四章、お相手探しの舞踏会
第4話
高い天井に輝くシャンデリア。音楽隊が奏でる優雅な調べ。長いテーブルに所狭しと並べられたワインとご馳走。
舞踏会の幕開けと来場者へのお礼の挨拶を言い終えた私は、玉座に沈み込む。駄目だ、顔はしゃんと上げていないと。首の筋肉にわざわざ力を入れて顔を上げ、広間を見渡す。最近は表情が明るくなった、といわれることも増えていたのに、今夜の私の顔には氷の仮面が張り付いていた。
贅を尽くした会場。上質な布を纏ってにこやかに微笑む人々。女王が結婚相手を探す場としては申し分ないはずだ。それなのにどうして不服そうにしているのか。大臣たちは壁際で今頃不思議に思っているかもしれない。
私にだって分からないよ。自分がどうすべきなのか、どうしたいのか。
膝の上でドレスを握る。淡い水色の、光沢のある布がたっぷりと使われ、上品な裾の広がり方をするドレス。婚約者選びのために、と新しく作られたそれを着るのは今日が初めてだった。舞踏会が始まる前、どうかな、と一番にアルアに見せたときのことを思い出す。
『うん! かっわいい~! シャルはどこのお姫さまよりも可愛いし、きっとどこの王子さまにも一番に気に入られるよ!』
そう手放しで褒めてくれたのに、それから私の気分はなぜか沈んでいた。アルアの言葉の何が気に障ったのか、なんて言ってほしかったのかは自分でも分からないから、余計に苛々もやもやする。
そのアルアは不機嫌な私に気付いているのかいないのか、傍に立ってずっとにこにこと社交的な笑みを浮かべていた。人々も渾名に納得の、まさに氷の女王と太陽の側近といった状態。
大臣が私に囁いてくる。
「あちらが隣国アズールの第二王子。向こうのお方がヴィオレットの第三王子ですね。それから……」
どの殿方も女王の夫になるのにふさわしい、我が国ローザと親交のある近隣諸国の王族ばかり。もちろん国内の名家の子息を夫にしても良いのだけれど、やはり女王の夫を輩出したとなるとその家の力が強くなりすぎて、貴族間の権力情勢が偏ってしまう。そうならないためにも、大臣たちが勧めるのは外国の第二王子たちだった。第一王子はその国で王の跡を継ぐからだ。結婚を機に外国との結びつきも強められて、それが一番良い政略結婚というわけ。
「ありがとうございます、分かりました。あとは自分で考えます」
そう伝えて大臣を下がらせる。昔から、必ずしも恋愛結婚ができると思っていたわけじゃない。しかし父が生きていた頃は私の好きにしていいと言ってくれていたので、三年前に社交界デビューしても舞踏会はあまり好きになれなくてろくに参加してこなかった。
父自身は母をとても愛していた。母は国内の公爵家の出だ。体が弱くて長い間子どもにも恵まれず、ようやく私が生まれたかと思うと産後の肥立ちが悪くてそのまま亡くなってしまったのだという。だから私には母の記憶はないのだけれど、母の死後に悲嘆に暮れ、後妻を娶ることもなかった両親のような夫婦像にはぼんやりと憧れを抱いていて。
だけど今すぐに明確に決めた相手がいる訳でもないのなら、選ぶ姿勢くらいは見せなければならない。王家を存続させ、国民を安心させることも私の仕事の一つだから。
すとん、と玉座から立ち上がり、広間に進み出る。アルアの方は見なかったけれど、一瞬私に付いてきかけて空気を読んで下がったのが分かった。こっそりと唇を噛む。
