六章、凱旋パレード

第7話

昼間は会議や領主たちとの謁見、夜には舞踏会。ようやく王子たちを一旦帰したと思っても、今度は一人ずつお招きしてお見合いの茶会。普段の公務と並行して、女王の相手選びも急ピッチで進められていた。とはいえ数日おきに丸一日休息する日も挟まれていて、アルアのスケジュール管理能力に舌を巻く。

「陛下、体調は平気? 疲れてない? もう絶対に同じ失敗はしないから、きつくなったら言ってね」

彼はそう言って毎日のように聞いてきた。即位してすぐのとき、過密スケジュールで私があっぷあっぷになったもんね。公務での緊張や罵倒だってある程度は慣れたから、今はあのときほど気は張らないし疲れないのに。アルアは反省を活かしているらしい。

だから、これは彼のせいではない。ただ私の管理不足だ。仕事に慣れたし休日もあるから体は充分に休めているはずなのに、四六時中考え続けてしまって心が休まらなかった。初めてアルアを好きだと自覚してからというもの、好きで好きでしょうがない気持ちと好きになってはいけない人だから諦めようという気持ちの間で格闘し続けている。

今日は会議で決まってから準備してきた凱旋パレードの日。即位してすぐに城のバルコニーから挨拶はしたけれど、それが見える庭には城の人間や街の記者たちなどごく一部しか入れなかった。でも今日は馬車で城下町を練り歩くから、一般の人にもたくさん見てもらえる。新女王のお披露目という訳だ。

街の沿道には屋台が沢山出て、花やリボンで色とりどりに飾られてお祭りムード。私も書類か気難しい大臣らとばかり顔を突き合わせる普段の公務ではなく、街の人たちに会えるこの日を楽しみにしていたのだけれど。

起きた瞬間、体がすこぶる重かった。まずベッドから起き上がることが難しい。基本的に滅多に風邪も引かない健康体の私は、記憶にないような不調にただただ戸惑った。

「ん? ……うんん?」

えいこらえいこら、となんとかぷるぷる震える腕で体を起こす。立ち上がると、床がふわふわしているような心地がした。おぼつかない足取りで化粧台の前に行き、身だしなみを整えていく。てきぱき支度をしないと、起きようと思っていた時刻をだいぶ過ぎてしまっていた。

鏡に映った顔は、いつもよりぼんやりと潤んだ瞳に、うっすらと紅潮した頬。……ちょっと熱でも出たかなあ。でも普段の会議なら後日に回せても、今日のパレードはそうはいかない。町中の人が予定を合わせている。血色の悪い唇には普段より濃いめの紅を差して、腫れぼったい目蓋にはめりはりを付けて光と影を入れて。

ルミが教えてくれるお陰で私の化粧の腕も短期間でめきめき上達していて、このくらいの不調なら完全に隠せるようになってしまっていた。

「うんっ。いつも通りだ」

鏡の前でちらちらと顔を左右に振って出来栄えを確認したら、今日のために用意されていたドレスに取り掛かる。今回はいつにも増して豪奢できらびやか。布も飾りも増し増しだ。遠目に見る人にも分かりやすく威厳と美しさが伝わるようにだそう。一人では着られないので、ちりんちりんと呼び鈴を鳴らす。

「はい、おはようございます陛下ー! まあ、もうお化粧はお済みで? お手伝いいたしますね」

恰幅の良いメイド長がやってきてくれて、背中からぎゅうぎゅうとコルセットを締め上げられる。おえ、と内臓が出そう。

「どうです、陛下。苦しくはないですか?」

「っは……なんとか息できるくらいですかね……」

「それなら問題ございませんわね!」

あらそう。ウエストを絞られすぎて自分が瓢箪になったようなイメージが頭に浮かびながら、ドレス本体にも足を通していく。よいしょよいしょとメイド長の掛け声と共に身に纏えば、いくつもの宝石も縫い付けられ多量の布を使われたそれは服だというのにずしりと重い。これで一日過ごすのかあ。今日は堅苦しい書類から逃げられる楽しい日だと思っていたのだけど、思っていたより肉体的にハードな日になりそうだ。

最後に髪をくりんくりんに巻かれ、浅い呼吸をしながら立ち上がる。今日、出店の食べ物とか祝賀パーティーのご馳走も楽しみにしていたんだけど。このコルセットじゃ胃に何も入れられそうにない。例の如く私の苦手なヒールを履く。

