第11話

 千崎は鞄に適当に荷物を詰めると自室の灯りを消し、玄関を出る。捻るドアノブは、気持ち冷たい気がした。

 今日からまた大学だった。特にだるくも、かといって心待ちにしていたわけでもなく。またバイト先と大学を行ったり来たりするだけだ。でも。


「行ってきます」


 まあ、悪くはないと感じていた。

 電車に揺られ、バスに揺られ、暫し歩いて大学に着く。今日は一限目から南と同じ講義だった。

 講義室に入ると、南の姿はなかった。まだ来ていないのかと、先にいつもの後ろの席に座る。

 ぼんやりと、入り口を眺める。一人、また一人と入ってくるのは顔だけ知っている人ばかり。されど、南は来ない。

 待ちに待って、講義に開始時刻になって、とうとう講師が入ってきてしまった。

 さぼり、だろうか。

 千崎が呆けたまま、講義は始まってしまった。

 碌に集中もしないまま、その講義は終わり。

 そして次の講義も、その次の講義も。南は来なかった。

 どうやら今日は完全にさぼりらしい。

 千崎はスマホを開いて、待ち合わせ以外に使ったことのない南との連絡画面を眺める。文字を打ちかけて、千崎は画面を閉じた。



          *



 次の日も南は来なかった。次の日も。そのまた次の日も。

 南は来なかった。千崎は何度も連絡はしようとしたけれど、結局はできず終いだった。


「咲宮、どう思う」

「知らんがな」


 大学の帰り道、千崎は咲宮に訪ねてはみても、返事はここ数日で変わることはなかった。


「知らんがなじゃなくてさ」

「知らないわよ。さぼろうが単位落とそうがそんなの南さんの勝手でしょ」

「それはそうだけどさ……」


 咲宮は深い溜め息をつく。


「毎日毎日どう思う? どうしたらいい? って。何。千崎はどうしたいの」

「私は……」


 千崎は戸惑う。そうだ。千崎自信はどうしたいのか、明確な答えがないのだ。

 そんな千崎に、咲宮はまた盛大に溜め息をついた。


「はあー……。ちょっと貸しなさい」


 咲宮は千崎からスマホを取り上げると難なくロック画面を突破する。


「なんで知ってんの⁉ てか返して」

「いいから」


 咲宮は連絡アプリを立ち上げて南とのトーク画面に移る。それから素早く文字を打って、千崎に画面を見せて送信のタンを指差した。


「押しなさい」

「いや、でも……」

「押しなさい」

「待って、そういうのは心の準備が」

「……」


 無言の圧力。千崎は迷いに迷った。何度も指先が行ったり来たり。だが咲宮の圧に負けて、千崎はメッセージを送信してしまった。


「これでいいのよ」

「咲宮のばか……」


 返って来たスマホ画面には既に送ってしまったメッセージ。送信を取り消そうともしたが、千崎はスマホを閉じていた。


「一応、ありがとうと言っておく」

「どういたしまして。それじゃあね」


 いつもの分かれ道に差しかかると咲宮は軽く手を振って帰っていく。

 千崎もバイト先に向かう。道中、画面はみなかったけれど。千崎はポケットのスマホから手が離せなかった。



         *



 それから、二週間が経った。何度スマホの画面を見ても、南からの返信はない。


「そこのお嬢さん。お暇ですか?」


 バイト帰り、溜め息が尽きない千崎は声をかけられる。振り返れば、そこにいたのは奈緒だった。


「奈緒さん。夏以来ですね」

「ええ、お元気、そうではないですね」


 奈緒は察したのか、気遣ってくれていた。


「千崎さん、お暇ですか?」

「え? まあ、暇だけど」

「ではついてきてください」

「どこ行くの?」

「それは内緒です」


 奈緒はご機嫌に、手を後ろに組んで鼻歌交じりに先を歩いていく。

 同じ吸血鬼でも全然違った。南は、もっと静かに歩くから。

 奈緒につられて、ふらふらと。あっちへ行ったりこっちへ行ったり。やがて着いたのはこじんまりとした喫茶店だった。


「こんばんはー。来てあげましたよマスター」


 かなり上からな挨拶だった。それに応えるのは、さらに上からなマスターだった。


「黙れ小娘。蹴散らすぞ」


 怖。

 千崎は入店早々帰りたくなっていた。


「ん? 今日は連れがいるのか」


 マスターは薄い眼を千崎に向けると微笑んでくれる。物腰を柔らかくすると、お姫様みたいな人だった。後ろで括った銀の髪が、余計に異国らしさ、お姫様らしさを演出するのだろうか。 


「こ、こんばんは」


 千崎が挨拶をしつつ委縮していると、奈緒は我が物顔でカウンターに座る。こっちへ来いと手招きするから、千崎もお邪魔した。


「私ブレンドで。千崎さんは?」

「あ、えっと……。じゃあホットココアで」


 マスターに注文を済ませると奈緒はぐっと千崎に顔を寄せる。


「それで、どうしたんですか。南さんですか? 南さん絡みですか⁉」


 奈緒は妙にテンションが高い。肩まで掴んできて。正直鬱陶しい。


「そんなぐいぐいこないで……」

「おっと。これは失礼しました」


 奈緒は離れると改めて聞いてくる。


「それで⁉ 南さん絡みですか⁉」


 やっぱり鬱陶しかった。


「なんなの、それ」

「そういう話の気配がして」

「違うって言ったら?」

「ショックのあまりこのお店を破壊し尽くします」

「殺すぞ」


 マスターの眼光が鋭かった。


「まあ、それは冗談で。いい話の気配がしたんですよ。あ、グランピングのときから匂うなあ、とは思ってたんですけどね? 千崎さんどうなんです?」


 ぐいぐいだ。奈緒は遠慮というものを知らなかった。


「……そういう話じゃ、ないよ。ただ……」

「ただ?」


 ただ、なんなのだろうか。咲宮のときもそう。判然としない。今自分がどう思ってるのか。どうしたいのか。


「ブレンドとホットココア。お待たせしました」


 千崎が答えに血詰まっていると、注文した飲み物が届く。一口飲んで、千崎は整理しながら話始めた。


「最近、南が大学来てないんだよ。連絡しても返ってこないし。それで、大丈夫なのかなーとか、でもあんまりしつこく連絡してもなあ、とか。いろいろ、考えちゃって。それで……」

