三章、お忍び視察

第3話

うん、良い天気。起きて一番に窓の外を見て、嬉しくて笑みがこぼれた。最近は天気なんて関係ないくらいずっと城内の謁見室や会議室に閉じこもっていたけれど、今日は違う。いつもみたいにフリルや宝石の付いたドレスじゃなくて、地味だけど生地が丈夫で着心地の良い服を選び支度する。パンツスタイルにブーツ、上着を着て、ベルトに剣を提げれば目立たない――いや物珍しくはあるけれど――とても女王陛下には見えない女剣士のできあがり。今日はお忍びで騎士団まで遠出だもんね。この格好が最適だろう。

「お淑やかに」が口癖のメイド長とすれ違いませんように、と祈りながら部屋のドアを開ける。

「おはようございます」

既に石壁にもたれかかって待っていたアルアが微笑んでくれた。彼もマントを羽織って既に外出スタイルだ。

「おはよう!」

今日の予定を改めて実感して声が弾む。アルアの隣りにはサムちゃんもいて、私を見て目を見開いていた。

「おはようございます、陛下……その格好は」

「おはようサムちゃん。私のお忍びスタイルです」

「ねっ。似合ってますよー」

よっ、女剣士様! と片手を口元に添えたアルアが茶化してサムちゃんに叩かれている。

「あまりに質素でびっくりしました。とても女王陛下には見えませんね」

威厳とかは……とサムちゃんは心配そうだ。

「お願い、許して? 時と場に合った服装は心掛けます。本当はずっとこれが良いけど、昨日までちゃんとしてたでしょう?」

「……変わった国王様だ」

サムちゃんはため息を吐きつつもちょっと笑ってくれた。顔つきが優しいから、笑うと素敵だ。

「今日はサムちゃんも来てくれるの?」

「俺も側近ですからね。お部屋にまでは入りませんけど。アルアだけの方が良かったですか」

厩に向かう途中でサムちゃんも外套を羽織っているのに気付いて尋ねると、アルアと私の両方にちくちくとお小言が飛んでくる。

「違う、そんなことないです。すみません。頼もしいです。ただ、今までお忍びのときってアルアだけだったから…」

「あはっ、サムちゃん拗ねてんのー? 可愛いー! 昨日はサムちゃんも心配してたくせにー!」

「ちょっ、黙って!」

サムちゃんを見上げてぴょんぴょん跳ねながら更に煽るアルアを容赦なくどつく。勘弁してくれ。怒らせたら今度机に縛り付けられて勉強させられるのは誰だと思っているんだ。

「お付きがアルアだけって……一国の王女なのに、今までが異常だったんです。アルアはできる奴だけど、陛下となると色々と危ないこともあるんで。俺も行きますよ。それでも少ないくらいだ。本当、前陛下はよくアルアだけにお目付役を任せておられた」

懐が広すぎます、とサムちゃんは遠い目をした。

「ねー! 俺も自分だったら娘をこんなぺーぺーの若造に任せらんない! 肝っ玉据わってるわ!」

アルアは自覚があったようでけらけら笑う。

「そうなんだ。ずっとそうだったし、そんなもんなんだと思ってました。アルアがいて城の外で不安に思ったこともなかったし」

「だってよ、アルア。よかったじゃん」

サムちゃんに振り向かれたアルアは目をぱちくりとさせた後、ばりばりと頭を掻いた。その掌が赤い。

「今日めーっちゃ良い日だなあ! 二人ともすげー褒めてくれんじゃん。え、この後なんかあんの?」

照れて目が無くなるくらい細めて笑ったアルアに笑いながら、自分の馬に走り寄る。

「うわああ久しぶり、ビリー! 一週間遊んであげられなくてごめんねえ!」

ビリーはちゃんと私を認識して、ぶふんぶふん、と長い顔を私に寄せてくれた。サムちゃんがまたしても驚く。

「えっ、その馬、陛下のなんです?」

「そうですよ?」

隣りではアルアが背の高い愛馬に向かって跳ねながら、「よーしよしよしよし!」とはしゃいでいた。

「てっきり陛下は馬車に乗るかアルアの馬に乗るものだと」

「馬車だと日ぃ暮れちゃうじゃん」

アルアが事もなげに言う。

「人に乗せてもらわなくとも、私、自分で乗れますし」

サムちゃんはぽかーんとした。今日は彼にとってびっくりすることばかりみたいだ。

「自分で馬に乗る王族の女性なんて本当に珍しい」

「とんだお転婆姫でびっくりするっしょー? 乗り方教えろって言われたんだけど、大変だったー!」

アルアがそのときを懐かしんでげらげら笑った。まずい。私の醜態が語られてしまう前に、と馬を引いてさっと跨がる。

「そういう訳なんで! 乗馬の腕はご安心を、サムちゃん! もう行きましょう」

「あっ! 陛下逃げたー! 待てえ!」

いつまでもふざけながらアルアがすぐに追いついてきて、サムちゃんも慌てて私達に並んだ。

馴染みの兵に挨拶し堅牢な城門をくぐり抜け、高い城壁の外へ。見上げると何にも囲まれていない真っ青な空が高く広くて、ちょっぴり冷たい風さえ心地良い。

「気持ちいいー!」

「あははっ、良かったです!」

私が叫ぶのを聞いたアルアが心から嬉しそうに笑った。三人で街道を軽快に駆け抜ける。朝も早いから人もまばらで、とても走りやすい。脇にある小麦畑で作業をしていたご婦手を振ってくれて、私も思いきり手を振り返した。