「いざ出陣!」

「陛下? お言葉遣いが荒うございます」

「えっと、えっと……行ってまいります?」

「ぶはっ、陛下怒られてやんのー!」

ドアを開けるやいなや待ち構えていたアルアは、私がメイド長に怒られてるのを聞いて嬉しそうに吹き出した。

「アルア様は言葉遣いも笑うのも全部駄目でございます」

「あはは、すみません!」

めっ、とお母さんみたいな歳のメイド長に叱られ、アルアと顔を見合わせてくすくす笑う。小さい頃、二人でたくさんいたずらをしては彼女に怒られたのを思い出した。

「さ、そのドレス歩くの大変でしょう。馬車までお手をどうぞー」

アルアが差し出したほんのり桃色の掌に、緊張を隠して手を重ねる。王族の凱旋パレードでは普通なら女性のエスコートは夫、婚約者や兄弟の役割。父の場合もある。ところがそのどれもいない私には、アルアが傍にいてくれることになっていた。もちろん、王族ほど主張はしなくて近くに控えている程度だけれど。それでも皆に見られながら馬車に乗り込むまで、しっかりとエスコートしてくれる。

喜んじゃ駄目って分かっているけれど、この役目をアルアがやってくれて嬉しいな。なんて浮かれていたら、足首を捻って転びかけた。その瞬間にアルアがぐっ、と手に力を入れて支えになってくれて事なきを得る。

「大丈夫ですか? 陛下が背の高い靴を苦手とされているのは知ってますが、今日は気をつけなきゃ駄目ですよ。足元に集中して」

顔は微笑んだままで、私にだけ聞こえるように囁かれた。うう、叱られてしまった。

「はい、気をつけます」

「うん。……緊張してます?」

私の手が熱いのを緊張と取ったか、アルアが心配して首を傾げる。正直、頭はぼーっとするし息はしづらいし足元はぐらぐらだしで、不調を誤魔化すのに必死で緊張なんて欠片もしていない。アルアもいるんだし何があってもどうにかなる、なんてやけくそになっているくらいなのだけど、彼に悟られる訳にはいかないのでこの勘違いは好都合だった。

「大丈夫ですよ。にっこり笑って、練習通りの角度でお辞儀して、他はずっと胸の位置で手を振っていたらいいんです。難しいことはなーんにもない」

アルアはというと一生懸命に私を安心させようとしてくれていて、なんだか罪悪感が募る。いつもなら頭か背中を撫でてくれているところだけれど、人目があってそういう訳にもいかないからだろう。握った手にきゅ、きゅ、と力を入れられて、泣きそうなほど胸が痛くなった。前までなら、堪らなく安心する手だったのに。今は緊張と動悸も一緒に連れてきてしまう。

アルアに支えられながら馬車に乗り込んで、いざ出発。

「どうして馬車なんだろう。私、自分で馬に乗りたかったな」

まだ馬車から顔を出していないので他の人から見えないのを良いことに私がぼやくと、アルアは噴き出した。

「みんなびっくりしちゃいますよ、ドレスなのに大股開きで馬を駆けさせる女王様だったら」

格好良くて俺は好きですけどね、なんてさらりと言うのをやめてほしい。本当、どういうつもりなの。人の気も知らないで!

「そこはドレスを着なければいいじゃない。剣士の格好をすれば」

「勇ましい女王様だなあ」

結局、冗談で返すしかないのだ。

馬車の前で城の門が開くと、途端にわああ! と歓声。馬に歩かせたままで、幌に包まれた車から更に後ろに繋がれた荷台へと移る。屋根なし、四方に木枠だけのそこに立って、街を練り歩く間にっこり笑って手を振るのだ。

自分にそんな価値があるなんてちっとも実感が湧かないのだけれど、国民は大歓声で迎えてくれてほっとする。こんなに目立つことをして、誰も見向きもしてくれなかったら寂しいもんね。裸の王様もいいとこだ。

私がひらひらと手を振り始めると、アルアもにっこり笑って周囲を見渡していたけれど、間近にいる私には彼がその裏で静かに神経を研ぎ澄ますのが分かった。右手が小さくばいばいしてる一方で、左手がさりげなく剣に掛けられている。馬車の周りでは護衛の兵たちも併走しているけれど、アルアはこの場では私を守る最後の砦の役目も担っているからだ。

