第19話

菅さんも揃ったことだし、私達は支度をする。といっても私は自分の身一つでいいから気持ちの準備をするだけ。もう何度目かの除霊だけど、自ら怖い場所に赴いてめちゃくちゃ疲れることをするというのは気合いがいる。深呼吸をしていたら、いつものショルダーバッグを斜めに掛けた東がやってきて通りすがりに私の頭を撫でていった。五人全員で菅さんの車に乗り込む。稲辺さんが真ん中の列、運転席の真後ろ。進藤さんが助手席。

「東、後ろは頼んだからねー」

「はいよー!」

 私の隣りの東が、最後列から菅さんに元気よく返事をする。こうして分かれて座るのは、除霊に向かう道中で車が霊に悪戯してくることがあり、そういうときに祓えるようにするためらしい。免許を持たないおばあちゃんとの二人暮らしで私は普段ずっと電車移動なので車でそんな怖い目に遭うなんて知らない。不意に座席に置いた右手が握られた。

「怖い?」

「大丈夫」

 こそこそと訊かれて一気に安堵する。過ぎ行く街灯に照らされる東の顔が微笑んでいた。

「大丈夫だからね」

「うん」

 その数十分後、車内は阿鼻叫喚と化すのだけど。

「ぜんっぜん大丈夫じゃねえぇぇ!」

「菅さんブレーキ! ブレーキ!」

「踏んでるって! 利かない!」

「先生平気?」

 東が顔を覗き込んでくる。悲鳴も上げられないけど、シャパアアアと涙は溢れるよね。前にも後ろにも血塗れ内臓剥き出しの死体が張り付いて、車が猛スピードで山道のカーブのガードレールに突っ込もうとしているところだったら。

「やっべえなあー!」

 こんなときでも笑っている東が窓を開ける。

「開けないでぇ! あああああ」

 せっかく菅さんの札によって霊の侵入を防いでくれていたのに。それによって窓から霊が雪崩込んできて全部私に群がった。

「ぇぅ、……おえええええ」

 さっきから最後列でぶんぶん振り回されていた上に一気に体に伸し掛かった重みと頭痛がとどめとなって私は一も二もなく吐く。なんか手を伸ばしたその辺に袋があってよかった。あとは現実でもキラキラモザイクが掛かればよかったのに、と嘆くばかりだ。汚い物見せてすみません。

 進藤さんは霊に邪魔されるハンドル操作を筋肉で手伝いながらお経も唱えてるし、菅さんもハンドルを握りしめて、稲辺さんは叫んでとみんな忙しいので私は放置。そりゃそうだ。あと数十秒で崖に突っ込んで死にそうだもんね。

「颯太! 足押さえてて!」

「は?! なんて?」

「俺の足! ブレーキに悪さしてる車体の下にいる奴祓うから、限界まで体乗り出す!」

 私がえずいている間に窓から顔を出して車の様子を確認していたらしい東が頭を一瞬引っ込めて稲辺さんに指示を出す。

 稲辺さんは怪訝な顔をしながらも即座に背もたれを限界まで倒して後列に来て、東の足を全力で押さえた。

「颯太ー! もうちょい、前前!」

「無理! お前落ちるぞマジで!」

「頑張れ颯太ー! お前ならできる!」

「お前恐怖心とかないんか!」

「あっはっは! 颯太のこと信用してっからー!」

 ぎゃんぎゃん言い合いながら東はもう太ももの半ばくらいまで窓の外に出ていて、この猛スピードの中彼はほぼほぼ窓からぶら下がったような状態であることにぞっとする。「重いぃ」と稲辺さんが歯を食い縛っている中、私はまた袋と向き合っていた。気持ち悪い。稲辺さんを手伝ってあげたいけど無理、私は戦力になれません。この車内に入ってきた奴全部私が引き受けてるお陰で皆さん動けてるので、それでお許しいただいて。

「……っしゃ届いた!」

「うおっ!」

「わあああああ!」

 東の歓声が聞こえた途端、キュルルルルル! とタイヤが鳴って踏みしめていたブレーキが急に掛かる。私達は全員慣性の法則に従い前に放り出され、ようやく車は停止した。東の上半身は窓の向こうで見えないまま。おおお……稲辺さん、怖くて泣いちゃってるのによく頑張った。

「おっ前、自分で上がって来い」

「へぇーい、ありがとね颯太ぁ」

「明日筋肉痛だわ。二度とやんねえ」

「筋肉痛でも明日が来るだけありがたいと思ってくれよ」

 車内に戻った東は髪がぼっさぼさに逆立っていて、頭に血が昇っちゃって顔は真っ赤。それでも私を見るなり背中を摩る。

「ああ気持ち悪かったね、ごめんね」

「平気……ありがとう」

「お水使って」

 私は何も持っていなかったので、東がショルダーバッグから取り出した水を有り難くもらって口を濯いだ。

外から、「まじでぎりぎりじゃん」などと騒ぐ声がしている。ガードレールすれすれで止まれたのだろう。よかった。東の勇気と機転に感謝。

「あずぽんー。大丈夫かー。降りろー」

 稲辺さんの声に、二人で顔を見合わせる。降りたいのは山々なので恐怖の車から降りた。

「颯太何それ」

「え? あずぽん?」

「それだよ」

 東がげらげら笑う。何だそのかの有名なポン酢とゆずポン酢の親戚みたいなのは。

「あずまと本堂だから。あずぽん。お前らどうせいっつもひとかたまりなんだもん」

「えー、可愛いー。先生と俺コンビみたい」

「抗議だ。東とひとかたまりとか……不服である」

「何でよ! 可愛いのにぃ」

「はいはい。じゃあそのあずぽんだけここで下車な。現場のトンネルすぐそこだから。自死の名所で霊による交通事故も多発。そんで更にこの時期は肝試しする奴の失踪も増えてる」

