第13話
運ばれた先で母と僕の命は物物しい装置や怪しい姿の人間たちに取り囲まれ台の上の人となった。
「いかんな、せめて母体だけでも助けなければ」
遠くで聞こえる囁きの意味を、僕は母との早すぎる別離と理解した。傍目(はため)から見ていても痛そうな重そうな器具が母の剥き出しの乳房の辺りに押さえつけられ耳障りな音がする度に意識のない母の上半身が台から浮いた。
長い漂流で僕は何度かそれまでになかった革新的なことで驚くことはあったが、例えば海から出て陸で暮らせるようになった時だとか、翼で空を飛べるようになった時だとか、孵化(ふか)せず生まれてすぐに乳を飲めるようになった時だとか。しかし人間に期待するものはあまりなかった。手にする物体には時空や思考を短縮できる便利な機器や無数の命を簡単に殺める武具を次から次へと発明し続けるのだが、代償を省みず結局は後退していることに気づかない。それを発展とは僕をはじめ隣接する宇宙の万物たちも思ってはいない。
しかし今度ばかりは途切れかかった母と僕の時空を繋ぎ留めたのだから、こと僕に至っては革新、そう呼ばなかったとしても望外の奇事(きじ)だと思いたい。人間の医術は望み少ない母の肉体に人工的に血を通わせ、あまつさえまだ生まれもしない僕の肉体をも蘇生させた。これも本来は自然の摂理に悖(もと)る不貞行為なのだろうが、人間の肉体に戻ろうとする直前の僕は、諦めかけていた命を前に、この者たちに感謝してしまうのだった。
生かされた命を母はどう摂(と)ったか。生きていく境遇は何も変わっていない。だったら母はまた再び命を粗末にするだろうか。僕を流そうとするだろうか。そのことを僕は気にかけていた。実は僕には経験から見えていたから、母が“そう”変わることを予期していた。
母が背負っていた絶望は、原因は父や叔母がもたらしたものであるが産み出したのは母自身である。だから母が自分で消すことだってできるのであるが、それをあの時の母に求めるのは酷というものだろう。母をはじめここの生き物はそこまでに達していない。だからあのまま母が命を絶っていたら絶望は母の輪廻にしぶとくこびり付き、彼女の流転は行先を変えたかもしれない。また母の中断の影響を余儀なくされた僕だって竹内産婦人科で化石となっていた声の仲間入りをしたかもしれない。
しかし母は死に接し束の間娑婆から離れた。ごく稀なことであるがこうした臨死体験は僕にもあったがそれまでの持て余していた苦悶を遠ざける。消えはしないのだが位置か、或いは向きが変わるのだろう。そのことによって苦悶の見え方が変わり同時に姿も変わっている。居た場所は違うが母と僕は入れ物を捨てて宇宙のどこかを別々に漂っていた。謂(い)わば、俗世での営みに小休止が与えられた。そうなると娑婆の俗事は極小に見えだし途方もない漂流の塵埃(じんあい)となる。そこを掻(か)い潜って娑婆に強制送還された母が、絶望を自分で調節できるようになっていたのは僕から見れば至極当然のことだった。
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