第9話

 本日二度目の湯船。咲宮は奈緒と肩まで浸かって長く息を吐いていた。


「奈緒さんー、気持ちいいねー……」

「そうですねー……」


 力が抜ける。咲宮は溶けるままに、何度も寝落ちしそうになっていた。


「叶さん、眠いですか?」

「うん、眠いかも……」

「寝ちゃったら叩き起こしてあげますね」

「優しく起こしてよ」


 咲宮は叩き起こされたら敵わないと、浸かりそうになっていた顔を上げる。


「ふあー、いい一日だったなー」

「ですねー。私も久々に楽しかったです」

「久々、か……。奈緒さん、と南さんってなんか私たちと同年代っぽくないよね」


 咲宮は腕を伸ばして湯船を揺らす。奈緒は何が面白いのか、それに合わせて大袈裟に揺れていた。


「何言ってるんですか。私ぴちぴちの二十代なんですから。叶さんも私のこと、『奈緒』って。もっとフレンドリーでいいんですよ?」

「奈緒さんだって私のことさん付けだし」

「私はいいんです」

「なんか、奈緒さんと南さんは、呼び捨てできない。そう直感が言ってる」

「そうですか? それは残念」


 言いながら、奈緒はそこまで残念そうでもない。


「奈緒さんはさ、二人のことどう思う?」

「南さんと千崎さんですか? どうって」

「いい感じだと思わない? 私、あんな千崎初めて見た」 


 そう、初めて見た。基本、なんでも普通で無気力な千崎が、あの南と関わっている。それを特に避けようとしていない。以外も以外だ。


「そうですねえ。私は、南さんとは結構な付き合いですけど。……確かに、南さんはちょっと変わったかもしれません」

「へえ、結構って、具体的には?」

「ざっと百年」

「でた、超スケール。奈緒さん。誤魔化し方雑」


 奈緒は偶に人間の尺度ではあり得ないことを言う。それがとても適当で、でもあながち嘘もついていなさそうに思えてしまって。

 奈緒と、それと南への、この違和感。正体が掴めない。


「叶さんは、千崎さんとどれくらいのお付き合いで?」

「私たちは大学入ってからだから、もう二年か。あ、そうそう、初めて会ったときさ、千崎半泣きになってたんだよね。構内で迷ってて。それが最初だったなあ。私あんまり他人が好きじゃないんだけど。なんか千崎は気になっちゃって。それからずっと面倒見てるっていうか、見られてるっていうか」


 千崎はお節介を、何てことなさそうに許してくれる。


「私も他人ですけど。私のことは嫌いですか?」

「奈緒さんと南さんは別枠。あなたたちはちょっと違う。人に抱く感情としては初めて。ちょっと……。恐れてる、のかな」

「……なるほど」


 奈緒はほんのわずかに視線を下に向ける。


「ほらそういうところ。ずっと優位に立たれてる気がする。なんでかな、これ」

「それは恐らく、私たちには最終手段があるからですね。いざとなれば、なんでもなかったことにできちゃいますから」

「また怖いことを言う」

「怖くありませんよ? ほんの少し世界がすっきりするだけです」

「すっきり、か。私もしてみたいな、すっきり」

「してみますか?」 


 奈緒はいつの間にか咲宮に触れていた。咲宮の手を取り、胸に当てる。


「したら、どうなる?」

「世界がすっきりします」

「……なら、いいかな。今回は遠慮しておく」

「それは残念です」


 奈緒は手を離すとまた湯船を堪能する。緊迫と弛緩がくっきりとしていた。


「奈緒さん。私ずっと、予感があるんだ」

「どんな?」

「千崎が何処かへいっちゃう予感」


 ぼんやりとした、そんな予感。奈緒は真面目に受け取ったのか。流そうとしているのか。暫く咲宮に向き合い、湯船を静めていた。


「奈緒さんは、千崎を連れていかない?」

「私はそんなことしませんよ。私は」

「……それなら、いいんだ」 


 奈緒はおもむろに咲宮の頭を撫でる。


「叶さんなら、連れていってあげてもいいですけどね」

「ちょ、やめてよ恥ずかしい」

「いやです」

「……もう」


 咲宮は撫でられ続ける。奈緒の手つきは、決して優しくはなかったけれど。それが逆に落ち着いた。

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