのにな。今じゃきっと、俺が王国一泣かせてるね。

「俺に、傍にいてほしいの?」

「うん。ごめんなさい、離してあげられなくてごめんなさぁい……!」

そんなことで謝んないでよ。シャルがこんなに苦しいのに、今ちょっとでも嬉しいと思っている俺の方が最低なんだから。

彼女の口から紡がれる正反対の思い。俺が何年もかけても結論を出せていないそれらを急に突きつけられて、しかも周りには決断を急かされたら知恵熱だって出て当然だ。

この世で誰よりも幸せにしてやりたいのに、俺が彼女を苦しめる。どうすりゃいいんだよ。

左手でぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き回す。右手は彼女にぎゅう、と握られていた。

「お願い、今だけ一緒にいて。アルアが大好きだもん……」

「分かった、分かったから」

もう寝な、と空いている左手で彼女の視界を塞いだ。俺はその言葉には返してあげられない。シャルだって、きっとしっかり起きているときなら言わなかった。だって、それは口に出しちゃいけないんだから。

これは夢だったんだよ。熱に浮かされて見た夢。

結局メイドが来てから、熟睡している彼女を置いて俺は部屋を出た。


***


無理をしたせいか、微熱になったりしながらも完全に熱が下がるのには三日も掛かってしまい、その間、私にしかできない仕事以外はアルアとサムちゃんが報告を受けて処理してくれているとメイド達から聞いていた。私は部屋を出ることを許されなかったし、万一にも流行り病だったら困るからというので会う人間もメイド達数人に制限されていたので、それ以外の人たちに会うのは今日が久しぶりだ。

少しだけ緊張しながら公務のための服に着替え、髪を結い上げる。ゆっくり休んでほしいからと優秀な側近たちは一切私に仕事の話を持ってこなかったので、問題はないのだろうけれどいろいろとどうなっているかも気になる。まず会ったら、迷惑を掛けたことをいっぱい謝らないと。

「おはようございます!」

ドアを開けた先、いたのはサムちゃんだけだった。

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