忘年会

第15話

「お嫁さん。金曜さあ……忘年会あるんだけど、行ってきていい?」


はるとひよが順調に早く寝た日は、お義父さんとお義母さんも寝た後で2人でソファーに座って話すことが多い。俊介くんが夢中でアニメを観るのを隣りで眺めるのだ。彼が喜怒哀楽を全面に出して反応するのを見ているだけでも楽しいし、私が何か話したそうに見えるとすぐに聞く姿勢で向き合ってくれる。日中子どもと触れ合うのは楽しいといえど大人との会話に飢えている私には貴重な余暇時間だった。

そんな彼がアニメを1話見終わって、みかんに手を伸ばしながら私に言いづらそうに尋ねた。


「え? もちろん。そんな、私の許可なんていらないよ!」

「そーう……? 俺のさあ、歓迎会も繁忙期で後回しになってたからって、まとめてしてくれるらしいんだけど」

「じゃあ主役じゃん! 尚更行かないと」

「うん……じゃあ、行ってくるね?」

「うん、行ってらっしゃい。楽しんで。お義父さんお義母さんも一緒?」


小さな会社だから、自分の働いていた頃を思い出しながら、社長であるお義父さんはもちろん、社員全員参加かなと思った。


「うん。職場みんなの、大っきな飲み会」

「うふふ。じゃあごはん手抜きしちゃおー」


俊介くんはどうしてかずっと様子を窺うように神妙な顔をしていたけど、ようやく微笑む。


「俺らがいるときだって、別に手を抜いたっていいんだよ。お嫁さんのごはんは何だっておいしいし、ごはん以外にも頑張ってることたくさんあるの知ってる」


深い夜のリビング。コチ、コチ、と童謡のおじいさんの古時計みたいに立派な置き時計の音が急に耳に入るようになる。俊介くんはいつも優しい言葉をくれるけど、そう真剣な調子で手離しに褒められ認められると彼を直視できない。取ったみかんを一度置いて、膝の上で緩く組まれた骨張った彼の手に視線を落としていた。


「だって、俊介くんは何にも手を抜かないでしょう。慣れないお仕事してるし、私よりもっとずっと大変なのに」

「抜いてるよ……! ゆるゆるゆるゆる。家じゃ気も手も抜きっぱなし。ほっとくとすーぐ部屋汚くなるし。自分の中の優先順位が低いから、忙しいとすぐ片付けから疎かになっちゃうのね? わーるい大人の見本だわ。はるに『おもちゃ片付けなさーい』って言えねえもん」


赤い指が改めてみかんを取って、もにもにと一周揉んだ後素早く皮を剥く。最初の一房をもいだ指が私に近づいてきて、目を見張っている間にぱくん、と唇を割って放り込まれた。びっくりして口を動かしながら俊介くんを見る。