「ね、今の、女王だってバレたのかな」

「いや、その格好で馬飛ばしてんのはバレようがないでしょう。若い剣士にしか見えません。たぶんねー、陛下があんまり楽しそうだから『いってらっしゃーい』って見送ってくれたんですよ」

「あらほんと」

「うん。ふふ、まぁじで嬉しそうですもん」

今日遠出にしてよかったー、とアルアは繰り返した。

「本当に乗馬がお上手です! 片手を離す余裕まである!」

隣りに並んだサムちゃんが、蹄の音に負けないよう少し声を張って褒めてくれる。

「ありがとうございます!」

「アルアが教えたんだ、ってよく分かります。乗り方の姿勢がそっくり」

「「嘘」」

「はは、『まじ』」

二人でハモったら、サムちゃんがアルアの口真似をして肯定した。おお、サムちゃんの機嫌も上向いてきた。

「もっと早駆けもできるよー!」

「余裕!!」

しかし、私とアルアが誘うと途端にサムちゃんが顔色を悪くする。

「いや、ちょっと、これでも速いぐらいですって! 陛下、落ちたらどうするんです! 危ないから!」

「大丈夫! 落ちませんって! ほらほら」

もう一度片手を離して今度はサムちゃんに振ってみるけれど、サムちゃんはこれ以上スピードを出すのには頷いてくれなかった。

「はは、サムちゃんねー、馬に乗るの苦手なの。ちゃんと最低限は乗れるけど、速いのが駄目なんだよね」

アルアが私に囁いてくる。おや、それはそれは。完璧人間の弱点だなんて良いことを聞いた。

「陛下? 何をガッツポーズしてるんです?」

「イエ、何にも?」

サムちゃんの地を這うような声による追求を裏声でかわし、休憩を挟みつつ騎士団の基地に無事到着する。

「たーのもー!」

「その掛け声は合ってるの?」

門兵に対し大声でふざけた挨拶をかましたアルアに突っ込むと、アルアは馬上でそっくり返るほど笑った。愉快な人だ。まあそれだけふざけても許される間柄だからこそやっている訳で。口々に「アルア様!」と騎士団員が出てきて門を開けてくれる。

「いえーい! 久しぶりぃ、元気だったー?」

「皆息災で稽古に励んでおりました! さ、どうぞ中へ!」

ネージュ騎士団は我が国に二つある騎士団の一つ。そのくらいの前情報は知っていても、 基地というものの中に入るのは初めてだ。きょろきょろしながら建物の中へ通される。広い訓練場や厩を脇目に、石造りの砦の中へ。武器庫があって、武具の手入れ場があって。たくさんの兵が一度に食事を摂れる大きな広間に、二段ベッドが一台ずつ入った寝室。全てに兵たちの普段の生活が感じられる。鍛えられた肉体の男たちがわいわいと働いていて、とても活気のある場所だ、と嬉しくなった。

たどり着いたのは団長室。どんな厳しい人なんだろう。ごくりと唾を飲み込みつつ案内してくれた兵にお礼を言った。

「コンコン失礼しまーす。アルアでーす!」

アルアが口でコンコン言いながら遠慮も躊躇いもなしにドアを開け入っていく。えええええ。慌てて付いていくと、椅子から立ち上がって迎えてくれたのは鋭い目つきの思っていたよりもずっと若い男。けれどアルアを見るやいなやくしゃ、と相好が崩れて、かわいい顔になった。

「どうした、久しぶりじゃん。お前、来るなら連絡寄越せよ」

そう言いつつすごく嬉しそう。旧知の仲なんだと分かった。

「タイラー! 俺と会えなくて寂しかったー?」

「なわけないじゃん。俺らも忙しくしてんの。てかお前が一番忙しいだろ。王女様どころかとうとう陛下の側近になっちゃって。こんなとこまで来て今日は大丈夫なの」

「あ、そうそう! 紹介するね! こっちがタイラー! ネージュ騎士団の団長! 若いけどめっちゃ強いよ。俺とはこの騎士団で一緒に鍛えてた頃からの仲」

アルアが急に私に砕けた口調を使う。私の身分を隠すためだ。そっか、アルアは剣の腕を鍛えるのに一時期騎士団に所属してたんだったね。

「で、タイラー、こっちが……」

「あっ騎士見習いのシャルです! 今日は入団希望で来ました! よろしくお願いします!」

アルアはぱちくりと目を瞬いた後、すぐに察してにやりと笑った。サムちゃんは唖然としたまま。女王であることは伏せるとしても騎士見習いだなんて自分よりも低い身分として紹介するつもりはなかっただろうけれど、先手を打ってやる。私は今日は思う存分自由な身分を味わいたいのだ。

