絶望が降りかかる
「私と、取引しませんか?」
「あぁ? 取引だと…?」
物怖じせず十数人いる盗賊を見回すと、そこで一拍おいて気持ちを入れ直す。
「はい…
「ほぉ…?」
「ちょ、何言って…」
盗賊共の目付きが明らかに変わり、湊は湊でアルシェの提案に戸惑っていた。
「これは双方にメリットがある提案だと愚信します。私は勇者様を、貴女達は私を〝無傷で〟手にできるのです。もし仮に勇者様を殺め私も誘拐した場合、フィリアム王国ならびにその他全ての国が貴方達の脅威となるでしょう。これはそうならない為の救済措置です」
なるべく相手を刺激しないよう、それでいて話を有利に持っていくため頭の中で事前に組み立てながら慎重に言葉を重ねていく。
「意味が分からねえな。何でアンタと取引したら俺等が無事で済むってことになるんだ。仮にその提案を受け入れたとして、フィリアム王国が俺達に手を出さないって保証はあるのか?
アンタは姫でしかも聖女だ。現時点で言えば
「はい、静観はしないでしょう。ですが私が手を貸せば、仮に王国の調査団が出てきたとしても貴殿らの下に足が運ぶことは有りません」
「はん、大した自信だな」
盗賊の一人が一笑に付す。勿論口から出任せを言っている訳ではない。自分なら出来ると自信を持って述べているのだ。
「私は普通の人とは違う。私なら【固有能力】で国の手を掻い潜ることができます」
「は……? 【固有能力】だと?」
皆一斉にポカンと間抜け面を晒す。しかしそうなるのも当然だ。異世界ダリミルにおいて、固有能力の存在は最早伝承の中でしか語られない。
ある時はその身に太陽を宿すとまで云われた
海の支配者
だからといって盗賊ともまともに戦えないような自分がそんな常識外れな芸当を出来る筈もなく。アルシェの能力はあくまでサポートがメインで、それを差し引いても粗末な効果しか期待できぬ程。
姉からは自分が【固有能力】を持っていることは秘密にしろと言われていたが、湊を――ひいては祖国を守るためには自分の稀少価値を少しでも示さなければ。湊を殺せば自分達が危ういと、それが拙い事だと思わせる必要がある。
第二王女とはいえ王家の人間を拉致、暴行などすれば無事ではいられないくらい想像に難しくない。
彼らとしてもそこは避けたいだろう。だからきっと、この提案に乗ってくる筈だと信じて。
男達もアルシェの言いたいことを察し、ザワザワと騒ぎ始める。その中で一人の男が疑問をぶつけてきたが、想定の範囲内。胸を張り淀みなく受け答える。
「こいつも一緒に拐えば良い。わざわざ送り返す意味もねえしな」
「捕らえた後はどうするおつもりで? 彼が大人しくしているとも限りません。レベルが上がれば抑えるのが困難な事は容易に想像できます」
「そんなの牢屋にぶち込んでおけば良いだろ。そうすれば強くなる事もない」
「彼は女神セレェル様から力を与えられた勇者様ですよ? それこそ急な成長も無い話ではありません。実際過去にもそういった例は存在している訳ですし」
「……さらっと神が介入することも示唆するたぁ怖え事考えやがる。流石は〖巫女姫〗の妹ってか?」
「ふふっ。ありがとうございます」
破れたドレスの裾を軽くつまんで優雅にお辞儀する姿はまさしく一国の姫だった。先程まで泣きながら逃げ回っていた人物とはとても思えない。
というのもアルシェは満足していた。それは逃げ始めた時から晴れなかった思いだ。
あの場に残ったサーナや散っていった騎士には
しかしアルシェにはそれが無い。〈石〉を守るという大言壮語のもとただ逃げ隠れ、無様を晒した。王女としても聖女としても中途半端で、自分だけが生かされる選択を選んでいる。
アルシェはそれが酷く悲しく、そして辛かった。
しかし今は違う。自分が犠牲になることで勇者が生き延び、それが自国の為に繋がると自信を持てるから。
