俯瞰する瞳
「第二の瞳、『俯瞰視』発動」
その言葉と共に世界が切り替わる。
光源の消失と共に失われた周囲の情景が再び視えるようになり、それに加えて本来死角となる筈の背後や木の裏っ側までもが認識できるようになった。
ただ、普通に眼で見るのとではだいぶ景色も異なる。黒一色だった闇に大地の起伏や木々の輪郭が浮かび上がり、しかしそれらは実在する以上の色を持たず、元々備わっていた造形だけがぼんやり視認できる。
「あの頃を思い出すようであまり使いたくは無かったんだがこの際仕方ないか」
この
「ここが人里離れた森の奥地で良かった。久しぶりの行使で無理はしたくないからな」
感慨深げに呟いた後、人間の持つ両の眼を静かに
そしてその瞬間、曖昧だった輪郭がはっきりと整形され、久方ぶりとなる第二の瞳が完成する。
「ものの次いでだ。魔力とやらも視れるか試してやる」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
明かりが落ち、盗賊達が先ず行ったのが新たな光源の確保だ。
「くそッ…レクターが殺られた! おいッ、誰か明るくする
「阿保か! 魔法なんて使えるなら最初っからやってるっつーの!」
「じゃあランプだッ、それぐらいで文句言うんじゃねえぶっ殺すぞ!」
「あんだとテメェ…!?」
「止めろ莫迦が! こんな時に喧嘩するんじゃねえ!」
「ぐあッ…」
「うおオ!? おい誰かヤられたぞ!」
しかし幾ら集団として活動しているといっても、所詮彼等は社会から爪弾かれた不適合者でしかない。
これまで盗賊は元
本来纏め役として指示を出すはずのリドルは、仲間と一緒になって未だ混乱の渦中から抜け出せずにいた。まァ仮に問題なく指示を伝えたとして、後ろ盾を失った彼に果たして何人従うか…。
「待てッ静かにしろ! この暗闇じゃ奴にも俺たちの位置は分からない筈だ。きっと声を頼りに向かって――ぎゃあッ!!」
「へへッ……(じゃあお前が囮になりやがれ)」
己の命の為に仲間すら利用し、のたうち回る様を見て嘲笑う。それが彼等だ。情など芽生えず、仲間意識など欠片程にも持ち合わせていない獣と本物の畜生に差異など無かった。
(さあ来やがれ。手を出した瞬間、それがテメェの、最……期…?」
「本当にどうしようもなく愚かだな。そんなので仕留められるのは同じレベルの相手だけだろうに。俺相手に騙し討ちは無謀もいいとこだ」
暗闇に乗じて始末するはずが、いつの間にか背後に回っていた湊に心臓を貫かれ、あっけなく絶命する。
やはり視界を封じられた影響は大きく、元々無いに等しかった連携は瞬く間に崩壊。後には個人技に走ったり、所構わず得物を振り回して勝手に同士討ちが始まるなど阿鼻叫喚だけが残った。
「ふッ…!」
「アベっ――」
「ぎがッ!」
しかしそんな中でも湊だけは着々と撃破数を増やしていく。今もまた一人沈め、その勢いのまま近くにいた仲間の脚を砕き、支えを失った身体を胴回し蹴りで処した。
まるでこの闇の中、眼でも見えているかの如く縦横無尽に動き回るが、勿論彼にも影響がない訳じゃない。確かに夜目だって効くし、圧倒的バランス能力を有する者であれば多少姿勢が崩れたって修正は可能だ。
しかし今尚行われているこの蹂躙劇はそんな代替手段で成し得るモノでなく、確実に目が見えていないと出来ない動きだって普通に繰り出してくる。
即ち、それを可能にしているのが湊の言う『俯瞰視』で間違いない。
これは簡単に説明すると、五感から得た情報を基に周囲の状況を把握している……だけに過ぎない。
意外に思うかもしれないが本当にただそれだけなのだ。特別不思議な力に目覚めたりだとか、況してや能力を発動させて…とかいう話でもない。
本当に普段人々がしているように、感覚情報を使って周辺状況を捉えているだけだ。
ただし、情報を得てからの空間認識能力。これが湊の場合はハッキリ言って異常だった。
普通の人間が視覚情報以外だと大まかな位置程度しか判らないのに対し、湊のソレは相手との距離はおろか、正確な動きやどんな姿勢でいるかまで判別できる。
その範囲およそ半径30m。位置を探るだけならその倍の距離でも可能だ。
