第10話 本間間 4
建山お気に入りの喫茶店は小高い丘の上にあった。
くねくねと曲がりくねった登りの舗装道路に木々のアーチが夕暮れの影を下ろし、涼し気な道のりを、とてもじゃないが気持ちよさそうとは思えない顔つきの男2人が駆け抜ける。
すっかり薄暗くなった頃、到着した。
『ここですよ』
『種田・・・珈琲・・・あ!あの!建山さんの事務所にあった珈琲のパッケージに書いてましたね』
『さすが探偵さんよくみてますね、私の中ではここの珈琲が一番美味しいんです』
カチャ・・・
喫茶店らしいカランコロンも鳴らなければ無機質な機械音のピンポンも鳴らない。ゴト・・・建山の革靴の底が古びた床板とぶつかり、心地よい低音を響かせる。
『いらっしゃいま・・あ!トイシ!』
『よう!やっちゃん』
え?ん?と言う顔つきの礒志田に建山が説明する。
『種田靖子さん、同級生なんですよ』
160cm程の身長でスレンダーな体つき、お尻がツンと拗ねた様に上がっているので足がとても長く見え、姿勢が良いから胸の膨らみがエプロンを美しい流面系で表現している。毛先がオレンジ色の茶髪をポニーテールにした小顔の女性、眉毛の位置が高いので、鋭さのある目なのにとても優しい顔つきに見えるのが印象的だった。
『あ、どどど、どうも』
『こんにちは』
礒志田は、その少し舌足らずで子供の様な高く、大人の柔らかさを持つ声は珈琲ショップにはピッタリとマッチした心地よさを感じた。
靖子はドアの札をくるりと裏返し、clauseにすると洗い物を始めた。
『もう閉店にするからゆっくり話してて下さいね。』
建山に漂う空気感を察した上での靖子の気遣いだった。
『建山さん、解体の件ですけど…』
『礒志田さん、明日って言ったじゃないですか』
『冗談じゃないですよ、ここまで来て明日って眠れやしないじゃないでしゅか』
『わかりましたよ、でもさっき話した通り、壁の向こうに何かがある…その程度しか今はわかりませんよ、それも仮説ですし、何もなかったら納戸が大きくなるだけの話です、丁度いいじゃないですか、改装してそこに部屋でも作りましょうよ』
『いやぁーもう!売りに出しちゃおうかな、絶対曰くつきの予感がするよー』
『それは明日工藤不動産に話を聞いてからにしましょう、それからでも遅くはないですよ、あんないい家』
『トイシ・・・聞こえちゃったんだけど、その家ってもしかして喫茶ひろみの横並びの売家のこと?それを買ったのがサガ・・・』
『サガシダです』『あ、そう』
『うん、なに?やっちゃん何か知ってるの?』
『あそこに住んでた三浦夫婦なんだけどさ、半年くらいで居なくなっちゃったのよ』
『あぁ、らしいね、事情あって引っ越したとかじゃないの?』
『それがね…今でこそ喫茶ひろみが出来たけど、以前はウチしか喫茶店は無かったのよ、もちろんウチは喫茶店ではなくてコーヒーショップだけどね』
そう言って靖子は人差し指を一本立てた。
『で?』
『うん、なんだっけ?あそうそう、もめてたのよ』
『誰が?』
『三浦夫婦が』
『どこで?』
『ここで』
『やっちゃんさ、相手に分かるように丁寧に話してくれないかな?修飾語が無いって言うのかな、顔に似合わず乱暴なんだよ話し方がさ』
『わかれよトイシ、長い付き合いだろ』
『わかんねーよバカタレ』
『仲良いですね』
礒志田の仲裁の様な一言で話しが仕切り直しとなった。
『あのね、三浦夫婦がね、この店に来た時にもめてるのを見たのよ』
『そう言えよ』
『うるせーバーカ』
『で?やっちゃんその話の内容とか聞いたりした?』
『うん、旦那さんが奥さんに家の事何にもしないとか、ありがちなことは聞こえて来てたよ。』
『旦那さんが奥さん殺してあの部屋に入れてるとか!?』
『礒志田さんさすがに最低でも半年以上経過してるんですから臭いがしますよ、いくら密閉していてもね』
