第8話
「これは確かに思いっきり除霊がいるなあ」
進藤さんが校舎を見上げる。夜になって、ますます陰鬱な空気は増していた。空を黒い靄のような亡霊が飛び回り、そこら中を子どもの霊が駆け、人型の影が実体もないのに地面や壁を乱舞する。
一歩踏み出したとき、上から勢いよく落ちてきた何かが目の前で地面に激突してぐちゃりと無惨に潰れた。それは古い制服のようなものを着ており過去に飛び降りたらしき霊で、血溜まりと肉塊の中、伏せられていた頭部だけがくるりと回って私を見るとにやー、と笑う。
ふー、と魂が抜けるような心地がして後ろによろめいたら、しっかりと体を支えられた。背後から私の肩に回った腕が大きな掌で私の視界も覆う。その真っ暗闇に安心した。一人のときはどんなに怖くたって目を閉じて何をされるか分からない方がもっと怖いから目を逸らせなかったけど、今は大丈夫。
すぐさま後ろの東さんから風が吹き、進藤さんがお経を唱え、菅さんがお札を貼り付けるのを感じる。現実の物じゃない落下死体の気配はすぐさま消えていった。
「こ~わ! 何あれ! 超リアルだったんだけど! あんなん普段出ねえし!」
「先生の力、恐るべしってところだね」
進藤さんが普段より上ずった声でじたばたと叫んで、菅さんが頷いた。やっぱり見える人たちもここまでのは見ないのか。望んだことなんてない自分の力が悲しい。東さんは私の肩に乗せたままの腕で、視界を覆っていた掌を外すとぽんぽん、と私の頭を撫でた。
「実際に亡くなった子がいた訳じゃない。先生がダメージを受けそうな姿を狙って化けてるだけだから、気にしなくていいよ」
「そう。ありがとう」
はしゃいでいたときとは打って変わって鎮まった真面目な声。私をフォローしてくれたのだと分かる。それにしてもよくそこまで事情が分かるな。私は見ただけじゃちっとも判断が付かない。プロの目線というものがあるのだろうか。ふ、と肩の温もりが離れていく。
「ごめん亘、ちょっと離れるけど先生に説明しながら先始めてて」
私が振り向くより早く東さんはふらりと姿を消した。傍にいるって言ってたくせにどこ行くの、と私は背中を目で追ってしまったけど、いつものことなのか進藤さんはさっと衣を払ってその場に腰を下ろす。ロの字になった校舎の、中庭。
「もう何人か増えるときもあるけど、大体それぞれの持ち回りは決まってる。俺はお経を唱えてそれが届く範囲の霊を成仏させられるから、大体ちょっと離れた位置で延々お経を唱える役」
「え、じゃあ遠距離から広範囲を祓えて最強ですね」
「それがそうでもない。離れれば離れるほど力は弱まるし、広範囲に効く代わりに近くであっても菅さんや東ほど強い力じゃないから、強い霊は祓うのに時間が掛かる」
「はあ……一長一短なんですね」
除霊方法もいろいろだ。そのとき、後ろから知らない人の声がした。
「ごめん、遅くなった!」
「いいよ。お仕事お疲れさま」
スーツに通勤バッグを持った男が現れ、菅さんが声を掛ける。ここに来てようやく普通のサラリーマンだ、なんて妙なところに感心した。それにしてもこの人たち、揃いも揃ってとんだ美形だと思ってたけどまたしても別のタイプの美形が追加されてしまった。彼も除霊師なんだろうし、祓う力には美形が付き物なんだろうか。どうりで私には備わってない訳だ。……ぐすん。私完全に浮いてませんか。
「あの、初めましてこんばんは! 本堂雪です。霊が見えるのと霊を引き寄せるってことで、除霊師さん達に誘われて来ました」
「あ、どうも! 稲辺颯太です」
