第9話
音楽室に近づけば、ポロン……ポロン……と聞こえてくるピアノの音。こんな七不思議そのままの現象があるのか。
「ショパンの『ノクターン』……」
「綺麗な音!」
東さんはにっこり笑った。
「……そうだねえ」
びっくりして東さんの方を見ながら頷く。明らかに霊的現象で鳴らされているピアノに第一声で綺麗だ、なんて。どうやったらこんな感性に育つんだろう。絶対苦労してきたはずなのに。
「きっとピアノが大っ好きなんだろうなー! 悪さしないなら祓わずに置いておいてあげたいぐらいだけどねえ」
東さんと比べて、ただただ自分の境遇を嘆き、逃げ回るだけの自分がみみっちく感じた。眩しいよ。そりゃあ霊も東さんから逃げる。私だって裸足で逃げ出したいもの。
「はい、ご開帳~!」
その掛け声は合ってるか? 東さんが躊躇いなく音楽室のドアをガラガラ! と開く。怖い、だなんて言っていたのは嘘なんじゃないかと疑う勢いの良さだ。ピアノの音はぴたりと止んで静かになった。東さんが入って、私もそろりと足を踏み入れる。
「あっ、待っ……!」
東さんが叫んだかと思うと私はびったーん! と床に叩きつけられていた。顔面を打ち付けるほど思いきり転んだもので、私は声も出せずにふるふると痛さに呻く。
「あ~痛い。痛いねえ。……そんなことしたら駄目でしょう」
東さんがよしよしと私の背中を摩った後に声のトーンを落とし、ドアから突然手を生やして私の足を掴んだ妖怪を祓った。ちょっと怒ってくれてる?
「ごめん、見えたんだけどぎりぎり声掛けるの間に合わなかった」
彼がしょげる。
「東さんが謝ることないよ。良いの、いつもだから慣れてるし」
霊にからかわれ、何もない床で躓いて転んだり壁に正面から激突したりするのはしょっちゅうだ。そのせいで友人たちからはド級のドジっ子だと思われている。
「いつも?! いや良くないって。ああほら、おでこぶつけたの? 擦りむいてる。女の子なのにごめんね」
東さんが私のおでこを撫でるけど、ちょっと彼の背後の状況のせいで話の内容が頭に入ってこない。
「あ、あの、そんな気遣ってくれてありがとうね? でも自分のこともちょっとは気にした方が、」
さっきからコン、カン、ヒュン、とチョークの弾丸が降り注いでいた。この音楽室にそんなにチョークあったか? と思うほど。それが全部彼の背中や後頭部にカンコン当たっている。一個一個に大した威力はなくともそれだけ勢いよくぶつけられれば痛いだろうに。彼は「そんなのいいから~。他に擦りむいたとこは?」なんて言いながら私の方へ飛んでこようとするチョークは全部ぴし、ぱし、と鬱陶しそうに腕で受けて払った。
「あーもう。ポルターガイスト現象だな。この人と遊びたいのは分かるけど、こういうことするなら残しておけねえわ」
東さんの髪が一瞬ぶわりと逆立ち、チョークの雨は止む。私たちを見てげらげら笑っていた肖像画たちもぴたりと静止し元通りになった。今のあなた方の仕業だったのか。
「危ないでしょう。子どもが音楽嫌いになっちゃったらどうすんの」
東さんが淡々と説きながら音楽室の中を進み、ピアノをひと撫でする。それで音楽室には静謐な空気が戻った。
ふう、と彼が息を吐く。あっという間だった。あんなに物を動かせるなんて、きっと力の強い霊たちだったのに。進藤さんの言っていた、東さんは力が強いというのを実感する。月明かりの差し込む空中で、チョークの粉が舞っていた。
「あーあ。ごめん先生、片付け手伝ってくれる?」
「あ、もちろん!」
掃除用具入れからほうきとちりとりを持ってきて渡す。そうだよね、こんなに床にチョークが散らばってたら次に来た人がびっくりしちゃう。七不思議なんかの不気味な噂話は霊の温床だ。再び怪奇現象に繋がりかねない不安の種を除くために、除霊師の仕事は多岐に渡るらしい。
