クソみたいな世界
「い、嫌……」
アルシェが首を横に何度も振るが現実は変わらない。
自分の眼が、頭が、湊が死に瀕していると伝えていた。
「イヤアああぁぁぁーーー!!!」
男は慟哭を撒きながら走り寄るアルシェには眼もくれず、朧気な眼で此方を睨む湊に感嘆していた。
結果こそ圧勝だったが、召喚したての勇者など本来なら戦いすら成立しない筈なのだ。それを根本から覆し
だがアルシェが治療を施す様を見て、そちらにも目を剥くことになる。
「【
湊の元に辿り着いてすぐ【結界魔法】を展開すると、急いで詠唱を唱え自身が誇る最高の《回復魔法》を発動した。
「お願い治って! 《
この【結界魔法】は並外れた防御力の他に、特性「結界干渉」「万能効果」を有しあらゆる支援を可能とする。
これはアルシェが結界内に入る事を認めた者――この場合は湊――に対して干渉する際、あらゆる支援型魔法……大まかに云えば《回復魔法》と《付与魔法》の効果を
例えば今アルシェが発動した《
本来今の彼女のレベルでは上級魔法は出来てもその上の最上級、超級魔法相当は無理と言わざるを得ない。詠唱破棄など尚更である。
にも関わらずこうして発動出来たのは、
しかしここで思いもよらぬ事態に直面した。
「な、何で…? 回復しない? どうして!?」
常ならばどんな傷、状態異常、あるいは部位欠損だって瞬く間に治す筈の空間が作動しないのである。いや、実際にはちゃんと回復しているのだが明らかに治りが遅い。
「これは…瘴気?」
その原因は傷の表面にあった。具体的には黒い靄ようなものが湊の傷口を覆っている。
瘴気とは魔物や一部の魔族が使う云わば魔力のなり損ねだ。為り損ねと言っても魔力に劣っているという訳でなく、むしろそういう手合いは極めて厄介な場合が多い。
未だ詳しくは解明されてないが、「腐食」等の《闇属性》に通ずる効果を持つため攻撃面に関して言えば一部属性の上を行く。
余談だが亜人と呼ばれる種族の中にもこれを使える輩がいるには居るが、そういう者達は総じて爪弾きにされる。自然に害意をもたらす危険も孕むし、何より魔族と同じという点で良い印象を与えないからだ。
(そうか、あれはそういう魔剣ッ)
そしてこれこそ男の持つ魔剣の能力。瘴気を操り、アルシェの魔法を妨げているのだ。
瘴気が残っているせいで湊は今もダメージを〝受けている〟という状態にある。つまり、瘴気が湊の身体に
当然剣が刺さったままでは回復は見込めない。それは最上級魔法とて例外ではない。
しかし原因さえ掴めば後は簡単だ。
瘴気は《光属性》で浄化できる。その上位互換である《聖属性》なら苦もなく払い除けられるだろう。
(結界内に《聖属性》を追加。更に対象をカナエ様に絞って《木属性》の効果を底上げする)
「結果干渉」を使い空間内に新たな情報を書き込むと、すぐに瘴気が消えていった。剣が刺さったままという誤った認識が解除され、そのすぐ後には目に見えて傷口が塞がっていくのを確認した。
「やった……!」
再始動から僅か5秒。この間に半分ほど回復したのを見届けると、再び「結界干渉」を使って新たな処置を始めようとする。
しかしその次の瞬間には儚く消える事となった。
―――パキリッ
「………え?」
乾いた音が聞こえ、顔を上げると同時に言葉を失う。
中と外を区切る透明な結界の表面から剣の先が生えていた。実際には剣が結界を貫いて剣先が内側へと侵入しただけなのだが、結界を張った本人は驚きを禁じ得ない。
「う、嘘…」
「そこまでにしてもらおうか。それ以上やってまた向かって来られても面倒だ」
―――パキイィン
硝子の割れるような音と共に結界が消滅し、それによって内側を満たしていた癒しの効果が霧散してしまう。
「そ、そんな。こんな簡単に……!?」
「見事なモノだ。しかし私には通じんよ」
男の言葉通りアルシェが誇る絶対防御も彼の前では無意味だった。それを目の前で目撃してもアルシェは呆然とすることしか出来ない。
【結界魔法】は結界を生み出す際に込めた魔力量で強度と効果の質が決まる。本気を出せば例え王国の一騎士団が束になって攻撃したとしても破られる事は無い。
