トンネル

第20話

「あい、もしもーし!」

 東が電話に出た。進藤さんからだったようだ。

「準備できたって。行きますかあ!」

「うん」

 私は周りを全体的に照らせるようにキャンプ用のランタンを、東は先の方まで照らせるように懐中電灯を持っている。トンネルの入り口に近づくと、表面の壁には蔦が這って苔が生えていた。

「んじゃ、お邪魔しまーす!」

「その掛け声で合ってんの」

 二人で元気よく話しながら入っていく。本当に明かりを持っていなければ自分の掌さえ見えないような暗がりで、騒がなきゃやってられなかった。しんとしていたトンネル内に二人の声がこだましていく。足音さえ大きく響いた。ぴちょん、ぴちょん、とどこかで雫が落ちる音もする。じとりと湿った空気を大きく吸うのが憚られて呼吸は浅くなった。明かりで照らされたコンクリートの曲面。亡霊が嘲笑うように一瞬横切っては闇に消える。上半身だけの女の妖怪が腕を使って高速で私たちを追い抜かし走り抜けていった。テケテケだ。心臓をばくばくさせてそれを見送っていたら、足元がどろりと沈んで顔の左半分がない霊が現れた。抉れたそこから血を滴らせながら半分だけの口でにたりと笑ったそれは、血みどろの腕で私の両足を掴む。

「痛っ」

 動けない。ぱっと横を見ても、東はいなかった。嘘。ぐるぐる上半身を捻って振り向いてもランタンの明かりの届く範囲にいない。まだ入ってすぐだぞ! どこに行くって言うんだ。いや入ってすぐでピンチに陥る私も私だけども。

「あず……っ」

 喉が張り付いて咄嗟に声が出なかった。落ち着け。きっと傍にいる。

「あず、東……!」

「はい、はいはいはい! ごめんごめん」

 足触るよー? と声がして、足元に屈んだ東が私に絡み付いた手を剥がしていった。ひやりとした感触が消えて、温かな手の感触が残る。

「……どこ行ってたの」

「近くにいたんだけどねー、見えなかったね、ごめんね」

 よしよし、と頭も撫でられた。あっという間に憑かれたなー、と背中も摩られる。そんな、子どもにするみたいに。ちょっと見えなくなったからどこにいたのかって聞いただけだ。

「見えなくても分かるように手ぇ繋いどこっか」

「……うん」

 自分が繋ぎたいだけじゃないのか、とか言ってる余裕がない。この状況で手を繋ぐのは私も大歓迎だった。さっきはもう一歩も動けなかったもんね。自分のより一回り大きな左手が、軽い力で私の指先を握る。私はそれでほっと一安心。霊も私に憑いては東の力で祓われていくので除霊も進む。

 ところが東の様子はおかしかった。周りでは血みどろの霊がわんさか恨めしそうに現れては消えていくのだけど、東は時々ぴくりと立ち止まりかけ、また私に遅れを取らないよう足を進めるのを繰り返す。

「……分かったから、……うん、辛いのは分かってるから。ここにいたって良いことないから、早く楽になりな」

 呟くのが聞こえて、東の右手が優しく霊を凪いだ。それでもまた歩を進めれば不気味に口を開けて群がってくる霊たち。東がぐっと息を詰める。触れ合っている手が、冷や汗で冷たくなってきていた。

 囲まれて、また東がふらりと足を止めるものだから右手が後ろに引っ張られる。

「東……?」

 振り向くと彼は右手で口元を押さえて俯いていた。

「どうしたの東」

 返事がない。いやいや、と小さく首を振るのが見えた。

「東、東」

 正面に回って肩を揺すりながら覗き込む。

「ん……? あー、ごめんね」

 東はようやく顔を上げて微笑んだ。聞こえてなかったのか。なんか変だ、と眉を顰める。ほら、いつもなら私の表情にも敏感に気付いて話し掛けてくるのに何も言わない立ち止まったことを誤魔化すように今度は私の前に出て手を引く。そして、数メートルも行かないうちにまた立ち止まった。隣りの顔を見上げれば何度も生唾を呑んでいたかと思うと、「ごめん、先に行ってて」と告げられ手が離される。東は一人で少し後ろに戻ったようだった。

「あ、うん……大丈夫?」

 と咄嗟に頷いたものの、私一人で先に行って何になるというのか。さっきの二の舞になるだけである。そのくらい分かるだろうに。どうしたの。

ふらふらと明かりをあっちへこっちへ向けて後を追いながら探せば、東はアスファルトに這いつくばって荒い息に肩を上下させていた。

「あ……」

 名を呼びかけて口を噤む。東の持っていた懐中電灯は無造作に投げ出され転がっていた。照らされたその前には吐瀉物が散らばっている。口元からはまだぽた、ぽた、と液体が地面に伝っていた。

「やっぱり気持ち悪かったんだね、大丈夫?」

 私の声にびく、と身体が揺れ、ひどく不満げな顔が手負いの獣のように私を睨む。何かを言おうとしたもののまた上がってきてしまったようで、再び俯いて少量を吐き戻した。何度も震える背中にそっと触れた手は、こっちを見ようともしない彼に掴まれ押し退けられる。

「進藤さんたち呼ぶ?」

 それにも首を横に振られた。大丈夫だから、と掠れた声が言って咳き込む。ふー、と一つ息を吐いた。介抱してあげたいところだけど、どうにも見られたくないようなので少し離れたところで落ち着くまで待つことにする。頭と胸元をきつく掴んで小さく震える東の周りにはあっという間に霊が群がっていて、私はそれらを自分の方へ呼んだ。

「ほらほら、普段は近寄れもしないのに弱った途端に付け込もうとしないの。私は平気だからみんなこっちへおいで」

 その声に反応したのか、ぞろぞろと私に向かってくる霊たち。

「そうそう、私の方がおいしそうなんでしょう。そのお兄さんは今静かなだけで元気になったらうるさいからね、私にしておいた方がいいよ」

 何が原因かは知らないけど、憑かれるのはしんどいって私が一番よく知ってる。少しでも楽なようにしてあげた方がいいだろう。とはいえ誰だ頭の上に乗ったやつ。重い。わらわらと内臓をぶちまけた霊たちが襲いかかってきて、私もアスファルトに腰を下ろした。交通事故が多いからグロテスクな霊が多い。あーだこーだと口をぱくぱくさせて怒った顔で何かを訴えてくるのにうんうんと頷く。東の方も見たらそっちにも私が呼びきれなかった霊が数人残っていて、彼は蹲ったまま耳を塞いでいた。

「っうる、さ……分かったからちょっと静かに」

 か細い声で辛うじてそう聞こえて、小鬼にやんやと髪を引っ張られながら首を傾げる。うるさいって何だ? 私はさっきから何も喋っていない。霊は見えると視覚にはうるさいほどに主張してくるけど、音は何一つ発しないのだ。何か吠えたり叫んでいるように見えても、声は何も聞こえない。だから今聞こえるのはどこかで雫が落ちる音、それと東の荒い息だけのはずなのに。

(ねえ、髪は抜けちゃうからそろそろやめてってば)

 小鬼は小声で叱っても悪い顔をして笑うだけ。そうやって霊を引き受けて戯れながら待っていたら、東がぐい、と手で口元を拭って立ち上がった。ショルダーバッグから私にもくれた水を取り出して口を濯ぎ、吐いてしまった物も溝に流す。面倒くさそうなその様子が明らかに手慣れていた。振り向くとまだ顔は青白いものの、しっかりとした足取りでこっちに向かってくる。

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