ほんとは

第31話

お寺に無事帰ると、珍しく夕方から除霊に行ったものだから疲労の割にまだ時刻は早くて、進藤さん家の人が作ってくれていたお夕食をいただく。

「うんまー!」

「あはは、圭ちゃんどうぞたくさん召し上がれー」

「いつもありがとーございます!」

 東が目をきらきらさせて頬張っていて、進藤さんのお母さんは可愛い呼び名を呼んで進藤さんとそっくりな目元を細めた。そっか、小さい頃からお世話になってたんだもんね。今日は豚肉と茄子の味噌炒め。甘めの味付けが美味しくてご飯が進む。この一週間程、食欲もなくてあまり食べられなかったはずなのに気付いたらたくさん食べられていた。

 まだ電車だってあるのだけど、大量に憑かれた件もあって心配だからってことで結局お風呂もいただいてみんなでお泊まりすることになった。

何かあっても大丈夫なようにみんなできゅきゅっとひとまとまりでいようとするところ、この人達なにかの小動物に似てる。もちろん除霊師の家系に脈々と受け継がれてきた知恵でもあるんだろうけど。みんなでいれば安心だもんね。

 もうすっかり使い勝手にも慣れてしまったお風呂を先に出て、次の人に声を掛けてぼーっと夜風に当たる。火照った肌に縁側を抜ける風が心地良い。庭の石灯籠の上では古籠火が小さく火を吐いていた。居間の方からは時々話が盛り上がって笑い声が聞こえてくる。廊下がきし、きし、と控えめに鳴った。

「あっちーねー。……隣り、座っていーい?」

 首を巡らせると、まだ湿った髪をした東が首からタオルを掛けTシャツ短パン姿で立っている。私が何も言えずにいたら、東は続けて口を開いた。

「俺じゃ駄目なのー?」

 その顔はもう除霊に行く前の怒ったような表情じゃなくて、終始穏やかな笑みを浮かべている。

「……分かってるくせに」

 そう呟いたら、東は私の返事を聞かずに隣りに腰を下ろした。縁側は長いのに、暑いと言いながらわざわざごく近くに座る。

「うん、分かってるつもり。でも俺ばっかり言いたいこと言っちゃったから。先生の話も聞きたい」

 思ってること、聞かせて? と内緒話のように柔らかな声で囁かれる。隣りでじぃっと見られてる気配を感じて、伸ばされた指は私の髪を耳に掛けた。耳に触れる指先がくすぐったい。東の視線が離れないせいで私は反対に彼の方を向けなくて、草叢に目を落として見え隠れしながら移動している小トトロを見るふりをした。お風呂上がりだけのせいにするには際限なく火照っていく頰を意識しないようにしながら、口を開けばぽろりと言葉が溢れていく。

「私、ほんと面倒くさいでしょう」

「ううん。あ、ごめん聞くんだった」

「ふふっ。東はそう言うだろうけど面倒くさいのよ。霊には山ほど憑かれるしね? 自分のせいじゃないって頭では分かってるけど、ずっとそう言われてきたからどこかで自分が悪いんだって思い込みがあってなかなか抜けないし。でも、東はそれでも私が好きだから助けるのは苦じゃないって言ってくれた。ずっと好きだって。嬉しかった」

「うん、そうだよ。先生が好き。信じて」

「信じるよ。東はすごく分かりやすく伝えてくれるもの。こんな後ろ向きな私でも勘違いしようがないくらい、好かれてるって分からせてくれる。でも、だから怖いなって思っちゃった」

「何で? 俺の心変わりが?」

「ううん。……東が私より先に死んじゃうのが」

 東が初めて黙って、私はようやくその黒い瞳をじっと見つめた。ちゃんと、伝わりますように。何も曲がったり零れたりすることなく、ちゃんとこの想いが伝わりますように。

「おばあちゃんを亡くして、私の世界は真っ暗になったと思った。他に友達はいたって、おばあちゃんは世界でたった一人の私の理解者だったから。何のために起きて働きに行ってまた帰ってきて、って生きるための行動を繰り返すのか分からなかった。

 そんなときに東が私の前に現れたの。初対面なのにどんどん私の心に入ってきて、悲しいことも嬉しいことも全部拾い上げて一緒にいてくれた。今度はその東がいなくなったら私、耐えられない。怖い……」

 ぽろぽろと勝手に涙が溢れる。

「ほんとは、ほんとはね、ほんとは好き。うええ、ごめんなさぁい! 私、東がいないと生きていけないもん!」

 目を擦る手を強く押さえられた。

「それ言われて俺がどんな気持ちか分かる?」

「鬱陶しいな、困ったなって……」

「お馬鹿」

 呟きが聞こえたかと思うとぶつかる程勢いよく体を引き寄せられた。嗚咽を漏らす口元が固い鎖骨に押し付けられ、声がくぐもる。

「嬉しいんだよ。俺がいないと生きていけないんでしょ。めちゃくちゃ嬉しいじゃん。どんだけかわいいこと言ったら気が済むの。嬉しいの。分かってよ」

 なんとか自制しようとしている様子の弾んだ早口が聞こえて、掌が何度も私の後頭部や背中を撫でてかき抱いた。ぎゅうぎゅうと苦しいくらいに抱きしめられて、東の喜びと興奮が伝わってくる。思っていた反応と違って目を白黒させていた私は、ようやく展開が飲み込め始めた。

 こんなに頼りっぱなしで情けないのに、嬉しいって言ってくれるんだ。こんなこと言っても受け入れてもらえるんだ。これでよかったんだ。

 おずおずと背中に腕を回したら、「うあー! かわいいー!」と昇天しそうな断末魔が聞こえ、東の腕に更に力がこもり髪に頬擦りをされる。背骨、へし折れる。

「今すぐ亘たちに『先生、俺がいないと生きていけないんだってー!』って言いにいきたいくらい嬉しいもん」

「それはやめて」

「あっはっは! 駄目か!」

 嬉しいことすぐ報告しに行こうとすんな。子どもか。でもそのくらい本気で喜んでくれてるんだって、嘘じゃないんだって分かりやすくて救われる。

「先生。俺ね。正直、悔いのないように生きたらいつ死んだっていいって思ってたよ。でも最近気が変わった。先生残して死ねない。先に死なない。約束する」

 真剣な声色に戻った東が、私の体を少し離してまっすぐに目を見つめて誓いを立てた。私なんかを安心させるために、そこまで言ってくれるんだ。進藤さんの言った通りだった。いつだって東が助けに来て、何とかしてくれるの。

「約束だからね」

「うん。だから先生も、俺から離れないでいて。ずっと傍にいて。いつでもくっつけるくらい近くにいて」

「ふふ。分かった。約束する」

「あ~かわいい~かわいいなー! これから好きっていっぱい言っていいんだー!」

「えっ。駄目だよ」

「何で! 我慢してたもん! かわいいも好きもいっぱい言いたい!」

「心臓破裂しちゃう……」

 東は破顔した。

「破裂しちゃうの。かわいいなー。やっぱ大好き!」

「『パーン!』」

「え、今の何の音」

「私の心臓が弾け散った音」

「先生ー! 生きてー!」

 一週間ぶりに私達は顔を見合わせて大声で笑って、その声でみんなが見にくるまで笑い転げていた。

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