最弱の勇者



「勇者様お願いです! どうか…、どうか皆さんを救ってください!」


 湊の前に現れた金髪ロングの美少女――アルシェは必死に、それはもう必死な思いで助けを縋った。

 無理に動いて肩から外れそうになるドレス。それにより何処がとは言わないが際どい所まで擦り落ち、しかし気付かずに縋るその姿は世の男共から理性を奪うこと必至。

 流石の湊も言葉に詰まり、自分に縋るアルシェに目を釘付けにされた。


 ここに至る道中、他国の人々に治療を施していたアルシェはその帰り道で目の前の盗賊達に襲われた。

 一時は優勢に立つも、彼らの依頼主を名乗る黒フードの男に逆に追い詰められ、自分と共に森へと入った護衛の兵士以外の全員をその場に置いてきてしまった。おまけにその二人も自分を逃がすため文字通り命を投げ捨て今はいない。

 再び追い付かれもう駄目かと思われたところで〈英雄召喚石ブレイブストーン〉から光が溢れ、伝承に語られる勇者が召喚された。アルシェは湊に一類の望みを賭け、彼に縋りついたのだ。


 当然そんな事情など知れない湊は訳が分からず呆然と立ち尽くす。それとは対照的に、元々理性の欠片も無かった野盗は先程の光と声でアルシェの存在に気が付くと、すぐに気色の悪い笑みを浮かべて取り囲む形で距離を詰めてきた。



「へっへ、一体何事かと思ったが、わざわざ居場所を教えてくれるとはな。鬼ごっこは終わりかい、姫様」


「わ、私に構わず行ってください勇者様! 彼方あちらに私の仲間がおります、彼らを逃がしてあげてください!」


「なに、勇者だと?」



 アルシェは男の言葉に怯えながらもある方向を指さした。そこはサーナと別れ、今も尚戦闘を繰り広げているであろう方角。

 勇者の強さを伝え聞く彼女が願うのはそこに置いてきた部下の無事である。その為なら例え自分が男達に乱暴されようとも厭わない。全ては皆のため、ひいては彼女が想う理想の姫としての在り方を保つためだ。


 だが願いを告げられた湊本人はというと――


(…ぇ? えぇ…、何だコレ。新手の泣き落とし術?)


 当然この状況に付いていける筈もなく、検討違いな予想を立てていた。この時アルシェが声を上げたことで漸く湊の存在に気付く男達だったが、この暗闇と距離が開いてるせいで顔までは見えていないようだ。


 

「勇者…?」

「勇者だと?」

「本物か?」

「じゃあさっきの光は…」


 ザワザワと波紋のように広がる疑問の声。アルシェは勇者の持つ力に畏れこのまま去ってくれるかもと一類の希望を抱く。



…………ぷっ、



「「「ぎゃはははは!」」」



 しかし現実はそう上手くいかない。


 懐疑の念が全体に広まったところで、男達が一斉に哄笑したのだ。彼等の表情には心底二人を馬鹿にするようなのも含まている。

 湊が眉を寄せ不機嫌そうな顔で睨み返すのに対し、予想外の反応を見せた賊にアルシェは言い知れぬ不信感を募らせた。


 勇者の名を出せば怯むと思った。上手くいけばこの場をやり過ごせるかもという期待があっただけに、こんな反応を返されるとは想像もしていなかったのだ。


「な、何が可笑しいのですか」


「ふははっ! 勇者ねぇ。そりゃあ確かに脅威だろうさ。経験さえ・・・・積めば・・・俺等じゃどうしようもねえだろう。なんせ俺等には特別な力なんて無いんだからな。けどよ…」


 如何にも残念だという仕草で騙ると、直後に湊を指差し、まるで勝ち誇ったように顔を喜色に歪ませた。


「少なくともそれは今じゃねえ。勇者ったって今のそいつは最底辺のレベル1、つまりはゴミ以下の雑魚だろうが。なら纏めて掛かって潰しちまえばいいだよ、ダホが!」


「っ"…!」


 その言葉で現実に引き戻された。即ち、男の言い分が正しいのだと。


 確かにアルシェが知る勇者とはそれぞれが特別な力を持ち、一騎当千の力を有する者達の事を云う。

 しかしそれは、異世界から召喚された後も弛まぬ努力を積み、この世界に馴染んでからの話だ。この世界では才能と同じくらい経験がものを言い、逆に言えばたった今召喚されたばかりの湊に出来ることなどない。

 勇者と言えど、レベル1では代表的な雑魚モンスターに分類されるゴブリンにさえ勝てるか怪しい。その事をアルシェは焦りと恐怖で失念していた。



「良いねぇその表情。希望から絶望へと叩き落とされる表情ってのは何度見ても堪らねえ。心配しなくてもたっぷり弄んで泣かせてやるさ。アンタは喘ぐ姿がお似合いだぜ? こっちは仲間を殺られてんだ。楽にイケると思うなよ」


