長い夜

第11話

「おー……どうしたお前ら」

 全ての除霊は終わり、再度集合する。中庭に戻った私達を見て、進藤さんは正しく絶句した。プールからここまで、濡れ鼠の私達が通った場所は体から滴る水で道ができている。

「落ちた」

「まあ……それは見たら分かるけど」

 あっけらかんと言う東に進藤さんは呆れた。私は東の口数が少なくなる気持ちも分かる。さっきから腕を摩っているけど効果はなくて、がちがちと歯の根が合わないほど寒かった。じきにプール開きとはいえ、六月上旬の真夜中にプールに落ちて夜風に晒されれば芯から冷える。

「はいこれ」

 東が校舎に入る前に進藤さんの隣りに放っていた自分のパーカーを拾って私に突き出した。

 今余ってる唯一の乾いた服。自分だって小刻みに足踏みしながら青い唇を震わせてるのに。

「いいよ、東が着なよ」

「ああ、防寒とかじゃなくて透けてるから言ってる。いいから着て。颯太とかに見せたくない」

「~~~!」

 自分の姿を見下ろして悶絶する。白じゃなくてブルーだったからマシなものの、薄手のブラウスはびっしょりと体に張り付きブラの形を浮き上がらせていた。

「ありがと……」

 泣きたい気持ちになりながらパーカーを借りて羽織る。あったかい。これだけで随分寒さが違った。

「何で俺名指しなんだよ!」

 稲辺さんが吠える。

「菅さんは先生が現れた時点で完全に顔背けてるし、亘も顔から下見てない。ガン見してんのお前だけだから」

「ガン見するだけ健全だろ! 気まずそうにちらちら見ては慌てて目逸らして、俺ら全員の反応把握してるくらい実はしっかり見てるお前に言われたくねえよ!」

「どっちも悪いわ!」

 不毛な争いに私は天を仰いだ。顔から火が出るほど恥ずかしい。東、そんなことしてたの?確かに、プールからここに来るまでの間には指摘しなかったもんな。ほんと、このむっつり!

「とにかくお前ら先に寺帰れ。風呂入んないとまじ風邪引く。菅さんの貼った札の回収がまだだから、悪いけど今日は颯太と二人でやっといて。俺こいつら送っていくわ」

「そうしてあげて」

「まだ働かせんのかよ!」

「颯太はおにぎり食べたでしょ。その分は働かないと駄目だよ」

「もう十分働いたっての」

 進藤さんの指示を何だかんだすんなり聞いた菅さん、稲辺さんが校舎に戻っていく。

「先生を送るのは俺だけで充分って言いたいところだけど……」

「俺もいた方がいいっしょ?」

「うん。もー、ナイス判断すぎてこんなびしょびしょじゃなかったら亘にハグしたい!」

「東のハグいらねー!」

 そう言いつつ進藤さんは嬉しそうだ。彼が木魚や経本を仕舞うのを待ってから東がぽん、と私の頭を叩いて帰ろうと促す。不思議そうな私を見て東は苦笑いした。

「ごめんねー、東さんガス欠ですわ。弱いの一、二体くらいだったら祓えるけど、先生がまた夕方の巨大ゴキブリくらいのやつに狙われたらちょっとやばいから二人で亘の筋肉に守ってもらおうね!」

「俺が除霊で使うのは筋肉じゃなくてお経だっての」

「亘ならたぶんパンチでもいけるってえ。それに暴漢が出るかもしんねーじゃん」

「それは俺も怖いからお前頑張れよ」

「先生が『頑張れ!』って言ってくれたら頑張る♡」

 二人が冗談の応酬をするけど、私はうまく笑えなかった。東がガス欠って、祓う力を使いきってってこと? あんなに強いって言われてて体力底無しに見える東が。それほど疲労したってことだ、私と一緒にいることで。

