第22話
こんなに緊張するのいつ以来だろうか。
千崎は側にあったガラスの鏡の前で身だしなみを整える。
今日の私は可愛い。はずだ。
深呼吸をして、待ち合わせ場所に向かう。
噴水広場の前で、南は立っていた。
「南」
声をかけると南が振り返る。どうしてだろう。今日の南は一段と可愛く見えた。首元でチェック柄のマフラーを正す動作一つでも可愛らしい。
「お待たせ」
「そんな待ってないよ」
「ならよかった」
合流すると、南はいつもの歩幅で隣を歩く。
いつもと変わらない。南はそうかもしれないけれど。千崎は特別だと意識せざるを得なかった。
きっかけはあの日、南が咲宮と家に帰って来た日。咲宮が仕込んだのだろうか。南が突然クリスマスの予定を聞いてきた。勿論、予定なんてなくて。であればと、エリスの邪魔によって誘い損ねたクリスマス。なんと南と予定ができてしまった。
「綾、今日はどこ行きたい?」
南は訪ねてくる。
「そういうのは誘った側がエスコートしてくれるんじゃないの?」
「そうなの? なにも考えてないや」
南は平然と言う。やっぱり、意識しているのは私だけ、か。
かと言って、実は千崎も大して考えてはいなかった。
デートって、何するの……? そもそもこれ、デートなの……?
「綾、私焼肉食べたい」
……やっぱりデートじゃないかもしれない。
「焼肉って。今日?」
「今はそういう気分」
もう決定事項なのか南はどんどん先に行ってしまう。
千崎は出鼻を挫かれた気分だった。
*
網の上で、肉が焼かれている。それを南は上機嫌で眺めていた。
「もういいかな。生だけど」
「まだ駄目だよ。生だから」
南は生肉を食そうとしていた。
因みに、肉を焼くのは全て千崎だ。南は他人に肉を焼かせてただ貪るのが趣味らしい。
「ほら、こっちはそろそろいいかな」
南の皿に肉を乗せる。
千崎は明らかに気分が乗っていなかった。折角おしゃれしてきたのに、初手から焼肉臭くなるなんて。クリスマスらしさゼロ。
「いただきまーす」
でも、文句も言えなかった。南が幸せそうに肉を頬張るから。
そしてついでに。ビールも美味しいそうに飲んでいた。
もう駄目だ。もうこれはデートではない。
「綾も飲みなよ」
「いや、私はいい……」
そんな気分ではない。
「もう、折角美味しい肉があるのに。勿体ないよ?」
「それを言うなら、折角のクリスマスなのに、だよ」
「?」
全くわかっていなさそうだった。
「綾、今日元気ない?」
南に覗き込まれる。誰のせいだと思ってるのか。
「しかたないな。はい、あーん」
元気づけたいのか、南は肉を差し出してくる。
気に食わないが、決してちょっと心躍ったわけではないが。千崎は大人しく食べた。
「美味しい?」
「うん……」
「はいもう一回。あーん」
もう一度肉を頬張る。
まあ、これはこれで悪くはないか。
「どう、美味しい?」
「美味しいよ」
「じゃあ綾も、さ」
南はジョッキを掲げる。千崎は溜め息がでた。
私はちょろい女らしい。
「……飲むよ」
「やった。じゃあ私も追加で」
南は手早く端末に注文を済ませていく。
さらばデート。私はきっと酔いつぶれるのでしょう。
追加のお酒が届くと、南とグラスを突き合わせる。今日一口目のお酒は、悔しいことに美味しかった。
「あーもう。駄目だ。諦める。お酒いっぱい飲む!」
千崎はいい飲みっぷりを見せつける。南も負けじと飲み干していた。
「おかわり!」
二人して息を合わせる。
こうして千崎と南のデート、らしきものが始まった。
*
それからは何件も梯子した。
焼肉を食べ、二件目は居酒屋に寄り、三件目はラーメンを食べた。
ラーメンを食べた後の煙草を、南が「たまらん」という表情をしていたから、試しに吸ってみた。
やっぱりそんなに美味しくはなかった。
四件目はまた居酒屋。この辺りで千崎はもう潰れかけだったが、まだ夕方。まだいける。
五件目はバーに寄った。雰囲気はおしゃれだったけれど、千崎はトイレに入り浸ってそれどころではなかった。
そして辺りも暗くなってきた頃に六件目に来たのは行きつけの居酒屋だった。
「あー、うー。……もう無理、死ぬ。今日で死ぬ」
未だお酒を飲む手が止まらない南の向かい側で、千崎はテーブルに突っ伏してもうほぼ寝ていた。
「だから無理するなって言ったのに」
南は構わずお酒を飲み、つまみを食らう。吸血鬼は肝臓も胃も化物だった。
