五章、恋に気づいた翌朝

第6話

恋をしていると気が付いたときって、どんな気持ちがするものなんだろうか。

私はずっと知らなかった。それでもまだ見たこともない相手を想像しては、それはそれは幸せな気持ちになるんじゃないかと予想したものだった。

果たして、その相手が現れたと思えば、見たことがないどころか生まれたときからずっと隣りにいた人だったとき。私には自覚したばかりの気持ちにまたすぐ蓋をする選択しかなかった。

私は女王だ。王家の血の流れる跡継ぎを残す義務がある。その相手として誰でもいい訳なんてなくて、国交を正常に保ち国内に平穏を与える婚姻でなくてはいけない。歴史的にも、王家なんてどこの国でも政略結婚ばかり、恋愛結婚なんて夢のまた夢というもの。側近として歴は長かろうが家としての歴史は浅いアルアは、相手としては不適切だと言われるなんて公爵や大臣たちに聞かなくても分かる。

恋ってもっともっと幸せな気持ちなんだと思っていたな。朝日を浴びて身体を起こす。現実はこんなにも胸が痛い。ずきずきと脈打つように苦しくて、何かの病気になってしまったんじゃないかと思うほど。

幸せな夢は、今日の零時にもう覚めた。脱ぎ散らかしていた靴を拾い、片付ける。ドレスは流石に皺が寄ってしまうので、いくら疲れていようが昨日のうちにクローゼットにしまってあった。舞踏会用ほどきらびやかではないにせよ、きちんと女王としての威厳が保たれるような華やかな公務用のドレスを着て。メイクをしたら、メイドのルミが時間ぴったりに入ってきて髪を巻き、ドレスの数々のリボンを結んでくれる。

「今朝も早起きでしたのね。ご自分でされずともお化粧もさせていただきますのに」

「いいの、自分でできることは自分でします。姫や女王だからって何でもしてもらっていたら、自分じゃ何もできなくなっちゃいそう」

「陛下はしっかり者でいらっしゃいますね。そんな自分にお厳しい陛下は下の者にはお優しくて、私達メイドはあなたが大好きでおりますのよ」

そんなことを言われたのは初めてで、驚いて振り返る。私より数歳上の面倒見の良い彼女は、優しく微笑んでいた。

「まあ! お顔を見て申し上げるのは恥ずかしいですわ。髪を整えられないので前を向いてくださいませ」

と再び正面を向かされる。

「陛下のことをよく知らずに『氷の女王』だなんて言う偉そうな男達がおりますけれども。私達は陛下の温かい心を昔からよく存じ上げておりますもの」

髪を丁寧に梳かす櫛が、頭を撫でられているかのようだった。

「ありがとう」

目を細めて心地良い愛情を受け入れる。姉がいたらこんな感じだろうか。

「お顔がお疲れですわね……もう少しお化粧を足しておきましょうか」

普段の公務の後に舞踏会、とご多忙ですものね。お体にお気をつけてたまにはお休みくださいませ、と言いつつ彼女は目の下の隈に白粉を足し、目元が明るく見えるよう目尻に少し橙を重ねてくれる。

「ありがとう。あなたの方がまだまだお化粧は上手ね。私も今のを覚えたわ。よければまた教えて」

「いえいえ! もっともっとお世話を焼かせてくださいな。陛下があんまり自立してらっしゃると、私達は仕事がなくて寂しいですので!」

力こぶを作って笑う彼女に笑顔がこぼれた。

「ありがとう」

あなたのお陰で元気な顔で会えそう。一つ息を吸い込んで、がちゃんとドアを開く。

「おはよう!」

準備万端で待っていたのは、いつも通りの頼れる側近二人組。サムちゃんは相変わらずたくさんの書類を抱えていて、アルアはにこにこしながらそれに絡んでいたようだったけれど私の登場に一斉にこっちを向いた。

