理由
第26話
「えーっ! 何で!」
「ちょ……っ、颯太。シッ!」
どでかい稲辺さんの叫び声が響いて、はっとする。菅さんが慌てて黙らせようとしてるけどもう遅い。私たちはぱっと顔を上げて、他の面子が離れてはいるものの私たちのことをばっちり見ていたことに気付いた。東が立ち上がる。するりと、握られていた手が落ちていく。
「あ……あず、あのっ、」
「ごめんね」
私を見下ろした東は微笑んでいた。滅多に私の言うことを遮らない東が遮って、呆然と見つめ返す。口角は上がっているのに、目の色が悲しみでいっぱいだった。私が、この人を傷付けた。
「言いにくいこと言わせちゃってごめん。気にしないでいいから!」
そんな、謝るのは私の方なのに。いつもうんうんって私の拙い話を聞いてくれた東が、有無を言わさない。どうしようどうしようどうしよう。傷付けた東。視界の端でばたつく周囲。自分のしたことで動揺でいっぱいの私を見て、私の頭に伸ばされかけた手が寸前で宙を彷徨って下ろされる。苦笑いした東は、そのままぱたぱたと離れていった。私は自分でやっておきながら絶望する。馬鹿な。絶望したいのは東の方だというのに。私にそんな資格はない。
「花火終わったな?! ちゃちゃっと片付けるぞー!」
花火の燃え殻が入れられた水入りバケツを持って、東が声を張り上げる。私同様、固まっていた周囲の時間が動き出した。
「菅さん!」
進藤さんが一言叫ぶ。
「分かってる分かってる!」
呼ばれた菅さんは、既に二人分の荷物を持ってきていた。
「東、片付けは任せて一緒に帰ろ」
「え……菅さん何で、そんなの悪いし俺一人で帰、」
「お願いお願い。俺が明日早いの。で、一人で帰ってて親父狩りとかに遭ったら嫌じゃん」
「菅さんいつの時代の人……そんなお金持ってそうな見た目もしてないし」
「分かったって。でも帰ろう。ね? みんなごめん、ありがとう。お先に帰ります」
「おー」
菅さんに背を押して促され、東は帰っていく。そのまま振り返らなかった。
「……じゃあ、俺らは片付けて帰りますかね?」
改めてバケツを持った稲辺さんに、進藤さんが言った。
「いいよ。そのくらい、あとは俺がやっとくから。今日はこれで解散」
「ありがと。じゃあお言葉に甘えて」
進藤さんと私だけを残して、稲辺さんも帰っていく。数分前まであんなに、夢のように楽しかったのに。東だけじゃなく、みんなの気分まで盛り下げて、私が台無しにした。最低だ。本当に、最低。
「先生? ……先生! バケツ、そんなに綺麗に洗わなくていいよ。もうその辺でいい」
「ごめんなさいっ。ごめんなさい」
「別にちょっと聞こえてなかったくらいでそんな謝んなくてもいいって」
進藤さんが小さく息を吐く。それにもびくりとした。私と進藤さんで後片付けをし終わる。
「……今日はありがとう。それじゃあ私、お暇します」
「せんせ。帰りは送ってくから。まだ時間ある? 話し、聞かせてよ」
お世話になりっぱなしなのに、断れない。私は頷いた。
蛙の鳴く庭、縁側に腰掛けてなかなか話し出さない私に進藤さんから聞いてくれる。
「ここ男ばっかだからさ、あんまり分かってあげられてなかったかもしれないんだけど。東のこと、嫌いだった?」
「っそんなことない」
俯いて首を横に振る。頭の中にこびりついて離れない、東の傷付いた笑顔。爪が掌に食い込むほど拳を握って、それでもそんなの比にならないほど胸の痛みはどんどん増していく。
「だよな。見てれば分かるよ。ここに並んで座るときだってさ。俺らの中の誰がいたって、東がいたら先生絶対東の隣りに座んの」
進藤さんは笑って軽く板の間を叩いた。
「そんなこと……! ……あった、かも」
「ははっ! 無意識だった?」
進藤さんが笑みを深める。私は羞恥に頰を火照らせた。
「俺らだって、先生が東じゃなくて自分の隣りに来たらびっくりするよ。そのくらい、二人でセットだって思ってた。良い組み合わせだなって。……勘違いしないでね。無理矢理くっつけたい訳じゃない。ただ、本当に仲が良さそうだったから、付き合わないにしても俺はこのままで終わってほしくないだけ。せっかく同じ境遇で集まった仲間なんだよ。仲良くいてほしいじゃん」
除霊師集団の、リーダー的立ち位置の進藤さんの言うことには頷けた。険悪な仲が混じっているのは周囲にも迷惑だろう。
「俺はさあ、最初からずっと見てきたから。東と先生がお互いにどんな風に接してきたか、知ってるつもりだよ」
そうだ。進藤さんは、最初からずっと私達を見守っていてくれたから。全部知ってる。
「私が憑かれちゃうせいで、東は私と会わなきゃいけないから。ずっと、助けてもらってばっかり」