下を見るな。
自分を叱咤して、華奢な靴に包まれた足を進めた。即座に私の前に跪く男がいる。向こうにも嫌々来ている人はいるかもしれないけれど、大抵は虎視眈々と女王の夫の座を狙っているものばかりだろう。姫の夫、というだけならまだ将来王になれるかなんて分からない。しかし、女王の夫ならばすぐさま国のトップの座に着けるのが確定している。私の中身は何も変わらないのに、社交界での私の価値は跳ね上がっていた。
「ベルデの第二王子、ショーンと申します。私と一曲踊っていただけませんか、シャーロット様」
恭しく差し出された手を取る。ショーン様はほっとしたように微笑んだ。三十代くらいだろうか。王子とはいえ私よりも随分と歳上だ。まあ私が王として若すぎるのだけれど。話は合うだろうか。ダンスのリードは淀みない。でもこの場に招待されているような王族は、皆幼い頃から英才教育で踊りくらいは叩き込まれている者ばかりだろう。比較にならない。
ダンスしながら何を見ればいいんだっけ。ダンスって何のためにするんだっけ。
『俺がダンスする意味教えてあげる』
ずっとずっと昔。やる意味が見出せないダンスのレッスンを投げ出した私にそう言った人がいたのを思い出す。
『ダンスはねえ、好きな人、相性の良い人を見つけるために踊んの。誰と踊ったら楽しいか、誰と踊ったらドキドキするか』
泣きたいような気持ちになりながら、ステップを踏んだ。握られた手から、緊張した様子で少し汗ばんだ相手の体温が伝わる。柔らかい掌。この人は剣を握ったりしないだろうなと思った。逆に相手には「何でこの女は王族のくせに掌にまめがあるんだ」と思われているかもしれない。
長く長く感じた一曲がようやく終わる。なんとか口の端を吊り上げて、お礼を言ってお辞儀した。
「次は私と」
またしても請われて別の相手と踊り始める。この調子で次々来られたら、私は今夜の相手だけでも顔と名前を覚えていられるだろうか。
今度の相手は年齢は近かったけれど、なぜか踊っている間中質問責めにしてくる男だった。それも「我が国との貿易内容についてどう思うか」だの、「ガラルドの侵攻に対抗するためには諸国で同盟を結ぶべきだと思わないか」だの、政治の問題ばかり。私は舞踏会とかこういう場には慣れてないけれど、それでも絶対今ここでする話じゃない。
幸いというべきか最悪というべきか分からないけれど、私が答えに詰まるような質問はなく、その場でさらりと躱せてしまえる問いばかりだった。そもそも、私の答えに対して相手がそれ以上突っ込んでこない。曖昧な返事をしたかと思うと次の話題へ移る。それを聞く意味はあったのかと疑問に思うくらいだ。なんとなくだけれど、相手は王になったばかりの私以上に知識が薄いように感じた。私が恥をかかないように今まで教育してくれたアルアや、王になってから叩き上げてくれているサムちゃんには改めて感謝である。けれど相手に関しては、歳上だというのに伴侶にするには何とも頼りない話だ。
ずっと質問責めに遭いつづけた一曲もようやく終わり、また次が始まる。一体この地獄はいつまで続くの。やっぱりこれで相性の良い人が見つかるなんて嘘なんじゃないか。そろそろ足も痛い。