「おはよっ! 今日もばっちりじゃん。綺麗だね!」

アルアが目をなくなるほど細め、白い歯を見せて笑う。会うやいなや凄まじい引力で視線をただ一人に吸い寄せられ、胸がどきどきと高鳴りはじめた。それを努めて無視して、私もにっこり笑みを作る。大丈夫かな、顔は強張っていないかな。

「ありがとう。ルミが頑張ってくれたからね」

「いえそんな! ほとんど陛下ご自身の手で身支度は終わっておりました!」

と部屋を綺麗にしてくれながら律儀な声が後ろからは聞こえていた。

「そっかあ、今日はルミちゃんの日だったんだ。手先が器用だし陛下のこともよく知ってるもんねえ」

アルアが納得した様子でまた笑う。またしても胸がずきんと痛んだ。他の子の名前、呼ばないで、なんて。馬鹿じゃないの私。こんなの昨日も一昨日もしたような、何でもない会話だ。

「おはようございます、陛下。謁見の間へ行きましょうか」

サムちゃんも挨拶をしてくれて、歩きはじめる。

「今日の会議は盛り上がるんだろうなー。遠征から帰ってきたダラー将軍が来るからね。あの人面白ぇんだよなあ!」

アルアがこの国名物の老将軍の大袈裟な物真似をし始めて、噴き出すように笑った。

「ちょ……っ、やめてよ! ご本人の顔を見た時に思い出すじゃない!」

「あはは!」

いつも通り、今まで通りだ。アルアはずっとこんな風に気持ちを隠していたのかな。好きな人の傍にいられるのは嬉しいし楽しい。でも、言えないし叶わないって思うのはこんなにも苦しいのに。きっと慣れない私の笑顔はアルアに比べてまだまだぎこちない。

一体いつからなんだろう。周りに気付かせない態度に感心しながら綺麗な横顔を盗み見る。

私に記憶のない頃から一緒にいるけれど、メイド達からアルアがいかに私の面倒をよく見ていたかはしょっちゅう聞かされるから知っていた。アルアがその場にいたら「ちょっと恥ずかしいからやめてよ~!」と遮られてしまうけれど、いなければ人の口に戸は立てられない。昔から城にいる者たちにとっては、幼いお転婆な私とおっかなびっくり小さい子の面倒を見るアルアは見ると癒される名コンビだったらしく、こぞって思い出話をしたがった。落馬しそうになった私の下にスライディングしたとか、私が庭の池に落ちたら自分もなりふり構わず飛び込んだとか。

いやいや小さい時の私、いろいろ落ちすぎでは。聞けば私の黒歴史明かされてしまう訳で恥ずかしい気持ちはあるけれど、それ以上にどれほど大切に守られてきたかが分かってくすぐったいような気持ちになる。だからアルアがいないときには、話してほしいとメイドや兵達によくせがんだものだった。

視線の先で、アルアがぱたぱたと動いて会議に使う大きな地図を広げている。

ああ好きだな。

何でもない仕草に、好きだという思いが込み上げる。これに蓋ができていたなんて、やっぱりアルアは超人だ。私も蓋をしようと必死で、笑顔の私たち二人の隣りでサムちゃんの笑みが今日の会議の雲行きを察していつもより堅いことには気付かなかった。

盛り上がるかもだなんて予想していた会議は、始まってみればとてもふざけられる状況なんかじゃなかった。

議題はまたしてもエレジア領の炭鉱のこと。ひと月前、隣国ガラルドが侵攻してきたと聞き、管轄している武勲に長けたグランツ公に、守りを固めるべく兵を送らせた後についての報告だった。

グランツ公の腹心、顎髭の立派な筋骨隆々ダラー将軍が鎧をがちゃがちゃ言わせながらよく通る声で上申してくる。会議なんだから鎧は脱げばいいのにな。名物ダラー将軍はいかなる時も鎧を脱がないことでも有名だ。