『あ!トイシ!何のことかわからないけどね、奥さんが先に店から出た時に旦那さんに電話が来てね、クソウズがどうとかって』
『クソウズ?』
『くそうず?』
『うん、確かにクソウズって言ってた。だってなんだそれ?って思ったからはっきり覚えてるもん。』
『やっちゃん、その話誰かにした?』
『ううん、今が初めてよ、お客様のトランシーバーは守りますからね!』
『種田さん、それってシンパシーの間違いですよね!?』
『君たち、プライバシーな!この半年で妙な人とかお客さんで来てたりした?』
靖子は無言で建山を指さした。
『はいはい』
『ハイは一回ですよトイシ君!』
『念のため気を付けてねやっちゃん、あと、変わったお客さんにはちょっと注意して置いてもらえると助かるよ』
『わかった、じゃまたね』
『いや飲んでねーし!つか珈琲まだだし!』
『あ!ごめ!』
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閉店してから明日の準備をし、日課のエクササイズを終えた靖子。
時計を見ると深夜を回っていた。
『わ!いつもなんだよなぁ、もう少し時間を上手に使いたい。いや、トイシが来たからだな、あいつのせいだアンニャロウ』
小さめのリュックに荷物をパンパンに押し込んだ靖子、昔から荷物のバランス感覚が悪く、荷物がある日に小さいバッグ、荷物が無い日に大きなリュックを背負って来る娘で、遠足や買い物なんかでいつも建山に泣きついて手伝ってもらっていたのだった。
玄関に荷物を置き、鍵をかけた時背中に衝撃が走った。
『痛っ!!!』
棒のようなもので後ろから殴られたとわかった靖子は、痛さで片膝をつきながら振り返ると、逆光だが坊主頭だとわかった。その影がもう一度棒を振り上げている、靖子はとっさに玄関用の柄の長めのほうきを握り逆に持ち、低い体勢で坊主頭の脛に一撃を入れた。坊主頭が『う!』と言ううめき声をあげて体制が崩れたので、靖子は直ぐに立ち上がりほうきを握り直して構えた。
その構えは「剣道」
彼女は剣道三段の腕前で、構えた瞬間目が鋭くなり、高めの眉毛の位置もグッと下がって逆ハの字になった。右足が前の構えからその右足がジリッと動いた瞬間更にその右足が前に踏み込まれ、面を打ち込んだ。坊主頭はかろうじてかわすが右肩に打撃をもらう。坊主頭も負けじと手にした棒を振り回す、普段なら当たるはずもない素人の振りだが、暗がりではよく見えず靖子は左脇腹に攻撃をもらってしまう。しかしそのおかげで距離を把握できた靖子は下がりながら坊主頭の右手に「引き小手」を決める。小高い丘の上、周囲に家が無い美しい夜空に乾いた音が鳴り響いた。
シパーーン
だが靖子が受けた打撃は脇腹に予想以上のダメージを与えており、靖子は奥歯を噛みしめながら前傾姿勢になりニヤリと笑った。もととは言え剣道で学んだ術は健在で、これは相手に痛い場所をわからせないための策であり、痛くない、効いてないと言うアピールだった。坊主頭は落した棒を拾うと、その棒を靖子に投げつけて、その場を走り去りながら『三浦邸に関わるな』と残して闇に消えた。
緊張が一気に解け、ぺたりと座り込んだ。
その長い脚を折り畳み、いわゆる女の子座りをした靖子。
腰が抜けたと言うよりは気が抜けたと言う状態だろう。
ちょっとの間ボーッとした後、ふと握りしめたほうきに気が付いた。ボーっとしていたのに力いっぱい握っていたらしく、ほうきの柄を乗り越えた指が手の平に届き、爪が食い込んでいた。靖子は自分を救ってくれたほうきに『ありがとう』と言うと、剣道を勧めてくれた亡き父に感謝して星空を見上げると、身体の痛みに改めて気が付いた。
『いてぇ~・・・・』
靖子はその足で救急病院へ念のため向かった。
診断結果は背中が強度の打撲で、左肋骨にはヒビが入っており、全治3ヵ月と診断された。
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