次の人は打って変わってとても静かな人。私とは最初から目も合わないし、何をしにきたんだろう。私と一緒で国の人間に無理矢理にでも来させられたかな。身に染み付いたダンスを踊っているだけで退屈なので、周りを見る余裕が出る。そして見なきゃよかったと後悔した。アルアが知り合いと思しき令嬢と楽しそうに話しているのが目に入る。
女王の相手選びの場とはいえ、舞踏会にいる女は私だけじゃない。余っている王族、それに付いてくる側近を相手にできるよう、我が国の貴族の令嬢たちも数多く招待されている。アルアも適齢期だ。紛れもなく令嬢たちのお相手の対象範囲である。一度見てしまうと気になってしょうがなく、相手の肩越しに彼ばかり目で追ってしまった。相手に失礼だけど、向こうも私を見ていないからお互い様だろう。次から次へと、私に誘いが来るのと同じくらいアルアにもよく人が寄ってくる。
こうしてアルアと同じ舞踏会に出席するのは初めてだった。ダンスが上手いのは知ってる。相手を楽しませるのが大好きだし話も面白い。表情もいつもにこにこした顔が目を引く。そして二代揃って王家の側近を務める立場としても好物件だ。なるほど、社交界デビューしてからどの程度こういった場に参加してきたかなんて知らないけれど、アルアは相当モテる部類に入るんじゃないだろうか。
そもそも女性には男性側から誘いをかけるのがマナーになっているから、待つスタイルの令嬢だって多い。それでも、話しかけやすそうとはいえアルアにはひっきりなしに令嬢側から声をかけにやってきている。近くにいるサムちゃんも同様だけれど、二人してめちゃくちゃに人気があるのだと確信した。それこそよく今まで決まった相手がいなかったな、と思うくらいに。
じっと見ていたけれど、アルアはお喋りはしても踊りの誘いは丁重に断っているようだった。身振りを見ている限りだと、「仕事中だから」とかなんとか。私の付き添いで来ているからだろう。「別に踊ってもいいのに」と言ってあげたいのに、踊らなくてほっとしている自分がいる。
本当、帰りたい。足が痛いや。
知らない間にさっきの相手とのダンスは終わり、次の相手に代わっていた。まずい、いよいよ相手の名乗った口上さえ頭に残ってない。まあ今夜私と踊った相手は大臣がピックアップしているだろう。
日付けが変わる少し前、ようやく舞踏会はお開きになった。終会の挨拶を告げ、さっと私室に引き上げる。送ってくれようとしたサムちゃんとアルアにも今日はここでいい、と帰らせ、パタンとドアを閉める。
ぼろぼろぼろ、と俯いた顔から涙がこぼれた。ずっと堪えていたから、一人になった途端止まらない。
嫌だった。嫌だった。嫌だった。
ぐるぐると頭の中で子供のような駄々が繰り返される。
嫌だった。でもどうしようもない。そもそも自分がどうしたいのか分からない。それでも舞踏会は嫌だ。他の人と踊るのは嫌。
なら、誰となら踊りたいの。
ヒールの高いパンプスをはしたなく脱ぎ捨てる。血の滲んだ足が目に入って、ずきんと痛んだ。後から後から涙が溢れてきて、鼻の奥が痛い。一歩も動く気になれなくて、私は部屋を入ってすぐのところで立ち尽くしたまま泣いた。
コンコン。
泣くのに必死で、窓が鳴っているのにもすぐには気付かなかった。
コンコン。
繰り返しガラスが控えめに叩かれる音がして、私は顔を上げる。何だろう。ここは四階だぞ。鳥?