 進藤さんがさらっとろくでもない情報を寄越した。

「そりゃあんなことされたら事故にもなるわな。お手本のような悪循環だねえ」

「進藤さん達は? どこ行くの?」

「俺と颯太は出口の方からトンネルの中に向かって除霊。菅さんは出口から他所へ出て行かないように封じる。で、あずぽんはこっからトンネルの中通って俺らの方に向かってくる」

「こん中歩くの俺らだけじゃねえか」

 東がトンネルを見遣る。使われていない旧道だから、明かりも点いていない一寸先も見えない真っ暗な洞穴。ぽかんと放心してそっちを見つめていたら、東にわしわしと頭を撫でられた。

「ま、安全策取ったらしゃーねえかあ!」

 元気な声を放った東は、進藤さんと協力してトランクから「工事中 侵入禁止」の大きな看板を取り出して道路の真ん中に立てる。

「除霊中に車が来たら危ないからね。こういう現場のときはああやって通行止めにしてる」

 眺めていた私に菅さんが教えてくれた。

「トンネルは一・二キロだから。歩いてもそんなに長くはないよ。除霊してないままで中は突っ切れないから俺たちは回り込んで反対側に行く。着いたら電話するから、それまでは入らず二人で待ってて」

 そう言って私たち以外を乗せた車はUターンしてしまった。座っていよう、と路肩に座った東に誘われ隣りに腰を下ろす。見るからにどんより嫌な空気の漂うトンネルを嘆かずにはいられなかった。

「東は私が来る前だったらこういう現場のときは一人で中に入ってたの?」

「うん。そういうときは、颯太と亘で入り口と出口に分かれて挟み込んで。俺は中でうろうろ走り回ってた」

「怖くないの」

「はっは、怖いよねえ。でも、亘と颯太は俺よりもっと怖がりだし。除霊の仕方的にもそれが効率良いし」

 だからしょうがないって? 受け入れが良すぎやしないだろうか。まあさっきも東と菅さんは泣いてなかったけど、進藤さん、稲辺さんは泣いちゃってたもんねえ。仕事はしてたけど。除霊能力もあるこんな大っきい男の人たちでも怖いのは怖いんだなと思ったものだ。

「だから今日は全然まし。先生がいるもん。怖くないよ」

「……普通逆でしょうに。俺がいるから怖がらなくていいよ、じゃないんだ」

「あっは! もちろん先生も安心しててくれていいけど! 俺がびびってると伝わって余計怖くなっちゃうかなって」

 大きな手が私の髪を掻き回した。

「……東がいるから、私はいつも安心だけど」

「お、かわいいこと言ってくれる~」

「さっきは東が死んじゃうかと思って怖かった」

「……思い出しちゃった?」

「え? ああいや、両親が亡くなったときの交通事故の話なら、私も同乗してたけど幼すぎて思い出すような記憶がそもそもないから全然」

「そっか。車だったから思い出して怖くなっちゃったかと思った」

「違うよ。誰だって猛スピードで走る車から乗り出してぶら下がってる人間がいたら死ぬと思って心配する」

「そういうこと? だってあれは俺だけじゃなくてみんな死ぬじゃん。先生、自分も死ぬところだったのに俺のことだけ心配すんの?」

「……だからみんな怯えてたよ。東だけ、全然死ぬのが怖くなさそうに笑ってるところが怖かった。簡単に死ぬと思った」

「死ぬときはみんな死ぬよ? いつか必ず死ぬ」

「……そりゃ、そうだけど」

 だから怖がることじゃないってか。それが普通は怖いというのに。

「だから生きてるうちは頑張ろうって思うけど。全力で楽しむし、全力で生きる。諦めんのはもっと生きられたはずの人に失礼だと思うから、回避できそうならなるべく死ぬのは避ける。絶対後悔は残さない」

 そしたら怖くないっしょ? と首を傾げる。私は頷かなかった。胸の奥が冷える。隣りでぴったりと触れている体温はこんなにも温かいのに。

「東は、死んだら霊になって出る? もし、もしもよ? 先に死んだら、私たちに会いにくる?」

 真っ黒の瞳が私を優しく見つめる。そうやって、死んでも見守りたいって思う? どこかで、「そうだねー! みんな見えるんだから、会いに来たいなー!」なんてにこにこ言うのを期待していた。

「いや、こっちには留まらない。死んだらあっちへ行くだけだよ。何も残らない」

 柔らかな口調が突き放す。いや、東は決してそんなつもりで言っていない。それでも私は東があっという間に離れていくように感じた。

「そう」

 ぐしゃぐしゃ、と頭に重たい掌が乗せられて俯く。

「だーって化けて出たら絶対みんなに祓われんじゃん。嫌な思いもさせちゃうしさあ。だから成仏できるものならその方がいい。そうでしょ?」

 俺、先生の肩を凝らせたくないよ、と東は明るく言った。彼は何も間違ったことは言っていないのだ。なのにどうしてこんなにも頷けないんだろう。化けてでも、なんて。その先は認めたくない。

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