愛想笑いも浮かべず、私をまっすぐに見てはきはきと答える。稲辺さんは真顔ですら雪も溶けそうなイケメンだった。
「颯太、なんか食べてきた?」
「いや何も」
「お腹空いたでしょう。おにぎりあるよ」
「うわ、まじ?!」
急に破顔して子どものように喜んだかと思うと、大口を開けておにぎりに齧り付く。ものすごく美味しそうに食べる人だ。無邪気で途端にかわいく思える。菅さんもにこにこ笑ってタッパーを差し出した。
「肉じゃがもあるよ」
「最高」
「先生が一緒に作ってくれたんだよ」
「先生?」
「本堂さんのこと。東がメールで言ってたでしょ」
「あいつうるさいから読み飛ばしてる。何で先生なの」
「ここの教員なので」
ここ、と足元を指差した。
「へー! 先生の知り合いって初めてだわ」
稲辺さんはそう言ってまたもぐもぐとおにぎりに戻る。最初は歓迎されてないのかと思ったけど、ちょっと分かってきた。この人私に興味ないというか、お腹減っててごはんに夢中なだけだな。どうしてこうも癖のある人ばかりなんだろう。ちっともまともな人が出てこない。まともな副職じゃないしそれも当然なのか。
「っしゃ! 元気出てきたぁ! 歌うか!」
食べ終わった稲辺さんはぐるんぐるん肩を回しながら叫ぶ。
「歌う?!」
確かに声を発するとき、いちいちぽんぽん衝撃波を飛ばしているのかと思うくらい耳によく届くなとは思ったけど。
「そう。俺は歌って除霊してんの。……そうらしい、ってだけだけど。俺見えないからさ」
「あ、そこ稲辺さん危な……」
「ありがとう」
足を引っ張って転かそうとしている手が地面から生えたので指摘する。お礼を言われたものの、稲辺さんは避けきれてなくて妖怪の手の届く範囲に足を下ろした。本当に見えてないんだ。足掴まれちゃう、と思った心配は杞憂に終わる。稲辺さんに触れようとした妖怪はぴた、と動きを止め、逃げるようにそそくさ地面に潜っていったからだ。
「颯太はたぶん憑かれないよ。霊は声が大きい人を嫌うから」
そういえばうるさいのを嫌うとか言ってたな。
「見えないのに……よく除霊なんて仕事信じましたね」
遅くまで残業をこなした後に駆けつけるくらい、大事なことだと認識しているってことだ。おばあちゃんにだけは否定されなかったものの、私の周りでは見えないのに信じてくれた人なんて誰一人としていなかったのでびっくりした。
「ああ、俺が誘ったんだよね。颯太とは幼馴染みで、ずっと霊が見えるなんて明かしてなかったんだけど。颯太が霊の溜まりやすい場所ばっかりで歌うからさ」
「働くようになってからも趣味で路上ライブしてて、なんか空気淀んでんなーってところで歌ってるうちにすっきりしてくるとは思ってたの。聞いてくれてる人も元気になって帰ってくしね。あっちこっちそういう場所選んでは歌ってたんだけど、そしたら突然一寛に『颯太も見えんの?』って言われて。は? って思ったけど、嘘つく奴じゃねえし納得した。俺の歌が役に立つって言うし、俺は気持ちよく歌えたらそれでいいから呼ばれたら来ることにしてる」
お互いに信頼し合ってるんだなあ。稲辺さんが竹を割ったような性格で物凄く特殊な例なのだとも思うけど。
「あ、だからって今どんな霊がいるとか俺に教えなくていいから!」
稲辺さんがびしっ! と私に掌を突きつける。
「はあ」
「怖ぇし! 気になることは気になるけど、見えなくて全然良い! 俺は亘の隣りで歌いまくってるから、どうぞ除霊行ってきて」
子どもか。恥ずかしげもなく堂々と怖いと言いきる稲辺さんに脱力した。でもなんだか憎めなくて、とっても魅力のある人だ。きっと人を惹きつける。
「はいはい、じゃあ俺は行ってくるよ」
