第40話

もう駄目なのかも、と考えたのに、いつまでもその瞬間は訪れなかった。いつも憑かれると体調が悪くなるのに、死ぬときはこんなに何も感じないものなのだろうか。

「……誰だ、てめえ」

 彼誰の声がして、恐る恐る目を開けた。再び熱風が吹いて、空間の裂け目から一人の女性が現れるのを目の当たりにする。

「随分失礼な物言いだ。お前より遥かに昔から霊として存在しているというのに。まあ、大した目的もない霊の界隈にに上下関係など存在しないが」

上品な淡い色の着物を纏った美しい女性は人間なら三十代か四十代といった相貌で、しかしその見た目以上に落ち着いた声音で話した。彼誰も闖入者に気圧されているのが分かる。

「最近出てきたような奴が、乱暴なやり方で私の獲物を奪おうとするから慌てて来たんだ」

「確かに俺は新参だが、横取りは許せないね。おばさんはいつから狙ってたって?」

「もう二十年以上は昔から。……名前がないのは随分不便そうだな。もう人間だった頃の本名なんて忘れたが、夜半よわと名乗っておこうか」

「二十年? 嘘をつけ」

「嘘なものか。私はその子が霊に好かれるようになったきっかけも全て知っている」

「言うな」

 きっかけ? そんなのあったのかと驚くばかりの私とは違い、遮ったのは東だ。彼の声が初めて震えていた。ずっと強気だったのに。みんなを見回しても、全員きょとんとしている。

 夜半はそんな東を一瞥した。

「言ってないよな。そりゃあ誰にも言えないだろう。悪いが話させてもらうぞ」

 夜半の視線が黙り込んだ東から私に移る。

「お前は、いつから霊が見えてる?」

「え? 物心ついた時には……」

「そうだな。そこの僧侶も書道家も、そして郵便屋もみんな生まれたときからだ。持って生まれた体質。それ以外に理由なんてない。ただな、お前は違うんだよ」

「やめて……やめろよ……」

 東が弱々しく呻いて、抱えた自分の膝に顔を埋めた。小さくなった背中が震える。

「どうしたの東」

 心配になって摩るけど、返事はなく「やめろ、言うな」を繰り返した。

「お前は事故に遭った時に、偶然その視界を得たんだ。生まれたときは霊なんて見えちゃいなかった。普通の女の子だったんだよ」

「事故って、両親が亡くなった交通事故のこと?」

「そう。事故の原因は何だったか知っているか」

「……当時調べても分からなかった、って聞いてる。車検も通ってるし、ハンドルを握っていた父の意識も正常で操作を誤った形跡はなかったって。けど車は突然暴走して、路肩に正面から突っ込んだ」

「ああそうだ。現代科学じゃ解明できない原因での事故。そういう事件、最近除霊に関わってきたお前なら心当たりがあるだろう」

「……霊」

「そう、事故の原因が何だったか、とてもよく知る人物はお前のすぐ傍にいる」

 何を言おうとしているのかを察して、でも認めたくなかった。それでも真実は突きつけられる。

「お前の両親を殺し、お前に霊が見えるようになった全てのきっかけの事故を起こしたのはそいつだよ。東だ」

 時が止まったように感じた。全ての音が消える。

「ごめん」

 消え入るような東の声でそう聞こえ、私は絶句した。

「どうして? 東が悪くないなら謝らなくていいよ。ね?」

 みんなもうんうんと頷く。私たちは彼を一片の疑いもなく信じきっていた。

「私が言うのじゃ信じられないか。自分の口から言ったらどうだ。お前があの事故のとき、何をしたのか」

 夜半は淡々と言う。

「いい。東が言いたくないなら言わなくていいから!」

 そう言ったのに、東は俯いたまま憔悴しきった様子で掠れた声を絞り出した。

「日曜日だった。家族みんなで、買い物に来てて。スーパーから出てきて帰ろうか、っていう何でもない日だったのに、急に弟が霊に襲われたんだ。……鳥肌が立つくらい、身動きできずに漏らしそうなくらい怖い霊で。それが、父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも、当の弟も知らないうちに弟を取り囲んで、連れ去ろうとしてた。

 間違いなくこのままじゃ弟が死ぬって思った。俺は叫んで訴えたけど、やっぱり見えてない周りにはなんも伝わらなくて。俺は必死に、弟にまとわりつく霊を手で払った。やり方なんてまだ知らなくて、無我夢中だった。弟に触るな、どっか行けって。

 そしたら霊は勢いよく剥がれたんだけど、今みたいにきちんと成仏して消えたんじゃなくて、弾かれたみたいに飛んでいった。そのまま目が離せなかった俺は、霊がスーパーの前を通りすがった一台の車に全部取り憑いて、その車が激しく衝突するまでを見てた」

「……それが、私の乗ってた車なの」

 東が小さく頷く。

「俺は散々親に喚いた。事故は俺のせいだって。俺が弾き飛ばした霊が事故を起こさせて、人を死なせたって。親も最初は話を聞いてくれて、亡くなった人たちが知りたいって言い続けたら調べて見せてくれたりもしたし、事故の原因が不明で目撃者を探してるってことだったから一緒に警察署に行ってくれたりもした。でも、俺が殺したって言って塞ぎ込むようになったから、途中から事故の話を避けるようになった。俺が教えてって言っても断られるようになって。

 後部座席にいてわんわん泣いてた小さな女の子は無事だったって聞いて、親を亡くしたその子はどうなったんだろうってずっと気になってたけど、俺も幼かったし親に禁止されたら調べようがなかった。

 でもいつだって頭の中には俺が不幸にしたって思いがあったし、だから初めて会った時にはすぐに分かったよ。背後のご両親の霊とも併せて、あの子だって。だけど、言えなかった! ごめんね。ごめん」

 畳み掛けるように明かされた真実を回らない頭でなんとか整理して飲み込む。全ての元凶だと聞かされて尚、つい救いを求めるように視線を送ってしまうんだから私はどれほど頼りにしていたんだろう。

 ぐしゃりと前髪を掴む手の隙間から見える、東の目と目が合った。ほろ、と私の目から涙がこぼれる。それを見た東が、顔を歪ませた。いつだって涙を拭ってくれた手はやってこない。ひくっと喉が鳴った。

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