だから本当は逃げ出したくなるほど恐くても、尊敬する姉の振る舞いを思い浮かべ、模倣し、少しでも有利に事が運ぶよう神経を磨り減らす。
「それでも信用できないのでしたら、この
所持していた最後の
「どうやら本当に逃げる気は無いみたいだな」
「はい、ありません」
「最後に確認するが、本当に何でもするんだな?」
「はい。フィリアムの名に誓って」
ニタニタと醜悪な笑みを張り付けるリドル達にも動じた様子を見せず即答する。
この時点で恐怖は限界に達していたが、それ以上に国を守る女としての満足感に酔いしれていた。
ここで彼等と共に行けば自分はもう姫や聖女として陽の目を浴びることは無いだろう。家族とだって会えなくなるかもしれない。
だけどそれでも良かった。サーナ達みたく己が理念に殉じれるならそれで。
「ふん、なら良い。交渉せい…」
「おい、勝手に話を終わらせるな」
しかしそんな流れに待ったを掛ける者がいた。言うまでもなく湊である。彼は盗賊に一瞥もくれることなくアルシェの前に割り込み、彼女を背にして庇う姿勢を取った。
「あ"? 口を挟むんじゃねーよ。テメーは生かされてる立場だってのを自覚しやがれ」
「さぁ、一体何を自覚しろっていうんだ。生憎とそんな危うい立場に立たされた覚えは無いけどな」
「……んだとっ」
「ゆ、勇者様!?」
湊が呆れたように嘆息すると、アルシェは驚愕しリドル達も明確に怒りを露にした。
先程まで湊に臆していた者達もアルシェを見て気を良くし、自分達の絶対的有利を確信していた。それだけに面食らった表情を浮かべている。
湊は彼等には目もくれず、自分の傍で心配そうに見つめるアルシェをジッと見つめ返す。
「……っ///」
その薄青色の瞳に見つめられ思わず頬を紅潮させる。心の内まで見透かされるような感覚を覚えるが不思議と視線を反らす気にはなれなかった。そうしてその瞳で真っ直ぐと見つめていると湊が
「お聞きしたい事があります、王女殿下」
「な、何ですか?」
いきなりの王女呼びと畏まった言葉遣いにアルシェが言い淀む。勇者である彼は、本来ならこういった慇懃な言葉遣いも必要ないのだが。
とは言え湊もアルシェを敬って丁寧に言っているのではない。わざと下手に出てアルシェがどういった反応を示すかを見ているだけだ。敬語で話すなど、普段の彼をよく知る親友が見れば引っくり返っても可笑しくない。
場の雰囲気を察する対応力は流石と言うべきか、その風貌と相まって一流の
湊を見るアルシェが、そのあまりの美しさに頬を染め心臓が強く脈打っていた。実はノリで乗っかった部分もあるが、勇者を神聖視する聖女はそんなこと露とも知らない。
「失礼ながら、殿下はこれで良いとお思いですか? このまま奴らの都合のいいように進んで、それで満足ですか」
「当然です。それが勇者様を導く私の役割ですから」
「そうですか。では殿下は己が運命を受け入れるということですね」
「それは勿論…」
「自らのすべき事と割り切って、名も知れぬ私の為にあの者達に犯されると、本気でお思いで?」
「そ、それはッ…!」
拙いながらも意外と様になってることに満足する湊とは対照的に、アルシェの心中や穏やかでいられなかった。
無事では済まない。そうハッキリと言葉に出されたせいで一瞬詰まったのを湊は見逃さない。その隙に次の言葉も投げ掛けた。
「死んでしまった兵や、まだ存命かもしれない者達を犠牲に助かるのが私
「そ、そうです! 貴方様はご存じ無いやもしれませんが、勇者様というのはこの世界において何よりも優先されるべき御人! だから勇者である貴方様を失うのは世界の意に…!」
(ダウト。嘘だな。流石に心までは誤魔化しきれていない)
嘘を見通す眼がしっかりと反応する。ついでにいえば凄い吐き気にも見舞われるのだがこの状況で言う事では無いだろう。