メイクが落ちてぐっしゃぐしゃだろう顔のままで、ふらふらと近付いた。部屋に帰ってきたのに落ち着いて泣かせてももらえない。
舞踏会をお開きにした後なんだから、時刻は深夜。真っ暗なはずの外から窓を叩いてくる存在を、不審に思わない訳ではなかった。それでも私に危害を加えたい輩なら、窓をノックしたりしないでとっくにガラス割って入ってきているだろうし。自暴自棄なのも少しはあっただろう。
心の向く先を好きにできないなら、もう体とか地位とかどうだっていい。
アルアに知られたら叱られそうなことを考えながら近付いた窓で、ガラスの向こうにいたのはそのアルアだった。さっきまで着ていたいつもより豪奢な正装のままで窓枠に屈み込んでポーズを決めていたかと思うと、にっと笑って
「開けて~」
なんて言う。ぽかんとしながら言われるままに、彼を落とさないようにしながら外開きの窓を開けた。冷たい風が吹き込んできて涙を乾かしていく。
「入れて~」
「……どうぞ」
ここまで来て私が入れないとでも思っているんだろうか。そんな鬼じゃない。
「私が着替えてたりとかしてたらどうすんのよ」
「え? 今更じゃん。……あいたっ」
それはどつかれても仕方ないと思え。
「えへ、怒んないで。冗談だって。……今頃着替えてんじゃなくて、泣いてるだろうなって思ったんだよ」
へにゃへにゃ笑っていた顔が、急に真剣になる。冷たい掌が、涙の跡でいっぱいの私の頬に添えられた。
「手、冷たい。どっから来たの」
その温度に思わずびく、と首を竦めてから、少しでも体温を分けたくてその手に自分の手を重ねる。アルアは冷たい風のせいで頬を赤く染めているのに、何でもないように笑った。
「木に登ってー、屋根とか窓枠とか伝ってきた」
「危ないよ」
「へーきへーき。今日はねえ、流石にシャルの部屋の前の兵も警備が厳しいから堂々とは行けなくって」
舞踏会が開かれた今夜、多くの賓客たちは城の中に泊まる。そんなときに、未婚の女王の部屋を夜間に訪れる者がいれば大問題である。女王の部屋の警備なんていつも厳重であれ、と思わなくもないけれど、アルアがいつも通りに来られなかった理由は分かった。
私自身も理由をうまく説明できないのに、どうしてアルアは私が泣いているって分かったんだろう。アルアには何でもお見通しだ。
私の頬と手に挟まれて少しずつ温かくなってきた掌。長い親指が動いて私の目尻を拭う。いつも通り口角は上がったまま、でも眉の下がった悲しい笑顔で、アルアはとびきり優しい視線を私に向けていた。
とくん、とくん、と。静かな部屋に自分の鼓動が聞こえる気がする。
「ねえ、シャル」
アルアが真剣な声色で私を呼んだ。
「なあに」
と続く言葉に怯えながらも尋ねる。
すとん、と。アルアは美しい所作で私の前に跪いた。突然見下ろす形になった後頭部を驚いて見つめていると、ゆっくりと顔が上がり、指が綺麗な掌が私に向けて差し出される。
「俺と一曲踊っていただけませんか」
迷いなく掌を重ねると、アルアは機敏に立ち上がってその手を引いた。彼がさっと私の部屋にある蓄音器のスイッチを入れると、曲なんて何でもよかったけれど丁度流れたのはワルツの練習に何度も使った曲。昨日復習するために一人で流していたからだ。その音を聞いたアルアは私の方を見て、にっこり笑うと優雅にステップを踏み始めた。
一・二・三、一・二・三。
ゆったりとした、ワルツの基本のダンス。さっきまでも、次々相手を変えながら全く同じことをしていた。していたじゃないか。
なのに、こんなのおかしい。
アルアと一緒に右へ左へ踏み出すだけで、運動量以上に鼓動がどくどくと速まる。握った掌がどんどん熱くなる。手汗、アルアは嫌じゃないかな。いつも一緒にいるはずなのに、なんだか緊張する。
焦ってぱっと彼を見上げれば、綺麗な顔は私の間近で心底嬉しそうに微笑んでいた。心臓がうるさすぎて、音楽までもが耳から遠い。
またしても思い出すのは、アルアが私に踊る意味を教えたときの言葉だった。
『ダンスはねえ、好きな人、相性の良い人を見つけるために踊んの。誰と踊ったら楽しいか、誰と踊ったらドキドキするか』
「っへへ、楽しいねえ。久しぶりにあれやるか!」
そう言ったかと思うと、アルアに片手を離されくるっと体を一回転させられる。
「あはは!」
あんなに泣いていたはずなのに、その証拠に睫毛だってまだびちょびちょなのに、声を上げ笑みが溢れた。
「上手上手ぅ! うまくなったねえ!」
アルアも笑う。視界の端に、脱ぎ捨てた靴が目に入った。
「あ、私、裸足……」
「いいじゃん別に。俺の前では何も繕わなくてもありのままで」
長い毛足のふかふかの絨毯に包まれる素足は、血さえ滲んでいたはずなのに痛みなんて感じなくて、さっきまでよりずっと軽い。ヒールも見栄も脱ぎ捨てて、そのままの私がアルアの前で踊る。彼は言葉通りちっともはしたないなんて思っている様子はなくて、ただただ愛おしそうに私を抱えて回った。
「俺が昔、ダンスする意味を教えたの覚えてる?」
アルアが私と同じことを思い出したのか、唐突に囁く。目が合うたびに自然とこぼれる笑み。とくんとくんとずっと速い鼓動。
「好きな人を、見つけるため……」
今になったら分かる。舞踏会がどれほど無駄だったか。
剣を握って、手のひらに固いまめがあるのは誰の手? きっちり頭に入れた知識で私を支えてくれるのは誰? 探せば瞬時に目が合うほど、いつだって私を見てくれるのは誰?