歓声を上げてくれる人間ばかりじゃなく、もしかしたら逆恨みや国の転覆を企む反逆者、もしくは隣国のスパイ、あるいは熱狂的な王家のファンが襲いかかってくる可能性もないわけではないらしい。

「ほら、ちゃんと人気者ですよ、陛下。やってよかったっしょ?」

私がずっとそんな偉そうな催しはやりたくない、と嫌がっていたのを知っていたアルアは、周囲に話しているのがばれないよう私には視線を向けないまま言った。

みんなみんな、私に手を伸ばして満面の笑みを浮かべていた。最前列にいた老齢のご婦人なんて、「こんなに大きくなられて……」と感極まって涙を流されているのが聞こえてくる。

「うん。そうだね。やってよかった」

作り笑顔じゃなくて、自然と頬が緩んだ。自分が国全体に見守られ育ててもらったことを実感する。今度は、私がみんなを護る番。

それにしても、この荷台は揺れすぎじゃないか。今まで馬車に酔ったことなんてないのに、今日の私は数分かけて通りを一本終わったところでグロッキーだった。体調が悪いせいだろうか。吐く息は熱いのに、指先だけが冷えていくような心地。コルセットがきつかったのと食欲がないのとで今朝は何も食べていないから良いものの、胸がむかむかしはじめる。

ガタガタと振動する荷台の上で、いつもより足に力が入らない私は何度もたたらを踏んだ。ヒールだから、足元も集中しないと。始まる前にアルアに言われたことを思い出して頑張るけれど、目眩で視界がぐんにゃり歪んでしまうとどうしようもない。

「……っ」

一際大きく視界が歪み、ほんの一瞬、思わず視線を落とす。

「陛下、前向いてください?」

アルアが即座に優しく囁いた。本当によく見ている。そうだ、女王が人前で俯いてちゃいけない。的確に指摘してくれるのにうなずき、ぐっと首に力を入れて前を向く。練り歩く大きな通りはあと五本。ゆっくりゆっくり進んで、パレードは二時間ほど続く。馬は落ち着いた様子で歩いてくれているし、荷台も女王が乗るとあってしっかりとした造りに見えるから、やはりこんなに簡単に酔ってしまうのは体調のせいなんだろう。

熱、上がってきたかな。頭がガンガン痛む。

目を開けていられなくって、二本目の通りを進み終わって方向転換するとき、思わず重い息を吐いてまたしても少し目を伏せてしまった。

「陛下……?」

アルアの声が掛かる。その声はさっきより少し不思議そう。当然だ。つい今しがた注意されたばかりのことができなくてまたやってしまうなんて、情けないと思われて仕方ない。

悔しい。悔しい。アルアに心配を掛けないように、何事もなく終えたいのに。今日に限って体調を崩した自分に猛烈に腹が立つ。パレードが終わるまで、部屋に帰って一人になるまで体調が持ちさえすればそれでいいんだ。気力を振り絞って顔を上げ、笑顔を貼り付ける。もう金輪際目線は落とさないと決めて。

「ごめん、ちゃんと顔は上げる」

「いえ、謝らなくていいんですが。陛下いつも言われたことにはすごく気をつけて直そうとするでしょう。……どうした、体調きつい?」

私の決意を他所に、アルアの口調にはどんどん心配の色が乗った。振り返ると、もはや話しているのを隠そうとすらしていなくて私のことを凝視しているのと目が合う。

そのとき、ガタン! と馬車が大きく跳ねる。「申し訳ありません!」と御者の声が飛んだ。どうやら車輪を段差に引っ掛けたらしい。なんて理解する間にも、目眩で咄嗟に枠に掴まることができなかった私は荷台の外に放り出されそうになって、力強い腕にぐん! と引き寄せられる。

「っ! 何やってんの……」

「ごめん、ありがとう」

そう言った潤んでぼやけた視界の向こう、ただでさえ大きな彼の目がまん丸に見開かれるのが分かった。私の胴に回ったアルアの手には、当然普段よりずっと熱い体温が伝わってしまっている。ああ、ばれた。

「おひい、熱出てんの? こんなに熱かったら、自分でも気付いただろ」

アルアの口調が変わる。知らない人から見たら怖いほど真剣な眼差しで、全身をさっと眺められた。

そうやって私が小さかった頃の呼び名が出るの、心配しているときの癖なのかな。アルアの中じゃ、私はいつまでも小さくて守らなきゃいけない存在のままなのかもしれない。それが嫌で、夫婦として結ばれないならもうその役目から解放してあげたくてアルアには頼らないつもりだったのに。