そして今一度この様子を眺める野盗に向き合った。これ以上彼女――アルシェを悲しませたくないし、薄汚い男共と一緒に居るのもそろそろ厭になってきたのだ。
「ですが奴等は俺を逃がすつもりはないみたいですよ」
「え…?」
湊は困ったような、それでいて不憫なものを見る眼でアルシェに告げた。当の本人は混乱しており言われた意味を上手く理解できなかった。
「ですから、彼等は殿下が何を言ったところで私を殺すことに変わりはないと申しているのです。あの者達は初めから話を通す気が無いようですから」
「そ、そんな筈ありません。ここで貴方様が倒れたら彼等も無事ではすまないと先程…」
「どうやら彼等はそのように考えていないみたいですね」
「え…?」
そんなまさか。そう思い盗賊のいる方に顔を向ける。
そこには尚も変わらず濁りきった目を爛々と輝かせる男達の姿が。背中に走る不快感を感じ、そこで湊の言った事が真実だと悟る。
「殿下、私は人よりも“嘘”を見抜くことに長けています。殿下が心を痛めて交渉している間も奴らに改心の様子は見られませんでした。奴等は最初から、貴女様を嘲笑っていたのです」
「そ、そんな……何故?」
「
如何にも理解しがたいという顔を作り、話に悲観性を持たせる。
「で、でも…」
「オイちょっと待てガキィ! 誰が理解できねえッて言ったよ!?」
段々と悪くなる顔色に気付きつつも湊は話を続けようとした。しかしそこで盗賊の一人から怒声を浴びせられ会話が途切れる。周りで聞いている盗賊達も興味本意と少しの警戒を孕ませて聞いていたが、馬鹿にされたことで怒りを露にしていた。
「反論があるのか? この交渉を断るのは本当の事だろう」
「あぁそうだ。そこの姫さんは貰うがテメェは此処で殺す。勇者だろうが生かしちゃおけねえ」
「ど、どうして!? ここで断れば被害は貴方達に…!」
ここで自分が手を貸さなければ彼等は間違いなく王国に見つかり殺される。それが分かっていながら何故断るのか。
「クハハハッ! そんな見え透いた嘘誰が信じるよ」
「う、嘘…?」
男を言っているのか分からず眼をパチパチと瞬かせる。
「【固有能力】だぁ? そんなもんあるわけねぇだろ。所詮お伽噺で語られてるだけの存在でしか無いんだぜ。
ましてやそれが人間に宿るなんて、そんな事有る訳がねえ。学が無えからと侮って…そうやって俺たちを騙そうとしてるんだろ?」
「ち、違っ…! 私は確かに能力を――!」
「じゃあ聞くが、何故【
「そ、それは…っ、私のは攻撃に適した能力でないから――」
真実を口にするが、自分でも真実味に欠けると分かっているからか声を大にして言えない。
「俺達はここに来るまでにあの黒フードやあんたの所の隊長さんを見てたが正直勝てる気なんかしなかった。全員で囲んだって逃げるのが精一杯だろう。そんな奴等で【
「は、はい…」
会話を続けていくにつれアルシェの言葉も尻すぼみになっていく。それに対し男の口調は自信有り気に
「けどアンタにはそれが出来ない。つまりソレは嘘ってことだろうがよ!」
「ち、違う……違います! 私は嘘なんか言ってませんっ!」
(認識理解の差だな。まぁ、王女と盗賊とで持っている情報量に違いが出るのも当然か)
湊にはアルシェが必死で本当の事を言っているのが視えているし、アルシェの言葉を嘘と断じるリドル達も本当の事しか言ってない。
両者で本当の事を言っているのに矛盾が生じる場合、それはどちらか一方が間違ったまま認識しているか、憶測でモノを語っている場合に限る。この例だと後者が正解だろう。
こうなると互いに相手の言葉を聞かない事が多いから面倒くさい。アルシェに限ってはそんなこと無いだろうが――今は都合が良い。
アルシェはアルシェでこれ以上この話を続けるのはマズイと思ったのか、別の視点で切り込む。
