第17話

 僕本来の僕と雄吉(ゆうきち)との間で、僕は見えていたことと見えてきたことを混同するようになっていた。ここまでならこの感覚も既知のものだと云えるが、もうじきするとすべてのことが初めてに見えてくる。そうなる前に(つまり静生(しずお)であるうちに)僕は母としっかり対話しておかなければならない。雄吉(ゆうきち)になってしまったら母から享受するだけだから、母より理(ことわり)を知っているいまのうちに母に気付いてもらいたい。つまり僕があなたのラブでどうとでもなることを。

 悲嘆に暮れる母を僕は胎児のダンスで励まし続けた。母にそれがどう取られようと。言葉を持たない僕に許された念じる伝達手段は母に表層的には届かないことはとっくにわかっていたが、諦(あきら)めず念じ続けた。雄吉(ゆうきち)の身体を借りてできることと、静生(しずお)の意思でできることを織り合わせ、僕は母に生まれたい気持ちを篤(とく)と粘り強く伝え続けた。

 自らを高等生物と云っているが人間の理解は遅い。気づけば分かって行動できるという生き物ではない。それならミヤマクワガタのほうがずっと宇宙の摂理を知っている。生きるなら食べる。生きるなら動く。生きるなら仲間を峻別する。この星の人間はかなり寄り道してからそこに到達する。到達できない個体もある。その間に費やした思考は無駄ではないが、結局その時間の成果物は何度辿っても忘れてしまう。輪廻を繰り返し少しずつ少しずつ忘れたことを取り戻せるよう人間はなっている。だから忘れっぽい人間である母がそこに到達するのに時間がかかってしまうのも仕方がない。それがわかっているから僕も一生懸命母に理解してもらおうと時間をかけてやったつもりだ。報いがあることは知っていたから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る