「ほうほう。つまり千崎さんは寂しいんですね」

「なっ⁉ 寂しいとか、そういうのじゃなくて私は……」

「私は?」


 奈緒はじっと千崎を見つめる。その吸血鬼の視線は柔らかいのに、冷たくて。逃げても、逃がしてくれなそうだったから。


「……寂しいのかもしれません」


 そう口にしてみた。


「よく言えました」


 奈緒に撫でられる。 

 口にしてみて、改めてわかった。どうやら私は、本当に寂しかったらしい。


「少し、昔話をしましょうか」


 奈緒はコーヒーを口につけると、マスターに視線を送る。マスターは頷いていた。


「千崎さん、この方吸血鬼です」


 なんの脈絡もなく、奈緒はマスターをそう紹介する。だが、千崎は大して驚いていなかった。


「そうなんですか」

「あれ⁉ そういう反応しちゃいます⁉」

「いや、ごめん。なんか南とか奈緒さん見てたからかな。なんかマスターが吸血鬼って言われて、普通に納得しちゃった。凄く綺麗で、どこか他の人とは違くて。だから、言われても、ああそうなんだって」

「……そうか」


 マスターはただそれだけ言うと奥に引っ込んでいった。


「千崎さん、あの人、南さんとは古くからの知り合いなんです。だから今からする話に信憑性を持たせるものの一つ、とでも思ってください」

「はあ……」

「では。なにから話しましょうか。千崎さんって、南さんのことどう思ってますか?」


 改めて聞かれると難しかった。


「うーん……、すっごい美人?」

「確かに」

「後は、案外優しかったり? 私、あんまり吸血鬼って思えてないかも、南のこと。奈緒さんは、その。初対面があれだったからさ。そうでもないんだけど」


 奈緒は微かに目を細める。


「そうですか。南さんは甘々なんですね」

「甘々って……」


 奈緒がカウンターを奥を覗くとマスターが戻ってくる。マスターの手には一つのアルバムがあった。


「見てみろ」


 マスターから手渡される。中を覗くと、そこには色んな南が、マスターや、奈緒と。それから、見たことのない少女と写真に映っていた。 


「なんか、やさぐれてるね」


 写真の南は千崎の知っている南ではなさそうだった。


「どれもそっぽ向いてる。でもほんとに吸血鬼だね。見た目変わんないや」

「そうですよ? 私たちは怖いこわーい吸血鬼なんですから」


 怖い、か。確かに、初めの奈緒は怖かった。


「昔の南さんは、それはもう怖かったんです。私なんて、最近になるまで距離を置いてたくらいですから」

「そうなの? 全然そんな風には見えないけど」

「それは南さんが変わったからです。そうですね。大体十年くらい前ですかね。どこかへ姿を消していた南さんが突然ここに戻ってきて、初めはまだ全然だったんですけど、段々と話すようになって。そのアルバムの写真はその頃からですね」


 千崎はアルバムのページを捲る。後半のページになるにつれて、南の表情は確かに柔らかくなっていた。


「あいつは馬鹿だからな」


 マスターが口を開く。


「不器用なんだ」


「そうそう。私に『素っ気なくてごめん』って言うまで、三か月かかりましたからね」


 千崎の知らない、奈緒と南と、マスターの思い出。千崎は静かに聞いていた。


「他にも、マスターに怒られたときも、帰ってくるのに一年かかったり」

「ちょっと小突いただけだったんだがな」


 奈緒はくすりと笑って、マスターは相変わらず無表情だった。


「怒られたって、南何したんですか?」

「無茶してたんです」


 奈緒はコーヒーを一口飲んでから続ける。


「私たち吸血鬼は、血を飲まないと生きられません。ただ、それはそこまで頻繁じゃなくてもいいんです。たまに飲めれば。でも南さんは欲張りさんでしたから。次から次へと人を襲っては血を吸いつくして。マスターが後処理に翻弄されてましたね」

「それで怒られたと」

「はい。まあ謝る時も口先だけでそこまで反省してなさそうでしたけど」

「あいつは基本的にクソガキだ」


 マスターは口ではそう言いながらも、ほんのちょっと、口の端が綻んでいるようにも見えた。


「つまり何が言いたいかと言うとですね。あまり心配しなくてもいいということです」


 奈緒はアルバムの写真を見てから千崎に向き直る。


「きっと、そのうち戻って来ますよ。それで言うんです。血を吸わせろって」

「……そうかな」

「そうです。南さんはそういう吸血鬼ですから」

「……ありがとう、奈緒さん。でもどうして? 私、南のこと、過去とか、勝手に知ってもよかったのかな」


 本人のいないところで勝手に。多少、申し訳なくはあった。


「それは。……どうしてだと思います?」

「聞いてるのは私なんですけど……」


 奈緒はにこやかに、はぐらかした。


「内緒です。もし南さんが帰ってきたら快く血を吸わせてあげてください」

「……わかったよ」


 千崎はココアに口をつけて、アルバムの写真を思い返す。そういえば、写真の中の南も、同じ装飾のカップを使っていた。

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