第23話
長かったトンネルが終わって、出口に立つにこやかな面子に迎えられて心からほっとする。
「あずぽんお疲れー」
「うえーい! お疲れーい!」
「今日はびしょ濡れじゃないじゃん」
「水なかったからな!」
「何もなかった?」
「えっと……」
進藤さんに訊かれて咄嗟に口籠もる。いろいろあったといえば、あったけど。東にしてみればいつものことなんだから、何もなかったといえばなかったのかな?
「何にも」
「おい何だ今の間!」
「ええ?! いや何もないって! ねえ先生!」
「う、うん……」
「先生だけさっきから歯切れ悪ぃじゃん」
「お前、トンネルの中暗いからってなんかえろいことしただろ」
「なっ……してねえよ! まじで! それはしてない!」
稲辺さんに突っ込まれ、東が真っ赤になって叫ぶ。あれ、なんだか話が変な方へ行ってしまった。
「先生、東に嫌なことされたらすぐに言いなね? 自分で殴ったり蹴ったりしてもいいけど、できなかったら俺が行くから」
「うん。ありがとう」
「亘? 東さんの信用なさすぎない? お前が本気で蹴ったら東さん折れるよ?」
みんなで集まるとやっぱり賑やかでいいな、と思いながら車に乗って帰る。除霊のお陰か、帰り道は至極平和だった。稲辺さんなんてそれほど長時間の道のりじゃないのに寝てしまっていたくらいだ。手分けしてお布団を敷いて、またお寺に泊まらせてもらう。今夜もいろいろあって疲れていた私は、すこんと眠りに落ちた。
はっと目を覚ます。スマホを見ればまだ三時。隣りにまた東がいなかった。あの人ほんと寝ないな。そっと布団を抜け出す。他の人はぐっすり眠っていた。お水もらいにいこう。
きし、きし、と軋む廊下で足音を忍ばせ、台所に向かう。明かりが点いていた。
「あれ、東」
「ん? 見つかっちったー」
くすくす肩を揺らした東は、一人でお茶碗に向かって何やら作っていたようだ。ほわんとお出汁の香りが漂って、ぐううとお腹が鳴る。
「一緒に食べる? 俺たち二人とも胃の中身出ちゃってるからね」
東はお茶碗をもう一つ取り出した。
「あ、自分でやる」
「いいよ。俺と同じのでよかったら作ってあげるから座ってて」
「ありがとう」
ぱかっ、と炊飯器を開けて、保温されていた湯気の立つごはんがよそわれる。その上に揚げ玉、鰹節、いりごま、千切ったのりがぱらぱらと乗せられ、粉末顆粒のお出汁がふりかけられた。二人分のお茶碗に、電気ポットからとぽとぽとお湯が注がれる。
「あい、どうぞー。召し上がれ」
「出汁茶漬け?」
「ん。具は質素ですけどね。結構うまいと思うよ」
鰹の香りが鼻をくすぐる。
「おいしそう。いただきまーす!」
みんなを起こさないよう、声を落として手を合わせた。東も楽しそうにそれに倣う。ほろ、と温かくて荒れた胃にも優しそうなお出汁のごはんに、揚げ玉や海苔とごまの香ばしさとさくさくぱりぱりのそれぞれ違った食感。
「おいしい!」
「んふー。だろう」
「うん。お腹も満たされるし優しい味がして、すごくすごくおいしい」
「あはは、超褒めてくれる。でもねえ、今日のは良い出来ですわ。んまい。先生と食べてるからかなー」
東はもぐもぐ咀嚼しながら微笑んで私を見つめていた。
「誰かと食べる方がおいしいもんねえ」
「うん。ナイスタイミング」
「いつもは一人なの?」
「除霊した夜、毎度って訳じゃないけど。体力も使うし、俺はお腹空いちゃう。みんながお腹空いてたら、帰ってきたときにお夜食作ってくれて食べたりもするんだけどね」
「じゃあお夜食なかったときはこれ作って食べてるんだ」
「そー。一応亘ん家の台所だからあんま材料使っちゃわないようにして、でもお腹膨れるやつ」
「ふふ、なるほど。東の今までの研究の成果なんだね。おいしい訳だ」
「量って作らないから日によって味違うし、今日のはまじ神ってるけどね」
「おいしゅうございます、東シェフ」
「うむ、苦しゅうない」
「なんか違くない」
台所の調理用の小さなテーブル。そこの丸椅子に座り、二人で顔を突き合わせて笑う。くっくっく、と声を抑えるのも大変だ。
「まあそんなけちけち遠慮しなくても、俺は食費納めてるんだけどねえ」
「えっ、そうなの。私も入れた方がいいね」
「いや俺は世話になり過ぎてるから。先生はいいでしょ。料理手伝ってるし、しょっちゅうお土産持ってきてるし。ほら、この前のあれとか」
「プリン?」
「うんうんうんうん」
東が首が取れそうなくらい頷く。
「あれおいしかった」
「あは、また作ってくるね」
ぱぱっと食べてごちそうさまを言ったら、片付けをする。東がお茶碗を洗って、私が拭いて食器棚に片付けた。ご飯も残り少なくなってしまったのでラップに取って、明日の分を研いでおくのだそうだ。
「普段は亘の家族か、修行してる人が朝から炊いておいてくれるんだけどね。お夜食で食べちゃったときはお詫びに補充しとくの」
と予約炊飯のボタンを押しながら東。悪戯っ子みたい。となると同じことをしてしまった私は共犯者な訳で、秘密の共有をしてしまった気分。
鰹の匂いの残る台所を後にして、やっぱり軋む廊下を忍び足で帰る。もうみんなも近いから声は出せない訳で、みし、と音がしてしまう度に顔を見合わせて変顔と口パクで注意し合っては声を殺して笑った。
すー、と襖を開く。誰も起きてない? 刑事ドラマの突入シーンの如く襖に背中を付けて中を伺っていた東が、銃を構えるふりをしながら私にも突入突入、と手招く。そして入ったら今度は「そろりそろり」の口の形をしながらゆっくりと布団に忍び込むものだから、私は布団に入るやいなや枕に顔を押しつけて笑いに耐える羽目になった。腹筋が痛い。
今夜も蛙と虫の声だけが聞こえる、静かな夜。寝返りを打つのも衣擦れの音がうるさい気がして、そーっとそーっと東の方を向く。すると元からこっちを向いていたらしい彼とぱっちり目が合ってしまって、また二人、目で会話をしてふふふ、と笑いを漏らした。その後はお腹が膨れたのもあってぐっすり眠ってしまう。
翌朝、菅さんにだけ「昨日はお腹空いてたの?」と訊かれて実は起きていたことを知り、気付かれていたのが彼でよかったと心から胸を撫で下ろすのだった。なんかこう……これが稲辺さんだったら、一言二言、いや山程からかわれていた気がする。
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