第25話

 また、南は姿を消してしまった。


「あんた、大丈夫?」


 講義前、机にもたれていたら咲宮も同じ講義だったのか、隣に座る。


「問題ない。全くもって問題ない」

「大ありにしか見えないんですけど」


 咲宮におでこを小突かれる。


「まあ大体察しはつくけどさ。……最近、南さん来てないね」


 そう。南はあれから姿を見せなかった。冬休みも明けて。もう今は二月に入ったところ。約一ヶ月。千崎は南に会えていなかった。


「怒らせちゃった? わけでもなさそうだね」


 咲宮は千崎の反応を見て探ってくる。


「咲宮。私は特に何もしていない」

「うわテンション低っ」

「悪かったね」

「それはいいけど。何もしてないならどういうことよ。私の予想ではもうてっきり……」

「てっきり?」

「やることやってるのかと」

「やってないわ」


 下品な妄想は働かせやがって。こっちはそれどころではないというのに。


「でもそれなら尚更するべきことがあるんじゃないの?」

「なにそれ」

「いやだって。千崎、このままでいいの? 私は何があったか知らないけど、あなたクマ、酷いよ?」


 そんなに酷いだろうか。確かに、最近夜遅くまで起きているけれど。


「いいんだよ。ていうか、どうにもできないんだと思ってる」


 あのときの南の顔が、脳裏にちらつく。

 あれは恐怖していた。人間には入れない、吸血鬼の領分な気がする。


「なら睡眠はちゃんと取りなさいよ」

「取ってるよ」

「……千崎は嘘つきだね」


 その一言を最後に教授が教室に入ってくる。

 粛々と、講義は始まった。



          *



 千崎のここ一ヶ月の日々は、酷いものだった。

 レポートは出し忘れ、一限の授業にはよく遅刻をし、バイト先では失敗ばかり。今日も店長に怒られていた。いや、これは説教というより、心配しているのだろうか。


「千崎君。大丈夫かい? 最近こんなのばっかだよ?」


 店長の手には廃棄処分漏れの惣菜。廃棄の見落としはこれで通算六回目だった。


「はい、すいません」

「いやね? 責めてるわけではないよ? 君は普段からよく働いてくれてたし。ミスは誰にでもあるから。次から気をつけてね」

「はい、すいません」


 店長は店の奥に引っ込んでいく。千崎は小さく溜め息をついてレジに戻った。


「あの、十四番の煙草、いただけますか?」


 その番号を聞いて千崎は顔を上げる。そこにいたのは。奈緒だった。


「こんばんは」

「……吸血鬼ではあるか」

「私でがっかりですか?」

「別に、そんなんじゃない」


 千崎は煙草と、大量のプリンをレジに通す。この人どんだけプリン食べるんだ。


「千崎さん。バイト何時に終わります?」

「ねえ奈緒さん、わざとやってる?」

「え? 私何かやっちゃいましたか?」

「……なんでもない」


 千崎は突きつけるようにプリンの入った袋を渡す。

 奈緒は店の外に出ると千崎に見せつけるように煙草を吸い始めた。

 やっぱり、わざとやってるでしょ。



          *



「すいません、急にお誘いしてしまって」


 バイト終わり、千崎は奈緒に連れられて近くの公園に来ていた。


「私を連れてきた理由は?」

「プリンを一緒に食べたくて」


 ベンチに座る奈緒はプリンを一つ渡してくる。まあ嫌いではないし。食べることにしよう。


「美味しいですか?」

「そりゃ、美味しいけど」

「それはよかったです」


 それから奈緒は何個もプリンを堪能するばかりで一向に話が進まない。 

 千崎は段々と苛立ってきていた。


「奈緒さん。それで何個目かな」

「えーっと。十個目です」

「食べ過ぎだよ!」

「千崎さんももう一個いります?」

「いりません!」


 流石に奈緒もそこまでおちょくる気もないのか、プリンを横に置く。


「……私も、迷っているんですよ。だから煙草も吸ってみたんです」


 奈緒は、ほの暗い目をしていた。


「南さんの気分になれるかなって」

 南の気分……?

「どういうこと⁉ 奈緒さん何か知ってるの⁉」


 千崎は奈緒に掴みかかる。だが吸血鬼の力は余程強く、千崎は腕を掴まれると我に返る。


「ごめん……」

「いいんです。でも。……これが、私たちなんです」


 奈緒は千崎の腕を握り締める。

 その痛みに千崎は声を上げていた。


「奈緒さん痛いって……!」

「痛いでしょうね。でも、かなり手加減しているんですよ」


 奈緒は更に力を強める。腕を引き、もう片手で千崎の首元に爪を突き立てる。

 真っ赤な瞳。鋭利な爪。

 単純な、命の危機。


「奈緒さん……? 冗談だよね?」

「――ええ。冗談です」


 奈緒は腕を引いてまたプリンを食べ始める。千崎は、それを食べ終わるまで見守っていた。もう少し正確に言えば、手の震えが止まらず、何も言えなかった。

 奈緒はプリンを食べ終わると、聞いてくる。


「会いたいですか? 南さんに」


 また、奈緒は目をくぐもらせる。その力強さに、千崎は一歩引いてしまった。


「私は……。それは、そうだけど。勿論、会いたいけど……」


 その控えめな千崎の態度に、奈緒は何を思ったか。いつもの柔和な表情に戻っていた。


「まあ、話すだけならいいでしょう。そこからどうするかは千崎さん次第です」


 奈緒は一呼吸置く。


「千崎さん。あなたは南さんのこと、どう思ってますか?」

「どうって」


 突然そんなこと聞かれても。


「ああ、紛らわしいですね。そういう意味ではなく。吸血鬼として、どう思ってますか?」


 吸血鬼として、か。千崎は、この質問に対して明確な答えを持っていなかった。


「……どうなんだろう。私、南のこと、あんまり吸血鬼って思えてないんだよね。勿論、血は吸われるし、あいつのそういう、らしい姿も見たことあるけど」


 それでも、彼女とは、普通の日常が多すぎる。


「そう、それです。それがよくない」


 奈緒はきっぱりとよくないと言った。


「いいですか千崎さん。私たちは吸血鬼です。人間じゃないんです。なのに、南さんはあなたに吸血鬼らしいところをあまり見せないようにしていた。だから私も迷った」

「何が、そんなにいけないの」

「危ないんです。あなたも一度私に襲われたからわかるでしょう。本来、私たちは深く関わるべきではないんです。それを眷属にもせず、関係を続けて。……そして、きっとあなたに見られた。――そうでしょう? 千崎さんは、決定的な瞬間を見ませんでしたか?」


 奈緒は確信を持って聞いてくる。それはきっと。


「南の腕が、消えたこと?」

「やっぱり。見たんですね」


 奈緒は深く、深く溜め息をつく。


「千崎さん。私たち吸血鬼はそこまで頻繁に血を吸わなくても生きていけます。……ところで、南さんはどれくらいあなたの血を吸っていました?」

「えっと、毎日」

「煙草は?」

「いつでも」

「昼と夜。どちらが元気でしたか?」

「夜、だけど」


 何の確認だろうか。千崎が答える度、奈緒は声が小さくなっていく。


「そうですか。では千崎さん。ここで一つ話をしましょう。吸血鬼の寿命についてです」

「今、それ関係あるの……?」

「大いに」


 覚悟の決まった奈緒の顔に、嫌な予感がした。


「吸血鬼は長く生きます。それこそ何百年も。でも、それは永遠ではない。ただ長いだけ。そして寿命が近くなった吸血鬼は本能が強まります。それは例えば、――無性に血が吸いたくなる、とか」


 嫌な予感が強まった。


「夜の活動も長くなりますね」


 動悸が激しくなってくる。


「そして最後は消えるんです。灰になって」

「…………やめて」

「……人間もそうでしょう。死ぬ前に美味しいものを食べたいとか。考えるでしょう?」

「やめてよ……」

「最後に、いい思いしたいでしょう? 欲を満たしたいでしょう」

「いいからもうやめて‼」


 つらつらと語る奈緒に、千崎は叫んでいた。

 だって、こんなの。答え合わせじゃないか。


「奈緒さん、やめてよ……」

「どうして?」

「だって……」 


 これじゃあまるで。

 今までの時間が否定されているみたいで。

 胸が締めつけられる。


「千崎さん。あえて、今聞きますね」

「……待ってよ……」

「あなたは――」


 言っても奈緒は聞かず。畳みかけた。


「南さんに会いたいですか?」

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