音楽室を掃き清め、次にどこへ行きたいかと聞かれて答えたのはプール。もうすぐプール開きだし、命に直結する場所だから不安は解消しておきたかった。東さんもすぐに同意してくれて向かったのだけど、三階音楽室から外のプールへ行くまでが大変で早々辿り着かなかった。校内はうじゃうじゃと霊が彷徨いていて、それが私を見つけると大挙して押し寄せてくるのだから息つく暇もない。
「何よこのホーンテッドスクール!」
「あっはっは、それ良い名前~!」
「言うてる場合か!」
「よかった先生まだまだ元気だねー」
「元気じゃなかったら捕まって死んじゃいそうなんだって!」
途中菅さんとすれ違い、「すごいね」と感想を述べられる。相変わらず口だけでぜんっぜん動じてなさそう。
「先生お札使ってみた?」
「あ、そうだったお札!」
「うん、使ってみるといいよ」
そう言って菅さんは離れて行ってしまう。ああ行かないで、もうちょっと助けて。そして霊たちは何で一人たりとも菅さんの方を追わないの。
「先生ほんっと人気だねー!」
「全然嬉しくない!うあ、重っ」
「はっ、先生にくっつくのは駄目ー!」
私の背中にぶら下がりながらどの口が言うとんじゃ。けれど東さんがくっつくとすぐに体は楽になっていく。それでもまたすぐに囲まれるのだけど。
「うわあ来ないでー! 『除霊師始めました』ー!」
叫びながら、菅さんにもらったお札をぺーん!と壁に貼りつけてみる。途端、霊たちはおどおどと引き下がっていった。
「おお、すごい! これめっちゃ効果あるよ東!」
「菅さんのお札だからねん。ごめんな、こんなとこでたむろしてないで成仏しな?」
東はたじろいだ霊たちに即座に触れて祓っている。
「よし、私のも使ってみよーっと。『除霊師始めました』!……なんでえ! やっぱ全然効かないぃ~! うわあああめっちゃ来るめっちゃ来る、助けて『アンパンマーン』!」
私の書いた札は全く意に介さず突進してくるのに対して菅さんのアンパンマン札は効果的面で、霊たちは意気消沈して下がり何体かはそれだけで成仏した。
「くっそぉこんなので……! 舘さんのだけはめっちゃ効果ある!」
因みに『猛犬注意』の札はお寺に置いてきたので今の手持ちのお札は使い果たした。今使ったお札は除霊の効果を持つのに対し、あれは霊を遠ざけるらしい。私は今夜の仕事中は霊を引き寄せてなんぼなので持ち歩くなとのこと。
さっきから東が全然付いてこないな、と思っていたら数メートル手前でふるふる震えながらリノリウムの床に蹲っていた。
「あはは! アハハハハハ! 笑いすぎてお腹痛い!」
「ちょっと。笑ってる場合じゃないよ。私もう壁まで追い詰められて動けないんですけど」
「ひー、あはっ、はい、許して許して。笑うとハッピーパワー倍増だから」
立ち上がった東はほいほい成仏させながら私にたどり着いた。
「だいじょうぶ? 先生の札、効かなかったねえ……くくっ」
同情しているようでいて、笑いが漏れている。「『アンパンマーン』……ぶふっ」って小っちゃく呟いたのも聞こえてるぞ。
「どうせ除霊の役には立ちませんよ」
手を引っ張られて立ち上がり、埃に座り込んでいたお尻をはたいた。
「いやいや。めちゃめちゃ役には立ってるよ。俺今日だけで今まで祓った数の合計よりも多く祓ってるもん。まじ先生大手柄よ」
東が大真面目に言う。
「そうかな。私も初めて人の役に立てたかな?」
「うんっ」
温かな手がくしゃくしゃと私の髪を撫ぜた。
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