第20話

全員分のごはんをよそって、お盆に乗せてダイニングに運ぶ。みんなに見られながらそれぞれの前に配って、しかめっ面で着席。

気まずい。そりゃあもう。


「泣ーかした」


開口一番、母ちゃんがにやにやしながら俺を揶揄した。

あーあー! だから嫌だったんだ。

世の中の母親というものは子どもの隠し事なんて何でも察してしまっている生き物で。うちだって例に漏れないから、最近はにやにやしながらお嫁さんとの関わりを見られてる気がして目の前ではあまりしないようにしてたのに。おいおい、俺だって逃げ出してえよ。


「そうだね。俺が悪い。後でちゃんと仲直りするから、今はごはん食べようよ。お嫁さんが作ってくれたの冷めんのやだ」


今日はチキンのトマト煮込み。これ下味が効いてて最高なんだ。どんな気持ちで作ってくれたんだろ、ってちょっと俯きながら手を合わせる。

声が揃った。いただきます。


「ふぅん? せっかく作ってくれたのに冷めるのが駄目って気遣いはできるの。お弁当は忘れたくせに」

「反省してるってば……俺の味方いねえ……」

「そりゃあうちの可愛いお嫁さんが泣かされたら攻撃するに決まってるわよ」

「あなたの可愛い息子さんも今針のむしろで、チキン頬張りながら泣きそうなんだけど」

「息子も可愛いがほっといても生きていくように育ててあるから、娘の方が心配で可愛いに決まってる」

「そうよねえお父さん」


父ちゃんが珍しく口を挟んできたのに目を丸くした。我が家のお喋り担当はもっぱら俺で相手役はお嫁さんや母ちゃんだから、父ちゃんは聞いてるだけのことが多いのでよっぽどだ。

フォークを咥えたまま口を尖らせる。


「それさあ……お嫁さんに直接言ってやってよ。俺は分かってるけどさあ」


この両親が彼女のことを甚く気に入っていて本当の娘のように大事に思っていること、本人が知ったらどれほど喜ぶか。きっと彼女の救いになるだろうに。


「口で言った方が伝わらないこともあるのよ。美由紀さんには私たちが気を遣って言ってるようにしか聞こえないでしょう? ほんと、うちのことなんて気にせずこの世のどこでだっていいから幸せに生きてくれればそれでいいのよ」


なるほど、母親には敵わない。俺よりよほど彼女を分かってる。

「もちろん、はるとひよもねえ」と目を細められて、隣りではるがチキンに苦戦しているのに気付いてもう少し小さく切り分けてやった。


「ごめんごめん、ちょっと大っきかったな」

「おいひー!」

「だねえ」


大人同士の会話には加われていなかったはるとにっこり顔を見合わせる。トマト塗れの口だって可愛い。後で一緒にお風呂入ろうねえ。


「という訳で、女の子を泣かせるようなボンクラ息子に育てた覚えはありませんからね」

「分かってるよ」


俺だってさあ、いろいろ考えてんだって。なんて言い訳は無用なのが分かってるのでイエスと答えるしかない。父ちゃんにまでうんうん頷かれちゃあね。


「はるちゃんは今日は何したの」


俺に対するのとは声色も打って変わって明るく優しくなって母ちゃんがはるに尋ねた。


「はるねえ、今日かいしゃ行ったんだよ!」

「……はい?」


耳を疑う。その場にいた大人全員が顔を見合わせ、一斉に知らない、と首を横に振った。


「会社って、俺たちがお仕事してるとこ?」

「そうー! すごかった! おっきなきかいがガシャンガシャンって!」


機織り機のことで間違いなさそうだ。


「おかあさんとねえ、ひよちゃんとねえ、おべんとうもっていったの! でも、おいたんいなかったから、公園でおかあさんがたべた」


おいたん、今日おなかすかなかった……? と優しいはるが心配そうな顔をする。

俺はそれどころじゃなかった。


「え? うん、大丈夫だったけど……」


と生返事。

お嫁さんがはるとひよと会社に? 俺に、お弁当を届けに?

でも、俺は会ってない。何でだ。今日は食堂に行く以外にはずっと企画部にいたのに。


「はるちゃん、公園も行ったの。楽しかった?」


動揺してる俺の代わりに母ちゃんが会話を続けてくれる。


「うん。お砂場であそんだ。あ、でもねえ。おかあさん泣いてたの。はるがお砂でぷりん作ってもわらってくれなかった……」


はるは思い出してしょんぼり。


「はるはいい子だね」


ぽんぽん、と頭を撫でて褒めた。そう、はるはいい子だ。悪い子は俺。……って顔して母ちゃんも見てくる。辛い。


「おかあさん、何で泣いてたのかなあ。きいても『ないてないよー』ってかくしちゃったの。でも泣いてたよー?」


まあほんと、小さい子ってのはよく見てること。


「あ、おいたんってすきな人がいるのー?」


ブーーッ!! とトマトソースを噴き出した。

正面の父ちゃんに黙ってテーブルを拭かれ、自分も口元を拭いながら平謝りする。


「ど、どこでそんな話を……」

「おかあさんがね、『おいたんは好きな人がいるんだって』って言ってた」

「い゛っ! でぇええ……!!」


ガン! と音がするほどテーブルの下で母ちゃんに蹴られてうずくまる。俺の向こう脛ぇ……!!