「ぁ……」



 再び怯え始めたアルシェを嗜虐心旺盛に眺める男達。人は絶望の淵に立たされると声を出すのも儘ならない。

 しかし、その間に割って入る者がいた。ここまで半ば流され気味に会話を聞いていた湊である。


「勇者、様…?」

「あぁ"? 何してんだテメーは」

「状況は分からないけど、取り合えずこの子の味方かな」


 その事で何人かが不機嫌そうに湊を睨む。せっかくの愉しみに水を差され気分を害したようだ。

 幾人から放たれる怒気を飄々と受け流し、湊は視線をアルシェを向け、今度は盗賊を見てまたアルシェに眼を戻した。


(うーん。本当どういう状況だこれ)


 最初はもしかしたらドッキリかもと疑ったが、色々無理がある状況と少女の涙が“嘘”でない事から冷静に頭を働かせる。

 訳の分からない状況でもこの眼が嘘でないというならそれを信じるしかない。何かと妬んでいるものの、視えたものを疑うべくもない事は今までの人生で嫌というほど判っている。

 男達が彼女にナニをしようとしてるかもこの状況が真実であることの後押しにもなっていた。


「この子には色々聞きたいことがある。お前たちに説明を求めるより確実だろうし、何より見ていて気分が悪い」


 そんな男達が滲み出す雰囲気は湊が容易に察せるほど白地あからさまであり、故に必死な少女を嘲笑う男達に言い知れぬ不快感を募らせていた。


「…おい、なに調子こいてだコラ。邪魔すんじゃねえよっ、殺されてえのか!」

「ああもう五月蠅い。これだから話が通じない莫迦は嫌いなんだ」

「んだとっ!? もういっぺん言ってみろやガキがっ!」

「ひっ…!」


 慌てて諌めようとしていたアルシェが小さく悲鳴を漏らす。湊に動じた様子はなく、どころか更に冷めた眼で睨み付けていた。上から押さえつけるような物言いに殆どが逆上し、大声を出して威嚇する。

 しかしその強気な姿勢も、次の瞬間には驚愕に染まる。


「なっ…! て、てめぇっ、その髪は何だっ!?」

「は?」


 怒りに身を震わせていた男の一人がいきなり声を荒らげた。魔法で光源を生み出していた仲間が二人に詰め寄り、それによって光が銀色の髪に反射し、それが男達の目に届いたのだ。


(何だ…こいつ等は何を恐れているんだ?)


 白銀の髪は〝とある事情から〟この世界で恐怖の対象となっている。何人かはその場でたじろぎ、恐怖に顔を歪ませた。

 事情を知らない湊はその事を訝しみながらも、上手く事が運びそうだと予感する。だがそれが甘い考えだったとすぐに思い改める。


「へ……へへっ、お前ら何を怖れる必要がある。勇者つったって召喚されたばかりの餓鬼じゃねーか。全員で襲えば敵じゃねえ」

「でっ、でもよリドル……相手は勇者でしかも銀髪だぞ? 何かあるかも…」

「だからそれがどうしたってんだ。邪魔になるってんなら今のうちに殺すべきだろうが。まさか怖じ気付いたのか?」

「い、いや。そうじゃねーけどさ…」


 チラチラと髪を見ては怯えた態度をとる男を鬱陶しく思うが、どうやら穏便に進められそうにもない。ならばと気を引き締める。

 リドルと呼ばれた男がこの中のリーダー格なのか、他の男と比べ己への自信と欲望が見てとれる。



 一方で、アルシェは酷く狼狽していた。


(いけない! ここで勇者様を失っては置いてきた皆サーナたちだけでなく我が国にまで影響を及ぼし兼ねない!)


 男の言葉で勇者カナエの現状を理解し、そこからこの状況を切り抜けるための道筋を探し出す。


 現存する〈英雄召喚石〉――湊を召喚した石――は残り五個。

 その内の一つである石から勇者カナエが召喚された。召喚される勇者のタイミングはバラバラで、その代の勇者が倒れ次の勇者が召喚されるまで百年単位で間が空く時もあれば、僅か数年で召喚される事もある。


 基本的に勇者が同じ時間を生きることは少なく、稀に揃ったと云われても精々三人まで。そして現在この世に存在する勇者は一人だけ。

 つまり湊はこの世界に2人いる勇者の内の一人で、召喚されてから二十一番目ということになる。

 もしここで湊が死ぬような事になれば大国と言えど他国からの追求は免れない。一番に禁避しなければいけない事態だ。



(もう、これしか方法はありません…)


 故に…長考に耽た末、意を決して足を前に出した。


「お待ちください!」


「あ…?」

「え、あ…ちょっと!」


 それまで後ろで震えていたアルシェが慌てた様子で前に出たものだから、湊もリドル達も面を食らう。


「私と、取引しませんか?」

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