今回込めた魔力はその半分にも満たないが、それでも個人に対し使うには過剰ともいえる程。相手がサーナより格上であることを踏まえても、破られるのはだいぶ後になる筈だった。それなのに……
「あ、貴方は一体何者なのですか! どうしてそこまで
「ふむ…ここでそれを聞くか。愚かと言うべきか英断と取るべきか…」
「答えなさいっ!」
混乱から思わず叫んでしまい、しまったと声を引っ込めるがもう遅い。不機嫌そうに鼻を鳴らすと、アルシェの警戒を振り切り一瞬にして湊のいる背後へと回り込んだ。
「げふっ!」
「口の聞き方には気をつけろ。この場を決めているのは私だ。上に立つ者ならそこを履き違えるな」
「あぁっ…!」
無防備な格好で寝かされていた湊の胸を踏みつけ、血と肺にあった空気が一斉に吐き出された。
「忘れるな。貴様等を生かすも殺すも私次第だ。勇者を助けたいのなら私の言う通りにしろ」
「わ、分かりました! 貴方の言う通りにします! だからお願いっ、カナエ様を傷付けないで! 私はどうなっても良いからッ!」
その言葉に満足した男が足を退ける。慌てて湊に抱き寄ると急いで治療に当たるが、この時に男の妨害は無かった。実は脚で踏んだ際に加減を誤り、僅かに骨を砕いてしまったのだ。死に体の者にこれ以上の追い打ちは危険と判断し、本当はさせない筈の手当ても仕方無しに認めている。
「いやっ、いや! カナエ様…カナエ様ぁっ!」
そうとは知らないアルシェは再び【結界魔法】を展開しようとする。しかし先程のでだいぶ魔力を消費してしまったようだ。まだ兆候は見られないが、中級以上の魔法を連続で使えばまた魔力切れを起こすだろう。それを理解しながらもアルシェは回復の手を緩めなかった。
「健気だな。残り少ない魔力でどれ程できるのか…見せてもらうぞ」
ここでも男はアルシェを試すような発言を匂わす。良いように踊らされて惨めだと思いつつもアルシェは必死に頭を働かせる。
しかしそこで地の底から紡がれるような
「勝手に…決めてんじゃねーよ……!」
「っ…」
「カナエ様っ!」
直後、男のいた地点を透明な刀が通過した。元の双刀よりも長い射程に間合いを狂わされた男は、ここで初めて傷を負う。その事に僅かに動揺を露にした。といっても胸にかすり傷だが。
「はあ…はぁっ……、」
「ほぅ、もう動けるのか。それにしても形を変える【
「動いては駄目です! まだ治療は終わっていません!」
その得物を杖代わりにしてふらふら立ち上がり、静止を呼び掛けるアルシェを渋々従わせる形で肩を支えて貰った。
「あの、カナエ様。この剣はもしかして」
「それは…後だ。傷口を……」
「あっ、はい!」
喋るのもやっという感じで立っているが、眼は虚ろなものから本来の…否、嘗てないくらいに力があった。
それはまっすぐ男に向けられていて、或いはその先も見据えているかのような――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(暖かい…)
アルシェの結界で傷を癒していた湊は、その温もりに今は亡き母を連想した。
まだ湊が小さかった頃、母はよく寝ている自分を抱き締めた。当時はそれが当たり前で、何でそうしてくれるのかと聞けば「湯タンポみたいだから」と実に彼女らしい答えが返ってきた。
湊にとって母は全てだった。
小さい頃からこの眼に悩まされていた当時の自分は、今振り返っても相当手のつけられない子だったと思う。嘘をつく奴は大人だろうと殴りかかっていたし、
小さな子供にとって身を守る術というのはそれと泣く位しかない。他人の前で泣くことを良しとしなかった自分だったが、唯一母にだけはその顔を晒していた。
俺は母が大好きだった。母と同じ銀髪が誇らしくて、ついつい伸ばしすぎてはそれを面白がった母に編み込まれた。
母は自分の全てだった。
母だけは自分に嘘をつかなかった。どんなに男に言い寄られ、どんな辛い出来事に見舞われても、母は平気そうな顔で、事実平気だと言って自分だけを愛してくれた。
たまに物寂しそうな顔で父の仏壇に手を合わしていた時には顔も知らぬ父に嫉妬したが、いつか父を越える存在になってそんな母を笑顔にしようと躍起になった。
