第41話

「ぁ……っ」

 視界が瞬く間にぼやけていく。雫が次々と頬を伝って膝の上で握りしめた拳に落ちた。次いで、幼い子どもみたいに大きな泣き声が出た。それこそ、きっと事故に遭った頃のように。

 もう何がなんだか分からないけれど、とにかく悲しくて仕方なかった。何が一番の理由かなんて分からない。でもあれもこれも悲しい。何もかもが奪われていく。

 どうして東なの。どうして私なの。

 初めて会ってからいつだって優しくて、私に楽しみをたくさん教えて気持ちを明るくしてくれた。生きてるって、こんなに幸せなんだよって。

泣いた日はすぐに気付いてバイクで花の咲く公園に連れ出してくれて、おばあちゃんのために盛大に歌も歌ってくれた。お仕事終わりの深夜には声を忍ばせて夜食を食べて、バーベキューをして花火をして。海でたくさん遊んだらお昼寝をして、流し素麺を食べてお祭りに行った。

 落ち込んだときも嬉しいときも、いっぱい抱きしめて頭を撫でてくれた。それが嬉しかったから、私も東が辛いとき、愛おしいとき、自分には祓う力なんてないのについつい同じように彼に触れた。温かな体温を感じないときはないくらい、ずっと一緒だった。

 大好きな人。

 すりガラス様になった視界で、彼が蹲っている。私がいるせいで、東は自分を責めて苦しむ。東が両親の死に関わっていたことよりも私の体質の原因であることよりも何よりも、きっとそれが一番悲しかった。

 東がそんなに辛い思いをするなら、私達出会わなければよかったね。

 ひいひいしゃくり上げて呼吸もままならなくなっても涙が止まらなくて、私は泣きじゃくり続けた。周りが騒がしくなっても何も動けない。私が泣き出した途端に、私と東の様子を代わる代わる見ていた他のみんなはばたばたばた、と動いてどうにか対処してくれようとしていたらしい。何せ、私の泣き声に呼応するように迫力を増した大量の霊達が、ずずず……と迫りくる。

「あははははは! そうだ、その顔! いいぞ、もっと絶望しろ。そうすればこいつらがあっという間に取り憑いてきみを殺す。何だ、あんた手伝いにきてくれたのか? 良いアシストありがとうな!」

 元気を取り戻した彼誰が笑うのが聞こえた。

「あのとき、東の弟に憑りつこうとして祓われたのは私だ。成仏もできずに中途半端に力を奪われて、私は東を恨んだ。だけど東は強すぎて私にも近づけなかったんだ。だから、この子の傍で復讐の機を待とうと決めた。この子は幸いにも私たち霊が見えるようになって、しかも暗くて優しくて霊に好かれる素質は十分だったから、周囲の霊に良い獲物がいると情報を提供した。たくさん憑かせれば、そのうち除霊能力の高い東に再び巡り会うことに賭けて、その間弱った自分の回復にも努めた。そしてようやくこのときが来たんだ」

 彼誰は無視して夜半が自分の事情を最後まで明かす。二十年以上待った復讐が果たされようとしているにしては浮かない表情だった。

 肩の荷が増す。

「東ぁ! お前が動かないと先生取り憑かれて死ぬぞ! ずっと守ってきたのに、一生失うことになるんだぞ!」

 進藤さんが怒鳴ったけど、東は顔を伏せたまま身動ぎもしなかった。

 ごめんね。もう疲れたよね。

「あー、むかつく! いいじゃん、放っといてやれよ! 見てて暑苦しいけど、やっと幸せそうになったばっかだったじゃん!」

 稲辺さんがキレている。

「颯太、キレてないで歌ってよ。東が動かないならなんとか俺らで全部除霊しないと、先生帰れなくなる」

 進藤さんが諭そうとした。

「こんな状況でいきなり気持ち切り替えて歌える訳ないだろ! ただでさえ俺霊見んの初めてなんだぞ。それを言うなら亘だってお経読めよ!」

「こんな荒れた精神状態から心鎮めて読める訳ないじゃん!」

「じゃあお互いに無理!」

「二人とも落ち着いて。俺が書くから」

「この状況下でそんだけ落ち着いた字が書ける菅さんもすごいけど、その札だけじゃ追いつかないって!」

 私だけじゃない。みんなが、抗いつつも絶望の淵に立たされていた。東はみんなの太陽だったから。

「ごめん、なさぁ……っ!」

 太陽を翳らせてしまって、ごめんなさい。

「ごめんじゃねえよ……! 俺、言ったじゃん! 二人とも笑ってろって! 東と先生は鏡みたいにお互いの感情を映し合うんだって!」

 進藤さんが、堪えきれずに泣きながらそう言っていた。ああ、以前言われたときは実感がなかったけどきっとそうなんだろう。東は私が泣いたのを見て自分を責めるし、私はそんな東を見て悲しくなる。理解できたって止められない。

 辛いよ。だって、私たちみんな東が好きなんだよ。いつも元気で楽しく過ごしていてほしいって思ってるんだよ。ごめんね。そんなに自分を責めていたのに助けてあげなくて。私が消えるから、もう忘れて救われていいんだからね。

 体が重くてうまく息ができなくて、気が遠くなっていく。

 「ばか、死ぬな先生! 起きろ!」って、除霊してくれているみんなが何度も何度も怒鳴る声が聞こえていた。ちょっと微笑む。先生。ここでみんなにそう呼ばれるの、好きだった。お互いを大事に思い合う空間が心地よくて、幸せだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る