ようやく見られた彼の顔は口角が上がり悪戯っぽく私を覗き込んでいた。自分も一房口に放り込んで尋ねてくる。


「おいひ?」

「おいひい」

「ふへへ。だねえ。甘い。よかった」


そう言いながらまたみかんが私の唇をむに、と割る。


「ひゃんで! 私も自分で食べる!」

「うひひひ、だめでーす」


俊介くんの手がみかんの籠に伸びた私の手首を掴んで止める。じたじた争ってひとしきり声を殺して笑った後で、甘そうな見た目のを選って1個ぽんと投げ渡してくれた。


「はいはい、どーぞ」

「ありがと……」

「んはは」


俊介くんはぱくぱく連続で食べながらアニメに視線を戻し、目を細めてしたり顔をしている。


「あ、甘ぁい」

「あらあほんと。選んだ俺の目を褒めて欲しいわあ」

「ほら」


油断している口に横から一房押し込んでやった。


「んう」


目を白黒させて意外そうな顔をしているのをそっくりかえって笑ってやる。


「仕返しぃ」

「おいひぃ」


俊介くんはつられたように笑って、のんきに感想を寄越した。私が急に入れるから食べそびれて顎まで伝った果汁を長い舌がぺろりと追う。届ききらなくて、間抜けな顔。

あーあー、と言いながら子どもにするようにお手拭きで顔全体を必要以上にごしごしと拭いてやった。


「俊介くんは下手っぴですねー」

「ひぃ……ヤメテヤメテ!」


俊介くんはぱたぱたと手を挙げて降参のポーズを取り、お手拭きの下から楽しそうに裏声を絞り出す。はー…何やってんだか。


「もう遅いじゃん。寝るよー」

「えー! やだあ! もうちょっと!」


噴きそうになるから大っきい人がはると同じようなごね方しないでほしい。


「寝るのー。明日仕事でしょうが。俊介くん、『俺あんま寝なくても大丈夫だからー』とか言って放っておいたら、朝までしょっちゅうここで寝落ちしてるんだから」

「ぐっ……」


俊介くんは敵キャラがダメージを食らったときみたいなリアクションを取った。

どうだ、最近身に覚えがあるでしょう。もうあんまり若くないんだからね。


「じゃあ……『おやすみのちゅー』してくれたら寝るぅ……じゃなかったら寝ない!」

「はあああ?」

「あ、嘘嘘、嘘です! 嘘だから! おやすみ!」


俊介くんは私がたった1回聞き返しただけで風のようにテレビの電源を切ってリビングを飛び出していく。

何だって? 恥ずかしくなるなら言わなきゃいいのに。

私は一人笑いながらみかんの皮を拾い集め、自分も階段を登った。


「じゃあ、今日は晩ごはんいらないし遅くなるから。先に寝ててね」

「うん。気をつけて。いってらっしゃい」

「いってきます。……夜帰ってきたとき、みんなのこと起こさないよう静かーに入るように気を付けるからね」

「いいよいいよ! たまのことなんだからそんなの忘れて思いきり楽しんできてね」


金曜の朝。俊介くんは終始とっても申し訳なさそうにしていて、私はそれを笑い飛ばして見送った。


「いってきます! あの、戸締まり! ちゃんとしてね! 夜遅くなるんだからがっちり鍵掛けちゃってていいからね!!」

「分かったから! 前見て! 転ぶ!」

「お嫁さんじゃないからそんなドジしねーし」

「俊介くんの方がうっかりだもん! うんこ踏んでも知らないからね!」

「え、それはやだあ!!!」


また何度も振り返ってくる俊介くんにちゃんと前を向いてほしくて窓から叫び続けていたら、洗濯物を干しに出てきたご近所さんがくすくすと微笑んでいて赤面する。


「おはようございます……」

「おはよう。若い人は朝から元気いっぱいねえ」


圭介さんを亡くしてから、遺された私のことを心配しつつ温かく見守ってくださっているのは知っていた。はるちゃんも元気? と焼き芋まで頂いて、何度もお礼を言う。


「はるー。焼き芋頂いたよ。お礼言って?」

「ありがとう!」

「まあ偉いわねえ。たくさん食べて」


そこにあると欲しい欲しいと賑やかなものだから、朝ごはんを食べた後だけどおやつにあげる。大はしゃぎで踊るように体を揺すりながら食べているのを横目に家事を済ませていった。中身がとろとろですっごくおいしそう。良いものを頂いてしまったな。

はるは焼き芋が好きだ。私も好き。家事が終わった後で自分も頂こうと心に決める。みんなの分はなくなっちゃうかもしれないけど、それくらいいいだろう。証拠隠滅してしまえ。

晩ごはんが適当で良いので、年末の大掃除を始めると決めていた。家も大きいしとても一人で一日じゃできないので、やる箇所を分けて何日か掛けてするのだ。置いておいてくれたら年末休みに入ってから俺らやるよ、って俊介くんは言ってくれるけど、申し訳ないし結構年末ぎりぎりまでお仕事は忙しいし。

今日は晴れたので窓拭き。お掃除はお料理ほど好きじゃないけど、窓拭きは達成感があるので好き。単純作業なのであれこれ考えごとをしながら手だけ動かしていく。

今日の飲み会は何人来るんだろうな、とか。

私が働いてたときは、忘年会はいつも大きな店を貸し切りだった。わいわい騒いで楽しかったなあ、って思い出す。普段はかっちり真剣にお仕事をしている人たちがみんな冗談を言っていて、こんな性格だったんだ、と驚いたりもしたっけ。

