第13話

 南は帰ってきてから、距離が近かった。

 例えば朝、南は大学に行く前に迎えに来る。

 例えば昼、千崎が咲宮と昼食を共にしているとよく絡みに来る。

 例えば夜、南は、よく泊りにくる。

 そんな変化があった。そしてその変化は、多分必然だった。


「ちょっ、南、今は……!」

「いいでしょ?」

「でも見られたたら……!」

「いちゃついてるようにしか見えないって」


 講義の合間時間、千崎は人気のない階段の踊り場に連れ込まれていた。

 千崎がどれだけ拒絶しようと南は千崎の腕を取り壁に押さえつける。吸血鬼は力が強くて。だから仕方なく、だ。仕方なく千崎は血を吸われていた。


「南、最近多くない?」

「美味しいのが悪い」


 そう言われて、悪い気はしないけれど。とにかく最近の南は頻繁に血を吸うようになっていた。よく吸うから、必然。南はよく千崎と一緒にいるようになった。

 それはいい。離れないと約束したのだし。有言実行だ。けれど、いささか頻度が多かった。


「……ごちそうさま」


南は吸い終わると舌先で首筋の血を舐めとる。


「こら、そこまで許してない」

「だって勿体ないから」

「だからってさ」

「綾。今日行ってもいい?」

「……いいけど」


 どうやら、南は今日も泊りにくるらしい。



          *



「千崎、あなた最近さ」


 パンにかぶりつく咲宮はリスみたいになりながら聞いていくる。


「……発情期なの?」

「違うよ!」

「じゃあ噂は知ってる?」

「え? 噂?」

「南さんと、いい感じって噂」

「なにそれ」

「手繋いで歩いていた、とか。抱き合ってたとか。人気のない場所で乳繰り合ってた、とか」

「乳繰り合ってないわい!」

「なに必死になっての。噂よ噂」


 きっと、吸血行為のことなんだろう。やっぱり誰かに見られていたのか。


「発情期でも構わないけど。時と場所は選んだほうがいいんじゃない?」

「だから」

「あながち単なる噂ってわけでもないんでしょ? 結構目撃情報あるし」

「それは……。やっぱり違う。私発情期じゃないし」

「じゃあなによ発情期綾さん」

「えっと……」

「発情期じゃない」

「そんなに発情期連呼しないで!」

「千崎」


 言われてはっとする。声が大きかった。


「私発情期じゃないし……」

「それはわかったから。それで? 実際のところはどうなの?」

「実際、実際のところ、か……」


 所構わず吸われてる、とは言えないし。


「咲宮。相談なんだけど」

「はいきた相談。無駄な例え話はやめなさいよ?」

「……」


 今めっちゃ考えてたのに。


「……南が、最近おかしい」

「帰ってきてから?」

「そう。凄く、べたべた」

「よかったじゃない」

「うんよかった……じゃなくて! おかしいの!」

「どうおかしいの」

「なんか、こう、あれだよ。発情期?」

「違うんじゃなかったの?」

「まって間違えた。……距離が近いんだよ。明らかに。やっぱりいなくなってた間に何かあったんじゃないかと思うんだけど。聞けなくて」

「ふーん。なら発情期になれば?」

「だからさ……!」

「待って千崎。これは作戦なの。いい? 今南さんがぐいぐい来てるなら、押し返せばいいのよ。そうすればきっとなんとかなるわ、こう、いい感じに」


 ものすっごく適当だ……。


「無茶言わないでよ」

「やはり無茶か」


 先宮はパンを呑み込むとお茶も一気に飲み干す。 


「じゃ、私は行くから」

「え? 相談は?」

「私の話、大して役に立たないでしょこれ。だから、えっと。頑張れ」

「雑ー……」

「私は千崎と南さんがどうなろうと構わないからね」


 あまりに薄情じゃないかと。立ち上がって行こうとする咲宮を引き留めかけると、咲宮は勝手に立ち止まる。


「でもね」


 咲宮は真剣な眼差しだった。


「私、千崎とのこういう時間は結構大事だから。それだけは覚えておいて。それじゃ、頑張って」


 それだけ言い残して咲宮は走って去っていく。

 咲宮は終始適当だったけれど。ちょっと。元気が出た気がした。



          *



「わー、結構降ってきた」


 大学の帰り道、千崎はコンビニの軒下まで走り、雨宿りしていた。


「おまたせ綾」 


 先に講義が終わっていた南がコンビニから出てくる。その手にはレジ袋と、傘が一つしか握られてなかった。


「南、私の分は?」

「え? 勿体なくない? 一つで十分でしょ」


 南は傘を広げると手招きしてくる。入れということらしい。

 千崎は傘の中にお邪魔する。若干千崎よりも背の高い、南の肩に頭がぶつかった。


「ごめん」

「綾、どっちがいい?」


 気にする素振りのない南はコンビニの袋の中から紙袋を取り出す。


「肉まんと餡まん」

「……餡まんで」


 千崎は紙袋の片方、ではなく両方を受け取る。傘を持つ南の変わりに肉まんの袋を開けて渡そうとすると、南は口を開けて待っていた。


「あのさ……」

「はやく」


 南は有無を言わせない。千崎は南に肉まんを食べさせる。南は満足そうに咀嚼していた。 


「そっちも頂戴?」


 南はもう片手に持っているほうもねだってくる。千崎はそちらも食べさせると、なんだか餌付けみたいで面白くなってきていた。


「今日はどうするの?」


 千崎はまた餡まんを食べさせる。 


「ゲームの続き。いいとこだったしね」

「私は映画の気分」

「じゃあ借りてこっか」


 信号待ち。千崎は餡まんを頬張ると、南がじっと見つめてくる。


「どうしたの」

「綾、かわいいことするじゃん」


 南の顔がぐっと近づく。いきなりのことで千崎は固まっていると、南は千崎の口の端を舌先で掬いあげた。


「……舐め取る必要あった?」

「美味しそうだったから」


 南は肩を寄せる。


「……近い」

「雨だからね」

「関係無いし」


 雨だから、なのだろうか。湿気の中に、南の香りが混じっている。

 千崎は口走っていた。


「今日、やっぱ早く寝ない?」 


 千崎は傘を持つ南の手に、自分の手を添える。

 南の視線が痛かった。


「……おねむさんなのかな」

「……そう。眠いの」

「なら寝かしつけてあげよう」


 信号が青に変わると、南はそれ以上詮索しない。

 咲宮のせいだ。何度も言うから。

 本当に発情期に入ってしまったのかもしれない。

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