ドライブ

第18話

持ち歩いている菅さんのお札のお陰もあってか、お寺には数日に一回程度通うことが続いていた。除霊師の仕事を手伝うことになったはものの霊障の相談はそれほど多い訳ではないらしくて、大抵は私が祓ってもらって家に帰るだけ。その度に東を不定期に呼び付けるのが申し訳なくて、曜日を決めておこうかとも尋ねた。でも東は、「そしたら約束の日より前にしんどくなっちゃったときも先生、俺に言うの躊躇うでしょ? 先生が祓ってほしいときにすぐ祓ってあげたいから、その都度言ってくれればいいよ」って聞き流した。それじゃ東が予定を立てられないだろうに。

「いいんだって。どうせ先生来ない日も毎日のように亘ん家に遊びに行ってるし。亘だけならいつでも寺に行けば会えるけど、亘の除霊方法だとお経を聞かせて霊の嫌がる空間を作って、霊の方から出て行ってくれるのを待つことになるからさ。人相手だと俺の方が効率良いっしょ」

 と東は呼ばれる度に自分が来ると聞かなかった。とんだ迷惑だ、と俯く私に、進藤さんは「こいつがやりたくてやってるから気にする必要ねえよ」と言ったのでお言葉に甘えている。

 でも今日は珍しく前もって「除霊の仕事があるから集まれる奴は集合」と号令があった日。

 そんな日に限って仕事がなかなか終わらなくて、お寺に駆け付けたらもう夕食が始まろうとしていた。

「あ、せんせー! お疲れさま!」

「良いところに間に合ったな」

 良い匂いに明るい部屋。ぐるる、とお腹が鳴って一気に安心する。今日は進藤さんに東、それに稲辺さんもお仕事を終わらせて揃っていた。今夜の除霊もやっぱり人がいなくなる深夜を待たないといけないらしい。この前の学校よりも更に遅くないといけないとのことで、食後はみんなでテレビの点いた居間でだらだらしていたところ、つん、とブラウスの袖を引かれた。そちらを向くと東が目で廊下を示したので、二人で静かに部屋を出る。

「どうしたの?」

「先生、今日はみんなが揃ってから来たから、まだ祓えてなかったでしょ。こっちおいで」

 東は微笑んで私をいつもの庭を臨む縁側の方へ誘った。居間の談笑が遠ざかっていく。すっかり虫の声しか聞こえなくなってから、東は板の間に座り込んでとんとん、と腿を叩いた。その意図を察し東に背を向け開かれた足の間におずおずと座る。

「みんなの前でやってもいいんだけど。茶化されんのも嫌でしょ?」

「ん……」

 頷きながら、どっと力が抜けるのを感じた。ぐら、と後ろにもたれかかってしまうけれど、東はしっかりと受け止めて私のお腹に温かな腕を回す。

「こんだけ憑かれてたら辛いでしょう。祓って、って俺のとこ来てくれていいのに」

「今日、お仕事だっていうから……その前に疲れさせちゃ駄目かなって」

「それを言うなら先生もでしょ。行く前からへろへろじゃ駄目じゃん。俺、このくらいならバテないけど……まあ、先生が心配ならフルパワーで一気に祓わずにちょっと時間掛けようかな。それでもいい?」

「うん、そうしてください」

 了解、と髪に頬擦りをされた。

 さわさわと昼間より涼しくなった夜風が頰を撫でる。絶え間なく続く虫と蛙の声。ああ心地いいな。背中に当たる体温は温かくて、優しい指先が繰り返し私の髪を梳いていく。

「ん……」

 身動いだら、「まだ寝てていいよ」と囁かれた。そうかな。じゃあ、もうちょっとだけ。あんまり心地よくて目が開かないの。さく、さく、と砂利を踏む音がした気がした。

(東ー)

(あ、菅さーん。お疲れー)

(お疲れ。先生、寝ちゃってるんだ)

(そう。だからシー、ね? 先生、今日プールの授業あったんだってー。そりゃこの時間にもなったら眠いよねえ。その上憑かれてて体調悪そうなのに言わないから声掛けて祓ってたら、さっき寝ちゃったとこ。憑かれてるのはみんなに見えてんだけどねえ、明るく振る舞うもんだから平気なのかと思われちゃうよね)

(無理しちゃってたんだ。そりゃ遠慮もするだろうけどね)

(そうなの。人に頼るのがめーっちゃ下手っぴ。誰にも頼れない環境で生きてきたんだろうから仕方ないんだけどさ。だから、俺が気付いてやんないと)

 誰か、すぐ傍で会話してる? けれど私を気遣って極力落とされた声量のせいで、微睡む私の意識はなかなか浮上しない。

(菅さん、中入ってきていいよ。俺、先生起こさないようにまだここにいる)

(うん。ふふっ……)

(何笑ってんの)

(いやなんか……大事にお腹に抱えてる東と安心しきってるこの子見たらカンガルー思い出しちゃって)

(うん。俺お母さん)

(ははっ。東はそれでいいんだ)

(うん、安心できる場所になれんだったら何でもいいよ。今はそれで充分だ。俺お母さんでお父さんでおばあちゃん!)

 はっと目が覚めた。勢いよく体を起こし、ゴッ! と東の顎とぶつかってしまう。

「ああごめん東!」

「うぐ……い、いいよ……」

「嘘だあ、涙ぐんでるじゃん。ごめんねぇ」

「へーきへーき」

 東は顎を押さえて蹲っていて私は平謝りした。そして庭に菅さんが立っていることにようやく気付く。

「菅さん! こんばんは!」

「こんばんは。起こしちゃったかな。気持ちよさそうに寝てたね」

「きょ、今日は遅かったんだね」

 恥ずかしくて話を逸らす。

「町内会の集会でね。祭で使うのぼりや提灯に書く文字の相談を受けてて」

「お祭りがあるんですね」

「霊を鎮めて平穏を願うためのね。今でこそ流通が発達したから何の問題もないけど、この街は昔は災害が多く作物が育たなくて毎年のように飢饉に見舞われてたんだ。当然、恨んで亡くなっていった人も多い。合戦場にもなってるしね。その関係で霊が多くて、そういう祭りも多いんだよ」

「えっ。じゃあ他の場所に引っ越したら」

「もっと見える数が少なくなる可能性はあるね。まあ先生には寄ってきちゃうって聞いてるから変わらないかもしれないけど」

「先生、引っ越したい?」

 東がじっと私を見つめてくる。

「いや、別にそんな予定はないけど……。年度の途中で担任辞める訳にもいかないし」

「そっかあ! よかったー」

 私に引っ越してほしくないのだろうか。この東というわんこは時々素直すぎて照れる。他の場所に行けばちょっとは過ごしやすくなったりもするのかと気になっただけだ。地域差なんて初めて知ったから。

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