ぼんやりとした頭には、次々ととりとめのない考えが浮かぶ。

「体調が悪くてもパレードは予定通り開催したかったんでしょ。何が何でもやり遂げさせてあげるから、今の症状を言って。どこが辛い?」

ばれた途端に何倍にもなって襲ってきた怠さから口も回らなくなっている私がなかなか言えずにいると、「俺には何も隠すな」とアルアが急かす。

ずるい。もうこれ以上惚れたくないのに。スイッチの入った仕事モードの彼はいつもより口調が荒くて、そんなところにさえ惹かれる。馬鹿みたいだ。きっと熱に冒されているせいに違いない。

「あっついし、寒い。頭痛い。あとは、馬車に酔った」

「酔った? 吐く?」

「朝食べてないから出す物ないしたぶん大丈夫」

「ならいいけど、吐くなら意地でも幌馬車の中でな。お披露目の日に民の前で吐いたりしたら、女王の体調不良ってことで安心させるどころか完全に逆効果だから」

「はあい……」

今日に限って体調を崩した自分を殴りたい。そんなことを思っていたら肩にばさりと上着が掛けられ、重みは増したけれど歯の根が合わないような震えが少し治まる。

「え、」

「寒いんでしょ。それならまだ熱上がんのかな……」

上着を脱いだアルアは自分が辛そうにへにゃりと眉を下げ、苦笑した。ああ、この顔は見慣れている。お兄ちゃんの顔。いつもなら頭を撫でてくれているところだろうなと思ったけれど手は伸びてこず、代わりに周りに見えないように体で隠してまた手をぎゅっと握られた。

「アルアが寒くなっちゃう」

「だーいじょうぶだから。今日は快晴だし、冬にしてはあったかいくらいだよ。上着も要らないくらい。寒いのはおひいだけだから、着ておきな」

シャツにベストと軽装のアルアが快活に言う。

「ありがと」

「ん」

肩に掛けられた上着からはアルアの香りがして、包み込まれているみたいだなんて思った。私がそうしてのんきにしている間に手元の紙に何か書きつけ、歩くみたいな速度の馬車からアルアがひらりと飛び降りる。周りを固める兵の一人にそれを渡し何かを言付けたのだろう、兵は列から離れて城に帰っていった。よっ、とアルアは走り続ける馬車を止めることなくよじ登って戻ってくる。身軽な人だ。その様子を眺めていたら、アルアは笑った。

「陛下ー? ほら、笑って笑って。そんな顔しないでください。俺はどこにも行ったりしないでちゃんと傍にいるから」

「なっ」

私は絶句する。アルアがほんの少し離れただけでそんなに不安げな顔をしていただろうか。全然駄目じゃないか。こんなんじゃアルア離れなんて夢のまた夢だ。

アルアが上着を貸してくれて一度は治まった震えはすぐまた復活してきて、胸の悪さは健在だし頭痛は鋭さを増していく。当然だ、彼にばれたとはいえ座りもせず、既に一時間半の間群衆に手を振りながら不安定な足場の上で立ち続けているのだから。それでもアルアに励まされながら四方に笑顔を振りまいていたのだけれど、練り歩く通りが残り二本になった時、私は限界を迎えた。

「……っは、はぁ……!」

「おひい?」

「もう、無理……!」

口元には笑みを貼り付けたままで、初めてそれとは真逆の弱音を呟いた私にアルアが目を見開く。氷の女王なんて言われるくらいだから表情を変えないのは得意だ。でも、もう息がまともにできない。表情が崩れるのも時間の問題だった。

「一旦中に入ろう」

すぐさまアルアが私の腰を支えて幌馬車に向かった。エスコートに見えるかもしれないけれど、私はほぼ無理矢理歩かされている状態だ。

「陛下が水分休憩取りまーす! 止まってー!」

アルアがよく通る明るい声で御者と周囲の兵に呼びかける。周囲から見えなくなって座り込んだ瞬間、次はもう立てなくなるんじゃないかと思った。ぐったり脱力しながら、息が苦しくてどんどん浅く速くなる。

「息、できな……っ」

ぜいぜい喘いでいたら、ごつごつした彼の胸に顔を押し付けられた。

「シャル。大丈夫。息はたくさん吸えてるから。過呼吸だよ。吸わないで、ゆっくり吐いて」

口元をアルアの服に押し当てられ、苦しさにぼろぼろと生理的な涙が零れ落ちる。何かに縋らずにはいられなくて、彼のシャツをぐしゃぐしゃに握った。人目がなくなって制限なく私に触れるようになった手が、震える背中を大きく摩ってくれる。