と菅さんは筆やらお札の入った荷物を持って校舎に入っていった。
「菅さんは中に入るんだね?」
「うん。菅さんはお札を霊に突きつけて除霊したり、壁に貼って俺らのとこまで追い込んだりする役だから」
「稲辺さんはなぜにわざわざ進藤さんの隣りで歌うのでしょう」
お経と歌が混ざってお互い鬱陶しいだろうに。
「俺の歌は亘のお経の祓い方と原理は同じらしいから。なるべく全体に聞こえる位置を陣取ろうとすると、ポジション被ってそうなる」
「俺らお互いの音あんま気にしねえから」
「そう」
すごいな。どんだけマイペースなんだ。そしてようやく彼らの除霊がうるさいとクレームが入る理由も分かってきた。なるほど、二人して競い合って声張り上げてるのがいたらうるさくもなるだろう。
「? 先生は行かねえの」
あ゛~凝ってる、と呻きつつ歌う前に肩やら首やら体操していた稲辺さんが不思議そうな顔をして私を見る。
「お前ほんとメール見てねえな」
と進藤さんが呆れた顔をした。
「私には、稲辺さんみたいに祓う力がないから。東さんがいなかったら、今の校舎なんて入った途端に動けなくなるので」
今までは、自分が憑かれやすいのを分かっていたし霊なんて進んで見たい物でもなかったから居そうな場所はなるべく避けて生きてきたのだ。だからこんなにうようよしている巣窟みたいなところは初めてで、一人で近付いたら絶対憑かれまくる、と怖かった。みんなに迷惑掛けるだけだ。
「ああそうなの? 先生も何がしかの方法で祓えんのかと思ってた。東ならじきに戻るっしょ。んじゃ、先生はそれまでここで俺の歌聞いていきなよ」
「え?」
「亘はお経唱えんのに忙しくて聞いてる暇ないし。俺にとったら霊って反応がなくてつまんないんだよね。声出すのは気持ちいいし空気も晴れたら気分は良いけど。だから暇なら聞いていって。絶対退屈はさせねえから」
稲辺さんが得意げににやりと笑って唇を湿らせる。
「うん、分かった」
稲辺さんは、見えない分見えすぎる私の苦労も分からなくて、それ故に気を遣うことがなくて。自分の言いたいことだけ言って、だからあとはお前も好きにしろ、とばかりに雑に放っておかれるのが楽だった。発声練習なんてしないし音取りすら要らないらしい。何の音源もなく、稲辺さんがすう、と息を吸って口を開く。除霊って言うもんだから賛美歌とか宗教歌とか、そういうご利益ありげな歌なのかと思っていたらよく耳にするようなJ-POP。その意外さに笑いかけたけど、物凄く上手い。それはもう、聞き惚れるという表現が正しかった。どこまでも伸びる透き通った声に心が洗われる。気持ちよくて、うっとりと目を細めた。魂が浄化されるって、きっとこういうことだ。
一曲終わって、一人きりで一生懸命に手を叩く。
「すごい……すごい! 今まで聞いた中で一番綺麗!」
稲辺さんはハハッ! と大きな声で笑った。
「な訳ないじゃん! CD出してる人で、もっと上手いの普段から聞いてるでしょ」
照れたように否定してくる。
「そうかもしれないけど、私は一番綺麗だって思った! こんなに惹きつけられたの初めてだった」
それはCDデビューしている歌手とは違い、稲辺さんにしかない除霊の力の影響なのかもな、とも思う。だからきっと私には特別心地良いし惹かれるんだ。
「じゃあよかったわ。好きなだけ聞いてきなよ」
稲辺さんはちょっと柔らかい表情になって、また歌い始めた。
「せーんせー! 待たせてごめんねー! あ、颯太来てるー!」
「おー、遅えよお前。先生待ってんぞ」