「私なら国がどう動くのかある程度の予想がつきます! それなら【固有能力】を使わなくてもっ」
「だーかーら! それだって証拠が無いじゃねーか証拠がよっ! アンタの言葉を信じて動く方が危険だ。どこの誘拐犯が誘拐した人間に行動の指針を任せるかよ。だったらここで確実に口を抑えておくのが最善ってもんだろ」
「ぅぐっ…、それは……」
だが所詮苦し紛れに出たモノでしかない。あっさりと論破され、二の句を告げることが出来なかった。
「おまけにコイツは俺達の顔を見た。生かす理由が無い」
「王女誘拐の犯人を聞かれたら迷わず言うだろうな」
「勇者様?!」
「フハッ、ほら見たとこかっ!」
あまりにもあっさりと自白するものだからアルシェもどうして良いか分からなくなってしまった。盗賊は湊の言葉でいよいよ殺気立ち、今にも襲いかかる勢いだ。
「あ~あ、テメェも莫迦だよな。正直に逃がしてくださいって言えば見逃してやったかもしれないのによ」
「…? 自分で今言ったことも覚えてないのか。仮に申し出ようが構わず殺すって話だったろ」
心底分からないと言わんばかりに首を傾げる。
「いっそ人間なんか辞めて類人猿からやり直してみたらどうだ。楽だぞ、頭使わなくて」
ぶちッ
何処か億劫そうな態度が鼻につく。呆れを多分に含んだ投げやりな煽りに、元々高くなかった男達の怒りメーターが一瞬で振り切れ――
「……おい、やれ」
そして不安は現実となる。
「「 ヒャッハー!! 」」
湊が腕を組んだ状態で相手を煽り、元々高くなかった沸点を一気に超過した集団の中から、二人分の影が湊に飛び掛かる。
「――ッ、」
「勇者様!?」
接触の直前に湊のガードが間に合う……が、それで勢いが削がれることは無く、吹き飛ばされる形で森へと消える勇者とそれを追う二つの影。
アルシェが悲鳴を上げた時には既に形もなかった。鬱蒼とした森の中では天然の照明も僅かに漏れるばかりで、途中木々の擦れる音と土を蹴る響きだけがこの場に残された者達に戦闘の継続を知らせる。
「おいおい、今飛び出して行ったのラッドとムズリの二人じゃねえか。終わったなあの勇者」
「ハハッ! アイツ等は連携だけじゃねえ。弱った相手を甚振る残虐性も俺たちの中じゃピカ一だ。戻って来た時にあのイケすかない顔がどんな風に壊れてるか見物だぜ!」
「っ…!」
「ったく、どうせなら俺にやらせろよ。あのコンビに任せると時間が掛かって仕方ねえ」
「まあ良いだろ。
「ヒヒッ、それもそうか!」
全員の視線がアルシェの方へと向き直ると、元々蒼白かった顔が更に血の気を喪くし、一瞬にして身が竦んだ。
(一体どうすれば――彼等にこの身を落としたとして、勇者様の助命を願うにはもう絶望的。じゃあ、もう……徒に辱められて、何も出来ないまま全てを失うの……?)
徐々に、少しずつ、最後の
「ぎゃはは! マジででっけえ乳してんな。これが一年前までガキだったやつの
「おいおい誰も初物を譲らねえ気かよ。列作れ列」
「だったらテメエが譲れ。お頭はもう居ねえんだ、誰が最初でも問題ねえ筈だ」
「そうだ。お姫様のバストサイズを言い当てた奴が一番ってのはどうだ。これなら平等だろ」
「んなもん脱がして確かめる名目で、そのまま
およそ人同士の会話とは思えない下劣な内容に、胃の奥からせり上がってくるものを感じる。
王女として、未熟ながらも国の発展に努めてきた自負がある。聖女の称号を賜ってからはより一層精進を重ね、姉と同じ〖
かつて「お転婆王女」とまで呼ばれていた少女は、未だ幼気なさを残すものの、立派な淑女へと変貌を遂げ、最早周囲の誰も彼女を手の掛かる子供などと思わない。
その結末として迎える先がこれなのか…?
国に尽くし、民を愛した先で、特に因縁がある訳でもない相手に…何の脈絡もなく心と体を蹂躙されるだけの悲劇になり果てるの…?