「先生は東に助けられてるけど、東も先生に助けられてるでしょう」
「え……」
「東は強いけど、危なっかしいとこあるから。どうやって実現すんのか到底分かんないような夢語って、自分のことは二の次で人のことばっか助けて。男のプライドってのも分かるからね、俺らは放っとくふりをしながらもこっそり見守ってるだけだった。
だから、除霊現場でいつも通り消えてく東に先生が付いて行くようになったとき、ああ良かったって心からほっとした。東、霊の声が聞こえるってことも言ったんだって。先生には傍にいることを許したんだって。そんな存在ができてよかったって、先生になら任せられるって俺たちは思った」
ぎゅぅぅ、と手に力が入る。本当に、私が東の力になれていたのだろうか。東の気分が悪くなったら、もう癖なんだろう、声も掛けずにふらっと消えようとする彼をぱたぱたと追いかけて、霊を引き受けてじっと待ってた。
「東ー、大丈夫だよー。ここにいるからね。東が悪いんじゃないからね」って声を掛け続けて。最初はあまりの霊のうるささに彼は私の声も聞こえづらくなってしまうらしいのだけど、段々聞こえてくると背中の震えが治まって、吐く合間に頷いてくれるようになるのだ。
そんなことしかしてない。東が私を助けてくれるのと同じようなこと、私は何もしてあげられていないのに。
「そんな、期待と信頼を寄せてもらってたのに、裏切ってごめんなさい」
「ちーがうって。プレッシャーには感じなくていいの。俺らが勝手に任せただけなんだから。あんなどこ飛び出していくか分かんない無鉄砲なやつ、一緒にいるの大変だったでしょ? 嫌だったならいいんだよ。むしろ今まで気付いてやれなくてごめん」
進藤さんが大きな手でがしがしと私の頭を撫でた。東とはまた違った感触だけど、安心する。
「でも、嫌じゃなかったんなら、力になってやりたいって思うから。話してみ。俺、東も先生も好きなんだよ。もちろん、颯太も菅さんも」
温かな優しさに包まれて、私は唇を噛み締めて顔を上げた。
「私が、悪いの。東は何も悪くなくて。断った理由も、似たようなものばかりだけどいくつかあって」
「うん。大丈夫。俺の予想だと、どっちも悪くないよ。お前ら二人して自分のこと一番後回しにするからさ。どんな理由言われたって引かないから、ゆっくり話して」
進藤さんのしっかり相手の話を全部聞こうとしてくれる姿勢は東と似てるって思った。そしてさっきから東と比較してばかりの自分にも気が付いたけど、もうどうしようもなかった。
「東がね、私に憑いてる家族の霊は、誰も私のこと恨んでないって言うの。心配してるだけだって」
「うん」
「でも、それ以上何を言っているかは言えないって言うの。ごめん、って。馬鹿だね、嘘がつけないんだから。それしか言ってないよって言えば他に誰も気付きようがないのに。それでね、そこは良いの。無理に言わせて、東に辛い思いをさせたりなんて絶対したくない」
「うん。東を傷付けないでいてくれてありがと。あいつ結構それで苦しんできてるからさ。……先生がそういう子だって思ったから、俺たちは東を任せたよ」
「そしたら、私に言えないようなことっておばあちゃん達は何を言ってるんだろうってどうしても考えた。私が傷付くようなことを言ってるんじゃないってのは分かってる。東が違うって何度も聞かせてくれたから。でもじゃあどうして言えないのって。……おばあちゃん達が東に、私のことをよろしくお願いしますって頼んでるんじゃないかって思った」
「あちゃあ……。うん。それで?」
「そんなの東のことだから絶対に断れない。私を守ろうとするに決まってる。自分のことは二の次の人だから、自分の意思なんて放っといて。私のせいで、東を縛ることになるって思った」
「……東は、ちゃんと先生のことが好きだよ。あのね、くっつくの大好きで癖って言ってるし人懐こく見えるけど、あれでなかなか心は許さない奴だから。誰彼構わずくっつく訳じゃない」
またぎゅうと唇を噛み締める。絶対に泣いてしまわないように。
「分かってる……!」
東のくれていた愛情は、私が一番分かっていた。
「こんなに迷惑掛けてるのに、私なんかのこと好いてくれてるんだって分かってた! でも、好きじゃなくなったらどうする? こんな、今だって私の都合の良いときに呼び出して東ばっかり負担の大きい関係。東は、優しいから絶対に言わない。自分が好きじゃなくなったとしても、自分がいないと私が困るのを分かってるから絶対に言ってくれない! 別れようって。俺はお前を見離すよって。きっと本心を隠して付き合い続けてくれる。私の存在が東を縛り付けてそうさせる!」