圭介さんと親しくなったのも、そういえば何かの飲み会からだった。私は場の雰囲気を楽しんではいるのだけどあまり発言量の多い方ではなくて、圭介さんもにこにこはしているけど中心で騒ぐ人ではなくて。ふとした拍子に、「大丈夫? 楽しめてる?」と心配して声を掛けてくれたのだ。「嫌だったら抜けていいんだからね。俺うまく言っとくから」とまで言ってくれて、慌てて否定したら安心したように隅っこでぽそぽそとたくさんお喋りをしてくれた。本当に、優しい人。

俊介くんはまた違う性格だよなあと思う。今日の飲み会も主役らしいし。明るくて面白くて、彼がいると盛り上がるから誰もが放っておかない。少しでも中心から離れようものなら探され連れ戻されるようなタイプだろう。でもきっと、彼も盛り上がれていない女の子がいたら気を遣って話しやすい話題を振って馴染めるようにしてくれる。それか、積極的な女性社員の方が可愛くて綺麗で格好いい彼を放っておかないかも。俊介くんは、手に入れたくて仕方なくなる宝石のような魅力を持っているから。

きらきら、きらきら。目が眩むように笑顔がまぶしくて、でも目で追わずにはいられない。

お酒が入ったら、手を繋ぐとか腕を組むとかはざらだもんね。ボディータッチの激しい子は男性社員からモテていたし、飲み会から仲良くなって社内恋愛を始めるカップルだって少なくなかった。


「あれ、全然落ちないな……」


思わず独りごちてしまいながらぎゅっぎゅ、と力を込めて擦る。通りに面した窓だから、排気ガスだろうか。黒い汚れが頑固でちっとも落ちてくれない。

そっか、俊介くんも外ではもちろんそういうことをするのか。

私は汚れを睨みつけながらいつまでも格闘していた。

お昼は焼き芋食べすぎてお腹が空かなかったので、そのまま晩ごはん。台所の足元で何やらおままごとを持ってきて一緒にやっているつもりらしいはるを相手しながら冷やご飯の残りでチャーハンを作る。私とはるの二人分なら余裕。俊介くんは、今頃唐揚げとか食べてるかなあ。ビールとか好きなんだろうか。


「ぴっちぴっちちゃぷちゃぷ!」


ずっと静かにしていて、ご機嫌な声が聞こえてきたからふと足元に目を遣って驚愕した。


「はる?!! 何やってんの!!!」


なんか大人しい時は必ずと言っていいほど何か悪いことをしているのに、考えごとに気を取られていて油断した。

開かれた調味料の入った戸棚。ピンクのおままごとの器にとくとくと注がれたサラダ油。それをぬたぬたにかき回し、手も服も床も触ったところ全てをてらてらと光らせている我が娘。


「はる、おりょうりしたのー……」


怒髪天を衝く気配を察したのか自信なさげになりながらはるが私を見上げて答える。


「あなたはもう……。あなたはもう……!」


あまりの事態に言葉が出てこない。晩ごはんはちゃちゃっと済ませちゃって、好きなことをしてさっさと寝るはずだったのに。そんな夜の予定はものの見事に消え去った。

とりあえず元凶のはるをお風呂場に抱え込んで全身を洗う。私の荒っぽい手つきにはるはしくしく泣いていた。


「だってぇ……、おかあさん今日おこってたがらぁ…!ごはん、はるも作ってあげようと思ってええ……ごめんなさあああい」


ぴた、と一瞬手を止める。

私が怒ってたって? 何を言うか。ずっと穏やかだったのに、今が1番怒ってるわ。

でも、と思い直す。はるにはそう見えてたってことだ。はるは優しいから。私に似ず、優しい。

今日、笑ってあげられてなかったのかな。はるは楽しくなかったのかな。

私が、もやもやとなんだか考え込んでたから?

もふもふ、とバスタオルで包んであげて、風邪を引かないよう丁寧に体を拭く。服のまま入った私はもうびっちゃびちゃだけど、今から台所の大掃除だから何でもいい。はるさえ風邪を引かなければ。


「ごめんねぇ、おかあさん、ごめんなさぁい」

「いいよ、いいから。もうしないでね」


そう言ってあげて、ちょっと冷めちゃったけどチャーハンを一人で食べてもらう。私は台所の拭き掃除。事件現場に戻れば、改めて処理の大変さを思ってくらりとした。よりにもよって油。ああ、ああやってくれたな。