歌を中断した稲辺さんは、さっきまで私がどうなろうとちっとも構わないような素振りだったのに東さんにはそんな文句を言う。
「え、ごめんごめん、ごめんね?」
「別に待ってないけど」
悔しいのでちょっと嘘をつく。東さんはまた「ガーン!」と大袈裟に反応した。
「何してたの?」
「えーそれ聞くぅ? 先生のえっち!」
きゃー、と東さんが裏声を出して身を捩るので地より低い声が出た。
「は?」
「うわー、トイレトイレ! ごめんって!」
東さんは両手を合わせて私を拝む。貴様、人の職場に来て真っ先に用だけ足したのか。
「ほら行こっ、先生の職場を守りに」
東さんが振り返りながら私の前を先陣切って歩いた。進藤さんと稲辺さんはもう中断しなくて、手だけ振ってくれる。
「東さんは私の来る前はどういう役割だったの?」
「あ、みんなの役割聞いた? 俺はねー、菅さんと一緒で直接乗り込む方。あらかたの霊には逃げられちゃうんだけど、触って祓えそうなときはそうして、基本はできるだけ亘と颯太から遠いところから俺が霊をあいつらの方に近づくように追い込んでたの。でもね、先生が来たから今回の作戦は違うよん」
「どうするの?」
私は事前に全く聞かされていない。
「もち! 俺から遠ざかるよりも先生に引き寄せられる力の方が強いから、霊のいるとこに近付いて先生が憑かれたところを俺が祓う! ガンガン行こうぜ作戦~!」
それで大丈夫なんだろうか。
「先生怖い? 不安?」
東さんが私の隣りに来て尋ねた。ほんっとうによく人を見てる。
「怖いよ。どれだけ見たって霊や妖怪の怖さなんて見慣れないし、憑かれるのはきついし」
「そうだね。どんだけ憑こうが俺が祓ってあげるけど、そりゃ先生は怖いよね。ごめんね、来てもらっちゃって」
首を横に振る。除霊師たちに出会えたこと、私でも役に立てるのかもしれないと付いてきたことに後悔はしてない。
「東さんは、怖くないの」
「怖く……、」
ない、と言いかけた笑みの形をした口が途中で止まる。一旦閉じた唇は、淡く微笑んだ。
「怖いよ。俺も怖い」
笑ったまま、その口は表情とは正反対の弱音を紡いだ。歪な人。それでも怖いものなしの無鉄砲かと思っていたので、こっちの方が親しみが湧いた。手を伸ばし、ぽん、ぽん、と柔らかに跳ねた髪に触れる。いつもあなたがするように。東さんが目をまんまるにして、初めて自分のしたことに気付いた。思わずだった。東さんが不意に辛そうにするから。私には触れても祓う力なんてないというのに。くっつきたがりは感染るのだろうか。
「はっ、ごめ……」
ん、と言い終わる前に、ぎゅう! と抱きしめられる。
「っぷは、なっ何? 今憑いてた?」
「憑いてない! かわいっ! って思ったからハグ!」
もはや開き直ってるな。まあでも、あなたがさっきの不安そうな表情を消し去ってもう幸せそうに笑ってるから、今は許してやろう。
「ほら、俺校内を知らないから教えてー? 先生の感じる、霊のいーっぱいいる場所はどこ?」
「音楽室かな」
あそこはすごくどんよりした気配が漂っていた。今日は音楽の授業がなくてよかった、となるべく近寄らないようにしていたのだ。
「うはー! じゃーベートーベンとかモーツァルトの肖像画で遊ぶ妖怪がいるかもじゃん!」
「喜ぶな喜ぶな」
東さんはテンション爆上がり。でもお陰で緊張が紛れる。
「だって何でも楽しむ方がいいじゃん。あとね、霊は落ち込んでると憑きやすいから、明るいこと考えてた方がいいんだよ」
それもそうか。せっかくなら楽しむくらいでいよう。
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