「むりしてないし。もうきょうはいいんだよこれで。みなみのばかあほまぬけ」
千崎は酔いのあまり呂律が怪しい。
「はーい。馬鹿でいいから綾さんお水飲みましょうねー」
渡された水をちびちびと飲む。
「今日はこんなはずじゃなかったんだけどな……」
千崎は独りでにぼやくも、南は聞いてなんていなかった。
「あ、見てよ綾」
突然南が席を立ち上がる。外を眺めていた。
「なに?」
つられて千崎も外を見る。すると、外には白い粒が舞っていた。
「え? もしかして雪降ってる?」
「降ってる。綾、雪だよ!」
南がはしゃいでいた。少量だけれども、確かに雪だ。
「私初めて見たかも」
千崎は窓の外をまじまじと見つめる。想像していたよりも、綺麗なものかもしれない。
「私も久しぶりだよ。ここってあんまり降らないから」
そうか。南は別の国で見てきたのか。
ホワイトクリスマスだ。なんて言っても南はそんなもの気にしてはいないさそうだけど。千崎は運の良さに気分が上がった。
千崎はその気分の良さに流されて、つい言ってしまった。
「南、今日最後、私に付き合ってよ」
「いいよ。どこ行くの?」
二つ返事で了承を貰ってしまった。
「…………それは」
千崎は言ってから顔が熱くなってくる。だって言えないじゃないか。手でも繋いで雪を見に行こうなんて。
「……やっぱいい」
今日、最後にデートっぽくできたかもしれないチャンスを千崎は逃してしまった。
というか、あれ? 雪を見に行こうだけでよかったのでは? 手を繋ぐ必要なかったよね?
やってしまった。これだからお酒はよくない。考えなしになってしまう。
「じゃあさ」
頭を抱えていると南はテーブルから身体を乗り出す。
「私に付き合ってよ」
「いい、けど……」
「そ。じゃいこ」
南は手早く荷物を纏めて会計を済ませに行く。千崎も遅れてついていき、店外に出ると、外は窓から見るよりも、もっと雪景色だった。
「綺麗……」
思わず千崎は呟いてしまう。そんな千崎に、南は「甘いね」と声をかける。
「もっと綺麗な場所。あるでしょ?」
南は駆けだす。それはいい。でも、千崎の手を握って駆けだした。
その冷えていて柔らかな感触に、千崎は黙りこくってしまう。引き連れられるがままに、千崎も走る。
そうして着いたのは、街の大通りだった。
「ほら。こっちのほうが綺麗」
南はただ単に楽しんでいるようだったけれど。千崎は感動していた。
その景色が、夢に見た景色だったから。
街を照らすライト。大通りを飾るイルミネーション。降頻る雪。そこに南が加われば、もう全てが幻想的で。夢の景色で。自分が手を引かれてそこにいるなんて、これは現実なのか疑いたくもなる。
「いいじゃん、クリスマス」
南のその一言に、千崎ははっとする。そう、今日はクリスマス。そしてこの状況。凄くデートっぽくて。いい。
千崎は握られる手を、軽く握り返した。
「南。歩くの早い」
「ごめん。楽しくって」
二人で、並んで歩く。イルミネーションの下を。雪の下を。
ふと、気づいた。南の手がそわついていることに。
「南どしたの? 寒い?」
「え? どうして?」
「だって手が」
千崎がそう口にすると、南の手がぴくりと震える。
「あー手がね。ちょっと寒いかもね」
南はそんなことを言う。
なら、と。千崎は南の手を握り直す。
「これで暖かい?」
「……うん。暖かい」
手を握り合う。同じ歩幅で歩く。時折、肩が触れる。
千崎は幸せだった。そして今だと思った。
「南、ちょっと手このままで」
千崎は一旦手を離すとバッグの中から一つ箱を出す。それを南の手に乗せた。
「なにこれ」
「クリスマスプレゼントに決まってんだろ」
「え⁉ 私用意してないんだけど」
「だと思った」
南は慌てふためきながら、箱の中身も気になるのかどっちつかずの表情になっていた。
「開けたら?」
千崎に言われて、南は箱を開ける。
中身をまじまじと見つめられて、千崎は顔を背けた。
シンプルな装飾のブレスレット。一目見て、南に似合いそうだと思ったから、送ることにした。
「着けていい?」
「うん、着けて」
南はブレスレットを腕に通す。やっぱり、それは南によく似合った。
「綾、ありがと」
「どういたしまして」
それから自然と、また二人は手を繋いで歩き出す。
千崎は繋いだ手を見つめて、頬を緩めていた。
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