はるがまだ赤い目で申し訳なさそうにスプーンを咥えながら私を見つめているのでため息も吐けない。紙で油を吸い取って、洗剤とお湯で何度も拭いて。はるが触ったボウルやおままごとも全部洗い直して。

ようやく元通りになってから、ひよも自分と一緒にお風呂に入れてミルクを与えて二人を寝かしつけた。

あっという間に9時過ぎ。そのまま隣りで眠り込んでもよかったけど鍵を閉めてなかったのを思い出して、冷えた玄関まで降りたら目が冴えてしまった。緑茶を淹れてソファーに沈み込む。

部屋に一人なんて本当に久しぶり。でも、考えごとばかりしてしまうから賑やかな方がいいかもしれない。以前俊介くんが遊びに来て私一人の時間を作ってくれたときはあんなに嬉しかったのに、今はただ寂しかった。

どうしてだろう。楽しいこと、今からでもすればいいじゃないか。自分に言い聞かせる。まだ大人が寝るには早い時間だ。

友達と電話するのは? 流石に急だし、子供たちが生まれてから交流が空いてしまっている。

じゃあ、俊介くんみたいにアニメ見たりゲームしたりするとか。彼と一緒に観るなら色々語ってもらえて楽しいけど、私一人ならそんな趣味はない。

怒られたことではるも凹んだだろうけど、私の気持ちも沈んでいた。最後に大事件はあったけど、ちゃんと今日の目標だった大掃除はできたのに。どうして?

ああでも、これから年末に向けてますます忙しくなるなあ。俊介くん達は残業が増えるだろうし。そして新年には、きっと九州のおじいさんの家に行くんだろう。お義父さんの父親、俊介くんたち兄弟の祖父に当たる人のおうち。はるたちのひいおじいちゃんだ。藤間家は集まるのが好きだから、毎年のように親戚で宴会をするのだ。みんな良い人たちだから楽しいけど、やっぱり私の肩身は狭い。

今年は、私と私がよく知らない方との間に入って仲を取り持ってくれていた圭介さんもいないし。でも、他に帰る家がある訳でもないしな。

俯いたら、ぽろぽろ、と涙がこぼれ落ちて自分でもびっくりした。誰も見てないのに慌てふためいて目元を擦る。どうして。

行くのが嫌な訳じゃない。それに、私が嫌だって言おうものならお義父さんお義母さん俊介くんは揃って「この家に残ってていいよ」って言ってくれることだろう。私が辛くなるようなことは決してしない人たちなのだ。本当に、恵まれているの。なのに。今日の私はおかしい。大泣きしてる訳じゃない。じわ、と涙が浮かんでは零れてしまうだけ。

ティッシュを取りに行くのが面倒くさくて手をびしょびしょにしながら止まらない涙を拭っていたら、玄関の開く音がして文字通り飛び上がった。

わ、え、何で、まだ10時にもなってないのに。

面倒だなんて言ってる場合ではなくなってティッシュまで走る。数枚引っ掴んで立ったまま目元に押し付けたところで、リビングのドアが開いた。


「ただいまー……」


声量を落として帰ってきた俊介くんの目が、こぼれ落ちそうなほど見開かれるのをスローモーションのように見る。


「なっ……何でぇ?! 何で泣いてんのー!」


ゴトッ! と鞄を取り落とした俊介くんが声量を跳ね上げてすっ飛んでくる。

ちかっ、近いな。

スーツを纏った綺麗なひとは一瞬で目の前に来て私を覗き込み、冷たい手で私の顔や手にぺたぺたと触れた。手袋したら、って言うのにいつも「あっついもーん」って着けていかないから。いつも冷えた手で帰ってくる。


