第19話
「だからさあ! 私は我慢してたの! 悪いと思ってさあ……」
飲みに誘われてから一時間。咲宮は永遠にこんな愚痴を聞かされていた。
「でもさあ! 向こうも悪いじゃん! 私に内緒でとか、ありえる⁉」
千崎はお酒を一気に飲み下す。
「千崎、その辺にしときなよ」
「無理!」
千崎はお酒のおかわりを注文していた。
千崎はどうやら途中から私を呼び出したようだけれど。一体いつから飲んでいるのだろか。
咲宮はもうお酒を飲むのを止めていつ千崎がつぶれるのかと、そのときをずっと待っていた。
「咲宮も飲め!」
「いや、私はもういいよ」
大変面倒臭かった。いきなり呼びつけられ、来たら初っ端からこのテンション。誰のことかは言わないけれど、どうせ南のことだろうけれど。ずっとこの調子だ。
「千崎ー、あんまり飲むと後悔するぞー」
「しない。絶対しない」
これは絶対するやつ。溜め息も出るってものだ。
「……あのさあ? ずっと文句言っているけど、千崎は南さんにどうしてほしかったわけ?」
「私は南のことなんて知らない!」
あくまで南とは別人に怒っているらしい。
「わかったわかった。じゃあその、仮にその人はエリちゃんとして、千崎はどうしたかったの?」
「どうもこうもないよ。これは私の我儘なの。エリちゃんは悪くないの……」
今度は急激にテンションが下がる。これはいよいよ本格的に面倒になってきた。
「私はね? ただエリちゃんに喜んでほしかっただけなんだよ。なのにエリちゃん、別の女といちゃいちゃ……。いちゃこらいちゃこらして……! 私の気持ちもちょっとは察しろって話だよ。私だって色々気遣ってたんだからさ。あるじゃん? それ相応の態度ってものがさ」
「要約すると?」
「別の女に嫉妬しました!」
千崎はまたジョッキを飲み干す。
「千崎、その飲み方はやめなさい」
「無理!」
だよね。
「私さ、エリちゃんのことなんも知らないんだなって。私はもっと、もっと……」
もっと。なんだろうか。その先が一番大事なのに。千崎は酔っていてもこの先は口にできないようだった。
「さきみやー……。私は駄目だ……。もう置いていって……」
「お店に迷惑でしょ? ほらお水」
「うえー、やだー……」
千崎は水を口の端から零していく。
「さきみやー、慰めてー」
「あーはいはいよしよし。千崎ちゃんはいい子ですねー」
「あー、いやされるー……」
千崎を撫でていると、今度は懺悔を始めた。
「ごめんなさい……。私は悪い子です……。子供に嫉妬して、エリちゃんは何も悪くないのに勝手に怒って、ほったらかしにして。きっとエリちゃん、今頃私のこと気にして……ないか。エリちゃんもっと私のこと気にしてよ……」
千崎は咲宮の胸にもたれかかると顔を擦り付ける。
「化粧つくからやめて」
「でもあの子はこうしてた……!」
「だからって。私にやってもしょうがないでしょ」
「うん。虚しいね、これ」
人の服を汚しておいてなんだろうこの言い様は。
「まあさ。あんま気にしなくていいんじゃない?」
咲宮は卓上に並ぶお酒を全て飲み干す。
「いいの? 気にしなくて」
「いいと思うよ。私的には、きっとエリちゃん、今頃すっごく千崎のこと気にしてるだろうし」
「そうなの?」
「さあ? でも勘がそう言っている」
「そっかあ。ならいっか!」
千崎は流れるように咲宮に抱き着く。
「あー、さきみやは天使だあ……」
千崎はもたれかかったまま力が抜けていく。気づけば寝息を立てていた。
「……しょうがない子」
咲宮は千崎を抱えると会計を済ませる。散々愚痴を聞かされた挙句、ほとんど千崎が飲み食いした代金を建て替え。本当に世話の焼ける子だ。
活気の良い店員の挨拶を背中に咲宮は店を出る。どうやって家まで送り届けようか。タクシーを探していると、咲宮は見知った姿を目にした。向こうも気づいたのか、こちらに駆け寄ってくる。
「叶!」
走る南は息を切らしていた。
「南さん。これお願いしていい?」
咲宮はぐったりとした千崎を南に渡そうとして、途中でやめた。
「叶?」
「南さん。お願いしても大丈夫?」
同じような問い。だが南には咲宮の真意が伝わったのか、
「大丈夫、任せてほしい」
毅然と答えてくれた。
「はあ……。全く、大変だったんだから」
「ごめん、叶。私どうしたらいいかわからなくて」
南は見るからに戸惑っていた。揃いも揃って、不器用か。
「叶。千崎、何か言ってた?」
「さあ? 言ってたけど教えない」
「叶って意外と意地悪?」
「違うわよ。南さんが馬鹿なの」
「馬鹿って……」
「だってそうでしょ?」
南は千崎を、それはもう大事そうに抱えていた。そこまで思っているなら、することなんて初めからきまっているのに。
「ちょっとは素直になれば?」
千崎も南も。そういうところが足りないのだと、まあこれは当事者には難しいことなのかもしれない。
「それじゃあね南さん。後は任せた」
後は二人の時間だ。
咲宮はそそくさと帰ることにする。
去り際に見えた、南の千崎を見る眼差しが羨ましかったのは。胸の内に秘めておこう。
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