「シャル? 良い名前だね。女王陛下と同じじゃん」

「そうなんですよ」

「俺は今日はこの子の紹介で来たのー」

タイラーさんは「よろしく」と剣ダコのある大きな手で握手してくれた。頼もしい手だ。……かと思うと、彼の表情が苦笑いに変わる。

「って、騙されると思ってんのか。アルアがいるでしょ? で、サムもいる訳じゃん。この時期に陛下の側近二人に連れられて来る入団希望者なんている訳ねえだろ!」

「あは、やっぱだめぇ? 陛下が隠しておきたそうだったから嘘に乗ってみたんだけど」

「陛下の顔はしっかり拝見したことなかったから、陛下だけだったらきっとその格好に騙されてたよ。でもお前ら二人が陛下の側近って俺は知ってるからなあ」

タイラーさんはアルアとサムちゃんを見遣った。二人ともと知り合いらしい。タイラーさんが剣を床に置いて跪く。

「先程は失礼いたしました、陛下。ネージュ騎士団団長の、タイラーです」

「こちらこそ騙すような真似をして申し訳ありません。お顔を上げてください」

ああ、残念だ。私は唇が尖るのを自覚した。こうやって態度が変わるのが嫌だから、一番下っ端の騎士見習いとして接してもらおうと思ったのにな。

「本日は基地の視察にいらっしゃったのですか?」

「そうなんです。突然の訪問をお許しください」

「いえ、日頃の様子を見るには取り繕う暇がないように、前触れなく来るのが最適でしょうし」

「あの、今回の視察はお忍びなんです。だから騒ぎにならないように、できれば他の団員の皆様には内緒にしていただけないでしょうか」

「さっき仰った通り、入団希望者として紹介しろということですか? まあ陛下がそうおっしゃるなら構いませんが……」

タイラーさんはちょっと考える素振りを見せた。

「もう一人だけ、アルアとサムを見たら俺と同じように勘付きそうな奴がいるんで、そいつには本当のことを言っても?」

「もちろん。そちらのやりやすいようになさってください」

「ああ、そら来た」

タイラーさんがドアに視線を遣ると、廊下をぱたぱたと駆けてくる足音がする。ノックなしでバン! と勢いよくドアが開いた。

「タイラー! アルア達、来てんだって?」

「フランク……こういうこともあるから、日頃からノックしろって言ってんだ。ほら、アルアとサム以外にもお客人。新女王陛下」

団長室に入ってきてフランク、と呼ばれた人は、私と目が合うとサー、と顔を青ざめさせた。そうかと思うとシュバッ! と衣擦れの音をさせて私の前に跪く。

「どーも、お初にお目にかかります陛下。大変失礼致しました、わたくしネージュ騎士団副団長のフランクです」

「はあ…」

変わり身の早さに一瞬呆けかけて、サムちゃんにとん! と背中をつつかれて我に返った。

「あ、顔を上げてくださいね。予告なしにお邪魔してすみません。今日は基地を視察に来ました。よろしくお願いします」

フランクさんが私に促されて面を上げる。

「こちらこそよろしくお願いします! ……生きてるうちにこんな距離で陛下にお目にかかれるなんて光栄だ。男ばっかでむさ苦しい基地ですけど、今日はどうぞゆっくりしていってくださいね」

そして私の手を取ると甲に恭しく口付けた。

「?!」

古い正式な挨拶の一つではあるものの、慣れないことに咄嗟に目を丸くして固まってしまう。

「フランク、陛下びっくりしてんじゃん」

アルアが笑ってフランクさんを立たせて引き離してくれて、ちょっとほっとした。

「いや~、ごめんごめん。辺鄙な地に現れた一輪の花に嬉しくなっちゃってさ~、つい。というか陛下、話に聞いてたより結構表情変わりますね。……うん、びっくりした顔は綺麗っつーか、かわいい」