「おいたんだいじょうぶ?!」


突然足を抱え込んだ俺にはるは目を丸くした。


「だ、大丈夫……」


俺は涙目で微笑む。その一方で母ちゃんに非難の目を向けた。


「ちょっと……! 俺の足折れる!」

「折れないわよ頑丈なんだから。美由紀さんの痛みはそれ以上よ、女の敵」

「息子を女の敵呼ばわりすんな……! 俺無実だし! まじで知らない!」


こそこそと罵り合う俺たちの横で、はるはきょとんとしながら当然のように尋ねてくる。


「でもおかあさん何言ってるんだろうね? おいたんがすきな人ははるでしょう?」


足の痛みも吹き飛んで、ふっと笑った。


「そだよ~!! おいたんははるが世界一大好き!!」


不可抗力でとんでもなく高い声になってしまいながら、まだ食事の真っ最中のはるを横から抱きしめる。


「わあああ。はるもおいたんがすきだけどー、ごはん中はあそんじゃだめでしょー。おぎょうぎわるいよ?」

「あんたどっちが大人か分かんないじゃないの」

「うへえ、ちっちゃなお嫁さんだ」


はると母ちゃん双方から嗜められて苦笑いする。普段お嫁さんに言われていることをしっかり吸収して、はるはどんどんそっくりな喋り方になっていく。


「藤間家の女強すぎでしょ……。父ちゃん、はるとひよが大っきくなったら俺ら肩身狭くなっちゃうよ」

「お父さんは別に肩身狭くないさ。お前も家族を大事にしてればよろしい」

「大事にしてんだけどなー!」


駄目だ、今日はお嫁さん泣かしたから誰も俺の味方してくんない。

お嫁さん、ほんと見てよこの状況。もし俺とお嫁さんが二人並んで泣いたら、理由が何であろうとこの人達は全員お嫁さんの味方するからね。いつの間にこんなに愛されたの。これだからもう……好きだなあ。


「あのねえ、はる」

「んー?」

「おいたんが好きな人は、はるのおかあさんだよ」

「そうなの! おいたんははるがせかいいちすきで、おかあさんのこともすきなのね!」

「うん、そう。これ、内緒な?」

「ないしょー!! あのねえ、あのねえ、はるはおかあさんがすき! それで、ひよちゃんと、おいたんと、じぃじと、ばぁばもすき!」

「ん~~!! なんっていい子なんだ!!」

「あー! おぎょうぎわるいってばあ!」


俺がぶっちゅぅ、とはるの頰にキスしたら、はるは暴れて俺が離れた後でごしごしと頰を拭った。ひどい。母ちゃんは向かいで無言のままげらげら笑っている。

はるも反抗期が来たらもっと冷たくなんのかなあ。でもそんなとこも含め、成長を見させてほしいって思う。

ふぇ、とひよが起きたのが聞こえて「ごちそうさま」と席を立った。


「んー? どうしたの。ひよもお腹空いたかあ。そうだよね、俺たちだけ先食べたもんねえ」


泣いて顔を顰めているのすら可愛くて、抱き上げながら顔がとろけるのを自覚する。


「ごめんねえ、お母さんみたいに柔らかくないねえ。おいたんの固い腕で我慢してくれー」


とんとんとん、と片手で抱いてあやしながら台所に立ってミルクを作る。だいぶ重くなったなあ。元気にもっと大っきくなってほしい。そんで、まだまだ長い間抱っこはさせてほしい。


「俊ー? あんた今日それの前に何時にミルクあげたか聞いたの」

「うん。2時でしょ」

「ああそう……」


母ちゃんが聞いてくるけど何を今更。喧嘩しようが知ってるに決まってんだけど。

しゃかしゃか哺乳瓶を振りながら「ん~ばあ!」とあやしてるうちにけたけた笑ってくれるのが可愛くて何回もやっちゃう。


「あーいお待たせ。どうぞ~?」


ダイニングの椅子に腰掛けて哺乳瓶を咥えさせた。待ってましたとばかりに良い飲みっぷり、は~、癒されますわあ。

父ちゃんはもうテレビを観にリビングへ行っていて、母ちゃんがお茶を啜りながらそんな俺を見ていた。


「なに?」

「いいえ。ちゃんとお父さんできるなって見てたのよ」

「マジー!?」


声量を跳ね上げて喜んでしまう。ひよがびっくりしちゃうよねえ、ごめんねえ。

「はるもびっくりだよ……」と隣りから大人びたツッコミを入れられてしまった。すみません。


「ほんとー? そうだといいなあ」


まだまだ全然足りないけど、ちゃんとお嫁さんの力になれたら。もっともっと追いつけたらって、いつも思う。


「えへへ、ひよちゃんごはんの時間!」

「そうだよー。はるもごはん食べちゃいな? ほら、レタスも鳥さんと食べたらおいしいから。がんばれ」

「うううー……」


妹を構いたがるお姉ちゃんを大嫌いなレタスと戦わせる。見てるなあ。フォークに突き刺したレタスめっちゃ見てる。睨んだって無くなんないぞー。あんな小っちゃい切れ端でも、子どものうちは苦いんだよなあ。お、食べた。トマトソースかき込んで、こりゃ丸飲みしてんな。あとから吐くなよ。


「食べた!!」

「ん、えらいな!! めちゃくちゃえらい! きみを野菜の国の女王様と呼ぼう!」

「やだあ! はるお肉の国がいいー!」


食べ終わった女王様は途端にじぃじの隣りへ。ひよも飲み終わったし俺は片付けるとしますか。

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