第23話

 首を擦る、深夜二時半。千崎は底冷えする寒さに若干後悔しながらもコンビニに向かっていた。じゃんけんで南に負けたのだ。結果こうしてお遣いに向かう羽目になった。

 初手チョキで負けるなんて、あり得ない。

 千崎はチェック柄のマフラーを巻き直す。

 頼まれたのは、えっと。なんだっけな。


「おいそこのビッチ」


 おかしいな。こんな夜中に子供の声が聞こえる。物騒なだな。


「おいこら無視すんな」


 揉め事でもあったのだろうか。子供は荒い口調をしていた。


「せめてこっち向きなさいよ!」


 わあ。声に盛大な怒りが混じってる。子供も怒るときは怒るのだ。


「てめえこっち向けっつってんだろ!」


 千崎は後頭部にチョップをくらう。その強襲に腑抜けた声が出ていた。


「いったいなあ……、ってあれ? エリスじゃん」


 怒りを露にしたエリスが立っていた。今日は黒いドレスを身に纏って。とてもお嬢様らしい。


「ってあれ? じゃないわよ! 絶対わかってて無視してたでしょ!」

「まさか。私がそんな酷い女に見える?」

「見えるわよこのカスビッチ」

「ビッチ言うなロリッ子」

「なに? 私の若さに嫉妬しているの?」

「いや。無理無理。一生ガキの見た目とか不便すぎ」

「ガキ言うな!」


 エリスは手を叩いてくる。

 一応、南の話では千崎よりも相当年上のはず、なのだが。見た目だけでなく、中身も子供なのだろうか。


「それで何の用? エリス、さん」

「さんはいらないわよ」

「じゃあロリおばさんで」

「死にたいの?」


 エリスの鋭利な爪が迫ってくる。おばさんは禁句だったか。


「それでエリス。何の用?」


 エリスは饒舌キャラだと思っていたら、ここでだんまりを決め込む。

 丁寧に巻かれた髪を弄り、俯く。やがて口を開いけば、


「お前を探してたのよ」


 唐突なデレ気襲来だった。


「私?」

「そうよ。でもお姉様に家の場所は聞いたけど。いまいちわからなくて」


 つまりは迷子だったと。


「方向音痴さん?」

「そんなはずは……」


 あるのか。肯定の無言だった。


「でも私を探してたって、南じゃなくて?」


 エリスはまた黙り込む。そんなに言い辛いことでもあるのか。

 千崎も千崎で言葉を選びあぐねていた。まともに話すのは、これが始めてなのだ。


「ついてきなさい」


 エリスは場所を変えようとする。気にはなるし、千崎も黙ってついていった。

 あっちへ行けば、来た道を戻り、道を曲がれば、初めの場所へ戻り。

 見事な方向音痴だ。一体どこへ連れて行こうというのか。千崎はこの冒険染みた散歩にちょっと楽しくなってきて、あえて口は出さなかった。

 三十分くらいだろうか。歩いて着いた先は例のマスターがいる喫茶店だった。


「やっとついた……」

「おつかれ。なかなか楽しかったよ」

「アトラクションじゃないから!」

「でもさ、入るの?」


 千崎は喫茶店を指差す。当たり前だが営業時間外。


「いいのよ。私が入りたいと思えば入れる。世界はそうできているわ」


 エリスは構わず中に入ろうとする。が。勿論開かない。何度試しても開かない。

 苛立ってきたのかエリスが扉を何度も開けようとし、最終的には力ずくで扉を破壊してしまった。


「ちょっとなにやってんの!」

「マスターが悪いの。私を拒むなんてあと百年早いわ」

「ほう。大層な御身分になったようだな」


 突如そう声をかけられて、千崎は肩が震える。冬の寒さとは違う。恐怖で千崎は震えていた。

 ゆっくり振り返れば、そこには寝間着姿のマスター。


「あらこんばんわマスター。来てあげたわよ」


 その未だ上からの態度にマスターは。

 問答無用で殴っていた。


「エリス⁉」


 エリスは店内に吹き飛んでいく。千崎が中を覗くとエリスは椅子に塗れて気絶していた。



          *



「酷いよマスター……」


 半泣きのエリス。を、千崎はカウンターに座って慰めていた。高飛車な態度を除けばまるっきり彼女は子供だった。


「お前。何を飲む」


 マスターに話しかけれられる。営業時間外だからか、マスターは適当だった。


「あ、ココアで」

「承った」

「マスターコーヒー頂戴……」


 エリスが控えめな態度で頼むとマスターの鋭い眼光が飛んでくる。だがそれも承ったのか、マスターはカップを二つ用意していた。


「綾、もっと慰めなさいよ……」

「あー、うん。よしよし」


 しかたがないから頭を撫でてあげる。