「フランク? お前さ……まじで。女王陛下のこと、町娘と同じように口説くのやめてくんね? 不敬罪で首飛ぶよ? 見てて俺の肝が冷えるんだけど」

タイラーさんが呆れたようにフランクさんの襟首を掴んで自分の元に引き寄せる。

「え、俺、首はねられます? 陛下」

フランクさんが屈強な腕に吊り下げられたまま私を見ておどけて首を傾げた。

「ふふ、あはは。まさか! 私の顔なんて平凡なものですけど、お褒めくださり光栄です。嬉しいな、こういう気安いやりとりがしたかったんです」

自然と笑みがこぼれる。嬉しい、楽しい。

「何言ってんの。陛下はお綺麗ですよ。そんで、フランクは褒められてよかったな」

アルアがさらりと私の自虐を否定してフランクさんをからかった。

「俺命拾いー! ふっ、それもこれも俺の超美麗な顔面のおかげだな。ま、美人口説いて死ぬなら本望なんですけどね!」

「顔がでかいから目立っただけだろ」

「おい! 顔でかいって言うな!」

「あはは」

フランクさんっていつもこんなに面白いんだろうか。本当に愉快な人だ。

「……陛下の笑顔に免じてさっきのお前の狼藉は許してやるよ」

「あ? 俺は陛下本人に許してもらったんだからアルアの許しなんか要らねえよ」

「やるか? 表出ろやおらあ」

「おう久しぶりだなあ! 鈍ってねえか確かめてやるよ!」

なぜかアルアとフランクさんはにやにや笑いながら喧嘩腰になって、もつれ合うように訓練場の方へ出ていった。いつもこうなんだろうか。ぽかーんと眺めていると、「はあ……追いかけます?」とため息をついたタイラーさんに提案される。元々視察目的で来ているんだ。うなずいてタイラーさんに付いていくことにした。にこにこしたサムちゃんも付いてきて顔を覗き込まれる。

「陛下。楽しいです?」

「はいっ」

「ふふ、それはよかったです」

サムちゃんは嬉しそうに隣りを歩いた。なんだなんだ。かわいいな? 真剣な顔をしてることが多いけれど、そんな風にも笑えるんだなあ。

訓練場に着くと、アルアとフランクさんが試合をしているところだった。

「フランク、歳取って体力無くなってきてんじゃない?」

「お前も同い年だ、ろっ!」

「俺はまだまだ……!」

フランクさんの剣がびゅっ! と風切り音を立ててアルアの胸の前を通る。柔らかい腰でのけ反ってかわしたアルアは、片手には剣を持ったまま反対の片手を地面に付いて後ろに一回転すると、その際振り上げる足でフランクさんの剣の柄を蹴り飛ばした。

「っ!」

予想外のところから衝撃を受けて、フランクさんの手から剣が離れて宙を舞う。それが地面に落ちるのを目で追う間もなく、アルアの剣がフランクさんの首に触れる寸前でひたりと止められた。

「一本! アルア様の勝ち!」

審判役を務めていた兵が声を上げる。見ているだけで緊迫感のあるやり取りに、誰もが詰めていた息を吐き出した。

「お前、ずりーよそれ! 俺、腰悪くてできねーもん!」

「あはは、やっぱ歳じゃん!」

「そんなことばっか言ってっと、今日の夕飯お前の分減らしてやるからな。副団長権限だ!」

「はあ? そんなもんねえよ。そもそも俺が勝ったからフランクのプディングは俺のもんだし。なあ、みんなあ!」

「「「おー!」」」

「ほら」

「オォイ! お前ら団結して自分とこの副団長売んなよ!」

周りの兵まで巻き込んで、放っておくとアルアとフランクさんはずっとじゃれている。私はというと、今の試合を見てうずうずしていた。すらっと腰の剣を引き抜く。

「初めまして! 入団希望のシャルと申します! ぜひ、どなたか私ともお相手していただけないでしょうか!」

「ちょ、陛……むぐ?!」

背後でサムちゃんが「陛下?!」と呼ぼうとしてタイラーさんに口を押さえられた気配を感じた。ありがとう、タイラーさん。でもあなた、初対面で何でそんなに物分かりがいいんです?

(何で止めんだよタイラー! 陛下が怪我したらどうすんの)

(今は騎士見習いのシャルなんでしょ? あんなにお忍びを楽しそうにしてるのを見たら邪魔するのも可哀想じゃん。フランク以外には黙っとくって約束だし。……それに見てみろ、怪我なんかする訳ない)

二人がぼそぼそ小声で話すのを置いて進み出ると、筋骨隆々、見上げるほどガタイの良い人が前に出てきてくれる。

「おう、威勢の良い新人じゃねえか。そういう奴ほど伸びるからな、嫌いじゃねえぜ。女だからって容赦とかされたくないタイプだろ? 俺が揉んでやるよ」

わあ、相手してくれるって! 女だからって敬遠したりしないんだ。やっぱりこの騎士団は良い人ばっかりだなあ。自分の顔が輝くのを自覚する。

「お願いします!」

お辞儀して剣を構えた。周囲の兵が(おい、分隊長が相手するってよ)(いいのかあんな細腕なのに)(手加減はすんだろ)とざわめく声は、集中すると共に遠ざかっていく。

(おいタイラー。どこが『怪我なんかする訳ない』って? めちゃめちゃ強そうな相手じゃん)

(違う違う。見るのはアルアの方。フランクを放置してガン見してんじゃん。陛下が怪我するようなことが起きる前に、確実に止めに入れるようにしてる顔だよ)

(あー……。うん、なるほどね。目、こっわ)

(だろ? あと、俺はアルアが教えたっていう陛下の腕前が見たいから止めない)

「好きに打ってきな、新人」

分隊長がそう言ってくれて、遠慮なく地面を蹴った。ビュッ、と剣を突き出して一瞬攻撃が通ったかに思えるけれど、相手の剣が間に合って防がれる。ガキン! と火花が散った。

「速ぇじゃねえの」

「……」

後ろに飛びすさって距離を取る。キン、カン、と連続で打ち込むが、全部弾かれてしまった。相手とはリーチが全然違うから、普通にやっても勝てない。もっともっと身長差があった頃に、アルアにそうやって余裕ぶって相手をされていたときのことを思い出して顔をしかめる。むかつく。

「おいおい、考え事か?」

「いえ!」

しびれを切らして、今度は相手の方から切り掛かってくる。自分の体格の有利を確信した、大振りな攻撃。刃が首に届く寸前、両手で持っていた剣から左手を離し、腰から鞘を引き抜いた。

ゴッ!