「いや…いや……ッ、そんなの嫌だよお!」
「ヒャハハハア! い”~~い声で泣いてくれよ王女様ァ!」
「嫌あァーーっ!!」
悲痛に満ちた聖女の慟哭が未開の森に響き渡る。
それは真っ当に生きてきた人間なら眉を顰めたくなるような惨状だった。
目に涙を浮かべ、必死に抵抗する少女相手に複数の男が群がる光景は、言葉に表すだけでも吐き気を催す。
実際目にすれば、それは何とも淫靡で冒涜的なのだろうと誰もが口を揃えて謂う。
「いやッ…、
最早体裁も何もない。色情に思考を支配され、唯一それを向けられるアルシェだけが恐怖に苛まれる。
お気に入りだったドレスは無残にも破り散らされ、最早二度と纏う事が出来なくなるまで剝かれてしまう。
もう、何もかもお終いだ。
ここで自分は彼等の慰み者にされ、勇者の彼は殺される。最早そこに疑う余地はなく、せめて此方の都合で呼び出してしまったあの方だけは何とかして助けたかったが、自分の力だけではどうしようもない。
――どうして。どうして私はこんなにも弱いのッ……仮にもしここに居たのが姉様だったら、きっと盗賊なんかに負けたりしない。こんな無様を晒すなど、それこそ天地がひっくり返っても有り得なかった。
どうして私には癒すばかりで戦う力が無いのか。
それは幼い頃よりずっと繰り返してきた、答えの出ない自問自答。
自分が恵まれている自覚はある。大国の姫君として何不自由ない生活を送り、サーナを始めとした優秀な臣下達に囲まれ、女神セレェル様から直々に聖女の称号を賜った。
聖女だから、王女だから。そんな言葉と共に向けられる期待と施しを……何時しかプレッシャーに感じてしまう自分がいる。
分かっている。
何か偉業を成した訳ではない。祭政に秀でた才があった訳でもない。ただ『女神の祝福を受けた王女の役割』を、偶々与えられたに過ぎない。
そこに文句など無かった。喩え世界を回す歯車の一部に成り果てたとて、王族として生まれたからにはその機能を果たすつもりであった。
でも、その覚悟に実力が伴っているかは別問題である。
女神様のイメージが先行してか、将又わたくしが初めての聖女ということもあり、民が思い描く
当然その認識は正しく、勿論それが悪いことだとも思わない。
護りと治癒。未だ
それは大変喜ばしい事だ。民たちが私を自慢げに褒め称えるたび、日々の努力が報われた気がする。
先人が居なかろうが関係ない。私は女神様の眷属として、立派に務めを果たしている…そう自分に言い聞かせてから、早数年が過ぎた。
心の奥で燻るわだかまりを、私は未だ解消するに至っていない。
お転婆娘から少女になり、誰もが認める淑女へと成長を遂げてからも、その事だけが今も私の心に引っ掛かりを生んでいた――
『なんで…どうして。ねえどうしてなのっ。アルシェ、いっぱいお祈りしたよ? そうしたらすごく良くなったって、お母さまアルシェにそう言ってくれたんだもん』
幾ら周りが評価してくれたって、聖女の称号を賜ったって…大事な人を救えないなら無価値も同じだ。
私の能力は人が持つ価値をより強く、長く輝かせることでしか生きない。つまりそれが何らかの理由で失われるか、そもそも周囲に人が居ない場合、私という存在は一気に無価値な物へと成り下がる。
『アルシェ、聖女なんだって。女神さまに選ばれた凄い子だから、お祈りしたらたくさんの人が救われるの。
でも…でもおかしいよ。アルシェが何度お祈りしても、お母さまが目を開けてくれない…女神さまにお母さまを助けてってお願いしたのに、ちっとも良くならないッ』
そうなった時の喪失感を、私はよく知っている。
自国の為に尽くすのが王女なら、この世界に希望をもたらす勇者を支えるのが聖女たる私だけの使命。
それを違えるとはつまり、あの身を裂かれるような絶望をもう一度味わうのと同義だ。
何千人と治したところで、何万もの人の命を救える存在を死なせては意味がない。それと一緒。
仮に被害が大きくなってしまえば、それは救済する側の落ち度ということになる。
それをさせないための聖女だというのに。現に今一人の勇者が窮地に陥っているのを、ただ嬲られて待つ事しか出来ていない。
『アルシェの力は誰かを癒すためのモノなんだよね!? ねえッ…どうして何も言ってくれないの!? お母さまを治してくれないなら、この力も、聖女の肩書きも、全部いらない!』
故に強さを欲した。他者に依存するのではない。もっと純粋な、現状を打破しうるだけの力を。喩え一人になったって、脅威を打ち払うだけの強さを切望した。
また後悔しないように。また、喪わぬように。
『ハア…ハァっ…ぅぐ!』
『アルシェ様!? もうお止めください、このまま続ければ御身が、』
『~~ッ!