「陛下に恐れながら申し上げる。このひと月! 我らは力を尽くして炭鉱の守りを固め、国境を見張ってはガラルドを牽制して参りましたが、奴らのちょっかいは収まるどころか勢いを増すばかり。このままの策を続けていたのでは、いずれ我が国ローザの国力を舐めた連中に炭鉱を奪われるのを皮切りに国ごと植民地にされるのも時間の問題」

ダラー将軍の言葉に会議室はざわめいた。好戦派と穏健派に分かれ、各々が口々に主張を始める。普段は挙手して一人ずつ意見を言ってくれているのに、今回の議題に熱くなり過ぎているらしい。これでは収集がつかない。

しばらくは耳に入ってくる意見を聞きつつ自分の考える時間にしていたけれど、考えをまとめ終わっても一向に静まる気配がなかったので私は立ち上がった。

「みんな、」

「静かに!!!」

バンバン、と机を叩いて声を張り上げる。高い天井の会議室に私の声はわんわんと木霊して、場は一気に静まりかえった。ちょうど助け舟を出そうとしていたらしいアルアに被ったらしく、椅子に座り直しているのが横目に見える。

大丈夫だよ。もうこれくらいは私一人で収められるから。だから安心して、もっと離れてもいいんだよ。

私は重役の面々を見渡し、言いつけた。

「我が国が見くびられ、攻め込まれて植民地にされる恐れがあるというお話でしたね。けれどそれはこちらから攻め入っても、戦争が始まるという点では同じではないですか? そして負ければやはり植民地にされる。

大国ガラルドと、まともにやり合うのは得策ではありません。より一層守りを固め、ガラルドから突如として攻め落とされるということのないよう、斥候によって情報収集の徹底を。相手の動向を決して見逃さないようにしてください」

それとも他に意見のある方は? と渋い顔や頷く顔を一人一人見る。異議を唱える者はいなかった。

「私は王になり日が浅いです。反対意見があったって当然ですし、恐れず言ってくださっていいのですよ」

そう言うと、大臣がおずおずと手を挙げる。

「陛下の策より他に、今のところ妙案はないかと存じます。ただ、それに加えて他にもできることがあると思いますので余計なお世話ではありますが一つよろしいですか」

「もちろん」

「今、ガラルドに我が国の国力が落ちたと見られているのは国王の交代があったからです。これは仕方のないこと。ああ誤解のなきよう、陛下に落ち度はございません。うまくやってらっしゃろうが、若い女性だというだけで見くびられるのは事実。そもそも王の交代直後というのはどんな名君であれ国が不安定になるとされているのが常識です」

「どうかそれほどお気になさらず。私の力不足で国が安定していないのはよく分かっています。それで、他にやるべきことというのは?」

「要は国力が上がる、民の気持ちが安定することをすれば良いのです」

「なるほど。絶対に飢饉を起こさず、食料事情や経済を安定させるといったところですか?」

「それも大切ですが、陛下や王家は国民の希望の象徴ですから。陛下が希望を与えてくださるのも大変に効果があるのですよ。例えばすぐできるところでいえば、凱旋パレードを開いたり。もっとお祭り騒ぎで国が明るくなることでいえば、陛下のご結婚、更にはお子様の誕生」

ああ……そこへ繋がるのか。

眼前が暗くなる私をよそに、大臣の言葉を聞いた面々は良いことを言った、と一気に盛り上がった。

「なるほどそうだ、その手がある。周囲の国と婚姻によって結び付きを強めれば、ガラルドも早々手を出せなくなる同盟を結ぶことだって可能だ」

というのが多数の意見だった。

そうか。私の年齢が若いからまだまだ先延ばしにして考えても良いのかと思っていたけれど、思ったより猶予なんてものは許されていないらしい。

アルアと離されるのは何より辛い。だから、女王と側近のままでいようと昨日は思った。結婚したからって側近を変えられるなんてきまりはないから、そうすれば一緒にいられる。好きな相手との結婚じゃなかったとしても、好きな人の傍にい続けることはできる。でもそう割りきってアルアの目の前で別の相手と結婚生活を送るには自覚すらしたばかりで踏ん切りがつかないから、もう少しゆっくり心の整理をしようと思っていたのに。