鈍い音がして、じんと手が痺れる。全く……立派な体格だけあって、力があるなあ。

「そこまで!」

審判役の声が上がった。右手に持った私の剣は、相手の喉元に突き付けられている。相手が私に突き出した剣は、私の左手の鞘で防がれていた。

「勝者、シャル!」

ふー、と息を吐いて剣を納める。ありがとうございました、とお互いに頭を下げた。

「やられた、鞘を使うとは全く予想してなかった。あーくそっ、もう一回やりたいくらいだよ」

分隊長は悔しげに頭を掻く。立場が下の人間に負けてプライドが傷ついただろうに、しっかり負けを認められるなんてやっぱり良い人だ。

「いえっ、すみません。私が邪道でした」

ぺこりと頭を下げる。我が国の剣術では、剣同士で打ち合い、剣は剣で防ぐのが主流だと分かっている。鞘を使うなんて、分隊長が予想外に感じたのも無理はなかった。

「何、謝ることはないさ。俺もまだまだ訓練が足りないってこった。それに、あんたも本気を出せてなかっただろう」

「え?」

「その剣。アルアに教わったんだろ?」

「ええ……? そうですけど。アルアに聞きました?」

「いや違う。見たら分かるだけだ。あんた二刀流だろ」

流石分隊長。手練れの観察眼に目を丸くする。ちらりとアルアに目を遣った。彼は満面の笑みでぴょんぴょん跳ねて私の勝利を喜んでいたらしかったけれど、こっちに近付いてくる。

「ばれちった~? この子、俺の秘蔵っ子!」

アルアは嬉しそうに私の背中を叩いた。

「分からない訳ないだろう。剣が一本しかなくとも両手を使いたがる動きが二刀流だし、二刀流の使い手なんて珍しいの、この辺じゃお前の家の人間くらいだ。あと、剣がなかったら鞘を使うなんて、そういう相手の意表を突きたがるところが一番お前そっくり」

分隊長はからからと笑う。

「俺の教えだもんねー。いやあ、分隊長相手に勝っちゃうとは、優秀優秀!」

アルアがよしよし、と私の頭を撫でた。人前でそんなに馴れ馴れしくするのも久しぶりだ。今は私が「騎士見習い」だからそうしてくれるんだな、と思ってちょっぴり嬉しくなってしまう。わざと眉をしかめて見せた。

「油断してるのも今のうちだよ。目標はアルアを超えることだから」

「ふふ、それにはまだまだ。期待してるな」

軽くあしらわれて、ますます腹立たしい。ぺいっ、と頭を撫でていた手を払いのけた。

「おう、新人。まだいけんだろ? 早速他の団員の相手もしてくれや。お前みたいに珍しい剣術の人間とやり合うのは、こいつらの力になる」

「はい! 喜んで!」

分隊長に誘われ、そっちに駆け寄る。そら、お望みのもう一本、と訓練用の剣も投げ渡された。アルアも他の団員達に請われて次々相手をしている。サムちゃんは剣術には然程興味がないようで、いつの間にか見えなくなっていた。夕方まで散々訓練をして、汗まみれ泥だらけになる。

「女用の風呂、ないんだわ。先に入ってきな」

分隊長に浴場を案内されて、アルアを見ると囁かれた。

「うん。行ってきな。俺、ここにいるから」

ぱたぱたと急いでお風呂に入る。

「お前覗く気じゃないか?」

「違えよ! それお前らだろ!」

なんて見張りのアルアが分隊長にからかわれる声がして、顔が熱くなった。急いでお風呂を上がったら、他の兵たちと一緒にお風呂に入るアルアの代わりにサムちゃんが呼びつけられていた。

「あれ、サムちゃんおかえりなさい。どうしたんですか?」

「アルアが風呂入ってる間、陛下の護衛です」

「あっ、そっか……」

すっかり騎士見習い気分で守られる立場だというのが頭から抜けていた私に、「ご自分の立場を忘れてましたね?」とサムちゃんは呆れ顔だ。

「おーい、新人! サボってねえで新人は夕飯の用意手伝えー」

「あ、はーい!」

ぱたぱたキッチンに駆けていく私の後ろを、サムちゃんは長い足を余らせるようにして追いかけてきてくれる。料理当番のおかげで、キッチンはもう既に良い匂い。今日はシチューかあ。うきうきと包丁を持って手伝おうとしたのだけれど、「何ですその手つき! こっわ……!」と叫んだサムちゃんによって、包丁は取り上げられてしまった。残念。仕方なくお皿運びに徹する。大勢いるからそれだけでも重労働だ。