けれどもそれは叶わなかった。幾ら心から望んだところで、才無き者の限界など高が知れている。
鍛錬を重ねようにも、剣を握る事すらできず、攻撃系のスキルすら有していない小娘のどこに成長性を感じようか。
全身の筋肉疲労と倦怠感、高熱により一週間寝込んでまで得た成果が、多少のアビリティ上昇だった時は悔しさで頭がどうにかなりそうだった。
努力すれば何とかなる。私が強くなれば、皆を救える。
そうやって都合のいい理想だけを追い求めていた。辛い現実から目を背け、自分でも制御できなくなるまで足掻き続けた先にあったのは……自分と同じか、もしくはそれ以上の後悔を滲ませた姉の微笑みだった。
『ごめんなさい、貴女に背負わせてしまった。もう良い…もう良いのよアルシェ。自分を責めないで?
これは運命だった。決して抗えない不運に偶然見舞われただけ。だからお母様のことで貴女が気に病む必要なんて無いの』
それまで誰にも――それこそ家族にすら隙を見せてこなかった姉の悲痛な笑み。母が亡くなった日にも乾いていた第一王女の頬筋には、涙が止めどなく流れていた。
その瞬間、
強くなろうとした。皆を護ろうと思った。でもそれは独り善がりで、周りの事なんてちっとも見ていなかったのだと思い知らされる。
妥協して、妥協して。それでも心の傷を癒せなかったから、最後は母様の死を言い訳に現実逃避していたに過ぎなかったのだと、そう思わされた。
それ以降、私は胸の内で燻る未練を抱えたまま、皆が望む聖女を演じ続けた。
本当にこれで良かったのかと自問自答を繰り返し、しかしそれ以外の道がない事は散々味わってきたため、その術を磨くことに全力を尽くすことが出来た。
これで良い。妥協して得た結果だろうが、実際のところは原点回帰しただけ。もう二度とあんな惨めな思いはしたくない。今度こそ救いある結末にしてみせる。
そんな気持ちで研鑽を続けたが故に元より卓越していた回復と結界魔法が更に極まり、名実ともに聖女を体現する領域にまで至った。
今回の遠征を無事終えたら、漸く少しは自信が持てる。そうなる筈、だったのに……
「止めてえ! 私の全部、滅茶苦茶にしないでェ!」
「ギャハハァ! 堪んねえなァおい」
「この衣装はどうするよ。このまま売っ払っちまおうか」
「んな襤褸布もう価値ねえよ。汚した後の雑巾くらいしか使い道ねえって」
結局、あの頃から何も変わっていなかった。何も出来ず後悔して、ひたすら泣き続けていたあの頃と。
どうしてっ…どうしてこんな事に!