私は微笑んだ。

「分かりました。私に関する報せで民が明るくなるなら。私にできることをいたしましょう」

会議はこれでお終い。夜にはまた舞踏会だ。遠方から招いている王子たちは泊まり込みのため、彼らの滞在中は連日催される。ひとしきり顔を合わせたら早めに国へ帰さなければいけないため、このスケジュールは当然だった。

昨日とは違う、薄桃色の小花の刺繍が散りばめられたドレスに着替えて。当然まだ治っていない靴擦れに足を痛めながら、またヒールを履く。自室を出ると、広間までエスコートしようと待っていたアルアがぱあ、と顔を輝かせた。

「すーっごく可愛い! 昨日とはまた雰囲気違うね! お花の妖精さんみたいだ」

でも、踊ってはくれないんでしょう。

悲しんでいたら足が痛くて階段で滑り落ちそうになって、力強い腕にがっ、と掴まれ

「っぶな……」

痛いほどの力で私の腕を掴んでその場に留まらせ、見たことないくらい真剣な顔をしていたアルアは、一瞬でまた笑顔になって私の顔を覗き込んだ。

「セーーフ! 大丈夫?」

「アルアのおかげで大丈夫。びっくりしたぁ。ありがとう!」

「いえいえ、どういたしまして」

本当は大丈夫じゃない。掴まれた腕から熱が広がって体中がどんどん熱くなる。落ちそうになったからだけじゃなく、どきどきと動悸が治まらない。胸が痛い。悲しい。その頼もしい腕に縋り付きたいのに、今から離れて彼の目の前で別の人と踊るんだ。

心が抉られるとはこのことだ。

広間に着くとアルアはまた昨日と同じように笑顔で私を中央へ送り出す。

「それじゃ、頑張ってね」

なんて。この、鬼。悪魔。

アルアが悪いんじゃないのに、あんまり平然として見えるので腹が立ってきて心の中で罵った。昨日、『俺だけのもんになればいいのに』なんて言われたのは夢だったんじゃないかと思えてくる。アルアの方をなるべく見ないようにして王子たちと会話をし、ダンスを踊った。それなのに、いつもよりもずっと目が合うのはどういうことなの。

だって、だって! 目が勝手に追いかけてしまう。広間はこんなにも人でひしめき合っているのに、踊りで何度回転したって、何度会話をしながら広間内を移動したって、ものの数秒でその姿を見つけられてしまうのだ。恋をした途端、自分には特殊能力が開花してしまったらしい。

背が高い訳じゃないから招待客たちの間で埋もれてもおかしくないのに、ぱっと惹かれる姿勢の良い背中。毛先の跳ねた、ふわふわの髪。身振り手振りが大きくて、声が聞こえなくても全力で楽しんでいそうなのが伝わる仕草。

見ないようにと思えば思うほど目が追ってしまう。そしてその度に、必ずと言っていいほどすぐに彼自身とも目が合うのだった。

ぱちん、と火花が散るようにして視線がかち合って、するとアルアは安心させるように優しく微笑んでくれる。ウィンクしてくれるときもあった。

私のことも、ずっと見られている。そりゃあアルアはそれが仕事だから。私が困っていたらいつでも助けられるようにするために。そう自分に言い聞かせても、どうしても嬉しくなってしまう。

こんなのますます好きにならない方が不可能だ。今まで近くにいて、どうやって平気でいられたのかもう分からないよ。

国の命運が懸かっているのだからとなんとか王子の顔を覚えつつ、私は会議と舞踏会、お見合いを繰り返していった。

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