「こんな雑用をするのが、そんなに楽しいですか?」

私と違ってサムちゃんはお客様扱いだから手伝わなくてもいいと言われていたけれど、することもないからと彼は私と一緒にお皿を運んでくれる。

「へへ、はいっ! 楽しいです!」

畏れ敬われるのじゃなく、雑なくらいの扱いを受けて親しげにされるのがとっても楽しい。新人なら料理もちゃんとできるようになれよ! と叱咤されつつも、私は笑みがこぼれるのを堪えきれなかった。

「変わった方だ」

そう言いながら、サムちゃんは優しく笑う。湯上がりの兵士たちがばたばたと食堂に雪崩れ込んできて、夕食が開始になった。シチューとサラダとパンをそれぞれに盛り付けて、「いただきます!」と声を揃える。あー、朝からいっぱい動いてお腹空いた。

さあ食べよう、とスプーンを取ったときには、隣りのアルアがぱくぱくぱく、とすごい勢いで料理に手を付けている。

「陛、」

サムちゃんが何か言いかけたとき、アルアは「はい!」と笑って私のお皿と自分のお皿をかしゃん、とさりげなく入れ替えた。アルアの方を見ると、何事もなかったように「うんまーこれ! 懐かしい味ー!」と叫んでいる。サムちゃんも私を気にするのをやめて自分の料理に戻った。

……そっか。毒味。

アルアが急いで一通り口を付けて何もないのを確かめてから、周りが気づかないようにして私に渡してくれたことを知る。

「……おいしい」

彼が自分の存在を無償で差し出してくれる、この立場の重さを実感する温かい味だった。私のためにアルアが毒に当たったりする方が自分が苦しむより私は嫌なんだけどな。なんて、誰にも言えない。

「あ、そうだ、陛下はタイラーに聞いておきたいことがあるんじゃないです? せっかくだしさ」

晩ごはんも終えて、私が女王だと知っている面子だけでお茶を飲みながらわいわいと話していたら、アルアが私に話を振った。

「そうだった。タイラーさん。兵って、使わないと戦力が落ちますか」

タイラーさんはきょとんとした。

「誰かにそう言われましたか」

「まあ……」

「陛下は、どう思われました? 今日、基地の中を見てみて」

アルアに尋ねたときも同じように質問で返されたな、となんだか思い出す。昔一緒にいただけあって、似ているところがあるらしい。

「皆さん一生懸命に訓練されているし、剣もしっかり手入れされていました。古い基地ですけど、綺麗に使っていつでも襲撃に備えてある。長い間戦争なんて起きてませんが、これが我が国が誇る騎士団の一つであるならば頼もしく感じました」

正直な感想を述べた。タイラーさんもフランクさんもにっ、と笑う。

「そう感じていただけたなら何よりです。俺たちは、今日何人もが陛下に勝負を挑んだように、騎士団の中でも常に切磋琢磨して腕を落とさないようにしてます。皆、陛下に剣を捧げた者達ですから。平和が一番ですけど、いざってときにお役に立てないようなことにはなりません」

ああ、視察の目的は達成されたも同然だ。頼もしい言葉に、胸の奥からじわじわと嬉しさが込み上げる。

「ありがとうございます。至らぬところの多い王ですが、よろしくお願いいたします」

ぺこりと頭を下げると、タイラーさんは慌てた。

「それが俺らの仕事なんで。俺らみたいな立場にそんな風に頭を下げないでください」

「よかったですねー、陛下! ね? 言った通りだったでしょ? だって見てくださいよ、タイラーのこの頼もしい筋肉!」

アルアがタイラーさんの腕にぶら下がりにきて、ぺしぺしと彼の上腕二頭筋を叩く。嬉しそうにしていたタイラーさんは「俺の筋肉見ます?」なんて胸筋をぴくぴくと動かしはじめた。いや、すごいな。一番の常識人っぽかった彼は筋肉自慢の側面があるらしい。

「陛下、俺、お礼言われるんだったら俸給上げてほしいでーす! それか風呂でお湯が出るようにするか!」

 フランクさんに突然話しかけられる。タイラーさんはまた呆れ顔をした。

「いや、お前陛下に向かってよくそれ言えたな」

「実は汗掻いてます」

「ほんとだこいつやばぁ!」

 アルアがフランクさんの背中に触れて確かめて爆笑していた。

楽しい食事も終わり、自主練習や就寝の時間。女一人ということで、他の人は相部屋のところ、空き部屋が割り当てられる。二段ベッドの下段に腰掛けて、今日は朝から体を動かし続けていたし今にも横になろうかと思っていたところへ、コンコンとノックが鳴った。

