第6話

 吸血鬼とは一体何なのだろうか。そんなことを、最近よく考える。

 人間と何が違うのか。確かに、血を吸うから、違くはあるのだけれど。でもそれ以外に違いが見当たらない。

 千崎はバイト帰りに寄り道散歩をしながら、そんなことをぼんやり考えていた。


「今日は暑いな……」


 もう七月も手前、夏の兆しを感じ始める頃。

 千崎は空を眺めていると、ふと陰が見えた、ような気がした。それは一瞬で、見間違いだろうと視界を正面に戻すと、その女はいた。


「こんばんは」


 いつから、そこにいたんだろうか。


「こん、ばんは……」


 いきなり挨拶されて、戸惑いながらも返しつつ、千崎はその女の横を通り過ぎる。その前髪を分けた女は、ほのかにいい香りがした。


「待って」


 後ろから、女に呼び止められる。止められたから、振り向けば。

 千崎は頬から何かが伝う感触に、戸惑っていた。


「うーん、いまいちね」


 女は指先を舐めていた。舐め終わったその口の端は赤く、その光景に、千崎は見覚えがあった。

 彼女は吸血鬼……?


「ねえあなた。今すぐ死ぬのと、吸われて死ぬの、どっちがいいかしら」


 女は唐突に、選択を迫る。その物騒な言葉に戸惑っているいると、手が振り上げられた。


「まあ、ここで死んだっていいですよね」


 千崎が見上げた女の手は、その爪は。鋭くて。こんな直前になって、恐怖で足が竦む。降り降ろされる手に千崎は目を瞑るしかなく、事態を受け入れかけていたが。

 特に痛みを感じることはなかった。

 目をゆっくりと開けば、そこには見知った

姿。

「南……!」


 南が、その女の手を掴んでいた。


「奈緒。死にたいの?」


「あら、南さんじゃないですか。もしかしてお気に入りでした?」


「黙れ」


 南が奈緒と呼んだその女は、手を振り払うと爪と牙を収める。


「綾、怪我してる」


 南は千崎に駆け寄ると顔を掴んで頬の傷を眺める。そして、舐めた。


「ひっ、なにしてんの……!」

「だってもったいないから」


 南は垂れる血を舐め切ると、満足そうな顔で千崎の前髪に触れる。


「ちょっと待ってて」


 南は奈緒に向き直り、目の前まで足を運ぶ。

 南と奈緒は無言で見つめ合っていた。それは千崎には口を出せない領域な気がして、ただ黙って見る。

 やがて、二人は何かを納得しあったのか、そっと離れた。


「いこ、綾」


 話をしない話し合いが終わったのか、南は千崎の手を取る。強引に奈緒から離そうとしているみたいだった。


「いいの?」


 千崎はただ立ち尽くす奈緒を見てもう少し話すことでもあるんじゃないかと思ったが、


「いいの」


 南は構わず歩を進めた。


「今日は送ってくから」


 角を曲がって、奈緒の姿が見えなくなっても南は手を離さない。


「それはわかったから、そろそろ離して」


 南が強引に連れていくから、千崎はよろけて倒れそうだった。

 南は急に立ち止まると千崎の手をより一層強く握る。


「今日、泊ってく」


 それはあまりに突然だった。



          *



 六畳間の、南の家に比べれば大して広くない部屋で、南は千崎の布団に寝転がって寛いでいた。


「綾、お茶」

「客の分際で偉そうだね」

「違うわ、客だから偉いのよ」

「はいはいお茶ね」


 千崎は冷蔵庫を明けて、適当なコップにお茶を注ぐ。持っていくと、南は枕を抱きながらゲーム機に興味を示していた。


「やりたいの?」

「やっていい?」


 千崎はお茶を置くとゲーム機を起動させる。二人で遊べそうなゲームを選んだら、後ろでお茶をちびちびと飲む南にコントローラーを渡した。


「何? このゲーム」

「格ゲー。これくらいしか二人でできそうなのなくて」


 南はコントローラーを持つのも初めてなのか、画面と手元で視線が行ったり来たり。そんな南に色々教えながら、なんだか緩い空気でゲームで遊び始めた。

 南は吸血鬼だからなのか、南だからなのか、呑み込みが早い。初心者だしちょっとぼこぼこにしてやろうかな、なんて目論見は、早い段階で達成できそうになくなっていた。


「綾、怖かった?」


 ゲーム中、南がそんなことを聞いてくる。


「怖かったって、あの奈緒って人のこと?」

「あれは人じゃない」

「それは、そうだろうね」


 そこで会話が止まる。変だった。基本的に南は饒舌なのに、今はどうにも話し辛い。


「南、あの人、なんかあるの?」

「別に、何もないよ」


 また会話が止まる。嘘をついているわけではなさそうで。多分、単に吸血鬼の知り合いなんだろうけど。南は無言を貫いていた。

 そんなことに気をとられていたら、ゲームの中で私は負けていた。


「綾、ゲーム下手だね」

「なっ! ……今のはちょっと調子悪かっただけだし」

「調子、悪いの?」


 南はまじまじと、隣から顔を覗いてくる。揶揄うわけでもない。血を吸いたそうにしているわけでもない。意図が、わからなくて。


「悪くは、ないです……」


 千崎は返事に困っていた。

 南は何か思案すると、今度は千崎の頭に手を置いて撫で始める。そして、


「ごめん、綾」


 何故か謝られた。


「……何が?」

「さっき、危なかった。私、気をつけてたのに」

「気をつけてたって。私が危険に巻き込まれないように?」

「……うん。でも、あなたを傷つけてしまった」


 南は千崎の頬を撫でる。


「いや、いいってこのくらい。それに助けてくれたじゃん」

「でも、怖い思いをさせた。私はどうしたらいい?」


 本当に不安そうに、南は聞いてくる。もしかして、彼女は今、慣れないことをしているのではないだろうか。そう思うと、千崎はかすかに笑ってしまった。


「なんで笑うの?」


 南は気に入らないと言わんばかりに頬を膨らませる。


「いや、ごめん。馬鹿にはしてないんだよ」

「でも笑った」

「あー……じゃあ。――ありがとね」


 千崎は若干、いやかなり気恥ずかしかったけれど。意を決して南の肩に手を回した。


「私、いきなりだったからまだよくわかってないんだけど。怖かったんだと思うよ。だからありがと。家にまで来て、元気づけようとしてくれてたんでしょ?」

「……そんなことないし」


 そんなことあったらしい。ただそれは不慣れで、ぎこちなくて。吸血鬼とはなんて不器用なのだろうか。


「それで。元気でたの?」


 南は子供っぽく聞いてくる。千崎はゲームで負けた腹いせに、ちょっと揶揄いたくなった。


「うーん、まだちょっと元気ないかも、なんて」

「じゃあ……」


 南はそっと、千崎の頬に触れる、ただし、唇で。


「え……」

「これで元気出た?」

「いや、それどころじゃないです……」


 南は腕を剥がし、千崎の肩を掴む。そこには、いつも通りの南がいた。


「あんまり調子に乗らないでよね」


 怒ってるような、笑っているような。南は千崎の鼻頭をツンと弾くと、またゲームに戻る。その横顔は嬉しそうで。

 これは、ずるいなあ……。

 美貌とは、どこまでも便利な物らしい。


「綾、煙草吸っていい?」

「……臭いからやめて」

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