舞踏会の間中、自分が無意識に誰と比べていたのかを思い知る。またじんわりと涙が滲みそうになって、唇を噛み締めた。アルアはそんな私を見て微笑む。
「そう。よくできました。そんでもう一つ。好きな人と、愛情を確かめ合うためだよ」
背中に回された手にやんわりと力が入る。ぐっと引き寄せられ、胸と胸が触れ合うほどに近付いた。すぐ傍に、アルアの黒々とした瞳がある。私が見たことのない色を浮かべ、熱に冒されぐらぐらと揺れるそれは、余すことなく私を見つめていた。そこに浮かぶのは、きっと愛、熱情、情欲とか呼ばれるもの。
その言葉を、その視線を。私はどう受け取ればいいの。だって、アルアとは。
どうしたらいいのか分かんないよ。
胸が苦しくなって、アルアの腕に縋り付く。彼はふっと笑って、私を楽しませようと変則的なステップを踏みくるくると一緒に回った。
「シャル、一曲だよ。ほら、楽しいね」
たった一曲の間だけなんだから、楽しいことを考えていろってこと? なんて残酷なんだろう。見上げると、アルアの目ももしかしたら潤んでいるのかいつもより多く光を反射してきらきらしていた。
分かったよ。一曲だけ、じゃあ夢を見させて。
そっと肩に頬を寄せれば、アルアは少しびくりと身動いだ後で、大事そうに抱えてくれる。どくんどくんと、彼の速い心臓の音が聞こえた。
曲なんて、永遠に終わらなければいい。
「あー、何曲でも踊っていたいなあ」
私が思うのと同時にアルアが言った。そうは言っても曲は終わる。
「「…………」」
見つめ合って、一瞬しんとした沈黙が訪れた。そしてまた次の曲が流れはじめる。それでもアルアはもう足を動かそうとはしなくて、そっと私の手を離した。びいいい、と絹を裂くように心が裂かれるイメージが頭に浮かぶ。
駄目、なんだよね。二曲目は、踊っちゃ駄目なんだ。
誰も見ていない。誰も咎めない。それでも、二曲目を踊ってしまったら何かが戻れなくなってしまうような、そんな予感がきっと二人ともにあった。
私達二人で踊るのは、一曲だけ。それは決めたことだったから。
流れ続ける場違いに華やかな音楽を止めようと、その場を離れようとする。そのとき、ぎゅ……っ、と後ろから抱きすくめられた。
「!」
私の肩と胴に回された、力強い腕。顎が私の右肩に乗せられて、吐息が耳にかかる。きっと、少しでも横を向いたら肌がぶつかってしまう。私は微動だにできず、正面を向いたまま固まった。
「ねえ……日付が変わる前に俺が言うことは、全部なしにしてくれる?」
いつも耳触りの良い綺麗な声が、震えている。
「日付が変わったら、忘れて? お願い」
何も言えない私にアルアは続けた。
一曲だけ、とか、日付が変わるまでは、とか。アルアはさっきから限定ばかりする。まるで御伽話のように、それが終われば魔法が解けてしまうみたいに。
実際そうなのかもしれない。今だけはアルアは王子様。魔法が解けたら、また側近に戻るんだ。
他人から見れば愚かに見えようと、私達は「今だけだから」と誰にともなく言い訳して、今この瞬間を繋ぎ止める。誰が見て責める訳でもないのに、きっと一番許しちゃいけないと思っているのは自分達自身だから。