「ないてない」

「いやいやそれは嘘じゃん。どうしたのー」


強情な私にちょっと笑ってしまいながら俊介くんが私の頰を挟んで次々と雫を掬いとる。

つられて私も泣きながら笑った。


「分かんなぁい」

「分かんないのかあ。そっかあ」


俊介くんは口角を上げたまま困った顔をする。


「ぎゅってしたらー、泣き止んでくれる?」

「……うん」

「はっ、それはないか……って、え?」

「『うん』」


自分で言って否定して、2回も言わせんな。

俊介くんの返事を聞く前に背中に腕が伸びて、硬い胸にぶつかるようにして抱きしめられていた。


「んひひー、分かった。お嫁さんが言うならいーっぱいぎゅってしてあげようね」

「なんっでそんなに嬉しそうなの……」


押し付けられ顔を埋めたままくぐもった声を出す。あったかい。息をするたびにお腹が動く。安心する。


「俺はハグすきだもーん。もういくらでも。毎日だってやりたいね」


ゆらゆら。

俊介くんは私を抱きしめたまま左右にゆったりと体を揺らす。声が大好きな物を語るときと同じ調子で笑っていた。


「……お酒とたばこ臭い」

「それはさあ! ……ごめんねえ」


結構お洒落でいつも良い匂いをさせている俊介くんの香りがなくて、やってもらっておきながら不満を漏らす。

そうだよね、飲み会だったんだもん、仕方ないよね。

そんな私に俊介くんも言い訳しようと声を出したんだろうに、途中で止めて謝った。何にも悪くないのにな。


「よしよーし」


俊介くんが笑いながら私の頭を撫でて、顔を覗き込む。


「お、泣き止んだ? じゃあちょっと座って」


そしてぶつくさ言いながら世話を焼いていった。


「もう、何でこんな暗いのー? 暖房も点いてないしさあ」


間接照明1つだけを点け、毛布に包まっていたのを駄目だしされる。


「私だけだし勿体ないかなーって」

「そんな訳ないでしょ! 俺が一人暮らししてたときみたいなこと言わないで」


げらげらと笑いながらリビングはおろか隣接しているダイニングまで全部煌々と明かりが点けられた。ぱっと明るくなる。彼がいるときのこの家の空気と同じ。


「で?何かあったの? 分かんなくてもいいけど何か悲しいから泣いてたんでしょ。何でも話してみなさいな」


俊介くんは軽い調子で言いながら私の隣りに腰掛けた。


「……そういえば、俊介くんは何でこんなに早いの。お義父さんお義母さんは?」

「え? 父ちゃんたちはまだ宴会中だよ。俺は……なーんか、家の方が気になっちゃって。2次会の途中で抜けて帰ってきちゃった」

「途中で?!」

「えぇ? そんな驚く? 楽しかったけど、飲んだらお嫁さんどうしてっかなあ、はるとひよはちゃんと寝たかなあってそればっか気になってきちゃったんだもん。俺が帰りたくなっちゃった」

「何それ……」


何で泣いてたかなんて、どうしてか思い出せなくなってしまった。心配掛けてしまっただろうか。私がしっかりしてないから。


「ごめ……」

「そしたら、正解。お嫁さん泣いてんだもん。早く帰ってきてよかったね」


私の言葉を遮って、俊介くんは微笑んだ。


「お嫁さんが楽しくないのに俺だけ楽しいの嫌だよ。俺こそごめんね。考えたら、お嫁さんだって友達と遊びに行きたいよね? 飲むのはまだ無理だけど、今度俺がいくらでも二人見とくから。日付言ってくれたら空けるよ」


俊介くんが怒るところを見たことがない。いつでも合わせようとしてくれて、私はそれでも自分の感情をうまく操れなくてもどかしくなるばかり。


「違うの、それで悲しかったんじゃないと思うの」

「そうなの?」

「一人で出かけたいとか、友達に会いたかった訳じゃなくて……」


ほんと、何がしたいんだろう私は。


「……俊介くん、2次会はどこ行ったの?」

「ええ? 何急に。カラオケだよー。1曲だけ最初に歌わされて、後はみんな盛り上がってたしマイク譲って抜けてきた」

「そうだったんだ。俊介くん上手だもんね」


お祖父さんの大きな家には家庭用のカラオケの機械もあって。親戚で集まるときには俊介くんが歌うのも聞いたことがあった。ほんと、びっくりするくらい上手だったのを思い出す。彼が歌い出すと全員が話すのをやめて盛り上がるくらいに。女の子にモテるだろうなあって、その時も思ったっけ。


「俺より上手いやつは幾らでもいると思うけど。そういやお嫁さん歌ってんの聞いたことないね。歌うの好き? 今度はるたちもみんなで一緒にカラオケ行く?」


ふわ、と気持ちが浮上するのを感じる。何度も頷いた。


「うん、うん。行きたい」


私はそんなことがしたかったのだろうか。


「行こ行こ」


俊介くんはくしゃ、と笑った。

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