叩き付けるように言う。ずっとずっと怖かった。告白されてしまうのが。二人でいると楽しくて幸せで。でも東の方からいつでも切れるように、名前の付かない関係でいたかった。
「俺らから見てると意外と持ちつ持たれつだし東は大喜びでやってるだけに見えるけど、先生は東に無理させてんじゃないかって思う訳ね」
だってあの忠犬ぶり見てみ、先生に頼られたときの嬉しそうな顔、と進藤さんが言う。ぐちゃぐちゃな思いをまとめてくれて、私は頷いた。
「あと、もう大事な人を失くしたくない……っ」
両親を亡くしたことは幼くてあまり記憶には残っていないけど、ずっと育ててくれたおばあちゃんを亡くし、私は本当に天涯孤独になった。東やみんなと出会って少しずつ前を向けるようになったけど、もう一度あの絶望になんて耐えられない。何度味わえばいいの。それならもう大事な人を作りたくない。なんとなく一緒にいて楽しい関係のままで。
「東、先生の四つ上だよ。そんなすぐ死なないよ」
「分かんないじゃん! 私がこんなに心配してるのに東はひょいひょい自分の身を差し出すしさあ! いつ誰か庇って事故に遭うか、取り憑かれるか! 東なんて絶対にすぐ死ぬ!」
「すげー言われ様だな。分かるけど。俺らもずーっとひやひやしてきたから」
「東が正しいのなんて百も承知だよ! いつか絶対死ぬんだから、楽しく生きた方がいいって。死ぬ時を恐れて人と関わろうとしないなんて私が馬鹿げてるんだって分かってる。それでも、私、東みたいに強くない! 東まで失くしたら耐えられない!」
考えるだけで胸が冷えるのだ。東はちっとも怖くないみたいだけど。
胸の奥に仕舞ってきたことを必死に吐き出してずっと泣きそうな私とは裏腹に、進藤さんは笑った。
「東がそれ聞いたら喜ぶだろうなー。先生、普段結構ドライだからさあ」
「どんどん親密になるのが、怖かっただけ。ほんとは、」
言えない。言ったら必死に蓋をしてきた自分の気持ちを認めてしまうことになるから。膝を抱えて顔を埋める。
「分かった分かった。ありがとね」
と言って進藤さんはまた私の頭を撫でた。
「じゃあ、東が先生に何でもしてあげたいって気持ちがずっと変わらなくて、東が死ななきゃ先生的には解決な訳ね?」
「そんなの、どっちも不確かなんだから解決の術なんてないじゃん」
もう無理なのだ。出会わなければよかったとは思わないけど、お互いにこんな体質じゃなければよかったのに。普通に出会って、やっぱり恋に落ちて。告白されたら何の躊躇いもなく応えられるような、そんな人生がよかった。
「解決はしないかもね。でもさ、先生は全部自分が悪いと思ってるかもしれないけど、聞いてる限り東にも改善の余地はあるから。……東と一緒にいるのはさ、怖いけど楽しいこともいっぱいあるよ。俺が東の宣伝するのも変な話だけど」
「ううん。変じゃない。進藤さんは東が好きだもん……」
「はは! 親友だからね」
進藤さんはちょっと照れ臭そうに、でも嬉しそうにした。楽しいのは知ってる。私、喉から手が出るほど欲しい。東の隣りに普通にいても許される権利が。でも、私じゃ駄目なんだもん。
「このままじゃ嫌なのは先生もでしょ。今言ったこと、俺から伝える? 自分で言う?」
「……自分で言う……」
「ん。そうしな。大丈夫だよ。東も男だから、先生の言うことだったら何としてでも叶えようとするはずだから」
「そんな無理をさせるのが嫌なんだけど……」
「好きな奴のちょっとしたわがままくらい可愛いもんなの! 言ってやれって。鬱陶しいなんて少しも思わない。ぜってー喜ぶから。もう百パー。付き合いの長い俺の言うことを信用してほしいね」
「そんなもの……?」
「そんなもん! ほら、帰るよ。送ってくから。来づらいだろうけど、絶対またおいで」
進藤さんは私を車で家まで送ってくれて、やっぱり一緒に電車で帰ったりバイクの後ろに乗せてくれたりした東を思い出して、玄関のドアを閉めてからちょっとだけ泣いた。前に泣いてたときにちょうど家まで来てくれたこともあったな。あんな振り方しちゃったから、進藤さんはああ言ったけどもう来てくれないかもしれない。そう思って余計に涙が出た。
お風呂に入れば私の裸を見られる霊に妬いていたことを思い出すし、仏壇を拝んでもおばあちゃんを盛大に祝ってくれたことを思い出す。私の中、東でいっぱいだ。会ってひと月ほどなのに。おかしいくらい、どこを探しても東しかいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます