第24話

 明かりのない部屋で布団は一枚。吐息を吐く南。それを眺めて、千崎はぼうっとしていた。

 血を吸われた後はいつもこうだ。特に最近の南は多量に血を吸っている気がする。とても欲張りだ。

 南は布団から起き上がる。また煙草か。

 南を見送ると、換気扇がついて、微かに煙草が香ってくる。もう今となっては完全に許してしまっていた。

 千崎は布団のシーツを手に握る。鼻を近づける。煙草と混じって、残っている香りは僅か。それでも千崎は嗅ぎ続ける。


「綾!」

「はい!」


 煙草を吸っていたはずの南が顔を出す。千崎は誤魔化すように返事をしてシーツから手を離した。


「まだ眠くない?」

「え? 眠くはないけど」

「じゃあ外行こ」

「今日も寝れないの?」

「吸血鬼だからね」


 最近、南はよく夜に外へ出かけるようになっていた。おかげで、寝不足気味だった。



          *



「それで、何故山……」


 千崎は南と山道を登っていた。そこまで長い道のりでもないが、運動をしなくなった大学英にはくるものがある。


「いいでしょ山。たまには登ろうよ」

「きついんですけど……」


 南は疲れも知らずに進んでいく。千崎はもつれそうな脚を酷使して、ついていくのが精一杯だった。


「ほら綾。頂上見えてきた」


 先のほうで南が指を指す。

 あと少しで終わる。その一心で千崎は登る。頂上まで後数歩まできて、南が手を貸してくれた。


「はいおつかれ」

「まじで疲れた……」


 山頂はちょっとした広場になっていた。気持ちばかりの柵があるだけの広場。でも。

 その先。視線を奥にやれば。確かに山登りも悪くはなかった。


「案外、いい景色だね」


 千崎は感想を漏らす。


「ここ、私のお気に入り」


 南は柵に手をついて景色を眺める。千崎も隣に立った。

 疎らな光。家屋と、車のヘッドライト。なんてことないよくある光景のはずなのに、離れて見ればこうも違うのか。


「南もこういうとこ来たりするんだ」

「楽しみの一つだったからね。旅してるときはよくこういう場所探してた」

「色んな国でか。いつか教えてよ」

「……うん。いつかね」


 なんてことない会話のはずなのに、妙な間があった。


「綾」

「なに?」

「呼んでみただけ」

「やめてよそういうの。惚れられたって勘違いしそうになる」

「勘違いじゃないかもよ?」

「だからやめてって」


 本当に勘違いしそうになるから。


「綾ってさ。夢とかある?」

「うーん。ない。いや、あったか。咲宮によく馬鹿にされる夢。いつか王子様が迎えに来るって思ってた。小さい頃の話だけど」

「王子様との理想の生活、妄想してた?」

「してたしてた」

「こういうこと、ちょっとえっちなこととかも、してみたいなー、とかは?」

「……めっちゃしてました」


 なにこれ恥ずかしい。公開処刑?


「すっごく、わかるよ」

「……え?」


 南は遠くを見つめる。


「私も昔、夢見てた。王子様が迎えにくる夢。私のことを連れだして、教えてくれるの。愛を」


 愛って。

 エリスの言う通り、南は愛情を求めていた、ということだろうか。


「いきなり恥ずかしいこと言わないでよ」

「ね。顔熱い。……でもさ、いいじゃんちょっとくらい夢見ても。見るだけならタダだよ」

「そうだけどさ」

「だからいいの。恥ずかしくても。年とって思うけど、そういうの結構大事だった」


 そんな若い見た目で言われても。まあ吸血鬼なのだけれども。


「見て綾。船出てる」

「ほんとだ。私乗ったことないんだよね。ねえ、今度一緒にあれ、乗らない?」

「……いいね。でも千崎は船酔いしそう」


 また、妙な間が空く。

 そんなことを気にしていたら、互いに柵から乗り出していたからだろうか。千崎は、南の手と触れていた。


「あ、ごめん」


 即座に手を離す。触れていたのはほんの数舜。その間、胸が高鳴ったけれど、千崎は落ち着いていた。むしろ。

 落ち着いてないのは南のほうだった。

 南は触れてしまった手を抑えて、頬が赤い。俯くその顔が、可愛らしくて。千崎はまた触れたくなってしまっていた。


「南……?」


 こんな反応予想していなかった。千崎は、手を伸ばす。

 南の手を取ってみると、特に抵抗はなかった。どころか、千崎に手を預けていた。

 いいの、だろうか。これ以上進んでも。

 進みたくなっていた。千崎はこのふとした瞬間に、心動かされてしまっていた。

 南の手を取って、身体を寄せる。頬に手を添えてみる。未だ南は目も合わせてくれないけれど、南の方からも身体が寄ってくる。

 顔が、とても近かった。南の唇が、その艶が。千崎の目を奪う。

 吐息と吐息が交じり合う。もうこれは触れてしまう。千崎は、目を閉じかけた。


「…………え?」


 千崎は閉じかけていた目を見開いていた。

 だって、消えているのだ。南の腕が、灰になって消えていた。


「南、これ……」


 動揺のあまり千崎は手が震える。

 でも、もっと震えていた。南は全身が震えていた。


「嫌……」


 南は逃げるように手を話す。


「南待って」

「嫌……!」


 伸ばした手は払い除けられる。それは完全な拒絶だった。


「南……?」

「…………忘れて」


 南はなくなった片腕を抑える。その姿は弱弱しくて、心が痛くなる。


「忘れてってそんなこと」

「いいから忘れて‼」


 南は走りだす。放っておけるわけなくて、千崎は追いかけようとしたが。できなかった。

 去り際に、泣いていた。

 初めて見た。南が浮かべる涙を。

 その姿が、表情が。あまりに心に悪くて、痛くて。

 千崎は追いかける足を止めていた。

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