最大、或いは最後の希望



「ク、ソがっ…!」


 そう怨嗟の声を上げた男の頭と胴体は既に永遠の別れを告げており、この世の全てを呪いながら最後に意識を手放した。


「成る程、こういう感じか」


 その原因である死神は男の恨み言に一切関心を向けず、どころか同じような死を益々積み上げていった。

 上から重力に従って落ち、そのまま横に一閃。この一連のアクションだけでアルシェの上に跨っていた幾人もの頭部が両断……左右の視界がずれ込んだ死体はここで出来上がった。そのまま止まることなく、今度は奪っておいた短剣で手近の不埒者の首を刎ね飛ばす。


 地面に着いた際に用いた脚は一本のみ。残る一足でたった今出来上がった屍を雑に……いや仲間のいる方へ正確に蹴り飛ばし、横槍を未然に防いだ。



「……え?」



 何が起きたのか、瞬時に把握しきれなかった。目の前の惨状は、その悍ましさを抜きにすれば突然降って湧いた希望以外の何物でもない。

 死体処理が迅速だったため噴き出る血飛沫が彼女を汚すことは無く、噎せ返るような死の香りだけがこの光景が夢幻の類でないことを証明する。


「ふう…っと悪い、思ったより時間が掛かった」

「あ、えッ…… 勇者、様…?」


 半ば引き寄せられるように見上げた先。そこには先程と同じ服装、整った顔立ちで、更には五体満足の湊が――自らの脚で確と立ち、此方を気遣う視線まで向けていた。


「そんな、嘘。だってレベルが…」

「全く、つくづく難儀な性格してるな聖職者って奴は。この状況で取る選択が神頼みかよ。他にもっと頼る相手が居るだろ普通」

「そんな。まさか――ッ」


 信じられない。信じて良いのだろうか。

 それは〖精霊姫〗が心閉ざして以降、人類が夢見てきた奇跡。精霊の依り代となる者の到来を、700年間ずっと待ち続けていた。

 レベル1にして多数の格上を打ち破るという、嘗ての勇者達を以てしても成し得なかったその偉業。彼らが終ぞ極めるに至れなかった“英雄たる者の素質”を今代の勇者は既に有しているのだ――!


「あぁッ、遂に……!」

「うん…?」


 嗚呼、だとしたら何たることでしょう。英雄に最も近い勇者の召喚を、自分が起こしたなどと考えるのは傲慢に過ぎるだろうか。

 嗤われたって善い。不敬と取られたって構わない。ただちょっとだけ、ほんの少しの間だけ。誤解でもいいから今までの努力が報われたという実感だけでもどうか味わさせて欲しい。


「うっ……ひくっ、うぁぅ……」

「お、おい」


 聖女として貢献できたかもしれない達成感。勇者が生きてくれたことへの安堵感。それに先程の暴行未遂から救出された実感も相まって、瞼の奥から大粒の涙が零れる。


「ぁうっ……ひくっ……申し訳、ありません。泣いてる場合ではないというのに…、」


 それに一瞬だけ言葉が詰まり、しかし不安を払拭するかのように優しく諭す。


「…いや大丈夫だ。聞きたいことが幾つもあるが問題ない。落ち着いてからの方が良いだろう。お互いにな」

「お優しい、のですね」


 いきなり違う世界に呼び出されて、訳も分からず命の危険に晒されて。それなのにアルシェを責めないどころか、此方の心情を察して慮る余裕すらある。

 これが英雄の器。紛い物にも為れなかった私にとって、の存在は夜の闇を打ち消すほどに眩く、言葉の一つ一つに無条件の頼もしさすら覚えた。


 でも不思議だ。自らの価値を否定されたようなあの悔しさを、今は然程感じない。



(ああそっか。私、本当はもうとっくに諦めてたんですね)