「気安く触んじゃないわよ!」

 めんどくせー……。

「じゃあどうしてほしいの?」

「そんなの知らないわよ。自分で考えて」

「なら放置で」

「頭撫でなさいよ!」


 こいつ……。

 千崎も一発ぶん殴っていい気がしていた。

 だが千崎はまた頭を撫でていた。子供の見た目でねだられるのだ。その我儘を聞かなければ、こちらが悪いことをしている気分になる。なんてずるさだろうか。

 頭を撫で続けていると、コーヒーを入れ終わったマスターがカップをカウンターに置く。続いてココアも来たら、エリスはしょぼくれた目でコーヒーを啜っていた。


「味、変わらないわね」

「当たり前だ」


 マスターとエリスとのやり取り。短いやりとりだけれど、そこには年季が感じられた。

 千崎もココアを戴く。前に来た時も思ったが、ここのココアは美味しい。

 しばらくそんな時間が続いて、千崎は話を切り出し辛くなっていた。エリスもそうなのか、こちらをちらちらと見てくる。

 そんな中、気をきかせてくれたのはマスターだった。


「君は、ココアが好きかい?」


 マスターは、千崎の、千崎が持つ装飾が施されたカップに視線を注ぐ。


「はい。美味しいですし」

「南もね。よく飲んでいた。そうしてエリスと二人で。奈緒との組み合わせもよくあったな。いつもそのカップで出していたんだ」


 千崎は改めてカップを見る。少し、特別な物だったらしい。


「お姉様は猫舌だったわ」


 エリスがやっと喋った。


「あー、鍋とか食べるとき、いっつも熱そうにするもんね」

「そうよ。お姉様はあまり熱いのは得意じゃないの。でも、いつもホットココアだった。どうしてかわかる?」


 と、言われても。わかるわけがない。

 それが態度に出ていたのか、エリスはやれやれと言わんばかりに得意げな顔をしてみせた。


「あなたもまだまだね」

「いいからはやく正解を言いなさいよ」

「この時間を大切にしていたのよ。お姉様は、あえてココアを飲むのに時間をかけていたの。可愛いでしょ?」


 それは……。

 めっちゃ可愛いな。


「綾、あなた顔に出やすいのね」

「あえ⁉ そんなことないし……」

「そんなことめっちゃあるじゃない……。まあいいわ。他にも、お姉様はいつも私がマスターに怒られると仲を取り持ってくれたわ。どうしてかわかる?」

「南が可愛いから」

「正解。とでも言うと思った? ……愛情を大切にしていたからよ。お姉様は」


 エリスは目を伏せる。


「愛情?」

「そう、愛情。お姉様は誰よりも愛情を求めていた。求めると言うより、知りたがっていた、のほうが近いわね。お姉様はずっと知りたがっている。昔も、今も」


 エリスはコーヒーを飲み干す。


「じゃあ最後に。どうして私がこんなこと話すと思う?」


 その声音は、重たかった。エリスの見た目に似つかわしくない重さ。千崎は安易なことは言えなかった。


「正解はね」


 正解は――。


「内緒よ」


 エリスは悪戯な笑みを浮かべる。


「内緒なの?」

「内緒。私からは言えない。でもね。――私はまだあなたを認めていないわ」


 脚を組み直して、エリスは瞳の奥を覗いてくる。 


「だから覚悟しなさい。私は最後までお姉様の一番のつもりだから」


 そんな、ある意味ライバル宣言とでも言うのだろうか。

 それに千崎は頬が緩んでいた。

 だって、認めてないと言いながら、これでは認めているようなものだから。


「ありがとね、エリス」

「お礼を言われるようなことはしてないわ」

「ううん。エリスって結構優しいんだね。これは南も面倒見ちゃうわけだ」

「な、なかなか嬉しいこと言ってくれるじゃない」


 褒められ慣れていないのか。エリスは顔がにまにましていた。


「エリスは南のどういうところが好き?」

「私を認めてくれるところよ」

「そっか。私はね。……やっぱなしで」

「それはずるいわ。言いなさい」


 エリスに迫られる。だが千崎は恥ずかし過ぎて、意地でも言おうとはしない。


「言いなさいよこの腐れビッチ」

「誰がビッチだ。この腐れババア」

「だからババア言うな!」


 エリスの口調は相変わらず上からだ。

 でも、千崎はなんだか嬉しかった。震えるほど冷える夜に、南と同じココアを飲んて、そして南の大事な人と、少しだけ。かもしれないけれど。距離が縮まった気がするから。

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