第26話

 千崎は部屋に籠っていた。ずっと何だかんだでさぼらなかった大学。もっと言えば小学生の頃からさぼったことのない学校を。千崎はさぼっていた。

 布団に包まり、天井を仰ぐ毎日。もう何日くらいこうしているんだろう。

 シーツを嗅げば、ほのかに香る。彼女の匂い。

 意味がない。こんなことしてても。でも外に出る気にはなれなかった。

 だって、答えられなかった。奈緒の質問に。

 即答できなかった。私は南を疑った。だから、合えないんじゃないかと。

 でも会いたくて。もっと知りたくて。

 思考が巡る。また、天井を仰ぐ。何度天井を仰ぐんだろう。

 そんなとき、玄関のチャイムが鳴る。

 居留守でいいだろうと無視していたが、どれだけ待っても鳴り止む気配がない。それどころか音が加速し、ドアを叩く音まで追加された。

 あまりに煩いから千崎は玄関に向かう。扉を開けると、いたのはまた吸血鬼だった。


「遅い! ふざけんな! 私を待たせるな!」


 エリスが元気よく文句を述べている。それにしても、今日も服が可愛い。ドレスみたいだ。


「居留守ってわからないかな」

「知らないわよ! 私がここに来るまでどんだけかかったと思ってるの!」


 そういえば、方向音痴で前も迷子になっていた。


「とにかく入るわよ。お茶を出しなさい」


 エリスはずけずけと中に入るとテーブルの前にちょこんと座る。口は悪くても、見た目に反さず、座った姿はお嬢様らしい。

 お茶を持って千崎も反対側に座る。エリスはお茶を一口飲むと言い放った。


「市販の味がする!」

「当たり前でしょ」

「五点ね」

「私のもてなしが?」

「あなたの態度が、よ」


 エリスは立ち上がる。


「舐めてるの? 千崎綾」


 机に脚を置き、その脚を露にする。


「吸血鬼を舐めてるのかって聞いてるのよ」


 エリスは見下す。その言葉に語弊はない。明らかに、上からだった。


「どうしてお姉様を追いかけないのよ」

「…………だって、私には」


 できそうもない。


「今まで、避けてきてた。無意識に、吸血鬼ってこと。それがいきなりあんなとこ、……消えそうなとこなんてみせられて、私にどうしろって言うの」

「この……。だから五点なのよ。このクソ雑魚」


 エリスは脚に力を籠め、テーブルをへし折る。


「ちょっとは根性見せなさいよ! それとも、怖い? お姉様に裏切られるのが」

「裏切られるとか。そんなんじゃないし……。南と私は、血を吸って、吸われて。それだけなんだから」

「甘ったれてるわね」

「……! じゃあ! どうしろって言うの! 私は人間なの! 吸血鬼じゃないの! 私は、南とは違うの……」


 ずっと避けてきた現実だ。南には近づけない。超えられない壁。


「それとも、なに。あなたが私を吸血鬼にしてくれる?」


 千崎は投げやりだった。だがそんな口から滑り出た発言も、エリスは許さない。

 

「だから、吸血鬼を、舐めるな!」


 エリスは千崎の胸倉を掴み、頭突きをかました。


「そんな簡単にしてやるわけないでしょ! てかお前を吸血鬼にでもしたらお姉様に殺されるっての!」

「だから! だったら! エリスは私にどうしてほしいの!」


 頭に血が上るまま、千崎も掴みかかる。


「そんなもん、お前が決めるんだよこのヘタレ!」


 掴みかかった仕返しなのか、エリスはまた頭突きを食らわせる。しかも今度は手加減ほぼなしで。

 千崎は頭から吹き飛び壁に激突する。


「あ、ごめんやりすぎた」

「…………まじで痛いんですけど」

「私の服に触ったお前が悪いのよ」


 エリスは一瞬焦りを見せたものの、やはり態度は果てしなく大きい。


「それはわるうございました」


 千崎は額を擦りながら立ち上がる。頭はずきりと痛んだ。 


「ところでさ。聞きたいんだけど」

「なによ」

「私が不甲斐ないのはわかった、けど。なら点数零じゃない? 五点何処で追加されたの」


 頭突きするほど千崎に呆れているのに。五点あるのは過大評価ではないだろうか。


「聞きたい?」

「そこまで聞きたくもない」

「聞きなさい。じゃないと次は殴るわ」

「はいわかりました聞きます」


 エリスは拳を収めると俯いた。


「……まだちゃんとお姉様のこと考えてるからよ」


 そのセリフに、大きな間が空く。


「あーもう。言っててこっちが恥ずかしくなる」

「やめてエリス。私にも伝染するから」


 確かに、ここのところ南のことしか考えていなかったけれども。改めて口にしないでほしい。


「……千崎綾」

「はいなんでしょう」

「私がどうしてこんな服を着ているかわかる?」

「突然何。そんなの知らないよ」

「それはね。お姉様が『可愛い』って、褒めてくれたからよ」


 エリスは胸を張って自慢する。

 千崎はちょっと悔しかった。だってそんなの言われたことない気がするから。


「私はね、貧民街の出身なの」 


 エリスは語り始めた。


「毎日飢えて、ぼろ雑巾みたいな服着て盗みを働いていたわ。でもね。そんな私を、私の血をお姉様は吸ったの。そして言ってくれたわ。『あなた可愛いね』って」


 エリスは首を擦る。それは千崎も覚えのある動作だ。


「それが私の全てなの。お姉様が何処に消えたのかは大体想像がつくし、本当は今すぐにでも会いに行きたい。でも、できない。どうしてだと思う?」


 それを、言っていいのだろうか。でも、言うべきな気がした。


「…………私がいるから」

「自惚れるなこのビッチ。……と言いたいけれど、その通りよ。お姉様が待ってるのは、私じゃない」


 エリスはどこか物悲しそうにする。


「エリス。聞いてもいいかな」


 エリスは頷きもしないが、待ってはくれていた。

 千崎は、頭突きのせいだろうか。ずっともやついてた頭の中がすっきりとしていた。


「南は私のこと待ってくれてるかな」

「あなた以外誰を待つのよ」

「人間だけどいいのかな」

「今更ね」

「私、南のこと好きなんだけど。それでもいいかな」

「……そんなもの、確かめてくればいいでしょ」


 エリスはふっと笑っていた。

 そのとき、なんとなく南の気持ちがわかった気がした。

 エリスは可憐だった。なのに、その笑顔は芯があって、力強くて。きっと。南の前でもこういう顔をしたんじゃないと。そんな気がした。


「エリスって可愛いんだね」

「当たり前でしょ。私は世界一可愛いの」


 千崎は立ち上がってエリスの頭を撫でていた。


「こら……! 髪が崩れる」

「ありがとエリス」

「お礼を言われることなんてしてないわよ。いいから手を離しなさい」

「やだ。頭突きのお返し」

「この……。次はグーで殴るわよ?」

「やってみなよ。南に怒られてもいいなら」

「……いいから手を離しなさいよ」


 南の名前を出すと途端に大人しくなる。


「エリスっていい子だね」

「違うし。私いい子じゃないし」


 エリスはわかりやすく不貞腐れる。だが、それもまたエリスの可愛らしさに拍車をかけていた。

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