 それなのにまだ挑戦する気でいたのは単なる見せかけで、心の奥底では身の程を知ったあの時から戦う気概なんてものは修復不可能だってたんだ。


(けど、それならそれで良い。勇者様が危険を冒してまで助けて下さったんです。過去の事でグチグチと悩んでいる暇などありません)


 つまらない嫉妬で足を引っ張るくらいなら、いっそ割り切ってしまった方が邪魔にならずに済む。とは言え長年悩んできた分もあり、簡単には忘れられないだろう。

 だが幸か不幸か、切羽詰まったこの状況が一意奮闘の精神を後押ししてくれる。どうせまた後で悩むにしても、先ずはここを切り抜けなければ未来は来ないのだから。



(そうです、私は聖女。〖救国の聖女姫フューネルハイツ〗アルシェ=フィリアムなんです。名のあるソードマスターでも、況してや戦士ですらない。勇者様を支える事こそ私の使命)



 ならば泣いてなどいられない。情報は水物、交渉は場の流れだ。幸い、先程の奇襲で勇者様の御力は相手方にも伝わったはず。ならば相手が怯んでいる内に、此方が主導権を握らなくては。


 泣き腫らした目を強く擦り、先程の醜態も皆の頭に残る中、再度詰め寄ろうとし――



「あ、え……えっ……何でッ」


――しかし立ち上がれない。脚に上手く力が入らず、腰を上げることが出来なかった。


「腰が抜けたか。無理もない。暫くそこで見ていろ」

「で、ですが見逃してもらうよう交渉するには私の方が…!」

「この期に及んでまだ話し合いで解決できるとでも? だったら今の奇襲は見事に逆効果だ。見ろ、アイツ等の顔。甚振るソレから戦う眼に切り替わってるぞ」

「え…?」



 本当に、思い描いた構想から外れるのは今日で何度目だろう。湊の言うように、仲間を殺された盗賊は委縮するどころか全員が戦意が漲らせ、瞳も真剣味を帯びている。

 攻撃を仕掛けてこないのは隙を窺っているか、もしくは反撃を食らわした湊の分析に努めているのかもしれない。


 どちらにせよ交渉が成立する感じはなく、最悪の事態が起こりうる可能性は今も続いている。


「そんなっ! 一体どうして」

「さあな。紛い物の思考回路なんか理解するだけ無駄だ。それより今は巻き込まれない事だけ考えてろ」

「紛い……へっ?」


 聖女姫アルシェにはあまり聞き馴染みのない、それでいて乱暴な言葉を湊が吐いたことで、目が点になる。

 一瞬とはいえ先程の貴公子然とした振る舞いが完璧だったこともあり、そこからかけ離れた今の姿に今更ながら違和感を覚える。

 此方はまだ気付いていないようが、王女様に向ける言葉遣いも、最初はまだギリギリ慇懃無礼だったのに対し、二人が合流してからはただの無礼になっていた。


 まあこの変わり様に深い意味は無く、ただ単にこの状況で猫を被るのが面倒になっただけだ。それにしてもこの変化幅には疑問を抱かざるを得ないが、その感想については割愛しよう。


「それとも単にお楽しみを邪魔されたからか。どちらにせよその恰好は少し煽情的過ぎるな」

「え…? あッ~~///」

「ほら、サイズは合わないけど俺の上着を使え。(また気の抜けた声だ) 」


 無理矢理晒し出された特大の果実をカーディガンを羽織って隠し、取り敢えずの一時しのぎとした。聖王女として、果ては一人の乙女として一先ず尊厳が保たれる。しかし大本の脅威の排除には未だ至っていない。


「さてと…。奴等がけ無しの理性で頑張っている内に、さっさと片付けておくとするか」

「お、お待ちください!」

「今度は何だ……」


 腰が抜けて立てないアルシェを背に一歩踏み出すが、その彼女本人から呼び止められたため後ろを振り返る。


「あ、あのッ! 私、強化魔法を使えます! 回復魔法も得意です! ですから戦うにしても先ずは私の元にっ――」


 ここで何もせず送り出すのは聖女としての枯渇に関わる。漸く得た自信と使命なのだ。喩え動けずとも、支援に特化した自分ならきっとお役に立てる。そう思って提案したのだが……


