第47話

「!」

 姿勢の良いしなやかな背中に体当たりして、東が息を詰まらせた。驚きながらも体を回転させて、私と向き合って抱きしめてくれる。

『お……っと……。大丈夫ですか?』

 東の声が頭の中にこだまして、はっとした。

『俺、東圭介って言います』

『大丈夫大丈夫。泣いていいんだよ』

 次から次へと脳裏に映像が流れる。今、東が喋っている訳じゃない。これは記憶だ。走馬灯のように蘇って、そして目の前で消えていく。

『ここなら大丈夫だから。すぐ済むよ、大人しくくっついてて』

『あぶねー、湯上がりの先生かわいくて俺汚いのにくっつくとこだった』

『ほら。ちゃんとあったかいでしょ。俺が一緒にいるから。大丈夫だよ。大丈夫』

「いやだ。忘れたくない!」

 涙で前が見えない。

 世界で一番大切な人だ。まだここにいる、まだ体温を感じられるのに。記憶がどんどん砂時計のようにこぼれ落ちていく。

『俺と、付き合ってください』

『お馬鹿』

「あ゛ああああ……っ!」

 何一つ忘れたくないのに。バイクに吹き付けた風も、かき氷の冷たさも、沈みゆく夕日も。

「忘れたくない! お願い! どうしてこんな……っ」

 熱風に晒されながら、目の前にある体に縋り付く。どうして、世界はこんなにも理不尽。

「大丈夫」

 ぱっと見上げる。声が聞こえる。

 東が微笑んで、私を見下ろしていた。私の頰を掌が挟み、何度でも零れ落ちる滴を親指が拭う。

「大丈夫。世界は優しくて楽しいから。先生はもう知ってるでしょ」

 何一つ、言葉を返せなかった。

 出会ってから何十回、何百回「大丈夫」と私に繰り返し教えてくれていたことに気付いてしまったから。

 泣きじゃくる私を抱きしめる腕の感触を感じながら、私は眠りに落ちた。

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