ここじゃないどこかへ
第15話
「よっし! じゃあ行こ行こ!」
ガッツポーズをした東は手を引いてぐいぐいと私を玄関から連れ出す。そこに止められている彼のバイク。ヘルメットをもう一個取り出して渡してくれた。
「はい被ってー」
「う、うん。どこ行くの?」
「どこ行こっかねえ」
こんなに誘っておいて目的地がある訳じゃないのか。
「そうだな、どっか、ぱーっと気分が晴れるとこ! 先生どこ行きたい?」
ふふ、と東が楽しそうに笑いながら私の様子を窺う。
ああ、とにかく私を連れ出そうとしてくれているのか。気分が沈んでるのを見て。放っておいてもいいのに。きゅう、と心臓が痛いような気持ち。
「どこか……ごめん全然思い付かないな」
それなのに私は場所の希望すら伝えられなくて眉を下げる。迷惑をかけてるのにわがまままで言っちゃいけないと思って、おねだりをするのは昔からとことん苦手だった。
「いいのいいの! じゃあね、水族館行く? 今クラゲの展示やってんだって」
東はちっとも気にしていない様子ですぐに提案してくれて救われた気持ちになる。
「行きたい! いいの?」
水族館なんていつぶりだろう! 目を輝かせた私に、東はいつもの嬉しそうな笑みに加えてちょっと安堵した様子できゅぅっと口角を上げた。
「うん。行こ」
乗ーれ乗れー! と促され、おっかなびっくりバイクの後ろに跨る。
「はっ。バイク乗るの初めて?」
「うん」
「だろうなあ。こうやってね、しっかり捕まってて。ぶーん! って振り回されて落ちちゃうから」
悪戯っぽく笑った東が私の腕を取りしっかりと腰に回させた。
近い。いつもくっつかれてるのと同じなようだけど、勝手に抱きしめられるのと自分からくっつきにいくのとじゃ全然違う。胸とお腹全体に東のあったかい背中の体温が伝わって、どきどきと心臓の音すら聞こえる気がした。東が笑って振動が伝わる。
「うぇっへ。かわいい。役得ですわ」
もしかしなくても当たってる胸のことだろう。
「ねえきもい。ほんとにこの乗り方で合ってんでしょうね。手ぇ離すよ」
「わああやめてやめて。なんでよー」
ほら、しゅっぱーつ! と誤魔化した東が一気に走り出すので私は慌てて手に力を込めた。
「は、速っ」
「はっは! まだ住宅街だから三十キロよー? 今のうちに慣れて慣れて」
見慣れた風景がいつもよりずっと速く流れていく。私の憂鬱なことなんて、あっという間に置き去ってどこまでも遠くへ行ける。
「風が気持ちいい」
東はおどけて「ほっほっほ」と笑った。
「そりゃーよかった。怖くない?」
「うん」
東のお腹の辺りの服を握る指に力を込める。ふふ、と東からまた笑いが漏れた。
「うぃー着いた。気を付けて降りて」
「ありがとう」
東はとっても安全運転で、すぐに後ろに乗っていることにも慣れて水族館にはすぐに着いた。バイクならこんなに近くなんだな。自分でも来てみればよかった。私はなんて狭い世界ばかりで生きてきたんだろうと思う。バイクに乗るのも初めてだったし。きっと、生きるのがとっても下手くそだ。あまり興味がないのかもしれない。
東と二人、並んで駐車場から水族館へ向かう。土曜日だから家族連れやカップルで賑わっている入り口。ある程度近付いたところで、同時にぴたっ、と足を止めた。
「うっ」
「あー……そっか、忘れてたな……。水族館はやめとく?」
「……うん」
残念だけど小さく頷く。今に限って無理する意味は皆無だろう。目の前の空中をお魚の骨がぴちぴちと泳いでいく。水族館はお魚パラダイスだった。霊的な意味で。
「何で水族館に長いこと来てなかったのか忘れてた……。小っちゃい頃に私が嫌がったから連れて来られなかったんだ」
「俺も忘れてた。水族館すげえな」
ここで死んだのだろう、海洋生物の霊がうようよと空中を泳ぐ。綺麗なんかじゃなく骨だったり腐りかけだったり、見た目はいずれもホラーだ外でこうなのだから中に入ればもっとたくさんいるんだろう。
「人間のエゴだからね。申し訳ないけどね」
「今日来る場所じゃないわな。ごめん」
「何で。いいよ、クラゲも見られたし」
ふわんふわんと宙をただようクラゲをちょんとつつく。
「そんなんでいいの」
「怖くなかったりね、悪いことしない霊は嫌いじゃないよ」
むしろ言葉が通じる人間よりも私を傷つけないので幼い頃から私の寂しさを紛らわせる存在だった。
「いいなあ」
「寄ってこない方がずっと良いと思うけど」
「ごめん、先生はずっと困ってるんだもんね。馬鹿なこと言った」
「ううん。羨ましがられるくらいの体質なのかも、って思えて救われる」
「にひひ。そーだよ。自信持って」
東はまた私にヘルメットを渡した。
「お家帰る?」
「帰りたい?」
訊いたら尋ね返された。静まりかえった部屋が脳裏によみがえる。
「ううん」
本音が漏れた。
「うん、じゃあ他んとこ行こう」
「ごめんね。私がいると霊を呼んじゃうから一緒にいてもつまらないでしょう」
「そんなことない」
東が私の肩を掴む。
「絶対にそんなことない!」
強く繰り返され、バイクに乗るよう促された。家とは違う方向に進んで行く。
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