私はこくん、とうなずいた。ほっとした様子のアルアが腕の力を強める。腕ごと上から押さえられて、私はどこにも行けない。身動きさえできない。
でも、それでいい。離さないで。
今、何時なんだろう。舞踏会が終わったのは夜中。日付が変わるまでなんて、きっとそんなに時間はない。
「ずっと言いたかった。今日のシャルの格好、すっげー綺麗だねって」
「最初に見せたとき、もう言ってくれたじゃない」
「違う。そうじゃない」
アルアの声が苦しさを増す。なあに。何を言おうとしているの。
「綺麗過ぎて、他の奴になんて見せたくないって思った。俺だけのもんに、なればいいのにって」
息を飲んだ。
カラーン……カラーン……。
城の鐘が鳴りはじめる。
「……っ」
心が、震えた。唇も、指先も。
舞踏会が始まる前から気分が沈んでいたのはどうしてだったのか、最初にドレスを見せたときにアルアに言われた言葉の何が気に障っていたのか、ようやく気付いた。
私、アルアだけに見せたかったんだ。『どこの王子さまにも一番に気に入られるよ』なんてアルアには言われたくなかったんだ。私自身も気付いていなかった気持ちに、きっとアルアは気付いていた。そして私が一番欲しい言葉をくれるんだ。本当は、言っちゃいけなくとも。
カラーン……カラーン……。
「思ったより早かったなあ」
アルアが苦笑した。十二回の鐘が、鳴り終わる。
『俺だけのもんになればいい』って、どういうこと。そう思っても、もう言葉の真意を聞き返すことはできない。なかったことにするって約束だから。たとえ、できるわけなくても。表面上はそうするの。
涙は不思議と出なかった。アルアの腕が緩む。振り返って、いつも通りの完璧な微笑を浮かべた彼と目が合った。
もしかして、もうずっと前からそうしていたのだろうか。ずっとずっと前から。
私の笑顔は、きっとまだぎこちない。
「アルアと久しぶりに踊るの、楽しかった」
「そうだねえ。シャルは上手になってた」
俺の教えの賜物かな! と冗談めかす。
「今日はお疲れさま。明日は休みだし。メイド長に寝坊で怒られない程度に、ゆっくり休んでね」
ひらひらと手を振ると、彼は風が吹く中をまた窓から帰っていった。力が抜けて、ぺたん、と床に座り込む。舞踏会の直後と違って、怒りや苛立ちさえ浮かんでこなかった。今度こそ、何をどうしていいのか八方塞がりだ。私の思考は完全に止まってしまった。どこにも当たる場所すらない。
アルアは一体いつからそうだった? 生まれてからずっとずっと一緒だけれど。私に忘れてほしいと願ってまで、閉じ込めていた想いを溢れさせてしまうほど。一体どれほど長い間、自分を押し殺して隣りで笑っていてくれたの。
ぎぎぎ、と絨毯を引っ掻いて拳を握り締めて、またその手を開いた。掌に爪が食い込むほど握っては拳を緩める。
苦しい。でも、どうしようもできないんだね。
女王と側近じゃなかったら、姫とお目付役じゃなかったらなんて、きっと何度も思ったことだろう。いや、あの前向き男はそうは言わないかな。女王と側近じゃなかったら出会えてなかったよ、なんて言いそう。
くすりと微笑んだ。
私も同じ道を選ぶよ。それで一緒にいられるのなら。
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