まあそんなことをするのは一人だろうな、と思いながらドアに近づくと案の定「アルアだよー」と声がする。

「あ。ありがとー。でも、俺以外の人に言われてもドア開けちゃ駄目だよ?」

ドアを開けるやいなや、のほほんと笑っているアルアが入ってきて言った。

「開けないよ。今のはアルアが名乗ったからじゃん」

「ならよかった。シャル、危なっかしいからさあ。フランクにも平気でキスされてるし」

「キスって、……あれは手の甲だけじゃない。挨拶でしょう?」

今頃そんなことを持ち出されるとは思わず驚いた。

「どうかな。あれはそのまま放っておいたらいろいろ許しちゃいそうな感じだったけど」

「そんなことないよ」

なぜだかむっとして言い返す。

「そう? どきどきしてたんじゃない?」

「してない。急だったからびっくりしただけ」

「よかったあ。でも、外ではもうちょっと気ぃ張んないと駄目だよ。今日なんて他の兵にもひっきりなしに声掛けられてたじゃん」

むっとしたのを通り越して不思議に思う気持ちが湧いてきた。

「アルアは何の用で来たの?」

「何の用って……」

アルアがこちんと固まる。あ、これは何も用がなかったんだな。しかも自覚なし。

「……シャルの顔見にきた……」

がっくり項垂れ、背けた顔を腕で隠しながら言うアルアは愛おしい。ふっと笑った。

「いつも見てるじゃない」

「今日はみんなに囲まれてたからさあ」

「連れてきてくれたアルアのお陰だよ。ありがとう」

「ならいいけどぉ。『陛下』の人気が出るのは嬉しいのに俺だけが話せる時間が減っちゃうのは複雑……」

あんまり正直なので照れてしまう。腕の隙間から見えるアルアの顔も赤くなっていて、どうやら自爆していた。

「何言ってんの。これからもアルアがいつでも一番近くにいてくれるんでしょ」

アルアが腕から顔を上げる。

「うんっ。俺はずーっとシャルの一番傍にいるの。側近だもん」

そしてこの上なく嬉しそうに誇らしそうに笑った。ぎゅっと胸の奥が締め付けられる。分かった分かった、と手を振った。

「じゃあね! また明日起こしにくるかんね!」

おやすみー! とご機嫌になったアルアが大きく手を振って部屋を出ていく。私もばふりとベッドに倒れ込んだ。

久しぶりに一日中動いてくたくただった私はぐっすり眠り、翌朝。周りの人に距離を置かれない騎士団の中は居心地が良いけれど、あっという間にお別れの時間だった。騎士団からすればこれから鍛えてやろうと思っていた新入りが一日で出ていく訳で、種明かしをせずに帰る訳にはいかない。悪気はないとはいえ、嘘をついていたことになるので、正体を明かすのは少し怖かった。みんな仲良くしてくれたけれど、やっぱり女王だって知ったら離れて跪いてしまうだろうか。

わいわいと朝食を食べ終わった食堂で、マントや外套を羽織り旅支度を整えたアルアとサムちゃんの隣りに並び立つ。なんだなんだ、と皆の視線が集まった。

みんな、どんな反応をするかな。思わず俯きかけると、とん、と掌が背中に触れた。伸びてきた向きからしてその手の正体であろうアルアを見ても、彼はニコニコと前を向いたままだ。

大丈夫だよ。

そう言われているようで、私もしゃんと前を向いて息を吸い込んだ。

「聞いていただきたいことがあります!」

「おう、なんだ新入り!」だの、「あっはっは、新入りのくせに生意気だぞ!」だのからかい混じりに囃される。その温かい空気が好きだったな。

「私、今日帰らなければいけません。皆さんに嘘をついていました。私は騎士見習いの新入りではありません。前王が亡くなり、先日即位したばかりの女王です」

話の途中でざわざわとうるさくなった食堂は徐々に静まりかえり、一瞬沈黙が訪れたかと思うとどっと沸いた。

「ぎゃははは、いいぞ新入りー! お前笑いが分かってるじゃねえか!」

「お前が女王陛下だって?! 同じなのは名前だけだろ! 朝から先輩を楽しませようと一発仕込んでくるなんて気が利くなあ!」

あれ、想定ではこんなはずじゃ。ちらりと隣りを見たら、アルアも手を叩いて笑っていた。

「あの、本当なんですって」

「もういいって! おら、充分笑ったから掃除行くぞ」

「違います、だからお忍びで視察に来てる女王で、」

「はいはい、女王も一緒にお掃除しような」

困った。まさか馴染みすぎて信じてもらえないとは。閉口してしまったら、げらげら笑いながらアルアが「タイラー!」と助け舟を出してくれた。

「お助け!」

「はいはい。おいお前ら! 静かにしろ」

タイラーさんの一喝で騎士団はしん……と静かになる。若いのにきっちりまとめているんだな。感心してる場合じゃなくて、私もこのくらいの統率力を見習わないといけない。視察は学ぶことばかりだ。

「お前らいい加減にしないと不敬罪で全員首飛ぶよ?」

タイラーさんは冗談混じりに言った。団員達がざわめく。

「え、団長が言うってことはもしかしてほんとのほんとに女王陛下……?」

「まじ?」

俺、もう遅いわ。めちゃくちゃこき使っちゃったんだけど、と青ざめる団員が出始める。いいんですって。そんなに恐れないでほしい。

タイラーさんが目で「どうぞ」と示してくれて、私は再度口を開いた。

「騙したみたいになってすみません。普段通りの様子を見させていただきたくて、身分を隠していました。視察の結果、ネージュ騎士団の働きは素晴らしかったです。互いに切磋琢磨し合い、戦のない間も常に己を鍛えている。我が国を守る存在としてあなた方がいらっしゃることを、非常に頼もしく思いました」

