海水浴
第32話
こんなに楽しい夏は生まれて初めて。
そう言うとあなたは「これから秋も冬も春も、毎年過去最高に楽しいのを更新し続けるんだよ」って笑った。きっとそうなるんだろうなって信じられる。
「海行くぞ海ー!」
東は楽しむことにかけてはプロフェッショナル。次から次へと思いついては大声で号令を掛けて私達を巻き込む。小学校は夏休みに入って、もちろん教師の私は出勤して仕事もしているのだけど、なんとなくつられてうきうきした気分だった。
土曜日の今日は海水浴に行こうと誘われ、例の如く五人全員がお寺に集まっている。なんとも集合率の高い集団だと思う。
「焼ける」
「俺たち何歳になったと思ってるの」
「そろそろ海行くだけではしゃげるほどの体力なくなってきたよなあ」
とかなんとか、文句ばかり言ってるけど全員しっかり海パンと浮き輪やいるかさん、ビーチボールを持ってきてる辺り楽しむ気満々なんだよな。
「あ、先生も浮き輪貸して貸して!」
東に言われて、今回誘われてから買いに行った新品の浮き輪を渡す。使う機会なんて長らくなかったから家にはなかったのだ。
「ありがとー! っしゃー、颯太勝負!」
「何回やっても負けねえ」
「よーい……ドン!」
人の浮き輪で何をするのかと思えば、東と稲辺さんでどちらが速く膨らませられるのか競争しているらしかった。え、足踏みポンプとか使わないの。
ハアアアァ……ッと息を吸い込んだ二人は思いきり頬を膨らませて全力で息を吹き込みはじめた。見た目はりすみたいでかわいいけど、浮き輪の膨らむ速さが全然可愛くない。あ、これはポンプいらないわ。何だその肺活量。
「っぷは、固ー! 先生これ新品?!」
「う、うん」
「やっぱりー! くそー、颯太早えー!」
「っしゃあ! 俺の勝ち!」
稲辺さんが勝ち誇って膨らんだ浮き輪を掲げる。「はい一寛」と放り投げて渡していた。あ、そっちは菅さんのでしたか。周りには既にいくつか浮き輪が転がっていて今のが何回戦目かだったことが分かる。行く前から元気だな。
「せんせ、せんせ。海水浴場の更衣室少ないから、ここで着替えてなんか上に着ていきなね」
ぱたぱたと近づいてきた東に囁かれ、ちょっと居間から離れて水着に着替える。もちろん水着も持ってなかったので今年買った真っ新だ。
「ちょっと可愛すぎたかな……」
白地に桃色の花柄が描かれたビキニ。でも、いっぱい試着して1番似合うのがこれだったし。まさか学校で水泳を教えるときに着てるスポーツ用で来る訳にはいかないし。少しでもスタイルが良く見えるように胸を寄せながら着終わったら、途端に襖が開いて悲鳴を上げた。こういうことするのは1人しかいない。なんだかんだ他の男性陣はみんな気を遣ってくれるのだ。
「何で開けるの!」
「そろそろ終わったかなーって……」
言いながら東の大きな目が動いて明らかに私の姿を上から下までじっくり眺めると閉口する。最後にラッシュガード着ようと思ってたのに! 私はもうお腹を隠せばいいのか胸元を隠せばいいのか、露出が多くて手が足りない。
「何よぉ」
「ん。『かわいいー!』って、何でもないみたいに言ってあげたかったんだけど」
え、似合わなかっただろうか。そんなに駄目だった? 東が口元を覆った掌で隠しきれなかった部分の肌が、みるみる赤くなっていく。
「思った以上にインパクトでかくて、照れちゃった。かっこわりーね?」
もごもご呟いて、困ったような瞳がちらりと私を見た。ふふっ、と笑みが溢れる。
「よかったあ」
「安心したの? 自信持ってよ。超かわいい。ね、ぎゅってしていい?」
「いいよ……」
東の愛情表現だって知ってるけど、自分から勝手に突撃してきてくれればいいのに。両手を広げて待ってるところに入っていくのは恥ずかしさが増す。恐る恐る近づいてすっぽり収まったら、背中に東の腕が回った。いつもは触れられない素肌がすべすべと触れ合う感覚にどきどきする。
「うあー、やらかいやばい」
「ちょっと。どこのこと言ってんのかな」
「へへ。先生着痩せするタイプだ」
「変態! 離せー」
「やだー。あー見せたくない。それ着んだよね?」
東が床に落ちていたラッシュガードを指す。
「当たり前でしょ。だから離れて」
「ならよし!」
全くもう。水着の上からすっぽりとワンピースを被って、ラッシュガードと麦わら帽子を拾い上げた。
「行こ行こ!」
手を引かれて縁側を駆け玄関に向かっていく。庭に太陽が照りつける最高の真夏日。
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