「これ以上『頑張れ』とか言えない。私のせいで疲れさせてごめんなさい」

 きょとんと私を見つめた東は、冷えた手で同じ温度に濡れた私の髪をぺそぺそと撫でた。

「そんなことは気にしなくていいの。大体、女の子に付き合う体力なかったら恥じるべきは男の方なんだから」

「それはまた違うだろ」

「いって! ごめんごめん」

 私の代わりに進藤さんが東をどついて、東が心底楽しそうに笑う。

「今日、俺はこんなに疲れられて嬉しいって思ってんだから。謝ったりしないで。颯太や菅さんにも聞けば分かるよ。今日の除霊がいつもよりどんだけ早く済んだか。ね、亘」

「まだ霊時前っしょ? 快挙だな」

「いつもは……」

「早く済んで一時。今日みたいなゾンビ映画ばりの数の霊が出る現場は滅多にないけど、それだと二時は回る。そっから全員で札剥がして、帰るの三時とか」

「颯太とか途中からその辺で寝てるからね」

 心霊現象の真ん中で? 見えないとはいえやっぱりどこかぶっ飛んでる。

「俺がいつもは牧羊犬みたいに亘や颯太の方へ追い込むだけでちっとも祓えないからね。だから俺はこの疲労が嬉しい。先生が悪く思う必要なんてないよ」

「こいつだけ終わった後もエネルギーMAXでうるさいったらないからね。これくらいでちょうどいいわ。まだうるさいくらい」

「ひどくね?!」

「ふふっ……」

 なんだか泣き笑いみたいになった。それを見た東が私の頬をみょーんと左右に引っ張る。

「いひゃいいひゃい。何すんの」

「んー? ぎこちなかったから、笑うときはこれくらい思いっきり笑うんだよーって。広げてんの。ほら、さっさとお風呂借りよ。疲れてるから何考えても凹むんだよ。今頭に浮かぶのなんて寒ぃ、疲れた、ばっかりだけど、そんなこと言ってて取り憑かれて死んだら嫌でしょ」

 だからずっと冗談ばっか言って笑ってるのか。霊は明るい気質を嫌うから。除霊師が生き抜くための技術。よく見たら東だけじゃなく進藤さんもしっかり疲れは滲んでいて、二人の強さに救われていたことを知った。

「着替えは用意しとくから。ゆっくりあったまって」

 お寺に着くなり進藤さんにお風呂場へ通される。

「え、あの、皆さん先に、」

「女の子は冷やしちゃ駄目でしょ。東とかこんなんじゃ死んでも風邪引かねえし、待たせといていいから」

「うん、まあそうなんだけど。言い方」

「お前はとりあえずこれでも着とけ」

「うおー! 進藤様ありがとーございます!」

 ぺんっ、と進藤さんからTシャツを投げ渡された東は歓喜して速攻着替えた。ちらりと覗いた腹筋に目を奪われる。時々物理的に力が強いなと思ってはいたけど、何ゆえそんな鍛えられてんだ。

 ありがたく先に入らせてもらう。冷えきっていた体に熱いお湯がじんじんする。

「はぅー……」

 思わず声が出るほど気持ちいい。そういえば最近お湯に浸かってなかったな。自分一人のためにお風呂を沸かすのは面倒で。

『しっかりあったまってきた?』

 お風呂を出るといつもそう訊いてきたおばあちゃんを思い出したら視界がぼやけて、ぱしゃぱしゃと顔を洗った。水浸しのままじゃ帰れないし、とお言葉に甘えたけど着替えはどうなったんだろうと脱衣所に出ると、紺色の服と白いビニール袋が置かれている。紺色のは畳まれた作務衣だった。袋にはコンビニで買ってきたらしい下着。有り難く身に付けて、しばらくぶりに清潔になりほこほこと湯気を立てながら居間に行く。

