第28話

ぱたぱたと、団扇から風が送られる。扇いでくれているのは東だ。そんなことをさせて申し訳ないと思うけど、体が怠くて動かない。涼しい風がブラウスをはためかせ、汗を乾かしていった。重ねられている左手だけがひどく熱い。少しずつ少しずつ、体から重りがなくなっていく。

「……何してんの」

 床板が軋んで、進藤さんの訝る声がした。

「先生来た」

「それは見れば分かる。何で手触ってるだけなのって聞いてんの」

 すぐ傍に進藤さんが屈む気配がする。

「随分いっぱい憑かれたね。過去最多じゃない? ……自分から来られなかったかあ」

 柔らかな声がして、汗で私の額に張り付いた髪がそっと剥がされた。東も、進藤さんも、私が目元を覆った腕の下、さめざめと泣いてしまっていることにきっと気付いてる。左手から東の手が離れた。

「何でって、そりゃくっつく面積が広い方が除霊は速いけど。先生が嫌かなと思って。先生、ほんとは亘に除霊してもらいにきたんでしょ」

 そうだったのか。どうりで今日はなかなか楽にならないと思った。

「俺じゃもっと時間掛かるよ」

 立ち上がった進藤さんが去っていく。東と二人は物凄く気まずい、と思っていたらすぐに帰ってきてくれた。

「はい。体辛そうだからこれであちこち冷やしな? ちょっとはましでしょ」

「へぶっ」

 ひんやりと濡れた手拭いを顔に乗せられ呻く。汗のついでに涙を拭いてしまって、首や腕も拭って何度か瞬きをしても目眩は起きていないことを確認してからそっと起き上がった。東はこっちを向いてすらいなくて、片膝を抱えて庭の方をぼーっと見ている。ため息を吐いた進藤さんに尋ねられた。

「先生。俺いた方がいい? いない方がいい?」

「いて」

「俺が帰るよ」

 そう言った東の頭を、ぺしんと進藤さんが優しく叩く。ああ。私が悪いのに。

「東。辛いのは分かるけど、先生の顔ちゃんと見た? 『俺、先生の考えてることなら全部分かる』って言ってたの誰だよ」

 そんな恥ずかしいこと進藤さんに言ってたの。東が不服そうに私をおずおずと見る。ばちっと目が合って、抵抗する間もなくかあああと頰が火照った。おかしい、こんなの。久しぶりに会ったせいで、東から受けるどきどきが増してる。両手で頬を押さえる私に、東は困惑していた。

「東、あの。私の話、聞いてくれますか」

「うん」

 泣きそうな顔で微笑みながら、やっぱりあなたは躊躇なく頷くんだ。

「私ね、東にずっと祓ってもらってるのが嫌なの」

「……うん」

 がん、とショックを受けた顔をするのを見て慌てる。

「違うの、祓われること自体じゃなくてね。それで東の時間を奪って、東のやりたいことができないのが嫌」

「先生の除霊は俺のしたいことだよ。ずっと、会える口実があってラッキーって思ってた。先生が好き。他の奴に祓わせたくない」

 進藤さんをちらりと見て、口元が珍しく不機嫌にへの字。好きって、また言ってくれた。私が一度断ったのに。ぎゅっと胸が痛くなる。

「今はそうでも、将来は? ……馬鹿げたこと言ってるのは分かってる。付き合ってって言われてるだけなのにそんな重たいことを言うなんて。でも、東が私のことをどうでも良くなったときに、除霊が理由で私を振れずにいつまでも縛られていてほしくない。東には自分の好きなことをしてほしい」

「それ、俺はどうしたらいいの」

 こんなにも真顔の彼は初めて見た。怒って当然だ。こんな訳の分からない訴え。怖くて俯きたくなるのを堪える。

「『嫌いになったら嘘吐かずに振ります』って誓えばいい? 思ってもないこと言いたくないんだけど。俺は馬鹿なこと言ってるつもりなんてない。逆のことなら誓ってやるよ。今ここで。

 先生のことがずっと好き。一生変わらない。ずっと好き。永遠に大好き! 誰も頼れる人がいなかったのに一人きりで頑張ってきた強いところも、自分が辛い思いするのに進んで霊を引き受けて人にも霊にも優しいところも、料理が得意なところも、ツッコミが鋭いところも全部全部好き。

 他の奴になんて絶対守らせたくない。俺がもう泣かないように何もかもから守りたい。……こんなに、俺のものにしたいって思ったことない」

 言いきった東は唇を震わせて私をじっと見る。強い眼差し。こんなに想ってくれているなんて知らなかった。知らなかったの。

「……ずっと、避けられてきた。友達になっても、私の能力のことがばれると離れていったり。ずっと疎まれてきたし、実際私が周りを不幸にしてるとも思ってたから、一生離れていかない人なんていないと思ってた」

 東の手が、そっと私の頰に伸ばされる。そっとそーっと、拒まれないか心配するように。最後はちょっと首を傾けて私から触れたその手は温かく私の頬を包んで、濡れていない目尻を親指で優しく撫でた。

 携帯の着信音が鳴って、二人でびくっと肩を跳ねさせる。

「ごめん俺だ……」

 東が出た。

「もしもし!」

「東? 菅原ですけど! 今、亘といる? ごめんちょっと、助けにきてほし、」

「菅さん? 菅さーん!」

「うおっ、……はいごめん、もしもし! 今ね、博物館に来て調ベ物してたんだけど。ちょっと凄い数の霊が湧いて中に捕まっちゃった」

「大丈夫?!」

「なんとか逃げてるー。でもごめん、祓いきれないからできたら助けに来てほしくて。先生まだいないんだよね? 亘に声掛けて集まれる人で来てほしいなーって」

「分かった。頑張れ!」

「うん、大丈夫。あー、ごめん切る」

 終始、のどかなんだか切羽詰ってるんだか分からないような菅さんの声が漏れていて、電話を切った東と私たちは顔を見合わせた。進藤さんが瞬時に立ち上がる。

「すぐ行く。お前らは無理して来なくてもいいけど……」

「「行く!」」

 声が重なって、進藤さんは車の鍵を取り出しながら笑った。

「東と先生って鏡みたいな。どっちかが落ち込んだらそれ見て同じように落ち込んで、どっちかが嬉しそうにしてたらそれ見て嬉しくなって笑って。どうせなら両方楽しそうにしててほしいわ」

 東と二人で怪訝な顔を見合わせる。お互いに自覚がないらしい。まあ今はとにかく、菅さんがピンチなんだから除霊仕事だ。大事なことをまだ言えてないけど、それは後から。

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