「その必要は無い。俺一人で十分だ」

「なっ、何故――!?」


 しかし当の勇者がその提案を撥ね退けた。これにはアルシェのみならず、周りで二人の会話を聞いていた盗賊達も思わずギョッとする。



「見た感じ、万全とは程遠いだろう。肌で感じる存在感の割に氣力オーラが安定していない。過程がどうであれ、そんな精神状態の奴を頼る程恐ろしいものも無いからな」


 オーラ…? 彼は一体何を言って……


「まさかッ、勇者様には魔力が見えているのですか!?」


「魔力? さァ、そんなのは見たことも聞いたことも無いな。俺が捉えるのは五感以外の感覚――いわゆる第六感シックスセンスと呼ばれるものだ。ある程度鍛えて場数を踏めば、お姫様でも案外余裕で感知できたりしてな」



 嘘が視えるのも大概だと思うが、流石の湊でも気配を視ることは出来ない。しかし視ることは出来なくても感じることなら出来る。そしてそれを基に相手の思考や本質を見抜くことに湊は長けていた。


「それと、天宮あまみやかなえだ」

「え…?」

「俺の名前だ。何時までも勇者呼びは癪に障るからな。どっちで呼んでも構わないから、いい加減過去の遺物と同列に騙るのは止めろ」

「わ、分かりました」



 突然の名乗りにポカンと呆け顔を晒すが、鈍い返答にも特別気にした様子はない。そしてアルシェが引き留めなければこのまま討伐に行ってしまうであろう湊を、正面から見据える。


(そういえば、ちゃんと向き合うのはこれが初めてですね)


 ここで言う向き合うとは互いの本音をぶつけるといった相互理解の話ではなく、文字通り身体のと正面と正面で向き合う位置取りのことを指す。

 今は奇襲が成功し、頭数を減らしたことで相手方が警戒に徹している。時間の問題だと思うが、今見た限りだと彼方から仕掛けてくる様子はない。猶予は多く見積もって、あと数分といったところか。


「あの、私が至らないのは重々承知の上でお願いがあります。この場を脱する際、その一助となることをどうかお赦しいただけないでしょうか。ア……か、カナエ様」


 本来なら貴族の慣習に則りアマミヤ様と家名で呼ぶのが普通だが、直前でファーストネームに言い換える。

 特に意図した訳ではない。ただ、これから彼と親しくなる上で余所余所しい感じの呼び方になるのが嫌という深層心理が働き、咄嗟に口から出たに過ぎなかった。


 しかしそれを本人が自覚することは無い。故に言い淀んでしまった原因が分からず、内心首を傾げる。

 流石に馴れ馴れしかったかと思う反面、それが許されるならという期待も多分にあるし、結果的に問題なく受け入れられたことで心がふっと軽くなる。



「確かにカナエ様が仰るように、今の私は万全とは程遠い。心の平静を保つばかりか、まともに立つ事すら出来ないのですから。このような体たらくでカナエ様のサポートが務まろうなどと思う筈ありません」



 アルシェの実力の殆どを占めるのが、その類稀なる支援魔法回復・防御と【固有能力】を含めたスキルの有用さにある。


 そしてその二つ……特に魔法の方は術者の技量と魔力量に依存する。魔力の方は既に4割程回復しているが、問題なのは術の精度。

 馬車の襲撃から始まり今に至るまで、幾度となく自尊心を脅かされた彼女の精神は既に擦り切っていた。「魔力」に次ぐ数値を持つ彼女の「精神」力を以てしても、この短時間で戦線に加わるのは困難と言っていい。



「だから、死なないでください。時間さえ戴けたら、聖女として……一国の王女として最善を尽くすことをお約束します。魔法さえ使えるようになれば、喩え傷を負っても回復できます。危ない攻撃が来たら結界で防ぐことだって出来るんです」