慌てていた団員たちに安堵が広がっていくのが分かる。こんなに私の言葉を聞いてもらえている実感があるのは初めてで、私も一生懸命に伝えた。

「身分を隠していたもう一つの理由は、単に私が気を置かずに接してもらい息抜きがしたかったからです。皆さんが私を新入りとして温かく迎え、和気藹々と接してくださったのが本当に嬉しかったです。

首を撥ねるなんてとんでもない。こんなに頑張ってくださってる皆さんの浴場で、水しか出ないのが辛すぎるのも身を持って体験しましたし、城に戻ったらまずは湯船の整備に予算を新しく割きます」

微笑むと、団員たちから歓声が上がった。一際大きかったのはたぶんフランクさんの辺りだな。

「もう見習いとしては接してもらえないことに寂しさを感じますが、また必ず会いにきますので、そのときはあまり堅苦しくならずに迎えてくださると嬉しいです。一日だけでしたがありがとうございました」

頭を下げて話を終える。笑みを浮かべているのに、目には涙が滲むのを自覚した。寂しい今日からまた王城に戻るんだ。本当に楽しかったな。

そのとき、陛下! と口々に呼ばれる声がして顔を上げた。

「俺たちこそ、ありがとうございました! 新女王陛下がまさかあんなに強いと思わなくて、すっかり騙されました。剣の腕、お見事でした!」

「だよな! 見破れる訳ないって! 陛下って表情のない氷の女王だとか噂で聞いていたのに、めちゃくちゃ笑うし今だって泣きそうになさってるし」

「謝らないでください陛下。俺たち見事に騙されたけど、むしろ命張って守る人がこんな人なんだって嬉しくなりました。今後も一層鍛錬に励みます!」

そして一人が立ち上がると次々に立ち上がり、皆が右手を胸に当て私に忠誠を誓った。きらきらと目を輝かせて私を見る彼らのそれは、形だけじゃない、心からの敬礼。

「よかったね、陛下。信頼してくれる味方をこんなにたくさん得られたね。これ自分でやったんだよ。陛下がしたことにみんなが付いてきてくれたんだよ」

私と同じ潤んだ目をしてその光景を見渡すアルアが囁いてくるものだから、私はごしごしと目を擦った。

「今はまだ全然ですが、いつか、なるべく早く、皆さんが誇りに思えるような君主になるとお約束します」

「俺たちはあなたに付いていきますよ」

タイラーさんが目を細めて頷いてくれた。

「さよならー! また来てくださいねー!」

「次は負けないんでー! また手合わせお願いしまーす!」

団員たちは馬に乗って出ていく私たちを最後まで見送りにきてくれて、見えなくなるまでぶんぶん腕を振って口々に叫ぶ。女王だと分かったのに、それでも私の希望を汲んで遠慮し過ぎず、また剣を交わしたいなんて言ってくれるのが嬉しくて堪らなかった。

城に帰るべく、意気揚々と馬を走らせる。

「アルア、サムちゃん」

「はーい!」

「はい」

「ありがとう。私、頑張ります。大勢の心強い味方が増えたんだもの」

「はい。陛下のことを知ったらね、きっとみんな、陛下が好きになりますよ。その人たちの支えに報いることができるように、もっともっと頑張っていきましょうね」

「良い視察になりましたね。その生きた発見と学びをどんどん反映させていくことで、民に寄り添った政策になります」

側近二人も心から嬉しそうにして、口々に私を褒めるとともにこれからの展望を語った。

そうだね、頑張ろう。あの人達の顔を思い出したら、力が湧いてきてどんどん頑張れる。向けられる忠誠に恥じない君主になろうという目標も明確になって、城に戻った後も勉強により一層力が入った。アルアの組んだ突発的な視察だったけれど、リフレッシュ以上の効果があったといえる。

けれど、老翁たちにいびられつつもかなり平然と流せるようにもなって、会議にも慣れてきたとき。また新しい試練が立ちはだかるのだった。

「女王陛下には、王家を絶やさないためお子を残していただくことも必要になります。近隣諸国と良き関係を気付くためにも、隣国のどこかの王家より婿をお選びください」

大臣が発言し、あれよあれよという間にお相手探しの舞踏会が幕を開ける。

拒否するなんてことは、できない。いや、拒否する理由も特にないのだけれど。そのはずだ。心に決めた相手もいないし。

「ん? どうしましたー?」

 アルアの方を向いた瞬間に目が合って微笑まれる。

「良いお相手が見つかるように頑張りましょうね!」

 そう、私の考えるべきはそれだけだ。それで合っているはずなのに何かが胸の奥で引っかかり、日に日にその不快感は膨れ上がっていった。

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