即ち、互いに眼が見えない状況下において湊を捕捉するのは実質不可能と云える。
(四歩半手前に標的が2人。一人は中肉中背の身長は170……いや180ってところか。金属の擦れる音は無く、足の運びからして恐らく無手。腕に自信有りの格闘家だろう。
その隣に居る奴は…この暗闇で錯乱している。あれは恐らく隣の素手野郎に口を封じられるな。身長に見合わず地面を踏みしめた時の反応が重い。重心は若干右、風の流れ具合からして体積が大きく円形の両刃武器――
湊の目論見通り、隣で騒がしくされるのを嫌った男が仲間を手に掛け、そこへすかさず割り込むと手から零れる戦斧を振り回し、男を両断。そのまま重心を巧みに推進力へと変えると、腰を利かせた投擲を披露し、離れた位置にいる野盗の肩から腰を袈裟斬り…を通り越して後ろの木へと貼り付けにした。
(久しぶりだが問題無いな。このまま押し切れるか…)
今も視覚以外の感覚路から運ばれてきた情報を瞬時に組み立て、最早反射とも呼べる速さでさながら3Dモデリングが如く精密なイメージが投影される。
これこそが湊の数多ある才能の一つ、圧倒的情報処理能力を駆使した『俯瞰視』だ。
その再現の高さは筆舌に尽くし難く、実際の状況と比較しても寸分違わぬばかりか、本来見ただけでは知り得ない情報まで『俯瞰視』の描くビジョンに組み込まれている。
そしてこの情報収集能力も湊の才能……とは少し異なる彼の「体質」に由来するモノだが、その説明は後に置いておく。
とにかく、フィールドが暗闇に支配されてからは湊の独断場だった。先程の苦戦も何処へやら、今は碌な反撃も受けず着実に数を減らして行ってる。
「ぐあァッ!」
(あと十二…!)
故に湊は気付かない。才能を行使すれば終わりという、ある意味で日本にいた時と同じ状況に立ったが為に、たかだか落伍者風情――彼が知る中で最下層に位置する者――が、反撃の手段を持っているという事に。
“お互いに眼が見えない状況下での戦いにおいて、湊の上を行くのは不可能”
確かにそうだ。人が受容する情報のおよそ8割を視覚に依存する中、その他手段が在るのと無いのでは前者が圧倒的に有利となる。
しかしそれは地球規模での話。
驕りとも、油断とも取れるかもしれない。
彼は生まれながらの強者だ。それ故、自分が有利な立場でいることに
それを頭では理解しつつも、長年勝利の
「や、止めッ…」
(残り六…)
ついでに言うと、湊は知らなさ過ぎた。この世界における戦いの常識と云うものを。
個人の才能がどれだけ優れていようが、
………
……
…
湊が作り出した闇の戦場は、敵だけでなく味方である筈のアルシェにまで影響を及ぼしていた。
(くッ…駄目です。全く見えません)
目を凝らして音のする方を注視するが、完全に視界を封じられておりその姿を瞳に映すことは叶わない。
それでも湊の提案通り魔力回復に努めてはいるが、もしこれで命を落としていたらと思うと気が気でなかった。
――ドサッ
「ッ――、」
近くで勢いよく
抜けた腰を何とか引き摺りながら、それでも確認のために恐る恐る近付く。
「あ、ぁッ……カナエ様…で、ない……?」
そしてそれが湊でないと分かると、心の底から安堵した。
(って、違う! 幾らカナエ様でないとはいえ、今のは一介の聖職者として余りに不謹慎過ぎます。私は聖女アルシェ。女神様から称号を賜る者として、戦場で喜びの感情を宿すなど有ってはなりません)
敵を斃したのに喜べもしないとは、聖女とは存外窮屈なのかもしれない。喩えそれが散々苦しめてきた相手だろうと、等しく尊い命だ。
この世のあらゆるものを創造したのが女神なら、それを慈しみ正道に導くのが聖女の務めである。助かる見込みが立って安心するのは分かるが、命の奪い合いが繰り広げられる状況下において、それを表に出すのは褒められたことでない。
「ぐあぁッ!!」
そこでまた一人。今度は片腕を斬り飛ばされた男の断末魔と怨嗟に満ちた声が、アルシェの耳まで運ばれてくる。
「クッソがァ…! あの野郎っ、『気配察知』で居場所を特定されないよう上手く立ち回ってやがる。王女様の入れ知恵かッ、余計なことしやがって…!」
良かった。湊はまだ無事のようである。
(それにしても『気配察知』…? そういえば職業