母は自分の全てだった。
母が死んで一人ぼっちになった。それを嘆くことはあってもそれで誰かと一緒にいたいと思ったことはない。母は唯一無二の存在で、彼女の代わりになる人間など存在しないからだ。
中学になって初めて友達というものに巡り会えたが、心にはまだ空きがあった。
(暖か…くない)
結界が消え、僅か数秒の幸福が終わりを告げる。その横では言葉を重ねる二人がいて、湊の視線はその片方に向けられていた。
人の堕落を誘うような儚く幼い顔つき。サラサラと腰まで流れる黄金の毛色に、宝石を埋め込んだような
まるで人の理想を全て詰め込んだような魅力を醸す少女に、唯一無二の筈だった母を重ねてみる。
(全然似てねえな)
己が母以外で初めて心を許した少女は、顔も、身長も、性格も、何もかもが母と違っていた。
母は誰に何を言われたって泣かないし、何をされても微笑んで余裕を見せていた。その眼は雪が好きだといった彼女と同じ
似ているところがあるとすれば二つだけ。
一つは他の誰よりも湊の事を第一に考えてくれること。
そしてもう一つが……女性として
テレビに出てくる女優やアイドルがどんなに着飾って、どんなに美しく魅せようとも彼女達の足元にだって及びやしない。比べる事すら烏滸がましい。
美しさとは罪だ。
そんな事を何処かで聞いた気がする。美しいだけで、普通とは違うだけでそれは罪となる。
ある意味それは正しいと思った。美しければ男は外から腐り女を内から狂わせる。
平等を謳いながら、産まれた瞬間に努力ではどうしようもない明確な差が生じ、時にはそれが犯罪へと繋がる。恋は人を盲目にさせるのだ。愛してるというだけで何の見返りも要らず、時には倫理さえ捻じ曲げてしまうのだから。
――だから母は死んだのか。
行く先々で男を魅了し、その癖その愛が自分にしか向けられなかったから殺されたのか。
女として完璧過ぎたから……人を狂わせたから、その罰として死という責任をとらされたのか。
あんな………あんな屑共なんかに――
「げふっ!」
「口の聞き方には気をつけろ。今この場を決めるのは私だ、王女ならそこを履き違えるな」
「ああぁ…!」
「忘れるな。貴様等を生かすも殺すも私次第だ。勇者を助けたいのなら私の言う通りにしろ」
――――――あ”?
不適合者の分際で、誰を泣かせてやがる。
誰がこの場を決めているって? 支配者にでもなったつもりか。
巫山戯るなよ。アルシェに命令して良いのは俺だけだ。泣かせて良いのも俺だけだ。
視線の先でやめてと泣き叫ぶアルシェを見て、自分の中でマグマが沸き立つような錯覚を覚えた。
長年溜め込んでいた“何か”が、沸々と音を立てて煮え混んでいる。
――許せない、許せない……
自分を下に見る男に、母を殺した芥屑達を重ね殺意が溢れた。お前らみたいな人間がいるから、母は殺されたんだ。立場も弁えないで理想に
この世が平等だと誰が定めた。皆同じだと誰が決めた。
神か? 仏か? それとも死者か?
違うだろ、それは人間だ。
人は平等だと勝手に決めつけて、その基準を超越する者が現れれば寄って集って自分達と同じ箱に押し付ける。際限無い世界なのに我が物顔で常識を定め、その中で必死に他者から目を背けて生きようとする。
何て憐れ、なんと愚かしい。
そんなモノに、俺を縛りつけるな。
凡夫が決めた世界なんかに、俺はいない。俺を縛れるのは俺だけだ。
「勝手に…決めてんじゃねーよ……!」
「っ…」
「カナエ様っ!」
身体に出来た八ヶ所の孔と三本の傷が致命傷となり、肺と食道からも血が溢れてくる。視界は霞み、貧血で頭は働かない。
「はぁ……はぁっ、」
手の甲も貫かれたため槍を握る手に力が入らない。アルシェが必死になって治療してくれてるが完治に時間が掛かるだろう。それでも――
「要らないんだよ、そんなクソみたいな世界なんて」
アルシェを手で制し、再び前に立って男と対峙した。
得物を固く握り、怨嗟を乗せた一撃を
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