「お風呂お先にありがとうございました」

「はーい」

「せんっ……」

 がた、と立ち上がった東が私に向かいかけて途中で急停止する。

「あぶねー、湯上がりの先生かわいくて俺汚いのにくっつくとこだった……さっさと風呂入ってきまーす」

 恥ずかしい脳内を垂れ流しながら横を通り過ぎていくのやめて。こっちまで恥ずかしいから。

「進藤さん、あの、これ……」

 残った進藤さんに着替えの出所を尋ねる。

「ああそれね。作務衣はうちで修行してる人達にも貸してるやつ。サイズ大丈夫でよかった」

「ありがとうございます。涼しくて着心地良いです」

 男の人だと袖や裾がちょっと短めだろうか。私でも裾を踏んで歩くようなことはなかった。

「下着は、」

「あらあら! お風呂上がりました? 服は体に合ったかしら」

 台所から女性が現れて飛び上がる。

「俺の母」

「お邪魔してます! 真夜中にご迷惑をお掛けして申し訳ありません!」

 大慌てでぺこ! とお辞儀した。

「良いんですよ。うちはこんな仕事してるもんでみんな宵っ張りですから。お勤めご苦労様でしたね」

 笑うと垂れる目が進藤さんにそっくりな、優しそうな人。

「ごめん、夜中にコンビニに走らせて」

「いいええ。すぐ近くにあるんだし別に大丈夫よ」

 進藤さんのお母さんが私の下着を買いに行ってくださったのか。進藤さんの気遣いとお母さんの優しさが身に染みる。

「ありがとうございます! 本当に助かりました! お代は払います!」

「いいんですよ。これから息子らがたくさんお世話になると思いますけど、よろしくお願いしますね」

「そんな……こちらこそよろしくお願いいたします」

 それじゃ、おやすみなさーい、と進藤さんのお母さんは下がっていった。いいな。あったかい。家族みんなが見えることに理解があれば、こんな家庭になるんだ。

「亘ありがとー! 風邪引かずに済んだわ」

 ぽかぽかと湯気の立ち、肌を赤く染めた東が入ってくる。私と目が合うとにっ! と笑った。東は上下とも着替えているけど、両方とも自分の服らしい。

「こいつらしょっちゅううちに泊まるから常に服置いてる。許可した覚えはないけど」

「だって除霊したら大体汗かくし汚れんだもん。ありがとねー。あ、亘、洗濯機も借りた。先生の服、俺のと一緒に洗っとくから」

「えっ」

 進藤さんに脱いだら洗濯機に放り込むよう言われたけど、濡れてるから仮置きするって意味だと思って後で回収しに行こうと思ってたのに。

「うん、そのつもりだったからいいよ。菅さんと颯太も風呂入り終わったら浴室乾燥機回して、そこに干せば四時間で乾くから」

「いやあの、そこまでしてもらわなくても!」

「明日着て帰る物に困るでしょう?」

「明日?!」

 もう終電はない。作務衣は借りたままで、タクシーに乗って帰るつもりだったのだけど。

「うん。明日休みでしょ。泊まっていきなー?」

「お前が自分の家みたいに許可出すな。まあ、でも俺もそのつもりだったから。先生、泊まっていけばいいよ」

 俺も風呂入ってくるから、東よろしく、と進藤さんは行ってしまった。

「えええ? 確かに明日は土曜日だからお休みだけど……」

 あまりにも時間が濃くてずっと昔から知り合いだったみたいな気がするけど、昨日出会ったばかりなのに。しかも私以外はみんな男の人。みんなを警戒してる訳じゃないのだけど、女の私がいて邪魔じゃないのだろうか。

「先生、すっごく疲れたでしょう」

「うん、まあ」

「俺らもなんだけどね。除霊が終わるとすっごく疲れちゃうから、みんなで一緒に寝るのは理に適ってるんだよ。誰かが取り憑かれて連れて行かれそうになっても、お互い守り合えるから」

 心身が疲労しているところへ、終わってどっと気が抜けて、除霊後に自分が取り憑かれる除霊師というのはこの世界ではままあることなのだそうだ。たくさん除霊して恨みも買っているし、悪夢を見せられて寝ている間に一気に魂を持っていかれるのだという。

「怖」

「でしょう? 夜道を歩くのも同じ理由で危ないし。だから俺らも大体は泊まって帰るんよ。ほら、お布団敷きに行こっ」

 東に手を引かれ、十二畳の広い和室へ。

「お寺って広いね」

「亘の家族以外にも、修行中のお坊さんたちとかも寝泊まりしてるからね。俺敷布団下ろしてくから先生シーツ敷いて」

「うん」

 東がてきぱきと布団を五つ出す。さらっと力仕事を取られることに何でもないような返事を返すけど、くすぐったい。二人で掛け布団と枕も置いて、いつでも寝られる用意が整う。

 ああ眠いな。今すぐお布団にダイブしたい。東がくすくすと笑う。

「先生、先に寝てても誰も怒んないよ。先生の布団そこ、端っこね」

「え、いいの」

 両側から挟まれない端っこなんて、みんなに人気なんじゃないだろうか。

「魘されてるとき気付けないから部屋変えてあげられなくてごめんなんだけど、なるべく気を遣わない方がいいでしょ。俺が隣り」

 さらっと宣言され、私達の寝る位置は決まってしまった。

 そうこうしている間に菅さん、稲辺さんも帰ってきていてお風呂を済ませたようで、部屋に飛び込んでくる。

「布団敷いてくれてんじゃーん! 最高。俺ここー……」

 稲辺さんは東さんから一つ空けた真ん中の布団にぼふっ! とうつ伏せそのまま動かなくなる。これもう寝るんじゃないか。じゃあ俺ここか、と菅さんが稲辺さんの向こうの端、進藤さんが真ん中、とそれぞれがすんなり収まった。普段からなんとなくで決まってる位置とかもあるんだろう。案の定、稲辺さんからは既に寝息が立っている。まあ遅くまで残業もしてたんだもんね。

「明日早起きしないといけない奴いないな? 俺は朝から修行するけど、みんな適当な時間に起きていいから。電気消すよ」

「先生は俺が守ったげるから安心して寝てていいからね!」

「はあ……」

 布団を被ってにこにこしている東を信用していいものか。なんせくっつきたがりだからな……。

「まあ、東がそう言ってるし、その東が煩悩に負けるようなことがあったら俺が修行させるから安心して」

「げ、修行?! あれは嫌だ!」

 進藤さんの声に東が顔を歪める。一体どんな内容の修行なんだか。「おやすみ」と電気の紐が引かれ、私もくすくすと笑いながら目を閉じた。

 窓から夜風が入ってきて、草の揺れる音、賑やかな蛙の声がする。心地良くて、落ち着く。私はすとんと眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る