少しややこしい話にはなるが、アルシェの云う盗賊――ここではシーフと呼ぶ――と、野盗を意味する盗賊では意味がだいぶ異なる。
シーフはステータスにも刻まれる正式な職業で、主に先程も挙げた索敵や奇襲を得意としている。またそれに伴って『気配察知』や『気配遮断』などの、いわゆる気術系スキルを獲得しやすくなる一方で、野盗の方の盗賊にそのような恩恵は無い。
後者は暴漢を端的に言い表した表現なので、世間一般で盗賊というとシーフの方を指す。
ちなみに湊が何故この暗闇でも動けるかはアルシェにも分かっていない。なので自分の仕業とか謂われてもさっぱりだが、それよりも湊が無事と分かりホッと胸を撫で下ろす。
(確か
これだけ動いて恐らく優勢という事は、カナエ様にも何か秘策があったという事でしょうか)
この世界にはジョブ――俗にいう
ステータス欄にも表示されるソレは、手順さえ踏めば誰でも授かれる一種の身分証明のようなもの。魔法や特殊能力みたく一部の貴族だけが持つ特別な力…とかでは無いある意味平等で、且つ普遍的な価値を宿す言葉だ。
そしてこれまた詳しい説明を省くが、どうやら表記されるクラスで受ける恩恵というのも大分変化するようだ。
その中で
その為にはなるべく離れた位置で探りを入れる必要があり、結果として広範囲かつ代償的に精度の落ちた能力の獲得に至る。
(それにしても…本当にカナエ様はどうやってこの暗闇を攻略なされたのでしょう。ステータスの開示はまだ伝えてませんし、元々ご存じだった…訳でもなさそうです)
今回襲撃してきた連中は元傭兵や元冒険者といったクラスを有する者達で構成されているが、その内訳は王道の剣士や
そのシーフもこの暗闇に抗う手段こそ持ち合わせているが、如何せん個人を特定するのに不向きで敵(湊)と味方との判別が付き辛い。
なので湊だと思って攻撃したら味方だったとか、逆に周囲を警戒しすぎて肝心な時に対処に遅れるといった事態が発生する。
(まさか本当に自らが持つ御業だけで…? だとしたらこれから先一体どれほどの)
なのでカナエ様なら大丈夫…といった楽観的思考にはならない。
何しろ彼等の手にはサーナすらも欺いた“アレ”がある。もしアレが使われたらさしもの湊でも手に余ると考えているが、同時にその最悪のシナリオすら『現状では』有効打にならないことがアルシェをここまで冷静にしている。
(大丈夫、
楽観視するのは論外だが、悲観的になるのはそれと同じくらい戴けない。その上で今、そしてこれから起きるであろう可能性のみを絞り込んでいき、湊に求められた時即座に対応できるようしっかり準備を進める。
(あれ・・・? でも待って下さい。正確な位置が特定できないという事は、裏を返せばつまり)
だからであろう。敵を殲滅している勇者より先に……というよりも探知系スキルの存在を知らない湊では決して疑問に思うことがない違和感を堰として、はたとアルシェの手が止められる。
(能力…感知……索敵と魔道具――)
小骨が喉に引っ掛かったような焦燥と危機感がアルシェを不安に掻き立て、その原因を探るため違和感の正体を紐解いていく。
「あ――ッ!」
そして気付いた。気付いてしまった。
周囲の人数しか判らない感知系の能力、そして暗闇では単体で真価を発揮できない奥の手の魔道具。これ等二つの弱点を同時に解消でき、尚且つ湊の意表を突く方法が一つだけあった。
以前のアルシェなら考え付きもしなかっただろう。仲間を仲間とも思わぬその所業を、しかし野盗の悪辣さを間近で見てきた今の彼女は、彼等ならそれ位すると思わせるまでに人間が持つ異常性の理解を深めつつあった。
「気を付けてカナエ様!! 人が少ない状況でなら、喩え夜の森でもカナエ様の位置を特定する手段が存在します! おまけに彼等は自身の姿と魔力を消せる道具を持っていて、此方側の探知を掻い潜ってきます。奇襲に気を付けて!!」
だから声を大にして湊に注意を呼び掛けた。しかし、数秒遅かった。
その言葉を向けられた湊の身体から、命の温かさを示す赤い鮮血が舞ったのだ。
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