私が一人では何もできないから、知らず知らずのうちに女神様の不興を買っていたのかもしれない。
聖女なのに、王女なのに。肝心な時にいつも役立たずだからッ…勇者の彼を救えないが故に、罰が当たったのだろうか。
そんな……そんなのって……
「あんまりですッ! どうかお助け下さいっ、セレェル様ぁ!」
世界一とまで讃えられる美姫の悲鳴に、男達の嗜虐心は最高潮に達する。
自然と服を剥ぐ手に熱が入り、とうとう必死に死守していた谷間すらも衆目に晒される。
歩くたび大仰に揺れ、男の劣情を誘ってきた巨峰が、破壊間近のドレスとオーダーメイドされた下着を突き破らんばかりに押し上げて存在を主張する。
狂気に満ちた笑みを浮かべ、理性のタガを外した獣共は、その勢いのまま最後の下着に手を伸ばす。本来であれば、もう数秒もしない内に毒牙がアルシェに及んだだろう。
しかしその直前になって仲間の一人が微かに違和感を抱いた。
「ハハ……あれ? そういや向こうの音がしなくねえか」
「ラッドとムズリがあの勇者を仕留めたんだろうさ。アイツ等はいかれてるからな。用事が済むまで
「いや、それならそれで派手にやるのがアイツ等の――」
ドサドサッ
「ん…? 何だぁ今の音。何か落ちて来たかぁ」
「んな事より誰か明かり寄越せ。見辛くて仕方ねえ」
「チッ、それだと俺が愉しめねえだろ莫迦が。後で松明でも持ってくるんだな 《
男の一人が愚痴を言いつつも再び光源を出現させる。
喩え初級魔法だろうと、無法者の間で魔法は重宝される。男の要求に周りの仲間が渋々といった様子で了承し、魔法で明るくなった周囲を何気なく確認したその時だ。
5mほど先に、先程まで確かに何もなかったはずのそこに、丸い何かが転がっている……
「あ…? なんだアレ、は――」
半ば反射的に目を凝らし、異物の正体を探ろうとする。しかし、それは出来なかった。
正確には
何せソレは、直前まで彼等と共に居て、喋り、そして邪魔者を排除するため一旦この場を離れたうちの片割れ――その
「ム、ズリ……おい、お前ムズリ、なのか…」
「なんで頭だけ――っておいおい、まさか死んでるのかッ」
「死んだ…? あのムズリが」
数秒前まで猥雑に満ちていた雰囲気から、途端に熱が喪われる。誰しもが現状を正しく把握するのに時間を要し、辱める予定だった目の前の美少女すらも意識が逸れる。
だからこそ、なのだろう。
空白に染まった思考の隙を突き、死神の鎌が彼等の首に掛けられる。
それは上空から――木の上でタイミングを見計らっていたハンターが、音もなく降り立つことで成立する死のワンシーン。
これに気付いたのは、僅か三人。そのうち一人は盗賊に身包みを剥がされていた聖女その人で、彼等に押し倒され仰向けになった体勢から、偶然飛び降りてくる姿が彼女の瞳に映り込んだのだ。
「あっ……」
残る二人。アルシェと同じく彼らがその人影に気付いたのは偶然で、一人は光源で照らす役割を任され、周りから一歩下がったところで状況を俯瞰していたため。
もう一人は同じく聖女暴行の輪に加わらず、彼女が泣き喚く様子を外で鑑賞していた筋金入りの変態畜生だったからである。
前者はともかく、後者が生き延びれたのは単なる偶然に過ぎない。元々盗賊団の下っ端だった彼が警戒の任を押し付け得られたことと、彼の性癖が合致した事とは何の因果関係も無い。周囲の安全確保が建前であることは、彼は元よりその場の共通認識ですらあった。
本当は危険なんて何もない。だからこそ面倒な仕事を下の連中に放り投げ、自分達は貴族も欺くやと言わしめる、この玉の肌を存分に蹂躙するつもりだった。
故にその過ぎた欲望と油断が、彼等と下っ端との明暗を分ける結果となった。
「―――あぅふぁ?」
「………ゑ?」
視界が
「お、お
「生ぎ、で…」
またも景色が反転し、果ては視界そのものを
「五月蠅い、耳障りだと言ったろ。もう喋るな」
何も知らずに生を終えた者は幸運だった。なまじ生命力が高いと、心臓を潰されようが脳を損傷しようと意識が身体に残留してしまうである。
死ぬ直前に彼らが見た光景。それは、直前に見た仲間と同じ
それを認識してしまった不幸な不適合者たちは、今まで散々手に掛けてきた弱者よりもいっそ惨めな断末魔を上げ、その碌でもない生涯を終えたのだった。
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