 だから、どうか死なないで。死んだらそこで終わりなんです。


「…!」



 思わず息を呑む。まるで縋るような聖王女の懇願。その美しさと儚さが目を引くと共に、打算を感じさせない…その純然たる献身さが何時かの誰かと重なって見えた。



「ご安心ください。カナエ様は無事に我が祖国まで送り届けてみせます」


『安心して湊。家に着くまで母さんが見ててあげるからね』



(どうして、何故今こんな事を…)



 理解できない。自分より劣っている筈の少女が、現にあんな不適合者どもに貞操を奪われる一歩手前まで追い詰められた身で、どうして此方の心配などするのか。俺が助けに入らなければ、疵物の聖女として一生世間に晒されていたかもしれないのに…


「何でそこまで…」


 思わず口から出ていた。湊の問いに対して薄く微笑むのを見、過去の――母の記憶からその後の反応を予測する。



「貴方様を護るのに、理由などありません。強いて言うなら私が聖女で、カナエ様が勇者だから……ですが、それ以上にご恩に報いたいという私自身の願いでもあります」


『親が子供を護るのに理由が必要? 湊が母さんを好きなように、母さんだって湊の事を大事に思ってるんそやしね』



 言い切った。あの日母さんが云ったのと同じ言葉を、先程会ったばかりのアルシェが、同じ気持ちで。


「…………クスッ」

「あっ、いえあのッ…! 申し訳ございません! 助けていただいた身で生意気なことをっ」

「良いよ気にしてない。ただの思い出し笑いだから」


 このお姫様は本気で俺を護ろうとしている。ここで俺が負ければ死ぬより酷い目に遭うと知りながら、それでも此方の身を案じるアルシェに俺は“興味”を抱く。


 純粋な想いの強さだけではない。この俺にあそこまで食らいつく彼女の、その依り代となる力の一端を見てみたいと感じたのだ。

 元の世界で十と六年過ごし、常に羨望や嫉妬を向けられながら育ってきた。俺を前にして挫折した人間が腐るほど存在する中、将来の事や人間関係を心配する輩も片手で数える程度には居た。


 しかし、そんな奴等でも俺に面と向かって護るなどと公言したことは無い。どちらが優れた人間かは最早火を見るより明らかだ。そんな俺を危険から遠ざけることは有っても、いざそれを前にして身を挺して護ろうとする愚か者は居ない。いても邪魔なだけだ。

 だから俺の実力を知った上で、それでも一緒に戦おうと提案してきたアルシェに興味を惹かれた。状況が状況なだけに他に手段が無いだけかもしれないが、自身の力が俺の戦闘の助けになると臆せず言う辺り、相当な自信が窺える。


「10分だ」

「え…?」

「十分後、もしくはその前に隙を見て離脱する。それまでは黙って見てるか、必要と思うなら魔法なりスキルの準備でもしていれば良いさ」

「ッ――、はいッ!」


 アルシェにしか聞こえない声で指示を出す。その中に自分への期待が含まれていることへの喜びを、確かに噛み締める。



「それじゃ。精々頑張れよお姫様」

「アルシェです」

「ん…?」

「お姫様ではありません。フィリアム王国第二王女、並びにセレェル教二十七の司祭が内の一人、第十位『白聖女』――〖救国の聖女姫フュ―ネルハイツ〗アルシェ=フィリアム。それが私です」

「随分と長ったらしい口上だな」

「カナエ様には是非アルシェと、そう呼んでいただきたく存じます」



 互いに微笑を讃える程度には肩肘が解れる。それを見て遣るべきことは成したとばかりに身を翻し、今度こそ盗賊の方へと歩みを進めた。


「どうか、ご無事で…」


 稀代の聖女は不安を押し殺し、胸の前で両の手を組んで祈りを捧げた。幾度となく行われてきたその姿は堂に入っており、それだけで如何に真摯に向き合って来たか判る。



「さて、大掃除といくか」


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