「俺に合わせて息して。ふー……って、そう、上手。よしよし、大丈夫だよ。大丈夫だから」

背を撫でられながらアルアに合わせて息を吐いて、少しずつ呼吸ができるようになっていく。怖かった。死んでしまうんじゃないかと思った。ず、と鼻をすする。

私の息が整っても、アルアはしばらく私の背をとんとんとあやすように叩いていた。狭い密閉された幌馬車の向き合った椅子の間の床、腰を下ろして投げ出されたアルアの足の間で私は彼の胸に縋り付くようにして抱えられている。とくん、とくんと耳元で聞こえる鼓動の音にひどく安心した。

「パレードはここで終わって帰ることもできるよ」

アルアがぽつりと言う。私は自分の体なのにひどく重たく感じながら身を起こし、ごしごしと涙を拭い言った。

「がんばれって、言って。そしたらがんばれるから。あとちょっとがんばれるから」

言いながらまた涙がほろ、とこぼれる。茹だるように熱い。肌も息も、涙も。

はあ……と長く息を吐いて、アルアは苦笑した。ああ、呆れられた。こんな風にいつまでも甘えてばかりだから。

悔やんで目を閉じたとき、がしがしと大きな手に頭を撫でられる。

「頑張ってるよシャルは。充分」

今のはじゃあ、もう頑張らなくていいのにってため息だったの?

「でも、シャルは最後まで頑張りたいんでしょ」

撫でていた手が後頭部に回って、離れていた私の頭をもう一度胸に引きつけた。

「がんばれ。がんばれ、シャル」

抱きしめられて、優しい声が落とされる。嬉しくて悲しくて、また涙がぼろぼろ出てアルアのベストに染み込んでいった。熱で涙腺が馬鹿になっちゃってるんだ。そうじゃなかったとしてもそういうことにしておく。

もう頑張るな、って止めないでくれるんだ。アルアはいつだって私が一番欲しい言葉をくれる。誰よりも私のことを理解している人。

「よし、お化粧直すぞ」

そうと決まればとんとん、と私の背中を叩いて離れ、アルアはごそごそと動き出す。白粉を持ってきたかと思うと、ぐったり座り込んで宙を見つめる私のお化粧をさっさ、と直していった。

「泣いちゃったからねー、ばれないようにしとこ」

その手際はとても良い。アルアがお化粧できるなんて知らない。私は驚くばかりだった。

私の視線に気付いたのかアルアは弾けるように笑う。

「おひいの役に立ちそうなことは何だって覚えようと思ってたからね。いやあ、腕を披露する日が来てよかった!」

せっかく直してくれたお化粧が崩れまいと、私は目にぐっ、と力を入れる羽目になった。

荷台に乗ってパレードが再開すると、私は立っているのもアルアに支えられてやっとで。アルアはもはや人目を憚らず私にくっつき、私の腰を片手で引き上げて無理矢理立たせてくれていた。

「ね、私、笑えてる? もう、わっかんないよ……っ」

「笑えてる、ちゃんと笑えてるから!」

見ている人達の中には、主従にしてはやたらと距離が近いなと違和感を抱く人もいるかもしれないけれど、無事パレードを終えるためにはなりふり構っていられる状況じゃない。まあ仲が良いからといって微笑ましくは思っても支持が下がったりするようなことはないだろう。倒れたり予定より早く途中で引き上げたりして民に不安を与えるよりはずっと良いとの判断からだった。

私の視界はぐるんぐるん回って、自分がどこを見ているのかどんな顔をしているのかも分からない。アルアは悪心に震える私の背中をずっと摩ってくれていた。

「大丈夫、ちゃんとできてる。おひい、あとちょっと、あとちょっとだよ!」

がんばれ、がんばれ。アルアは私に囁き励まし続けた。

終盤からは記憶もあやふやなのだけど、きっとアルアがいなかったら私はパレードが終了するまで立ってはいられなかっただろう。悔しいな。

最後に深々とお辞儀をしている間に馬車は城の門をくぐり、そのすぐ後で門が閉まる。これで、城の外の人には何も見えなくなった。頭を上げたら目の前が真っ暗になって、その後のことはよく分からない。

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